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後編

ずいぶん時間がかかりました。お待たせ致しました。

「みぃ」

「! 光。まだ帰ってなかったの?」


 髪の毛を乾かしつつ、鏡越しに私が訊ねる。私の髪はけっこうな長さがあって、それなりにお手入れが大変だ。切っちゃおうかなあ、と思うんだけど、言うと光が悲しそうにするからいつも美容院では長くなりすぎない程度のところで適当にやってもらってたんだけど。

 ってこれも駄目なのかしら。昔から、私の髪型って変わってないもんなあ。ずっとふたりは変わらないっていう、錯覚に陥ってるのはそのせいなのかも。ま、光は変わったけど。


「髪の毛染めてほしかったんだけど」

「え、今から?明日じゃだめ?」


 時間はもうすぐ夜の十時。今から明日の支度をしなきゃいけない私としては、ちょっとつらい。

 そうなんだよ、明日なんだよ。だって申し込まれたのが今日、つまりは金曜日で。ちょうど明日は土曜日で学校が休みだから出かけようよなんて言われちゃったからさー、もう、なんなの本当。計画的犯行だったのかしら。いや、坂本は犯人ではないし犯罪者でもないんだけどさ。

 そもそも、何着ていこうってところからすでに困ってるのよね。どうしよう。

 あれこれと悩んでいる私をよそに先ほどの言葉を受けて、鏡越しにこちらを見る光が眉を顰める。


「……明日、何か用事があるの?」

「う、うん。ちょっと友だちと出かけるの」


 デートなんて言葉使ったら、不機嫌顔のこいつがどんな反応を示すのかちょっと怖くて思わずそう言ってしまった。でも、嘘、ではない、よね?現時点で私と坂本はオトモダチ。うん、間違ってない。


「ふぅん。だから念入りにお手入れしてるの?」

「な、何言ってんの。別にいつも通りでしょ!」


 光の指摘に妙に焦ってしまい、私は変な風にどもってしまう。なんか、浮気がばれそうな人間の心境みたいになってるのはなぜなの。別に私と光は幼馴染みなんだし、うしろめたい事なんてなにひとつないはずなのに。

 ああ、でも。

 そういえば昔、光じゃない男の子とふたりきりで遊んでたらものすごい怒られたことあったな。なつかしい。元気かなあ、つよしくん……。


「こんなの、いつも使わないじゃない」


 言って、光が私の手から取り上げたのは、いつだったかサービスだと言って美容院のひとがくれたトリートメント。お風呂で洗って乾かした後に使ってくださいね、って言われたんだけど、もったいなくて使えなかった。次の日のまとまりが違うらしい。

 

「ちょっと、返しなさい!」

「やだ」


 ひょい、と上に掲げられてしまえば、私には届かない。うぬう、身体ばっかり大きくなりやがって!私の身長は、小学校までぐんぐん伸びて、そこからぴたりと成長が止まってしまった。低くはないとは思うけど、高くもない。一方の光は、高校生になってもまだ伸びている。こいつ、百八十くらいあるんじゃなかろうか。くそう、百五十七くらいしかない私には届かない。


「ちょっと!まだ途中なの!ふざけてないで返しなさいってば!」

「明日、誰と出かけるのか正直に話してくれたら返してあげる」

「だーかーらっ、友だちだってば!」


 無駄だとわかっていつつも腕を伸ばす。ああもう、やっぱり届かない!

 すると、光の少しふざけていた表情がすっとひいて、真顔になる。

 え、な、なに?

