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月に喘ぐ  作者: sadaka
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夜空に浮かぶは赤い月(5)

 赤月帝国は領土のほぼ中央に王城があり、その周囲に街が広がっている。領土の四方は切り立った崖や深い森に囲まれていて、それゆえ赤月帝国は天然の要塞に護られているのだ。赤月帝国を抱くように広がっている広大な森は『かげろうの森』と言う。そしてかげろうの森の一部分だけを切り取って『彼岸の森』と言い、白影の里はこの森の内に位置しているのである。

 その日、海雲は彼岸の森に誤って街の人間が迷い込んだという報せを耳にした。赤月帝国を外界と遮断しているかげろうの森は天然の迷路になっているのだが、加えて白影の里がある彼岸の森には罠が仕掛けられている。そのため、術を知らない人間が迷い込むと非常に危険なのだ。だが彼岸の森は街の一部と接しており、狩りをする者や樵などの生活の場となっている。そのため完全ではないのだが立入禁止令が出ており、街の人間がそれを守ることで今まではうまくやってきた。そのような歴史があるため、街の人間が迷い込むなど異例中の異例だったのである。

 外敵ではなく街の人間だというところに興味を惹かれ、海雲は単身遭難者の元へ赴いた。白影の里の者にとって彼岸の森は庭のような場所なので、簡単に移動が出来るのである。だから海雲にとって、森の中を彷徨う異端者を発見するのは容易いことであった。

 鬱蒼と茂る樹木の上で身を潜めていた海雲は侵入者の姿を認めると樹から飛び降りた。そのような場所から人が降ってくることなど思いも寄らなかったのだろう、侵入者は歩みを止めて呆然と立ち尽くしていた。だが彼は、すぐに平静を取り戻して怒り出したのである。


『なんだよ、お前!』

『それはこっちの科白だ』


 初めて交わした言葉がそれ、である。威勢の良い相手に海雲も興奮してしまい、しばらくの口論のすえ結局ケンカになった。

 白影の里の者は誰もが殺人術を会得しているが、相手が普通の人間だったので海雲もまともなケンカで対抗した。すると相手は意外に強く、思わず本気で倒してしまった。慌てて里に運び入れ、それがサイゲートとの関係の始まり。

(……あの時は、殺したかと思って焦ったよな)

 それなのに、目を覚ましたサイゲートはぴんぴんしていた。さらに、喋ってみると憎たらしい奴だったのである。

(でも、楽しかった)

 普通に(・・・)ケンカが出来る相手など、今でもサイゲートくらいなものである。サイゲートが勉強をしたいと言うので、海雲は里の者でも一部の人間しか入れない書庫まで解放してやった。それなのに、

「来ないとはどういうことだ」

 燭台の灯りが仄かに周囲を照らすだけの薄暗い書庫で頬杖をついていた海雲の口から、思わず独り言が零れた。返事を得ようもない独白はすぐ、夜のしじまに呑み込まれていく。

 夕暮れの街で偶然に出会った時以来、サイゲートがこの書庫へやって来る気配はない。何が気に入らなかったのかは分からないが、毎晩見張りを兼ねて書庫まで足を運んでいることが馬鹿らしく思えてくる。海雲は憤慨したまま立ち上がり、人気のない書庫を後にした。







 今宵も隣室で繰り広げられている夫婦間、親子間の争いの声を聞きながらサイゲートは床に寝転んでいた。罵声を耳にするのは毎度のことだが、よく飽きもせず同じような内容で口論が出来るものである。

(ケンカ……か)

 その単語から連想される人物は一人しかなかった。サイゲートの脳裏には自然と、夕暮れの街で見掛けた光景が蘇る。街中に姿を現した王子と海雲が親しそうにしていた、あの日の出来事だ。

『俺らみたいな庶民とは住む世界の違う人だ』

 仕事仲間が零していた愚痴のような言葉が、また聞こえた気がした。続いて、親方が酒に酔いながら言っていた科白も浮かんでくる。

『いいご身分だよな。俺もああいう所に生まれたかったぜ』

 王子を目の当たりにした仕事仲間達は他にも様々なことを言っていたが、そのどれもが強い羨みを含んでいた。また、どうにもならないことを妬んでいるかのようでもあった。

 横たえていた体を仰向けにし、サイゲートは瞼の上を腕で覆った。すると月の光も見えない暗闇の中で、脳が覚えている王子の姿がぼんやりと浮かび上がってくる。

(王子って、やっぱりちがうんだな)

