友(5)
抜け道を使って城外へ出たサイゲートとアゼルは二人で街中を疾走していた。抜け道を出たところまではアゼルの私兵も一緒だったのだが、分散した方が効率がいいので散開したのである。彼らにも必ず二人以上で動くことを言い含めてあるが何分にも多勢に無勢なので、サイゲート達は極力戦闘を避けるようにしながら街の様子を窺っていた。
街には、無造作に死体が転がっていた。大量の出血の中に横たわっている人々はぴくりとも動かず、生きているとは思えない。国民の亡骸を目にするたびアゼルが辛そうな顔をするので、サイゲートは彼を励ましながら街を見て回っていた。しかしいくら走り回ってみても街には敵兵以外の人影はない。日が傾いて間もなく夜の帳が下りようとしている夕刻になると、サイゲートは取り残されている人々はもういないのではないかと思い始めていた。
「アゼル、他の奴らと合流して城に戻ろう。たぶん、海雲たちが助けてくれたんだ」
アゼルも同じことを考えていたようで、彼はすぐに頷いた。南東に向かって進んでいたサイゲートとアゼルは踵を返し、今度は北西にある王城に向かって走り出す。奇妙な温かさの中にあった赤月帝国も日が傾くと共に冬本来の寒さを取り戻してきていた。呼気が白く天へ昇っていく中、サイゲートはぽつりと独白を零す。
「他の奴ら、大丈夫かな」
「日頃から俺の相手をさせていた。そう簡単にはやられないと思うが」
サイゲートの独白に応えた直後、アゼルは唐突に足を止めた。反射的に立ち止まったサイゲートもアゼルが見つめている先に目をやって、すぐに状況を悟る。サイゲートとアゼルの前方には行く手を阻むようにたむろしている集団がいた。それぞれが武器を手にしている彼らは赤月帝国を侵略しようという敵である。
サイゲートとアゼルは閉口したまま、敵に気付かれないよう慎重に後退した。王城から郊外へ向かう東に進む分には苦もなかったが、敵兵が集まっている西へ戻るには困難が伴いそうである。後退している間にそのようなことを考えたサイゲートは身を潜めるなりアゼルに話しかけた。
「城まで戻れると思うか?」
「分からない。抜け道が発見されていないという保障もないからな」
万が一抜け道が発見されてしまったとしても少数ずつしか通行出来ない仕組みになっているので、城内に攻め入られる心配はしなくてもいい。だが街へ出てしまったサイゲート達にとっては退路を塞がれたことになってしまうのである。それならばと、サイゲートはアゼルにある提案をした。
「だったら、白影の里へ行かないか?」
「それは俺も考えていた。だが、彼岸の森を無事に抜けられるかどうか……」
白影の里がある彼岸の森にはいたる所に罠が仕掛けてあり、術を知らない人間が足を踏み入れると危険である。アゼルはそのことを気にしているようだったがサイゲートは問題ないと頷いて見せた。
「それなら大丈夫。何度も白影の里に行ったことがある」
「頼もしいな。ならば、決まりだ」
民家の物陰に身を潜めていたアゼルは周囲を窺いながら立ち上がった。続いて立ち上がろうとしたらアゼルに手を差し伸べられたので、サイゲートは大人しく引き上げられる。サイゲートと顔を突き合わせ、アゼルは小さく笑みを浮かべた。
「こうしていると、サイゲートに出会った時のことを思い出すよ」
「昔話してる場合じゃないだろ。カッコ悪いことすんな」
わざと初対面の時のような科白を口にすると、アゼルは吹き出したようだった。口元だけで笑んで、サイゲートは走るよう促す。彼岸の森がある北東に向かって走り出しながらもアゼルは話を続けた。
「王子なんだからカッコ良くしとけ、か。あの言葉は結構堪えたぞ」
尚も緊張感のない態度でいるアゼルを諌めようとして、サイゲートはふと口を噤んだ。こうして自ら街に取り残されている人々を救いに来たように、アゼルは他人のために必死になれる人間である。そして命を賭してまで、彼は自分の考えに忠実であろうとする。そんなアゼルの姿は頼もしく、眩しいほどに輝いていると、サイゲートは思った。
「……お前はじゅうぶんカッコイイよ」
「サイゲート、何か言ったか?」
並走しているアゼルが顔を傾けてきたのでサイゲートは苦笑いを浮かべながら視線を外した。改めて言うような科白でもなかったのでサイゲートはそのまま流したのだが、アゼルは変わらず不思議そうな表情を向けてきている。だが前方から話し声が聞こえてくると、サイゲートもアゼルも真顔に戻った。
サイゲートとアゼルは足を止め、建物の影から声の聞こえる方を窺った。そうして目に飛び込んできた光景にサイゲートは思わず息を呑む。赤い夕陽に照らし出された光景が、目前で凶行に晒された女を彷彿とさせたからだ。敵と思われる集団の一人が、手にしている剣を子供と思しき影に向けている。地に蹲っている小さな影は怯えて顔を上げることも出来ないでいるようだった。