 真剣な眼差しに、私は思わず光から一歩ひきそうになったけれど、それよりも私の腰を抱いた馬鹿のが行動が少し早かった。


「男?」

「え」

「明日、いっしょに出かけるの」


 な、なんでそんなに必死になってんの?わけがわからない。だから、思わず混乱のまま言ってしまった。


「関係ないでしょ」


 私の言葉に傷付いたような表情を見せたと思うと、次に光は笑った。


「そうだね」


 自分で言ったことなのに、なぜか胸がひどく痛んだ。


 昨日の出来事を思い出して、私はあまりよく眠れなかった。コンディションはぼちぼちといったところか。姿見の前で、一応は全身を点検する。

 丸襟のニットは、襟部分が白いレースで出来てて、生地は赤色。少し前に衝動買いしたんだけど気に入っている。スカートは落ち着いた薄い茶色。モカって言ったほうがわかりやすいかな。裾に控えめなレースがあって、可愛らしい。足はワインレッドのストッキング。これにブーツとコートを合わせる。コートはスカートとおそろいの茶色。ブーツは皮製のやっぱり茶色だけど、ちょっと濃い色。

 ふむ、おかしな所は特になし。行くか。

 父と母にいってきますと声をかけて、家を出る。誰と出かけるんだ、と母にはにやにや、父には焦り気味に訊かれたけれど、これにも友だち、とだけ言っておいた。だから、嘘ではないってば。


「小野寺」

「坂本!ごめん、待った?」

「いや、さっき来たとこだから」


 待ち合わせの駅には、もうすでに坂本が立っていたから焦ったけど、その言葉にほっとした。

 しかしこの会話。なんかものすごくデートって感じだ。


「へー、私服、そんな感じなんだ」


 私をじろじろと見る坂本は、暖かそうなセーターに皮のジャケットなんて合わせちゃって、けっこうお洒落さんだ。とりあえずそんなことよりも、無遠慮にあまり見られると、恥ずかしいんですけど。


「な、なんか変?」


 思わず訊いてしまった私に、坂本が、いや、とそっぽを向く。


「……かわいい、と思う」

「え」


 うわ、ちょっと。坂本、耳まで真っ赤じゃない!そうまでして言うようなこと?つられて私まで赤くなってきた。なんだこれ。

 気まずくなったからか、照れをごまかすためなのか、坂本が行こう、と告げて、私の手を取る。

 え、つ、繋ぐの?


「あ、わり。……いやだった?」

「では、ないけど」

「よかった」


 もう一度、手を握られて並んで歩く。そう、嫌、ではないんだけどね。

 なんだろう、このわきあがる違和感。

 首を傾げながらも、私にはその正体がわからなかった。


「ただいまー……」


 つ、疲れた。

 なんだかんだ、色々と気を張ってしまって、楽しかったよりも疲れたが勝る。もうちょっと遅くに帰ってきてもよかったんだけど、結局、晩ごはんもいっしょに食べる事無く帰ってきちゃったよ。まだ夕方っていう時間。中学生か。

 にしても、おかしいな。電気が真っ暗。どこか出かけたんだろうか。

 私は首を傾げつつ、リビングの電気をつけた。


「わっ!?」

「……おかえり。楽しかった?デート」


 なななんで小野寺家に光がいるのよ、いや、いつものことだけど!真っ暗闇で何やってたの?


「ちょっと光。暖房もつけてないじゃない。今日は雪が降るかもしれないくらい冷え込むって言ってたでしょ?外も寒いけど家の中だって寒いわよ」


 言って、暖房のコントローラーを手に取れば、私は電源を入れた。

 風邪ひくじゃないのまったく。昔から熱を出しやすいんだからね、光は。今はずいぶん頑丈にはなったけど、それでも咳よりなにより早く熱を出すのはかわってないんだもの。


「ねえ、お母さんたちは?」

「うちの両親と四人でごはん食べに行くって出かけた。うちに、ふたりぶんの晩ごはんあるよ。メール見てないの?」

「え、そうだったの?」


 光の言葉に慌ててコートのポケットから携帯電話を取り出す。ぴかぴかと着信を知らせるライトが点滅していて、メールを開いてみれば幼馴染みの言葉が本当なのだとわかった。そんな私をちらとソファから見つめる光の瞳はなんだか怪しいひかりを放っていて、簡単に言うと据わったそれが異様に怖い。

 

「メールに気付かないくらい、楽しかったんだ?」

「え?」

「……俺と出かける時、そんな格好しないくせに」


 格好?