 彼は常に光の当たる世界にいる人間だ。その証拠に多くの人を集められて、好かれて、羨まれている。自ら誇示していなくとも人々に強烈な存在感を与える人物の顔は、やがて別の人物の顔へと変わっていった。

(そんな人と、一緒にいられるんだな)

 瞼の裏に浮かび上がった海雲に向かい、サイゲートは胸中で語りかけた。

 海雲は赤月帝国の軍隊である白影の里の者なので、王城に出入りするのは当たり前のことなのかもしれない。だがあの時、普段は身近な存在の海雲がサイゲートには遠い世界の人のように思えたのである。海雲と目が合った時、人の壁に隔てられた距離が遠かった。暗い世界にいる自分を見られるのが、嫌だった。

「お前の家、夜中だってのに随分うるさいな。いつもこうなのか?」

 人知れず顔を歪めていたサイゲートは唐突に闇から沸いてきた声に驚愕し、慌てて体を起こした。赤い月明かりが差し込む窓辺に、いつの間にか人影がある。明りを背にしているので顔は見えないが、その声は紛れもなく海雲のものだった。

「ああ、勝手に邪魔したぜ」

 驚きのあまり言葉が出ないサイゲートに向かい、海雲の声があっけらかんと言い放つ。彼は侵入口である窓を閉め、それから呆気にとられているサイゲートの傍へやって来た。

「まったく、平和ボケもここまでくると笑っちまうな。外では戦争が続いてるってのに、お前の家は緊張感がなさすぎだ」

「お、お前……」

「なんだよ。言いたいことがあるならハッキリ言え」

 海雲は遠慮もなく、サイゲートの隣にどっかりと腰を落とした。そのあまりのふてぶてしさに少しずつ冷静さを取り戻したサイゲートは眉根を寄せる。隣室では未だ口論の声が聞こえるが一応夜も更けているので、サイゲートは声を抑えながら言葉を紡いだ。

「どうして家を知ってるんだ?」

「そんなの、赤月帝国内の地図は全部頭に入ってるからに決まってるだろ」

「白影の里って、そんなことまで知ってるのか」

「当たり前だ。調べようと思えば国内のことは何でも分かる」

「それで、こんな時間に何の用だよ?」

「お前、何で来ないんだよ?」

「は?」

 海雲の返答が答えになっていなかったのでサイゲートはぽかんと口を開けた。海雲は小さく息を吐き、口調に不満を滲ませながら真意を明かす。

「知らないだろうから教えてやる。俺はお前が書庫に出入りするようになってから毎晩、見張りのためにわざわざ書庫まで行ってたんだよ。毎日顔を合わせるのは偶然だとか思ってただろ?」

「……ヒマ人だと思ってた」

「……最悪」

 顔がよく見えずとも、サイゲートには海雲が唇を尖らせてふてくされている顔が見えた気がした。一人待ちぼうけをくっている退屈そうな海雲を想像したサイゲートは声を押し殺して笑う。

「笑い事じゃないだろ。俺がしなくていい苦労をしてるのに、何で来ないんだよ」

 海雲が話を元に戻したので笑いを収めたサイゲートは真顔に戻って尋ねた。

「それで、わざわざ家まで来たのか?」

「だってお前、街で会ったとき逃げただろ。声掛けようと思ってたのに何で逃げるんだよ?」

「あれは……親方に呼ばれたからだよ」

「親方って、あの気の弱そうな男か?」

「よく気が弱いって分かったな」

 人垣で満足に見ることが出来なかっただろうに、海雲は一瞬目にしただけの親方の性格まで言い当てる。その洞察力には感服するより他なく、サイゲートは驚きを通り越して呆れてしまった。

「あれはどう見ても気の弱い顔だ。お前、あんな奴の下で働いてるのか?」

 海雲の言葉が少々露骨だったのでサイゲートは隣室を気にして顔を傾ける。もう口論の声も聞こえないが、薄壁を隔てた隣には渦中の人物がいるのだ。

「気は弱いけど、悪い人じゃない」

 サイゲートがいっそう声を抑えて答えると、隣室から一度は静まったはずの破壊音が聞こえてきた。サイゲートを取り巻く環境を揶揄していた海雲も、これには口を噤む。

「……凄まじいな」

 破壊音が収まって後、海雲が小声で呟いた。海雲の言葉に対して何の感慨もなく、サイゲートは頷く。

「いつものことだ。気にしなくていい」

「止めないのか?」

「誰もオレの話なんか聞かないよ」

 感情のこもらない科白を、サイゲートは棒読みした。海雲が何かを言いたそうにしていたが、彼も結局何も言わずに閉口した。

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