「やめろ!!」
隣で怒声がしたかと思ったらアゼルが敵の中に躍り出た。サイゲートも慌てて後に続き、敵がアゼルに気を取られている隙に子供を抱き取る。敵と距離をとってからサイゲートは腕の中にいる子供を見下ろした。
「大丈夫か?」
サイゲートが声を掛けると子供は顔を歪めて泣き出した。安堵の涙を見たことでサイゲートも改めてホッとする。
(よかった、今度はちゃんと……)
王城に入る前に死体となってしまった女は、助けることが出来なかった。やむを得ず死体を遺棄した時の苦い思いが再び胸に広がり、サイゲートは唇を噛みながら子供の背を撫でる。そこへ呆けたようなアゼルの声が聞こえてきた。
「あなたが、やったのですか?」
サイゲートが振り向くと、アゼルも敵も動きを止めていた。サイゲートの位置からではアゼルの表情が見えないが、彼が対峙している者を窺うことは出来る。アゼルが言葉を交わしているのは白髪の老人だった。集団の中で一人だけいい身なりをしている老人は淡々とした口調でアゼルの問いに応じている。
「王子、あんたは恵まれとるから分からんのだ」
「何故……どうしてです?」
「ここにいる者達はみな、家族のようなもの」
「だからといって、他人の命を奪って良いはずがないでしょう」
「あんた達は平和だったから、考え方が違いすぎる」
これ以上話すことなどないと言うように、老人がアゼルに背を向けた。それを合図にしたかのように老人の周囲にいる者達がじわじわとアゼルとの距離を詰めていく。アゼルから目を離さないまま、サイゲートは抱いていた子供を地に下ろした。
「ここで、おとなしくしてろ」
子供にそう言い置くと、サイゲートはアゼルに向かって地を蹴った。放心しているのか、アゼルは敵が接近してきても動きを見せない。
「自分だけ良ければいい。そう考えるには、外の世界はあまりに悲惨なのだ」
アゼルが対峙していた老人の声を、聞いたような気がした。だが幾度もの衝撃に晒された体はうまい具合に動かず、サイゲートはその場に倒れ伏した。
間もなく残光が姿を消そうとしている昏い夕暮れ時、呆然と立ち尽くしていたアゼルは瞬きを繰り返していた。彼の前には薄闇と訣別しているかのような白装束を纏っている者が背を向けて佇んでいる。その手には短刀が握られており、黒い雫が滴っている。本来は純白であるはずの白装束もまた、黒い染みに汚されていた。
「……海雲」
次第にはっきりしてきた頭のどこかが汚れた白装束を纏っている者を友人であると認識し、名を呟かせる。だが見慣れているはずの友人の姿は怪しい残光に照らされて禍々しい影となっていた。振り向いた海雲の瞳が夜に光を放つ獣のようだったので、ゾッとしたアゼルは反射的に目を逸らす。そうして落とした視線の先で、アゼルは惨劇を目の当たりにした。濡れた短刀を手に佇んでいる海雲の周囲には飛ばされた首、切断された胴、引き千切られた腕などが散らばっている。五体満足の者は一人もいない、皆殺しだった。
つい先刻まで人間だったはずの肉塊が敵であったことを思い出したアゼルは、同時にもう一人の友人のことを思い出した。取り残されている人々を救うため共に城を出たサイゲートの姿が、見えない。
「そうだ、サイゲート。サイゲートは?」
途端に忙しない気持ちになったアゼルは慌ててサイゲートの姿を探した。無言で近付いて来た海雲が足下にしゃがみ込んだのでアゼルも視線を落とす。するとそこに、粗末な槍や剣を突き立てられたサイゲートが倒れていた。
「サイゲート!!」
悲鳴に近い声を上げ、アゼルはサイゲートの傍らにしゃがみ込んだ。サイゲートが死んでしまうという恐怖に駆られたアゼルは無我夢中で彼に刺さっている剣に手を伸ばしたのだが、体を割り込ませてきた海雲が制する。
「抜くな!!」
間近で怒声を浴びせられたことでアゼルは硬直した。海雲は武器が刺さったままのサイゲートの腕を取り、自分の体を支えにして立ち上がらせる。
「そっちの子供を連れて来い。白影の里へ戻るぞ」
無情なほど静かな声で告げて、海雲は正体のないサイゲートを引きずって歩き出した。海雲の言葉を受け、アゼルは彼が示した方を振り向く。少し離れた所で座り込んでいる子供が、色のない瞳をして見るともなくこちらを見ていた。
(……そうだ、この子供を助けるために飛び出した)
第三者の姿があったことで冷静さを取り戻したアゼルは記憶を確かめようと自分に言い聞かせた。解らないことや聞かなければならないことは山ほどあるが、今は海雲の言う通りにするしかない。そう思ったアゼルは泣きもせず惨劇を直視している子供を抱え上げ、海雲の後を追った。




