第1話:東雲要は揺るがない(物理的には揺れる)――執事転生、マシュマロの器――
私の名前は、東雲要。
しとどに濡れたような、あるいは「”し”と”の”」で出来たような名だが、この大和帝国の華族、東雲家の一人娘である、のだと思う。
いや、ついさっきまでは、確かに私は正しく要だった。
それが今は、要にとってかわり、東雲要という別人格の記憶が台頭し、この幼き身体(器)を操っている。
遥か古来より菅原家の家司を勤め、執事としても卜者としてもトップレベルの能力を持つ私、東雲要が――だ。
明日はシノの3歳の誕生日。(※ここからは読みやすさ重視で名前はカタカナ表記)
今朝、目が覚めた時、私は心の蔵が止まるほどの衝撃をうけた。いや、物理的に3秒ほど停止した自信がある。
なぜなら、私の隣には豊満な身体を持つ美しい女が横たわっており――いや、冷静に考えたら我が母君であったのだが、その若い女の乳が今の今まで私に差し出されていたかと思うと……!
(不躾だぞカナメ! あれは母君だ。神聖なる母君に対して、そのような不埒な思考を抱くとは、執事としての修業が足らぬ……!)
私は即座に精神を戒め、3歳の明日から乳離れすることを、ほんの、ほんの少しばかり残念に思った。
だが、そんなカナメの気高き自制もむなしく、母は女神のような優しい微笑みを浮かべると、柔らかな胸の中へと私を抱きいれてくる。
「おはよー、しぃちゃん、私の天使」
さらに、母との甘やかな朝の触れ合いを堪能していると、必ず勢いよく扉が開け放たれ、満面の笑みを浮かべた父が乱入してくる。
母の腕の中から「可愛い、モチモチしぃちゃん!」と私を強奪するように抱きとると、これ以上ないほど嬉しそうな顔で頬ずりをしてくるのだ。
生まれた時から一日も欠かさず繰り返される、この東雲家の朝の習わし。それどころか、隙あらば行われる暑苦しいほどの肌の触れ合い。
(……あぁ、この人たちは私のことを、これほどまでに愛しているのか)
前世の奉公(仕事)に全てを捧げてきた孤独な人生にはなかった『家族の温もり』を、シノの記憶を通して、カナメは初めて強く、重く意識した。
(前世、私は主にのみ全てを捧げてきた。だが、この父君の愛情溢れる眼差し……母君の優しく清廉な微笑み……。ならば、家令の長たる筆頭執事として、そして跡取り娘として、私がこの家族と侍従の幸福を何としても守り抜かねばならぬ!)
3歳誕生日の前日、カナメは幼き胸の内で、熱く固く決意するのであった。
大和帝国の貴族は子供が3歳を迎えると、祝宴の儀でのお披露目が義務づけられている。東雲家は裕福ではなかったが、格式が高い家柄であったため、このお披露目は必須義務であった。
明日のお披露目本番を控え、身だしなみの最終確認をと鏡に映った自分の姿を初めて見たカナメは、口から心臓が飛び出るほどショックを受けた。
カナメは前世、多くの貴族を見てきた。
貴族の立ち居振る舞いや装束の「黄金比」を熟知し、己の審美眼には確固たる絶対の自信をもっていた。だからこそ、今の両親が「社交界でもトップクラスの美男美女」であることを、客観的に理解していたのだ。
そしてカナメ自身も、前世は低く見積もっても中の上、いや上の下(ちょい美形)くらいではあったはずだ。
な、な,な――。
こ、こ、これは――!?
(この至高の芸術品である両親から、なぜこのような……未完成の……『粘土の塊』のようなものが産み落とされたのだ?! どう見ても……つきたての、ぷよんぷよんと膨らんだお餅ではないか……!)
カナメの『美を愛する執事としての誇り』を粉々に打ち砕く造形!
黄金比から最も遠い、ただ潰れた丸い球体が鏡の向こうで揺れている。
(い……いや、待て! もしかすると、何か高貴な先祖返りか? だが、それにしては……あまりにも丸い……)
鏡に映る私の姿(器:シノ)は、3歳児特有の頭身をさらに横に引き延ばした、ぷよんぷよんのまんまる体型だ。
さらに、侍女の杏が良かれと思って、さほど長くもない髪を無理やり引っ張って斜め四十五度の角度で結い上げた二つ結びのおさげ(ツインテール)――その根元には、大人の拳ほどもある巨大な雪洞(ぼんぼり=鞠の髪飾り)が鎮座している。
(くっ……執事たるもの、このような不均衡、許容してはならぬ。これでは逆に積んだお供え餅に串団子が二つ刺さった、祝えない鏡餅ではないか!)
鏡の前で背筋を正し、せめて凛とした執事の姿勢や洗練された所作をと、カナメが一歩踏み出した瞬間、頭上のぼんぼりの慣性(動き続ける物理の力)が頭部を大きく振らせ、視界が左右にぐらんぐらんと揺れた。
己の審美眼に照らせば、鏡に映るこの不思議な鏡餅は、やはり小刻みに揺れる「出来損ないの粘土の塊」以外の何物でもない。
(嘘だろ! 誰かこれは冗談だと言ってくれ!!
く、くじけるな、カナメ……執事の美学をもってしても、この造形を『芸術』と呼ぶには、私の修行が足りないだけだ……!)
カナメは心根だけでも捨てまいと、必死にポーカーフェイスを保ち、気高く執事のポーズをとろうとするが、ぼんぼりの無慈悲な重力に首より上がぐらんぐらんと揺れ、その度に頭の小さなおさげが不毛な努力だとぴょこんぴょこんと空を切る(空回る)。物理の法則には勝てない。
「く……っ」
がっくりして力なく床に座り込んだところで、またもや二つ結びのぼんぼりが「ぷよん」と弾み、ダメ押しのようにカナメのおさげを揺らした。
そんな我が子の様子を、親ばかで天使のように美しい母は、ふたたび胸に抱きかかえる。
「しぃちゃん、なんて可愛いのかしら! 今日のお披露目が終わったら、あなたはきっと貴族界のアイドル間違いないわ!」
うっとりつぶやく母。そして私の頭は、母の豊満な乳の圧迫をうけ、なお一層ぐらんぐらんと揺れる。
カナメは内心で毒づいた。
(……ええ、本当に不思議です。あなたの美的感覚と、遺伝子の神秘を疑うほどに……)
だが、表向きは完璧な執事の顔を貼り付けニッコリ微笑む……。
そして改めて、己の魂に刻み込むのだ。
(……この身体もまた、東雲家の娘としての器。ならば、このお餅の器をいかに美しく使いこなすか。それこそが、今世の私の主命だ)
状況変化への、瞬時の切り替え。それこそが超一流執事の、真なる技なのだから――。




