血色の和平(12)
白影の里から王城に戻ったサイゲートは、ありのままを王に伝えた。謁見の間で玉座に座っている王は息子の訃報を知り、静かに嘆き、悲しんでいる。肩を落としている王に追い討ちをかけるようなことは言いたくなかったのだが、自身の痛みなど王とは比べ物にならないと思ったサイゲートは間を置かずに言葉を次いだ。
「オレがこんなこと言える立場じゃないですけど、もう城にこもるのはやめましょうよ。このままじゃ、何も解決しない」
一方的に攻撃をされたまま、いつまでも受身ではいられない。侵攻されている理由も不鮮明であり、まして大聖堂は和解交渉の使者まで殺したのだから。このままにしておけば、国が滅んでしまう。アゼルや海雲が護ろうとしたものが、壊れてしまう。
「……分かっている」
王も思いは同じなようで、彼は即座にサイゲートの呼びかけに応えた。王はつい先刻まで辛苦の表情を浮かべていたが、すでに悲しみは拭い去られている。そこまで自分を殺さなければならない『王』という立場に痛みを覚えたサイゲートは、わずかに顔をしかめながら話を続けた。
「アゼルや海雲のようにはいかないかもしれませんが、オレがやります」
「ありがとう。これからも、共にこの国を護ってくれ」
王としての発言をした後、彼は玉座から立ち上がった。国王自ら戦線に赴こうとしていることを察したサイゲートは直立したまま頭を垂れる。だが厳かな空気は、絹を裂くような悲鳴によって打ち破られた。何事かと背後を振り返ったサイゲートの目前で扉が開き、菜の花が謁見の間に駆け込んでくる。
「お父様!!」
目に涙を溜めた菜の花は脇目も振らずに王に走り寄り、そのまま彼の胸で泣き崩れた。おそらく、彼女がこれほど取り乱した姿を見たのは王も初めてだったのだろう。瞠目しているサイゲート以上に、王は狼狽していた。
「どうしたのだ、菜の花」
「お兄様が、お兄様の首が……」
激しくしゃっくりあげながらも必死で訴えている菜の花の言葉を聞き取り、サイゲートは謁見の間を飛び出した。城内では一般人の進入が制限されている上階でさえ窓という窓に人だかりが出来ている。外を見つめながら放心している人々が退こうとしなかったので、サイゲートは強引に彼らを押し退けた。
「ちょっと、どいて!!」
乱暴に押し退けられても怒ることもなく、人々は呆然としたままでいる。人を掻き分けて窓に辿り着いたサイゲートは、彼らをそうせしめている光景を見た。
王城の周囲には二重に堀が巡らされており、内堀の橋は落とされているので敵は内堀と外堀の間にある中州のような場所に群がっていた。敵の手には生首が握られており、それは見せしめのように高々と掲げられている。敵が城内にいる者に見せようとしているだけに、首だけとなった人物の顔はよく見えた。激しい嫌悪と身震いするような怒りが綯い交ぜになり、サイゲートはきつく拳を握る。
「これでいいのかよ!!」
今までに溜め込んできた怒りが憤りに拍車をかけ、サイゲートは誰にともなく叫んでいた。悔しくて、憎くて、たまらない。そんな想いの丈を、サイゲートは言葉に乗せる。
「王族とかそんなことじゃなく、同じ国に暮らす奴同士だろ!? 仲間が殺されて! 死んでからもあんな風にされて! くやしくないのかよ!! あんな連中にまた誰かが殺されて家を焼かれるのが平気なのか!? それでいいのか!!」
心の底から、サイゲートは叫んでいた。しかし言葉を途切れさせたサイゲートが肩で荒い息をしていても、城内は静まりかえっている。これだけ声を大にしても駄目なのであれば見切りをつけるより他ないと、サイゲートは唇を噛んで顔を上げた。
(王に……)
何をするにしても王の許可が必要だと思ったサイゲートは急いで踵を返す。すると背後から、誰かの声が上がった。
「サイゲート様」
サイゲートが振り向くと、そこにはアゼルの私兵達の姿があった。あの時生き残った全員が廊下に並んでいて、サイゲートに敬礼を向ける。全員、涙で頬を濡らしていた。彼らの想いを受け止めたサイゲートは力強く頷いて見せる。
「王に許しをもらってこよう。あいつらを追い払ってアゼルを取り返す」
「もちろんです。我々は、サイゲート様に従います」
志を同じくする者達が賛同を見せたので、サイゲートは再度踵を返した。今度こそ謁見の間に戻ろうとしたのだが、再び背後から声が上がる。
「お、オレも連れてってくれ!」
振り向いたサイゲート達が目にした声の主は、一般人と思われる若い男だった。階段のすぐ側で声を張り上げた彼は、避難所となっている一階の広間から上がって来たのだろう。城内全体があ然としている状態では警備が疎かになるのも自然なことである。しかし男は、威勢の良い口調とは裏腹に目に見えるほど震えていた。それでも彼は、笑っている膝を実際に叩きながら言葉を次ぐ。
「お、王子に世話になったことがあるんだ。借りは、返さないと」
「……俺もだ」
「……あんたの言う通りだ。これ以上、生活を奪われてたまるか」
初めにサイゲート達を呼び止めた男に続き、階段から姿を現した者達が次々と声を上げる。それは潮流となり、いつの間にかサイゲート達は国民が作り出している輪の中にいた。
「よし! みんなで赤月帝国を守ろう!」