 光の言葉に目を丸くして首を傾げる。ええと……格好って格好か。ていうかいつまで私はコートを着てるつもりかしら。脱ごう、暖まってきた部屋にこれは暑い。あ、着替えてくればいいのね。

 あれこれ考えた末、私はリビングを出ようと歩を進める。

 ソファの前を横切ろうとした時だった。


「どこ行くの?」


 光が、私の腕を座った状態で掴む。急に引っ張るから少し痛い。


「どこって、着替えてくるの。そのあとすぐごはんにしよう」

「……別にそのままでもいいじゃん、コート脱げば」

「ゆったりした服着てまったりしたいんだけど」

「どこぞの誰かにはそんな可愛い格好見せ付けるくせに俺にはそんな価値もないってこと?」

「はあ?ちょっと何言ってんの。あんた今日おかしいよ?」

 

 眉根を寄せて言えば、何がそんなに気に入らないのかますます剣呑な雰囲気を醸して私の腕を掴む力が増す。

 ちょっと、痛いんだけど。

 口を開こうとした瞬間、今度は光のほうへと引き寄せられた。バランスを崩せば、当然行く先はこの男の腕の中だ。ソファに座る光に馬乗り状態になった私を、相変わらず鋭い目つきで見上げるこいつはなんなのだ。

 数秒にらみ合って、それから光は、ぽつりと呟いた。

 

「おかしくなんかない」

「え?」


 囁くように言われたから聞き取れなくて首を傾げれば、もう一度繰り返される言葉。それがなにを意味しているのかはやはりわからない。疑問符の浮かんだ間抜け顔で私が固まっていれば、光は苛立ったように続きを話す。


「いい?そもそもどうして俺が今、不機嫌なのかわかってないでしょ」

「……光を置いて遊びに行ったからじゃないの?」

「あのねえ、子どもじゃあるまいし、そんなことで拗ねるわけないだろ」


 まるで、小さな子どもに説き伏せるみたいな言い方。なんで私が光に何かを教えられなければいけないんだ。こんなこと、今までなかったのに。むう、と眉を顰める私の頬を、光は当たり前みたいに撫でてくる。私も、これに特別な意味があるなんて思っていない。でも、なぜだろう。今日はちょっと、違うんじゃないか、と錯覚しそうになる。

 あまりにも真剣な顔で、光が見つめてくるから。


「好きな子に男とふたりきりで出かけられたら、誰だって不機嫌になるでしょう?」

「……好きな子?光、彼女でも出来たの?」

「あのね。なんでそうなるの」

「え?だって」

「昔も今も、恋人になってほしいのは深雪だけだよ」


 こいびとになってほしいのはみゆきだけだよ。

 は?

 今、なんとおっしゃいましたか。


「何その信じられないって顔。これだけわかりやすく態度で示してきてるのに、どうしてそんなに鈍いの」

「は?え!?だ、だって!あんた誰にでもなつっこいし、てっきり女の子にくっつくのが好きなだけなのかと」

「俺がいつ、他の女の子に愛想ふりまいてくっついてる姿さらしたの」

「…………」


 言われてみれば。

 記憶を掘り起こしてみても、まわりを囲む女の子がいくらか居たのは思い出せるけど、抱きついたりしているのを見た事なんて、なかった、ような。私といるときは当然私にべったりだったし。

 でも。


「でも光、女の子には基本的に優しいじゃないの」

「それは昔みぃが怒ったからじゃん。まとわりつく女にうっとおしいって返したら、女の子になんてこと言うんだ、って俺が態度を改めるまで口きいてくれなくなった」

「え、そんなことあったっけ?」

「あったよ」

「いつ?」

「小学校三年生のとき」

「おぼえてるか!」

「俺はみぃ以外に優しくしたくなんかない」


 口を尖らせて言う光は、やっぱりどこか子どもっぽいけれど、話している事はまったくもってかわいくはない。

 でも。私が原因で、それを当の私は忘れて、勝手に光は誰にでもくっつくって認識しちゃったってこと?いや、幼馴染みなぶん、他の人よりは甘えられてるのかなあ、とは思ってたけど。

