血色の和平(13)
残党狩りが終わると赤月帝国内から大聖堂軍の姿が消え去った。戦に出ていた男達が戻って来たことで避難命令も解除され、街には少しずつ人が戻り始めている。非力と思われていた国民が自ら戦闘に参加した意味は大きく、人々の顔には戦の爪痕に負けないくらいの気力が漲っていた。どんなに苦しいことでも力を合わせれば乗り切ることが出来る。やろうとさえ思えば出来ないことなどないのだ。そして一人一人が戦う意味を知っていれば、赤月帝国は流民達にようにはならないだろう。勝ち戦を終えて王城に帰還した時、サイゲートは改めてそう感じていた。
戦の指揮は執っていたものの残党狩りには参加しなかった王は一足先に城へ戻っており、サイゲートは指揮を任されてからの出来事を具に報告した。サイゲートの話が一段落すると、王は菜の花の話題を切り出したのである。あの快活だった菜の花が塞ぎこんで口もきかないのだと聞き、サイゲートはすぐさま彼女の私室を訪れることにした。王に退出を告げて謁見の間を後にしたサイゲートは階段を上り、王城の四階を目指す。上階へ行くほど静かな城内には、すでに菜の花の悲しみが漂っているような気がした。
「……姫」
呼びかけながら扉を叩いても反応はない。いないのかもしれないとも思ったが、サイゲートは一応確認しておくことにした。
「姫、入りますよ」
返事を待たずに扉を開けると菜の花の姿は窓辺にあった。その場所に置かれている椅子に腰を落ち着けている彼女の膝上には開かれた本が置かれていたが、菜の花の視線は窓の外に向けられている。しかし景色を見ている風でもなく、その双眸は虚ろに開いているだけだった。
「風邪を、ひきますよ」
薄着でいる菜の花に、サイゲートは手近にあった上着をかけてやる。それでようやく、彼女はサイゲートがいることに気が付いたようだった。
「……サイゲート、」
サイゲートの姿を認めた途端、可憐な顔が歪む。菜の花の頬には何度も泣いた跡が見えた。
「お兄様が……」
涙声で言葉を詰まらせた菜の花を、サイゲートは優しく抱きとめた。サイゲートの腕の中に収まった菜の花は声を押し殺して泣いている。少しずつ力が抜けていく華奢な体が折れないように支えながら、サイゲートは空を仰いだ。掛けてやりたい言葉は山ほどあったが、今の彼女には何を言っても無駄だろう。
(それはまた、いつか言えばいい)
アゼルの大切にしていたものは、自分が護る。胸中で密かな誓いを立てたサイゲートは泣き疲れて寝入ってしまった菜の花を抱え上げ、そっと寝台に横たわらせた。
白影の里において医療に長けている老人に薬を調合してもらった後、海雲は両脇を里の者に抱えられるという無様な姿で王城へ出向いた。そうしなければ歩くことも出来ないほど、海雲の体は消耗していたのである。謁見の間に現れた王は海雲の姿を見て驚いたようだったが、それも一瞬のことだった。無表情に戻った王が玉座に腰を落ち着けたのを見て、里の者を下がらせた海雲は崩れ落ちる形で頭を床にこすりつける。
「申し訳、ございません」
言葉でいくら謝罪をしても、決して許されない。そのことが解っていても、海雲にはそうすることしか出来なかった。海雲がいつまで経っても頭を上げようとしないので王は嘆息する。
「頭を上げよ」
「合わせる顔が、ございません」
「何も聞かずとも解る。アゼルはそういう人間だったのだ」
何事もなく敵に急襲されただけであれば、二人とも無事に帰還したはずである。海雲に絶対の信頼をおいているのか、王の口調はそう言いたげだった。だが今となってはその信頼が重く、海雲はますます顔を上げられなくなってしまった。
アゼルはそういう人間だった。断定的にそう言ってのけた王は、息子の気性を承知していただろう。王自身、アゼルと同じ種類の人間なのだから尚更だ。だが、止めなければならなかった。その責任が、海雲には確かにあったのだから。
「……私はな、」
席を立ちながら言葉を紡いだ王は頭を上げようとしない海雲の傍らにしゃがみこみ、それから続きを口にした。
「幸せではなかったのかと思うのだよ、海雲。結果はこういうことになってしまったが、アゼルは自らの信念を貫き通したのだろう? それに、王になってもアゼルは幸せではなかっただろう」
「そのようなことを、おっしゃらないで下さい。何が幸せであるかを決める本人を、殺してしまったのですから」
「見殺しにしたと思っているのか? それは違う。そなたにも、解っているはずだ」
強い口調で諭され、海雲は閉口するより他なかった。いつまでも目を合わせようとしない海雲に顔を上げるよう命じ、王は海雲の瞳を見つめながら言葉を次ぐ。
「親として、友として、悲しみは尽きない。憎しみもある。だが私はこの国の王であり、そなたはこの国の軍隊の棟梁なのだ。己を見失い、身勝手に生きることは許されない」
「……はい」
「王位継承者がいなくなってしまった以上、今まで通り私が玉座に座る。そなたには補佐してもらわなければならん」
「……承知致しております。命ある限り、赤月帝国に忠誠を」
「それでいい」
臣下としての海雲と話を終えた王は毅然とした態度で玉座へと戻って行った。王が腰を落ち着けたことを確認してから、海雲は何とか立ち上がる。
「……菜の花には可哀相なことをした」
思わずといった風に零された王の独白は、兄を失った悲しみに暮れる娘に対する憐憫だけではなく様々な意味合いを含んでいた。その意味を知りながら、海雲は聞かなかったことにして深く頭を垂れた。




