クロのいる日常
クロは、なんだったのだろう。
クロとの一年間を思い出す度に、私はそう考えてしまう。
心が弱った人間を見つけ、その感情を喰らう存在……といった所だろうか。
そうだとするなら――かつて語られた黒い獣、そしてクロは、出会った人のどこまでを食べたのだ?
私は、結構な分量の思い出を……記憶と感情を、失った。
それは、別に私には要らなかった物だと思う。
強いて言えば、次にまた同じような男に引っかからないための参考例としてぐらいだ。まあ、それは残ってる記憶でも十分だろう。
でも、それが、大切な思い出だったら?
何か大切なものを失ったとは分かるのに、それを思い出せない事が――奪われた事が分かったら……?
その時、黒い犬に話しかけ、触れた事を、後悔するだろう。
世界各地に、黒い獣、黒い犬の伝承が残っている。
それらは隣人。きっとかつては当たり前だったもの。
本当に妖精や幽霊だったのかもしれないし、人の弱い心が生み出した幻想に過ぎないのかもしれない。
……私の心が幻覚を見せているだけ、という可能性を、私は今も捨てていない。
けれど、よいのだ。
私の隣に、クロがいる事が。
このもふもふ成分に溢れた愛しい黒い獣がいる日常が、今の私にとっては、現実だから。
クロが、もしも私の考えたように、人の感情を喰らういきものだとして。
クロが、もしも、もしも、私から負の感情以外のものを……そう、愛情なんてものを食べる事ができて、そして、この日常が、クロにとっても満たされるものだとしたら――
そうだったら、嬉しいな。
この子にとっても、私といる事が、日常となっているのなら。
そうだ。明日は大晦日。クロと年越しそばでも食べようか。
せっかくだから、稲荷揚げも載せてきつねそばにしてあげよう。この黒犬さんが、喜ぶ事をしてあげたい。
クロと目が合うと、私は自然に微笑んでいた。
ああ、怖いな。一度はもう何も怖くないと思ったのに、この世界は、怖い事ばかりだな。
――ずっと昔から、大型犬を飼いたいと思っていた。
今、私の隣には霊的な超大型犬がいて。
でも、私がしみじみと幸せなのは、それが理由じゃなくて。
私は、『クロ』がいいのだ。
そして、今の気持ちを素直な言葉にする。
「これからもよろしくね、クロ」
「わふっ」
いい返事だ。
私は、クロの首筋の毛に、そっと頬を寄せた。
あとがき
うちのクロが一番可愛い!
はいこんにちは、水木あおいです。
ここまで読んでくれているという事は、多少なりとも作品か作者に興味を持っていただけたという事だと思います。
そんな訳で、ちょっとうちの子達について語ってみたいと思います。
私は、犬飼さんとクロを、一番もふもふな存在として書きました。
もふもふとはなんでしょう?
私がこの言葉を最初に聞いたのがいつだったのか、もう覚えていません。
それをはっきりと定義した辞書は、多分まだないでしょう。
私にとっての定義は、この作品です。
と言うとざっくりしすぎなので、もう少し言葉を足します。
もふもふした存在、というのは、多分毛が柔らかくてふわふわでふさふさでふかふかで、見ているだけで幸せで、触れるともっと幸せな存在の事だと思います。
それに触れるという事を、「もふもふする」と言っても、いいと思います。
自分が愛しいと思う存在に、触れたいと思う気持ち。
拒絶されるかもしれなくて。
傷付けるかもしれなくて。
それは、怖くて。
でも、それでも、どうしてだか、触れたくて。
できれば、喜んで欲しくて。
見つめるだけで、見つめられるだけで、自然に微笑みが漏れて。
もしも、相手が同じ気持ちなら……それを幸福と呼ぶに足りる。
そんな、気持ちです。
だからクロはもふもふさんで、犬飼さんは、クロをもふもふしています。
うちの犬飼さんは、クロの事が大好きです。
それはもう、
『福はーうち! クロもーうち!』(「クロと節分」より)
とか、
『なんという魅惑の感触。摩擦熱で頬が焦げ落ちても許せる。』(「クロと至福。」より)
とか、
『いつものクロも、ふわふわでふさふさで、キング・オブ・もふもふだが、それを越えて、歴史に残るもふもふ度合い。』「クロとシャンプー」より)
とか、
『ここが私のホームポジションだ!』(「クロとホームポジション」より)
とか、
『トリック・オア・トリート? 両方だ! 両方に決まっている!』(「クロとハロウィン」より)
とか、
『ああもう! このもふもふさんめ!』(「クロとブラッシング」より)
なんて叫んで、抱きしめたりほおずりしたり撫でさすったり揉み倒したりじゃれあったりブラッシングしたりして、一体何をどうしたのか、作者であるはずの私にもよく分からないレベルでクロの事が大好きです。
そういった全てが、私にとっての『もふもふさ』なのだと思います。
「ブラックドッグのいる日常」は以上で終わりです。
でも、「クロのいる日常」は続いていきます。
多分最終回の前には、泣き腫らした目でクロの頬の辺りの毛を弄りながら、一緒に焼き冷ました鶏肉を食べる犬飼さんとか、赤い瞳を思い出してふと背筋をぞわりとさせながらもクロに寄り添って読書する犬飼さんとかの姿があったのでしょう。
多分最終回の後には、汁少なめでぬるめのきつねそばをほとんど一口でぺろりとたいらげたクロを見ながら、『この子の正体がなんであれ、そばをのどごしで味わう江戸っ子に違いない』と心の中で思う犬飼さんとか、年明け、クロを優しくぎゅーっとしながら耳元に「あけましておめでとう。今年もよろしくね」と囁く犬飼さんの姿があるでしょう。
私は折に触れてこの物語を読んできました。
それは修正や誤字チェックのためだけではなく、この二人がもふもふしているのが好きだったからです。
この物語を読んでくれたあなたが、クロのもふもふさに、犬飼さんのストレートな愛情表現に、ほんの少しでも頬を緩めてくれたのなら、幸いです。