 いずれにせよ、ちょっと申し訳ないことをしてしまったろうか。


「えーと、その、ごめん。別に、それは光の自由だから。さすがに、今はどんな接し方でも何も口出ししないよ?」

「……嫌いだって言ったり、俺を無視したりしない?」

「う、うん。でも別に、あえて冷たくする必要だってないと思うけど。その、光がストレスたまらないようにふるまえばそれでいいんじゃないかしら」

「そっか」

「うん」


 にこにこと上機嫌になった光を確認して、私はそろり、と腰を上げる。


「話、終わってないよ」

「! や、やっぱり」


 笑ってるけれど、瞳は笑ってない。がっしりと腰を掴まれて、私はまた逃げられなくなってしまった。さっきの言葉、つまり、そういうことなんだよね。全然まったく意識していなかったのは、もしかしなくとも私だけ、だと。

 にわかには信じ難いことだけれども。


「信じてないでしょ」


 ぎくり。

 肩を震わせた私に、光はやっぱり、とため息を吐く。だって、当然じゃない。私たちはずっと昔から男と女じゃなくて。それが当たり前で。ずっと、これからもそれが続いていくんだって、そう思っていたのに。

 まあ、離れようとしているのも、本当だけどさ。自分たちがどうであれ、まわりはそれを許してくれないんだってわかったら。でも、まさか当の本人までもがそうだったとは。


「好きだよ」

「! 光」

「俺と、ずっといっしょにいてほしい」

「ひか……」

 

 名前を呼ぼうとしたそれは、ついに声にはならなかった。唇が、何かで塞がれてしまったからだ。

 柔らかい、少し冷たい感触。かさかさに乾いてるから、ちょっとぶつかるそれが痛い。ああ、でもすぐに湿ってきたし、あたたかくなってきた。

 って。

 そうじゃないよ!?

 光の、唇が!私の唇に、くっついている。


「……っ」


 衝撃に、声をあげたいのに、出来ない。声が出ない。でもびっくりしているのは確かで、私は最大限目を見開いている。腰と後頭部にまわされた光の腕は、力が強くて逃れられない。というか、どうしてそんんなに後頭部をぐいぐいと押すの?もっと唇がくっついちゃうよ!

 ってそれが目的か!

 頭の中がてんやわんやで、慌てふためく私を、彼は知っているのだろうか。……わかってるんだろうな。細く開かれた瞳が、愉快そうに笑っているもの。

 息が苦しい。どう呼吸すればいいのだろう。ていうかこんなに長くキスってするものなの?

 ああ、内心で呟いておいて、自分の言葉にまたも衝撃。そうだよ今、私ってば光とキスしているんだよね。してるというかされているというか。ああでも今はそんな事より苦しい。

 とにかく空気をめいっぱい取り込みたい。その一心で口を開いた。

 間違いでしたよね。遅いけれど。


「!? ふぁ」


 くちゅ。

 聞いただけで赤面するような、粘液がまざるいやらしい音。まさか、自分の身体からそんな卑猥な効果音が聞こえてくる日がこようとは。

 舌が、入ってる、おもいきり、私の舌が!光の舌にぺっとりくっつかれてる!

 ああ、やだやだやめて。そんな奥のほうまでもぐってこないで。ああ!かと思えば上顎なぞらないで!え、っていうかなにこれ、上顎なぞられるとなんでこんなにぞくぞくするの、ひょっとして性感帯とかいうやつなの。い、いやあ!

 脳内はもはや狼狽なんてもんじゃない。まさに大混乱で、どうしたらよいのかわからない。

 なんで?

 腰に力が入らない。抵抗する力もどんどん弱くなってしまって。あがる吐息も、自分のものじゃないみたいに、女のそれで。

 気持ち良い、の?

 光に、余す事無く口腔内をいじられているこの行為に、私は。気持ち良いって、思ってしまってるの?

