〇〇××年五月八日(月)
〇〇××年五月八日(月)
尊い。
それは言葉で言い表せない程に幸せな感情に包まれた時、人が無意識に発してしまう言語。
キュンと来る美少女を見た時、邪気の無い男の子を見た時、可愛い動物を見た時……自分という存在には眩しすぎてどうしようもなくなるものを見ると、自分の意思に反して口から出てしまう。
それはいわば鳴き声に近い。犬がワンと鳴くように。猫がニャンと鳴くように。牛がモーと鳴き豚がブーと鳴き馬がヒヒンと鳴きネズミがチューと鳴き猿がウキーと鳴き鶏がコケコッコーと鳴くように。そう鳴くのが当然であるように。我々人間は、「尊い」と鳴く。
だがしかし、僕は思うのだ!
真に尊いという言葉を使うべき存在が、この世界に一人だけいる!
秋原高校二年三組出席番号三十八番! 夢咲七海ちゃんにこそ、使われる言葉ではないか!
夢咲七海ちゃんはとにかく尊い。これだけで片付いてしまうのだが、それでは説明にならないので一つ一つ解説することにする。
まず、髪型が尊い。
製糸工場で入念に練り上げた絹糸の如くなめらかなその黒髪は、いつもは肩先まで下ろしている。この時点で既に尊さに溢れ消滅してしまいそうな勢いなのだが、体育の時間だけは必ずポニーテールに結っている。どうして日本の文化遺産に指定しなかったのか国内法に問いただしたくなるほどに美しいうなじがあらわれるのだ。尊さポイント三千点! このうなじを見てしまった僕は鼻血を大量に噴出して体育を見学することになったのだが一片の悔いもない。
次に、目と鼻と耳と口が尊い。
一時間丹精に磨き上げたガラス玉のように透き通った目は、僕の視線で汚すのも申し訳ないほどに輝いている。彼女の鼻は花と書き間違えていいほどに可愛く気高く美しく、耳は神の声を聞くために作られているんじゃないかというくらいに整っているのである。たっぷりと赤みを帯びた柔らかそうな唇は、一度触れたら魂が全て吸い取られてしまうほどに妖艶だ。彼女の口から出てきた空気を吸い込んで息を止めたら気絶して保健室に運ばれたが一抹の未練もない。
そのふくよかな胸も尊い。
身長は推定155cmと大柄とは言えない彼女であるが、その胸は雄大かつ広大。彼女の心の広さがそのまま目に見える形で表現されている。それでいて形が崩れていないのだから、神の造形が実にニクい。尊さには色欲を添えてはならないという持論のあった僕だったが、彼女の胸部を見るとそんな理屈が浅はかだったことを思い知らされるのだ。実にドスケベ。そんな彼女の奇跡的なバストを眺め続けて別の女子からエロガッパというあだ名を頂戴し社会的地位が陥落したが一度も絶望したことは無い。
可憐な手や魅惑的な脚など他にも語るべき部分は山ほどあるが、この日記の上で語るには悲しいかな限界があるために、一度断念することにする。
代わりといっては何なのだが、夢咲七海ちゃんの内面について畏れ多くも解説させていただく所存である。
たとえば、笑うと可愛いといえば、誰のことを指すだろうか? そう! もちろん夢咲七海ちゃんである。
とにかく彼女には友達が多い。彼女の周りにはいつも男女問わずたくさんの人がいる。たくさんの笑顔に囲まれている。それもそのはずで、彼女はとにかく気立てが良い。話し上手と聞き上手を兼ね備えた天才的トーク力により、雑談相談なんでもござれ。どうして飛鳥時代は彼女ではなく聖徳太子を選んだのか理解に苦しむことすらある。
ところがどっこい、注意もしてほしい。これだけ天に贈り物を授かった彼女だが、不思議なことに人間であり、よくミスをする。
意外にもドジであるらしい彼女はよく転ぶようなのであるが、しかし顔を赤らめてしょんぼりする姿もいやにいじらしく、これを欠点と見抜くには大量のNPを必要とする。修行不足だった僕はまんまとこの幻惑に乗せられ、彼女の欠点すらも美点と認識してしまっていた。今ではこれは欠点であると把握できてはいるものの、欠点が悪って誰が決めたんだ? 欠点は人間らしさを表現するエッセンスなんだぞ、と主張したい。
と、いうわけで、夢咲七海ちゃんの尊さのほんの一部は伝わったかと思われる。これで100%理解された気になっても僕としては困るのだが、かといって尊さを誰とも共有できないのは寂しい気がするので、こうして日記をつけている。
今は昼休みだ。いつも通り友達に囲まれながら食事を楽しんでいる。後ろの席からだと彼女の顔はよく見えないのだが、さて、彼女は意外と食いしんぼであるようで、二段弁当を毎日用意しているようだ。会話を盗み聞きしたところ、彼女の好物はカレーとハンバーグとエビフライらしい。子供かよ。尊すぎる。尊み秀吉。僕の心の草履も温めてほしい。
「七海さー、今朝あたしが登校中に声かけたら楽しそうに鼻歌うたっててさー。これがもう可愛くてー」
女子生徒Aがそんなことを会話に混ぜ込むと、
「ち、違うの! 今日学校に来る途中で可愛い犬がいてね! すごい撫でさせてくれて嬉しかったから……!」
などと言い訳しながら、一生懸命手を振っている。君も犬みたいだよ。ほんとに尊い。尊すぎて心臓が止まってしまったら保険は出るのだろうか。尊さ保険があるのなら今すぐ入っておかねばならない。
ああ、尊い。どうして彼女はこんなに尊いのだろうか。彼女の尊さに触れていられるなら、僕は百回転生したっていい――。