05「生き残り」
カール率いる第二部隊分隊が黒の館へ向かったと、残された第二部隊監視隊からダダンは報告を受け、捜索隊として部隊を派遣した。
捜索隊が与えられた任務は2つ。
1つは黒の館へ無断で向かった者の安否を確かめること。
もう一つはカール率いる分隊を連れ戻すこと。
後者は優先事項で、分隊を発見次第、もう一つの任務は放棄して帰還を果たせとの事だ。
そうして、今捜索隊が帰還した。夜が明けていないので黒の館へは到達していない。
ならば分隊と遭遇して帰還したということだろう。
ダダンはカールから情報を聞き出すために、南門へと向かったが、分隊の姿が見えない。
「……他の者は?」
捜索隊リーダーに問いただすが、一人しかいなかったと返ってくる。おかしい、残された監視隊の話では20名いたはずだ。
聞けば、山の麓で多量の血があったという。予想はつくが、真相はたった一人の帰還者から引き出すしかないのだが、意識不明の重態ということで、医務室へと緊急搬送されてしまった。
捜索リーダーに帰還者が誰かを聞くも、死んでもおかしくないほどのダメージで、一秒が惜しいほどで確認する暇もなかったと言う。
仕方がないので医務室に向かうことにする。もし話せる状態なのであれば、少し無理をしてでも情報をもらわなければならない。
医務室のドアを叩くと怒声で返された。
「今治療中だよ!! 入ってくんなや!!」
医者が怒るのも無理はないし、怪我人に無理をさせることをするのは心苦しい思いだが、それでも私は立場上しなければならない。
「ドクター、ダダンだ。悪いが入れてくれ」
「統括長か。仕方ねえ開けろ」
看護婦が内側の施錠を外し、ダダンーーアウダウンの統括長は帰還者のいる医務室に入室した。
兵士団を各隊毎に取りまとめるのが兵士長であり、兵士団を仕切るのが統括長である。
ダダンはアウダウンにある兵士団のトップであり、先を見通すことに長けていることから幾つもの問題を解決し住民からの信頼も厚い。また、街長から独断行使の権限も与えられている。
だが、それが名ばかりのものであることを、ダダンは気づいていた。自分が独断行使するような事態があれば、それはかなりの緊急を要するもので、危険性が高いと見られる。判断が誤り、被害を被ったときの避難対象として使うつもりで、そのような権限を与えられているに違いない。
私は悪くない、やったのはあいつだと責任を押し付けるための身代わりだ。
だがそれを承知で、今回独断行使しなければならないだろう。今はそういう事態だ。むしろ権限をくれてありがたいくらいだ。あんなのに判断を任せたなら破滅を辿る事態は避けられない。
「患者の様態はどうだ?」
「かなりやられてる。あと少し遅れてたら助からなかったな。一命はとりとめたが、このあとどうなるかは俺にも分からん状態や」
切り傷、抉られたような跡、さらに打撲が激しいがダダンは旧知の仲であるその人物を直ぐに特定できた。
「カール……」
たった一人の帰還者の名はカール=デビッド。第二兵士団隊長であり、ダダンの幼馴染みでもある彼の顔は青く腫れ上がり、呼吸もかなり乱れていた。時節痛みに眉根を寄せ低く呻く様は見ていて痛々しかった。
「起こせないか?」
「……おい、いくらアンタでも受け入れられないものはあるぞ」
ドクターは睨み付けてくるが、ダダンの心情も分かっていた。彼だって親友であるカールをこのまま寝かせてやりたいと思っているが、帰還者から情報を引き出さなければならない立場に苦悩しているのだ。
しかも今回、明らかに人間によるものではない傷を負ってただ一人帰還。帰ってこない者は、この傷をつけた主に殺されたとみるのが自然だ。
つまりカールは、正体不明のバケモノを目撃した可能性がある。それも戦闘をしてだ。かなりの情報を持っているに違いなかった。
「おれなら、グブフウッ、ゲハ、あ……だいじょ、だ……」
「カール!!」
意識を取り戻したカールは咳き込み、血ヘドを吐きながら上体を起こそうとするも体が動かせずベッドに寝たまま続けた。
「バケモノを、みた。3メートルは、ある、ぐぁぁっ、はぁ、部隊は、やられた、ソードも……銃、も効か、な、ハァッ、い」
途切れ途切れに、苦痛と戦いながらなんとか声を絞り出す。