 だんだん、脳の真ん中がしびれていくような錯覚を起こして、何も考えられなくなってくる。

 とろり、と。

 身体に何かを、注ぎ込まれているような気がする。毒のような、麻薬のような、よくわからないなにかを。もちろん、そんなことされていないってわかってるんだけど。

 絶え間なく続く激しい愛撫に、まったく私が抵抗しなくなった頃。ゆっくりと後退していく感触にも、特に反応を示せず、さんざん私の中を探った光の舌が、私の唇をそろり、と舐めて、最後に下唇を彼の口で食まれた。


「……わかった?」

「…………?」


 わかった、って。

 なにを?

 ぼんやりと、いまだに頭が働かない私は、光をじっとみつめる。何が言いたいのかも、わからない。


「女として、深雪が欲しい」

「! あ、んたねっ」


 言葉に、急速に回復した脳の指令に従って、私は光の膝からおりる。同じ空間になんていたくなくて、そのまま歩き去ってしまいたかったんだけど。なんということなのだろう。

 足に、力がはいんない。


「みぃ、抱っこして部屋まで連れていこうか?」


 ソファから下りた光が、私と目線を合わせようと同じくしゃがみこむ。まあ、こいつは普通に立って歩けるんだけど。くっそ、腹が立つ!

 私は、迫力がないとわかっていつつも、光をにらみつけた。


「……出てって」

「ごはんは?」


 首を傾げてそんなことを言う幼馴染みに、一緒に食べたいわけないだろう、と怒鳴った。光はそのまま肩を竦めると、部屋を出て行った。

 なんだったのよ、一体。


 週末は、ちっとも楽しめずに、起こった出来事を繰り返し考えているだけだった。

 私は正直言ってしまうと、今や自分を責めたい思いなのです。

 いや、その。急にキスをされたわけだから、被害者なのはそうなのかもしれないんだけど。自分の鈍さに絶望している。

 なんで、勝手に誰にでもくっつきたがる、なんて思いこんでたのだろう。

 なんで、勝手にスキンシップが全部当たり前だと思いこんでたのだろう。

 なんで、勝手になんの意味もないのだと思いこんでいたのだろう。

 全部ぜんぶ無意識に、きっと彼を苦しめていた。


「あーもう……普通、こういうのって女のが早熟なんじゃないの?」


 彼のことを、何も考えていない子どもだと思っていたのに、そうだったのは自分。それを無自覚のままに今日まできて、とらせたのは強硬手段という最悪の結末だ。何がしっかり者なのか。てきぱき動けたって、面倒見が良くたって、他人の機微に疎きゃあ、なんの意味もない。

 ごめんね。傷付けたね。それなのに、やっぱり冷静になれなかった心であなたを睨んで怒鳴って、また傷付けたかな。

 でも情けないことに私は、なんの結論も出せないまま。

 ただ、幼馴染みとしていっしょにいたかった。ずっとずっと。表立っては無理でも、少し距離を置いた存在になったとしても、自然に、再会したら笑い合えるような、そんな関係でいられたら。手前勝手にそんなことを夢見てる。

 どうしよう。どうしたらいいだろう。

 ぐるぐる考えて。考えてかんがえて。

 やっぱり結論は出ませんでした。


「え?いないって……」


 呆然とする私に、しーさんが放った一言を、私は信じられない思いでここに立っていた。

 週末の二日、うんうんと悩んで、覚悟して、とりあえず答えは出せないけれど、変に避けるようなことはやめようと思った。素直に自分の今の気持ちを伝えておくべきかは、まだ少し悩んでいるけれど、それでも毎朝起こしに来ている習慣だけは欠かさず続けようって。

