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月に喘ぐ  作者: sadaka
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友(6)

 白影の里に戻って、海雲はまず配下に指示を出した。その内容は街中に侵入した敵を殲滅することと、王城の警備を固めるという二点である。この命令を下した際、海雲は敵兵殲滅の手段を厭わないことを里の者達に告げた。冷静な決断だったとは言えないかもしれないが、それが必要だと判断したからである。

 かげろうの森から戻った者達をそのまま街へ向かわせてから海雲は屋敷へ戻った。畳敷きの客間には布団が敷いてあり、そこには白い顔をした怪我人が横たわっている。布団の脇には医学に通じている老人の姿があり、海雲は腰を下ろしながら彼に声をかけた。

「様子はどうだ?」

「急所は外れていたようで、出血はそれほどでもありませんでした。しばらく安静にしていれば大丈夫でしょう」

「解った。他の者も診てやってくれ」

 老人を急き立てるように追い出し、海雲は手にしてきた薬研を使って薬草をすり潰し始めた。車輪と小舟の底が擦れ合い、静かな室内にごりごりという音を響かせる。そうこうしているうちにアゼルが姿を現したので海雲は作業の手を休めずに話しかけた。

「あの子供はどうした?」

「……口を開こうとしないし、泣きもしない」

「……そうか」

 居合わせた子供にまで、惨いものを見せてしまった。だがあの状況で子供の精神状態にまで気を回せる余裕はなかったと、海雲は苦く思いながら閉口する。

「サイゲートが、死んだかと思った」

 しばらくの沈黙の後、アゼルがぽつりと独白を零した。ちょうど作業が終わったので海雲も顔を上げ、布団に横たわるサイゲートを注視しているアゼルを見つめる。その頬には涙の跡が見えたが、今は必要以上に話をしている時間はなかった。

「俺はすぐ王の下へ行かなければならない。だから、必要なことだけ聞いておく」

「……ああ」

「アゼル、お前は襲われる前に誰かと話をしていたな。あれは誰だ?」

「あの人は……流民だ」

 サイゲートに目を注いだまま、アゼルは弱々しい声音で答えを口にした。何の表情も表していないアゼルの顔から視線を外し、海雲は考えに沈む。

 赤月帝国は厳重に外界との接触を遮断しているが、それでも安全な地を求める者が辿り着いてしまうことがある。海雲自身その事実は把握していたが、捕縛した流民と直接会うことなどはなかった。流民は保護された後、王に謁見することになっている。それで、アゼルは面識があったのだろう。彼のことだ、その後も交流を持っていたに違いない。

 流民も一度受け入れられると防犯上の理由から国外へ出ることは許されない。だから、あの老人は赤月帝国内に住んでいた。その気にさえなれば、これほど適任な間諜もいないだろう。

「手を貸したのは、あの老人か」

「自分だけ良ければいい、そう考えるには外の世界はあまりにも悲惨なのだと、言っていた」

 忌々しげに独白した海雲に対し、アゼルは淡々と老人の言葉を伝え聞かせた。海雲は閉口し、そのまま唇を噛む。

 おそらく老人は、戦火にみまわれた村か何かの長老だったのだろう。彼は赤月帝国の民になりすまし、家族を呼び寄せる機会を狙っていた。大聖堂(ルシード)と連絡をとったのは、おそらくかげろうの森が焼かれた後だ。あの森林火災の混乱の中、生き延びて国内に侵入した輩が連携を取り持った。その目晦ましのために多くの仲間を焼き殺した可能性すらある。それはちょうど、冬が来ると気が緩んでいた時期でもあったのだ。

(……くそっ、)

 いくらでも未然に防ぐ手段はあったはずだと、海雲は胸中で自身を罵った。一瞬の甘さが命取りになる、そんなことは骨身に沁みて解っていたはずなのに。

「アゼル、お前の私兵は何人か殺されていた。生きていた者は里に担ぎ込んである」

「……分かった」

「それから、俺は本気になる。もう容赦はしないつもりだ」

「……仕方ない、と思う」

「サイゲートの傍にいてやってくれ。絶対安静だ」

 会話をしている間、決して目を合わせようとしなかったアゼルが俯くように頷いて見せる。後は湯に溶くだけの粉末を薬研ごとアゼルに託し、海雲は静かに立ち上がった。







 視線は目前のサイゲートに固定しながらも、アゼルは背中で聞こえた襖を開閉する音に耳をそばだてていた。背後に感じた海雲の様子からは特に変わったところは見受けられない。しかし静かではあっても確実に、彼は怒っていた。

 自身に向けられた怒りではないのに、アゼルは過敏なほど神経質になっていた。それは容赦しないと吐き捨てた海雲が恐ろしかったからかもしれない。だがその彼の姿も、もうないのだ。アゼルは深く息を吐き、それから改めてサイゲートを見た。畳の上に敷かれた布団に横たわっているサイゲートは血の気の失せた白い顔をして目を閉ざしている。静寂の世界で沈黙を保っているサイゲートはまるで死人であり、アゼルは膝の上に置いた手を強く握った。

(……こんな目にあわせたのは、俺だ)

 敵の前で自分を見失い、サイゲートに助けられた。彼が身を挺してくれなければ、今頃この布団に横たわっていたのはアゼルの方だっただろう。そして海雲が来てくれなければ間違いなく、二人とも死んでいた。ぴくりとも動かないサイゲートを見つめていると、その思いは痛切に押し寄せてくる。孤独に耐えられなくなったアゼルは静かに立ち上がり、そのままサイゲートのいる部屋を後にした。

(逃げるのだな)

 板張りの廊下を歩き出しながら、アゼルは自嘲に唇を歪める。サイゲートからも海雲からも目を逸らし、こうして逃げているのだ。

「アゼル様!」

 外へ出ようとしていたアゼルは、ちょうど外から屋敷に入ってきた者の声に伏せていた目を上げた。屋敷の出入口である土間には私兵の一人が喜色を浮かべて佇んでいる。彼はすぐ、アゼルの下へ近寄って来た。

「ご無事だったのですね。よかった」

 心からそう思っている様子で、彼は土間に跪く。片腕を三角巾で吊っている若者の姿に、アゼルは思わず顔を歪めた。

「ひどい傷だ」

「私は軽症です。ですが、他の者が……」

 私兵は言葉を濁し、痛ましい表情で俯いた。面を伏せて力なくうな垂れている若者を、アゼルはじっと見つめる。

 軽症と言うわりには手当ての痕が生々しい彼よりも重症な者とは、どれほどの傷を負っているのだろう。それでも、命があっただけ好しとすべきなのか。五体満足で死ねぬ者もいるのだと思い返し、アゼルは口元に乾いた笑みを上らせた。例え敵であったとしても、海雲が惨殺した死体は見るに耐えない。だが元々はあの老人が裏切ったから制裁が加えられたのだ。そうした支離滅裂な呟きが浮かんでは消えていき、アゼルは為す術なく空を仰いだ。

(どう、思えばいい)

 自分の思考すら制御出来ない。そう感じて初めて、アゼルは動揺していることを悟った。

「アゼル様?」

「……他の者は、何処だ。看護の手伝いに行く」

「はい。ご案内致します」

 今は、何も考えたくない。そう思うことがすでに逃げているのだと知りながら、アゼルは思考を閉ざして土間に下りた。

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