薄れいく意識の中で、カールは懸命にダダンに知りうる限りことを伝えた。
話をまとめるとこうなる。
バケモノは3メートル以上あり、4本の爪を持っている。
ソードも銃も効かない上に、傷を負っても食うことによって瞬時に回復、それだけでなく成長をするという。
仲間は全滅し、途中で10人の応援が来たが、彼らもバケモノに殺された。
こちらから出した部隊は捜索隊だけなので、おそらく応援に来たのは黒の館へ無断で行った者達だろうと予想、それをカールに言うと、何故か安堵の表情を見せた。
「悪い……その、ハッ、中に、息子がいなかった、からな」
「もしかしたら、先に殺されているかもしれんぞ?」
ダダンは厳しい言葉をかけるが、カールは大丈夫だと笑う。
目の前で殺されたのが息子でないとはいえ、何故生きていることを確信しているのか。
「何か、俺に隠してることはないか?」
「そうだ、な……ふぅ……。これしか、道はない、か」
自嘲気味に笑い、カールは誰にも話したことはないんだがなと、墓まで持っていこうとしていた昔の話をしだした。
それはカールがまだ十歳にも満たない年だった時の話だ。
あの時は本にはまっていて、たまたま読んだ勇者の冒険譚に憧れて、自分も勇者になってやるなんて意気込んで筋トレしたり、木の枝で素振りをしたりしていた。
そろそろ木の枝からランクアップしようと考え始めて、何処に剣があるか子供ながらに考えた結果、皆が敬遠している山の上にある館にあるんじゃないかと思ったんだ。
何があると考えたかはご想像通り、聖剣だ。
勇者のみが扱うことができるという聖剣が、こんな街の近くにあるはずもないというのに。子供だった私は何の根拠もなくそこにあると信じて、早朝に家を出た。
日が出始めたのと同時にだ。この時間なら明るいけど、まだ人も起きてこない。門番さえやり過ごせば問題なかった。
もちろん、人目を忍ぶなら夜が一番だろうけど、当時の私にはそんな勇気はなかった。さすがに暗闇の中での登山は足がすくむ。そんなんで勇者になんかなれるはずもないというのに。
山の麓に着いて、休憩がてら家から持ってきた林檎を食べてから、山へと踏み込んだ。
夏だったから、緑が生い茂っていて一度入ってしまえば四方八方緑で囲まれてしまった。人が一切来ないので道もなく、腰まで背丈のある草を掻き分けて進んでいく。
麓からでも館は十分見えたので目印には困らなかった。
途中何度か視線を感じたが動物だろうと特に気にせず歩いていったが、あの時止めておけばよかったと後悔したことは今でもよく覚えている。
しばらく歩いてようやく半分まで登ったところで、そいつら現れた。
「クルルルルルルルルア」
緑色の毛で覆われた、2メートルはある8つ目の狼5体にいつの間にか囲まれてしまっていた。途中感じていた視線は魔物のものだったのだ。
生まれて初めての遭遇だったが、そいつらが魔物であることは直ぐにわかった。
まず8つ目の時点で普通の生物ではないし、緑色があまりにも周りの自然と同化し過ぎていたのだ。
注視していなければ溶け込んで見失ってしまうほどに、自然の緑に合わせて作られた感があった。
魔物は徐々に包囲を狭めていき、脚に力を込めたのが分かった。自分に飛び掛かるための前動作に、来なければ良かったと後悔するが、自分に抗う力がないのだからもう受け入れる以外の選択はなかった。目に涙を浮かべ、今から死ぬんだという自覚が体を支配し、呼吸が出来なくなる。
「クルルルルリーー」
四方から首に迫る牙に目をつぶる。
静寂が支配する。
心臓がグッと強張らせて、存在を消そうとする。
怯えながら目を開けようと試みる。
そこには何が広がっているのだろう。
死後の世界には何があるのか、はたまた無なのか。
意識はある。死んでも思念は残るのだろうか。
しばらく立つと徐々に夏の音を取り戻し始めた。
風で葉の擦れる音が耳に届き、心臓も活動を再開する。
薄く開けた瞼から、先ほどと変わらぬ陽射しが入ってくるが、変わっていることが1つ。
周りに赤い花が咲いていた。
咲くと言うと語弊があるかもしれない。何故なら、地面に張り付いているのだ。立体感はない。
「ーー人間?」
自分と同じ年頃の少女の声が聞こえる。
振り向くと黒いドレスに身を包んだ、金髪の女の子が立っていた。
「どうして泣いてるの?」
泣いてる?