 なのに。


「まさかあの万年寝坊している子が早起きなんてね。ごめんね、深雪ちゃん。朝ごはん、食べていく?」


 しーさんの言葉に無言で首を振って、私は結城家をあとにする。

 エレベーターのボタンを押して、やってきたそれに乗り込む。いまだ、私は衝撃から立ち直れずにいる。 

 どういうこと。ひょっとしていままで、出来ないふりでもしていたの?いや、たまたま今日は頑張っただけなのかもしれない。でも、つまりは。

 それだけ、私と顔を合わせたくなかったということ。

 マンションから出て駅までの道を歩く。本来ならば、ひとりなのが普通なのに、私には普通じゃない。ただそれだけの事実が、ひたすら寂しくて、痛かった。


「小野寺、おはよ」

「! 坂本」


 昇降口で話しかけられて、びっくりしつつあいさつを返す。あれ?頬を染めて微笑む彼を見て、どうしたんだろう、と考える。


「土曜日、楽しかったな。よかったら、またどっか行かない?」

「! あ、ああ……」


 そうか、そうだった。

 坂本とは、一応、デートなるものをしたのだった。光とのことがあったから、すっかり忘れていた。なんていうひどい女なのだ、私は。

 でもこれって……もう、そういうことなんだよね。

 私は瞳を少しさまよわせながら、迷ったけれど坂本に声をかける。首を傾げる彼におうかがいをたてて、人気のない屋上前の階段下まで来てもらうことにした。


「ごめん!」


 こういうことは、早いほうがいい。だらだらと返事を長引かせれば、相手に期待をさせてしまう。頭を下げて、もうふたりきりで遊びに行けないこと、坂本と恋人にはなれないことを正直に話した。

 顔を上げると、そこには困ったように微笑む彼がいる。私は意味がわからなくて戸惑っていると、坂本がため息を吐いた。やっぱりなあ、と呟いて。

 ん?やっぱりって、なに?


「……結城となんかあったろ」

「えっ」

「んで、俺とのデートなんて綺麗さっぱり忘れて、結城の事で頭がいっぱい」


 な、なぜそれを!

 狼狽する私に、坂本が声を上げて笑い出す。


「お前、わかりやすすぎ!やっぱそうかあ。ったく、最悪なタイミングでやってくれたもんだな、俺ふたりの仲取り持ったようなもんじゃん」

「なんでそうなるの?」


 坂本の言葉の意味が気になって訊ねると、坂本がそんな私に驚いたのか目を丸くする。


「だって付き合うんだろ?」

「はあ?違うよ」

「は?じゃあなんで俺ふられるわけなの」

「なんでって。単に坂本の事はそういう風に見れないって気付いただけだけど」

「…………にぶ」

「え?」

「なんでもない。そこまで良い人になるつもりねーんだよ」


 言って、額を思い切りはじかれる。で、デコピンは地味に痛い!

 坂本は、これからも変に避けたりしないで学級委員として一緒に頑張ってほしいと言ってくれた。爽やかな男はどこまでも爽やかで、私は改めて、なんでこんないいやつのことをふってしまったんだろう、と胸が痛んだ。

 こういうのって、ほんと難しい。どんなにかっこよくても優しくても、だめなものはだめだ。どこに恋をするかなんて、ほんと人それぞれ。

 ふたりで階段を下っていく時、坂本の背中を見つめながら、ごめんね、と心の中でもう一度呟いた。


「……坂本だったんだ」

「!? 光」


 屋上の前から自分達の教室があるフロアまで辿り着いた矢先。待ち構えていたかのように腕を組む男は不機嫌そのものな幼馴染みだった。


「ずいぶん、油断したな。頑張って防波堤になってたのに」

「……うるさい」


 光を認めてにやにやと笑う坂本と、それに返事をする光の剣呑な表情。会話の意味がまったくわからずにふたりの様子をうしろからずっとうかがっていれば、ずい、と光が一歩こちらに近付いてきた。


「これ以上、みぃに近付くとどうなっても知らないよ?」

「は?ちょっと光」


 私を背中に隠して、どんな表情で坂本を見ているかはわからないけど、声の調子だとぜったいに怖い顔になってる。なによりもそのせりふが気になって仕方ない。一体どういうことなんだ。

 制服のブレザーをぐいぐいと引っ張ってみるけれど、綺麗に無視された。おい。

 対峙する坂本は、微笑んだまま、でもやっぱり怖い顔をしている。なんなの、男同士の会話ってやつなの?