自身が命を失うかもしれないという恐怖から一歩を踏み出してくれた人々の勇気に感謝しながら、サイゲートは声を張る。サイゲートの呼びかけには、閧の声が応えた。
下ろしている瞼の裏で、淡い輝きが揺れていた。よく知っているその仄かな輝きは、蝋の灯火だ。嗅覚が感じているのは独特の青い匂い。それは他では味わうことの出来ない、自宅の気配だった。
「……帰って来たのか」
自身の呟きが聞こえて、海雲は目を開けた。視界には高い天井が広がっていて、見慣れた梁が瞳に映っている。
「気が付かれましたか」
傍で誰かの声がしたので海雲は首だけを横に傾けた。枕元に白髪の老人が座している。柔和な顔をしている彼は先代の頃より白影の里で医療班に身を置いている熟練の者だった。
「担ぎ込まれてから三日ほど、生死の境を彷徨っておられました」
「……そうか」
「痛みはありませんか?」
「ああ。大丈夫なようだ」
いつまでも里の者に醜態を晒しておくわけにもいかないので海雲は体を起こすことを試みた。だが上半身を起こした刹那、視界が渦を巻くような眩暈に襲われて再び床に倒れる。固く目を閉ざした海雲が吐気と闘っていると老人がしれっとした口調で言葉を紡いだ。
「血液が足りませんので、起き上がると貧血を起こしますよ」
「……そういう事は先に言え」
「すみません。どうせ言っても聞かないでしょうから」
「嫌な奴だ……」
頭痛までしてきたので海雲は息を吐いて口を閉ざした。老人も沈黙したので、静寂が訪れる。
(静かだ)
何もかも、この静けさに消えてしまえばいい。投げやりではなく本気で、海雲はそう思った。だがそうそう都合が良いことはなく、老人が再び口火を切る。
「何も、訊かれないのですね」
「……何を訊けと言うんだ?」
「王子がどうされたか、知っていますか?」
「ああ。見て、いたからな」
口調は平静であっても海雲の胸には波風が立っていた。斬首することは、無駄な苦痛を与えないためにも有効な手段である。だがそれは一瞬のうちに首が飛ばされることを前提としている。平素は武器など扱わない不慣れな手つきの者達に生きながら首を落とされるのは、どれだけの苦痛を伴ったことだろう。いっそ自らの手で命を断ってやることが出来ればそれほどの苦しみはなかったというのに、海雲は見ていることしか出来なかったのだ。
「では、街の様子はどうですか?」
海雲が本当は平静などではないことを察したのか、老人はさっさと話題を変えた。白影の里の者にとって死は珍しいことでもないが、老人の反応はいささか淡白である。しかし老人の方が正しいと思い、海雲は嘆息しながら答えを口にした。
「いくらなんでも攻め込む準備くらいはしているだろう」
「棟梁が使者に立たれてから、流民達が再び攻め込んで参りました。王は攻め込まれた理由も解らず使者が敵地へ赴いている状態では戦うことが出来ないと、籠城を決意されたのです」
「……それは本当か?」
予想だにしなかった老人の発言に驚き、海雲は老人に顔を戻した。枕元から海雲を見下ろしている老人は表情を変えることもなく頷く。
「我が白影の里も棟梁不在でしたので、王のご指示に従いました」
「それで、今も続いているのか?」
「いえ」
「現状はどうなっている?」
「アゼル様のご遺体は全ての墓に埋葬しました。同行した者の話ですと、首はどうしても見付からなかったそうです。棟梁がお帰りになられてから、流民達がその首を手に挑発してきました」
布団に横たわったまま、海雲は拳を握り締めた。海雲の体に必要以上の力がこめられているのを見て、老人は気遣わしげな眼差しになる。
「あまり、感情的になられますな。回復が遅れます」
「いい。話を続けろ」
「……はい。王は、戦う決意をなさいました。現在は里の者も、ほとんど出払っております」
「指揮は王が?」
「はい。戦闘はほぼ終了したようで、現在は残党狩りが行われています」
「首は、どうした?」
「民が取り返しました。個人的には胴体と別の場所に埋葬するのもどうかと思いますが、誰もがいつでも参拝出来るようにと、王城に」
「民が……?」
「後は、ご自身の目でご覧になった方がよろしいでしょう」
「……わかった。城と往復出来るだけでいい、薬をくれ」
「調合いたしましょう」
その場でやるらしく、老人は背に隠していた薬研を取り出した。首が疲れたので、海雲は天井の梁に向かって顔を据える。会話の途絶えた室内には老人が薬草をすり潰すゴリゴリという音だけが聞こえていた。
「目覚めるとは思っていましたが、実は少し心配しておりました」
「……何がだ?」
「海雲様では、なくなってしまうのではないかと」
白影の里の者は皆、海雲を棟梁と呼ぶ。老人がわざわざ名で呼んだのは意味を含ませたかったからだ。彼の真意をしっかりと理解してしまった海雲は何事も深読みしてしまう自身の性格を呪いたい気分になりながら話に付き合った。
「目覚めない方が良かったのかもしれないな。壊してしまった方が楽だったとも思う。だが先代や王、友人達との約束がある。まだ死ぬ訳にはいかないさ」
「それでこそ我らの棟梁です」
彼が求めている通りの答えを口にしただけあって、老人は上機嫌な笑みを浮かべた。梁を見つめている海雲には老人の顔色を窺うことは出来ないが、長い付き合いなので想像するのは容易である。老人の立てる音が軽快なものだったので、海雲は息を吐きながら瞼を下ろした。