頬を拭うと水滴が指についていた。ああ、泣いていたんだ。
だって死んでしまったんだから、泣くのは当然だよ。
「あなたが死んでいるなら、私も死んでいることになるんだけど……? 勝手に殺さないでくれるかしら」
別に殺してなんかいないよ。僕が死んだだけだ。
「はあ、面倒くさい。ねえケルディ、人間ってこんなにメンドーな生き物なの?」
「死にかけたのですから、混乱しているのでしょう。少年、お腹は空いていないか?」
黒い礼服を着こなした初老が、かわいらしい手提げの中から取り出したのはサンドイッチだ。
白い手袋をした初老からサンドイッチが入ったケースを受けとって、一つを掴む。
「……それ私のなのにーー」
「我慢してください。それに後々良いことがあるかもしれませんよ」
何やら話しているが、手にしたサンドイッチから目が離せなかった。きっとこれを食べることによって分かってしまうのが怖かったんだ。
自分が生きているのか、死んでいるのか。
恐る恐る、口へと近づけていく。
そして僕は、涙を流した。
「味が、する……」
無理矢理に捩じ込む。残りのサンドイッチも全部口に放り込んで、味がすることに喜びを感じるのに、味いもせずに飲み込んだ。
「生きて、るんだ……生きて、る。う、うわあああああああん!!!」
そこからはあまり覚えていない。目が開けれないほど沢山泣いてしまったから、視界がぼやて、乾燥で目が痛くて、それで余計涙が出て。
気づけば街の南門の近くに立っていた。
兵士の一人が駆け寄ってきて、手をひかれ、何処かに連れていかれた。
そこは兵士団の本部で、中に入ると両親に抱き締められたのを覚えている。
聞くと自分を捜索しに、多くの兵士が動いているらしかった。
何をしていたのかを問われたとき、何故か嘘をついてしまった。
何故かこの事は、自分の中で神聖なものとして扱っていた。誰にも話したくないという欲求があった。
「だから、これは……ゴホ、ゴホ、ふう、初めて、人に話す、ことだ」
大人になった今だから言える。
あの時、自分の力では到底変えられない力によって死ぬ定めにあった。大人になった今でも、決して覆せやしないものだ。でも覆された。
より強い力によって、ねじ曲げられたんだ。
「その金髪の少女が、あの館の主だと思ってるのか?」
「そうだ……少なくとも、館に関係、しているのは…は、間違いない」
黒の館のある山には、昔も今も近づくことすら禁忌に似たような扱いだ。その山の中で平然としているのであれば、確かに館の主である可能性はある。何より狼の魔物4体を瞬殺したと言うのだから普通ではない。
「これしか道がないというのは、お前の会った館の主に頼めというのか?」
「俺には、それしか…思いつ、かない」
実際、協定を破ったのかどうかすら、わからない。知っているであろう内の10人はこの世を立ってしまった。
既に破られているのであれば、助けを請うこともスムーズに行きそうではある。破られていないのであれば、まず街長が許すことはない。彼は自分以外の、特に街に関係ないものはとことん排除する徹底ぶりだ。
だが、仮にバケモノを倒してくれるとして、こちらは対価に何を払えばいい?
そこが一番の問題点だ。
ダダンは思考する。
街長によって外的要因を全て取り払うような政治を行っているせいで、外との繋がりはない。
それは商人も例外ではなく、厳しい手続きを経なければならない面倒さと、持ち込めるものにかなりの制限を掛けられるために、街に足を運ぶ商人も減り、年に一回来るかどうかになってしまっている。
当然、娯楽などもない。
完全自給自足、しかし余分なものがないというのが、アウダウンの現状だ。
(一体何を払えばいい? この土地くらいしか、価値あるものなどないぞ……)
そう自分で考えて、苦笑いしてしまう。
ずっと過ごしてきた、共に生きてきた街に価値を見出せない。これはかなりの問題ではないだろうか。
何もない、つまらない、ただ生きているだけ。
統括長という立場柄、自分には重要な仕事がある。それでさえも退屈だと思ってしまうのであれば、一般住民はどう思っているのか。
それはつまり、死んでいるのと同じなのではないのか。
「良い機会なのかもしれないな」
先が見えるのは単調だから。
何もないのだから、答えもほとんど一つだ。でもそんなのつまらない、そうだろう。
まさか四十にもなって、ようやくそれに気づくなんて、よほど脳を腐らせてきたに違いない。
幸いにも切るための尻尾として、独断権を与えられているのだ、今こそ使いどきだろう。
黒の館との不干渉協定を打ち破り、新しい道を拓く。
遮蔽物を取り除くにはこの流れに乗るしかない。これを逃せば、少なくとも自分は一生をここから出ることもなく終えることになるだろう。
自分にこんな冒険心があったなんて驚きだ。
神に感謝しよう。神がいないなら、伝承の吸血鬼に捧げてもいい。
「吸血鬼にバケモノ排除の依頼をしてくる。それをもって不干渉協定を破棄することを、独断権をもって行使する」
ダダンの脳内には幾つものルートが描かれていた。
それぞれが選択によって分岐し、全てを一つのゴールへと結びつける。
最終的目標は、街長の陥落だ。
代々続くフレデリック家による統治に終止符を打つ。