「お前にそんな権利あんの?」

「別に強制じゃないよ。近付くな、とは言っていないでしょ?近付いてもいいけれど、近付いたらどうなるかわからないから親切心でそう言ってあげただけ」

「なるほど」


 頷いた坂本に軽く舌打ちをして、っていうか光が舌打ち!?拗ねたりすることも、もちろん本気で怒ったりすることだってある。けれどどちらかといえば女の子っぽいというか、穏やかで、殴り合いの喧嘩なんてしているの見た事がない。そんな彼が、苛立たし気に舌打ち。あまりにも印象が合わなくて、びっくりしてしまう。

 私の見てた光ってなんだったんだろう。色々と、思い込んでただけなのかな。

 突然だった。ぐるぐると考えを巡らせていると、光が私の腕を引っ張る。え、と思ったけれどすごい力で、なすすべもなく私はそのまま彼に連れられてつんのめるように歩き出していた。


「あの、光……」

「いいから入って」


 ぐい、と引っ張られたのは、校舎の隅にある空き教室だった。半ば倉庫と化しているそこは、鍵が壊れているのか簡単に扉が開いた。でもなんでこんな所知ってるんだろう。


「……ちょっと光。定期的にここに来てさぼったりしてるんじゃないでしょうね」


 ぴしゃん、と光が扉を閉めた所で、私が彼に問いかければ、光は呆れたように息を吐いた。


「またお姉さん面してお説教?こんなときまで?勘弁してよ」

「ちょっと、なんつう言い草よ!」


 あんまりな言い方と、常にない態度に怒りが沸いて目を吊り上げれば、光は再度重たいため息。だから、なんなのその態度!そこになおれ!

 私が怒鳴る寸前になっているのは、長い付き合いだ。じゅうぶんわかっているのだろう。けれど謝ることもなく、やっぱりいつもと違う雰囲気を醸しながら私を見つめてくる光に、私はさっきから戸惑ってばかりいる。


「まあ、それをいいように利用してきた俺が悪いのはわかってるよ」

「利用……?」

「際限なく、みぃは俺を甘やかしてくれるから。俺はどうしてもそれを手放せなかった」


 その言葉に、毎朝の習慣を思い起こす。そういえば、やっぱり今までのやりとりからいって、光ってば自分で遅刻しない時間に起きれるのかな。どころか、本当はしっかりした人間なのかもしれない。

 そんなことをちらちら思っていれば、光がふいに真剣な表情を見せる。さっきまでの苛立ちもない、ただ私を真っ直ぐ見つめる瞳に、私は思わず心臓を跳ね上がらせた。

 ただの男みたいな顔を急にされると、焦る。


「限界なんだ」

「え?」

「俺から離れるつもりだったんじゃない?」

「!」

「家でも学校でも、ただの幼馴染みだって繰り返し言うのに疲れているみたいだし。少なくとも学校ではそろそろ距離を置こうと思った。だからこそ、坂本とのデートも行くって言ったんでしょう?」

「な、なんで」

「前なら俺に報告してくれてた。みぃ、俺が拗ねるとめんどくさいの知ってるじゃん。それなのに黙ってたって事は、俺に内緒で彼氏でも作って距離を置こうとしてたってことじゃないの」


 それは。

 当たっているようで、ちょっと違う。前者は確かにそうだけれど、坂本にはとっくに断りを入れている。だって、彼より光が気になる状態で首を縦にふれるわけがない。坂本にも、光にもすごく失礼だ。そんな、利用するみたいな形でさすがに坂本とお付き合いは出来ない。光とのことがなくとも、そうしていただろう。

 ただ、断る時間は今よりもかかったろうとは思うけど。本当に、私は鈍感だと自覚したから。こんな情けないこと、自覚したくはなかったけどね……はは。


「ただの幼馴染みなんてもう嫌だ。弟みたいに見られるのはもっと嫌だ」


 真剣な顔をしたまま、一歩、また一歩と光が近付いてくる。ちょ、ちょっと待った。これはなんか雲行きが怪しくないか。

 私はじりじりと後退し、彼は前進してくる。ああ!もう背中が壁に当たった!

 とん。

 顔の横に、光の手の平。彼が、壁に手を置いたんだ。


「ずっといっしょにいたい。そう思ってくれているのは俺だけじゃないっていうのは、自惚れ?」

「そ、それは……私も、いっしょにいたい、と、思ってるよ」


 緊張して舌足らずになりながらも、つっかえつっかえ、なんとか言葉を紡ぐ。うう、気のせいでもなんでもなく、全身から汗が噴出してきてる。

 光の顔がすごく近い。なんでそんなに寄ってくるの、やめてー!


「ずっといっしょに居られる簡単な方法、もう深雪にだってわかるでしょう?」


 わからない、と言ったら、離してくれるのだろうか。私が無言でいれば、光の顔がもう唇がすぐ触れてしまいそうな距離にまで近付いた。私は顔がどんどん熱くなるのを感じる。もう、勘弁してほしい。


「好きだよ。ずっといっしょにいたい。今すぐじゃなくていいから、俺と結婚してください」

「はあ!?」


 恋人すっとばしてプロポーズ!?

 心の中で叫んだ言葉は、光の唇に塞がれて、途絶えた。この前よりは、短いキスだったけど、なんで必ず舌を入れてくるの、こいつ。息が上がるしどうしたらいいのかわからなくなる!


「みぃが気付くまで待ってたらいつまで経っても先に進まないし。もう、いいよね」


 かわいらしく首を傾げる幼馴染みの言う意味が、まったくわからない。なに?

 呼吸しながら眉根を寄せる私に、光はにっこりと微笑んだ。


「みぃは、俺のこと好きなんだよ」

「は?」

「ちゃんと、ひとりの男として好きなのに、鈍いから気付かないだけなんだよ」

「はあ!?」


 ちょっとまてい!その決め付けた口調、聞き捨てならん!

 私が反論しようとすれば、光は笑って私を懐にぽすん、と抱きしめた。

 顔を上げれば、光も同じように私の顔を見つめている。上機嫌そのもので。


「俺に彼女ができたら嫌でしょ?」

「……嫌っていうか、まあ、寂しいかも」

「俺に奥さんができたら嫌でしょ?」

「え?うーん……」

「もう、俺の世話は焼けなくなるし、頻繁に気軽に会えなくなるんだよ?」

「…………」


 そんな風に言われると、そうなのかな?と思わなくも。でもたとえば、兄妹とかが結婚したら寂しいものなんじゃないのかな。


「坂本の告白断ったんでしょう?」

「! わかってたの」

「だって俺を見るあいつの顔がすごい殺気立ってたし。俺のことばっかり気になっちゃって、坂本のことはどうでもよくなってたんでしょ?」

「うっ」


 図星すぎて何も言えない。


「キスされて、嫌だった?気持ち悪かった?」

「えー……?別に、特には」

「ほら」

「え?」

「真面目な深雪が俺とのキスを嫌がらないって事は、俺の事が好きなんだよ」

「えー……?」


 あまりにも強引過ぎて、逆にそうかな、と反発したくなる。でも一方で、そうかもしれない、と思っている自分もいて、わけがわからない。


「ずっといっしょにいたい」

「! 光」

「ずっといっしょにいようね」

「……うん」


 今のところはこの気持ちだけは揺るぎないものだから、これでいいのかな。

 光に訊いても、いいんだよ、としか言わないだろうから、もう訊くのはやめておこう。はっきりと好きだと自覚するまで、まだ少し時間がかかるんだけど。それは今の私にはまだわからない未来だ。

 明日も、私は彼を起こしに行って、それは明後日も、その次も、変わらない。

 

 私たちは、ずっといっしょ。それが普通で当たり前。

 ……だと、思う、たぶん。 

 


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