第八十八話 此宮桜の消失
「こんな時、彦乃が起きとったらなぁ…」
「彦乃ちゃん…」
部屋の主である朱莉がヘレンによって追い出され、織姫と操と美波、そして眠ったままの彦乃の四人となった社長室。
いつの間にか居なくなっていた桜を心配している皆は彦乃を見る。
そして思う、彦乃だったらすぐに見つけられるんだろうなぁ、と。
「あの子の事だし、私達が帰って来たって知ったら全速力で帰ってくるんじゃない?」
「やと思ったんやけど… 帰って来てる途中とかかもしれへんな」
「そう…なのかな…」
あまりそうだという可能性は全然見えてきてはいないが、そう思っていた方が気分もいくらか楽になると言う物だろう。
それに桜の事だ、何かのサプライズ的な物を企んでいるのかもしれない。
あっと驚かせて悪戯っぽい笑顔でにししと笑いながら褒めてとねだってくるのだ。
「…にしても、気持ち良さそうに寝とるなぁ…」
「うん…彦乃ちゃん、なんだか満足そうな顔してる…」
織姫の膝で眠る彦乃の表情は、苦しそうでもなく悲しそうでもなく、ただ安らかにすやすやと眠っていた。
時折織姫が頭を撫でてやると嬉しそうに口角が上がって笑っていたり。
一体どんな幸せな夢を見ていればこんな表情になれるのだろうか。
だが、それは良い事ばかりとは限らない訳で。
「ちょっとやめてよ。 それじゃこの子がもう死んじゃうみたいじゃない」
「ちゃうちゃう、誰もんな意味で言っとらんって」
「そうだよ… 彦乃ちゃんが死んじゃうなんてそんな事…」
死んでしまうなんて考えただけでも縁起でもない。
ただでさえシューティングスターモードを使って帰ってきたのだから猶更だ。
戦いに勝てたはいいが帰って来て戦闘不能に、なんて誰も望まない。
ましてやそのまま死亡なんて誰も望んでいないのだから。
「…こんなトコで死ぬような奴ちゃうやろ、彦乃は…」
「うん…彦乃ちゃんは将来私と…ふふふ…」
どうやら彦乃をじっと見つめ続けていた事と気が落ちこんで居た事で、織姫の彦乃しゅきしゅきスイッチが入ってしまったようだ。
彦乃との将来設計が、まるで今まで体験したかのように鮮明に脳内でドラマが繰り広げられていく。
白いタキシードを着た彦乃と共に、純白のドレスを着て結婚式に臨む大人の自分の姿。
その翌年には、彦乃と一緒に大きくなったお腹の赤ちゃんに語り掛ける自分の姿。
更には子供と一緒に彦乃も含めて幸せな家庭で幸福に暮らす未来の姿を。
だが、これらはただの妄想である。
「まぁた始まってしもたわ…」
「…そしたら彦乃ちゃんが大好きだって言って私に…」
「たまにこうなるの見てたけど、今回はいつにも増して酷いわね… 妄想ダダ漏れじゃない」
自分の妄想に溺れる織姫はさておき、操と美波は二人だけで本題へと戻る。
桜についてだ。
「さって、どうしようかしら… あの子が帰ってくるまで待つ?」
「それがええんちゃうかな? 慌てて帰ってきたトコでお疲れ様言うて迎えたろ?」
操の提案に、美波もそれがいいと従う。
結果、社長室に皆して残る事となった。
後は桜が帰ってくるのを待つだけだ。
「……はよ帰ってこな、ウチらだけ先に寝てまいそうやけどな…」
「ヘトヘトだものね……このまま寝ちゃいそう…」
…しっかり待って居られるかどうかは別問題ではあったが。
=====
一方の桜はと言えば、実は案外近くをウロウロしていただけだったりした。
ここはコンペイトウ周辺の山の中。
ちょっと進めば高速道路があったり、逆を行けば街があったりするような場所だろうか。
そんな山の中を、桜は歩いていた。
「……」
何も目的が無くこんな所を歩いている訳ではない。
しっかりとした理由があってこんな場所に居るのだ。
その理由は、向こうの方からおのずとやってきてくれた。
「可愛らしく育っているようね?」
「……やっと…出てきた…」
小さな少女の声が、山の中から聞こえてくる。
深夜の山中は、女の子がいるほど賑やかな場所では無い。
ならば、桜に声を掛けてきたのは一体誰か。
「帰投せず、同胞を斬り、敵に回る… まぁ、その目的でお前を放し飼いにしていたんだがな」
続けて、男性の声も聞こえてきた。
少女一人だけかと思いきや、もう一人居たらしい。
暗闇の中から姿を現した二人の姿を見て、桜は驚く。
「っ!? デブリ…」
「奴らは我らをそう呼ぶらしいな …全く、宇宙のゴミ呼ばわりとは失礼な」
「まぁまぁ、今はそんな話をしに来たんじゃないでしょう?」
桜と同じく、見た目はしっかりとした人間の姿。
だがその姿には違和感があった。
まるで人の皮を被ったロボットでも相手取っているかのような感覚があるのだから。
相手の喋り方が機械質な訳でも、声が機械を通したように籠っている訳でも無い。
だが桜は自分の直感で分かる。
この二人も、見た目は完全に人間だったがデブリなのだと。
「そうだな…」
「ニューマ…あれ、サクラ…? なによコレ?」
「桜… 此宮桜、それが今の私の名前」
どちらも桜と同じ赤い目に銀髪、そして謎のスーツを身に纏う。
そんな特徴を持つ二人が不意に驚く。
呼んでやろうとしたら名前が変わっていた事に驚いているのだ。
「へぇ…素敵な名前ね …貴女には勿体ないくらいに」
「識別コードをコノミヤ・サクラに変更… 申請完了。これで帰れるな」
「…帰る…?」
この二人は何を言っているのだろうか。
このまま大人しく帰ってくれると言うのであれば、そのまま帰っても構わない。
そう思った桜だが、警戒を緩めたりはしない。
「そうよ、帰るの。 貴女も一緒にね」
「っ!? …嫌だっ!」
優しい笑みと共に差し出された手を、桜は決して取る事はない。
今の桜にとって帰るべき場所は彦乃と過ごすあの家だ。
こんな見ず知らずの連中の行く先なんかじゃない。
「っ…… 逆らおうって訳…出来そこないの分際で」
「おいおい、ソイツからデータの回収が優先だろ?」
「最悪、首から上があったらデータの回収は出来るんだからいいじゃない」
ニヤリと笑うその少女は、明確な敵意を桜へと向けてきた。
その手は一瞬で鋭利な刃物へと姿を変える。
まるで最初からそこにあったのは少女の華奢で小さな腕ではなく大きな剣だったかのように。
「嫌… 絶対お前達なんかに…ついていかない…」
「ならどうするの?」
「簡単……ここで潰すっ!」
明確な敵意を向けられて、桜が大人しくしている筈もない。
瞬時に変身して武器を手に取る。
「あらあらあら、死んだわコイツ」
「殺すなよ?」
「首から下は保障しないわ… って、貴方は手伝わない訳っ!?」
「結果は見えてるからな。 武器を取る必要もないだろう?」
頭に血が上っている少女とは反対に、男の方は声の調子も変わらず余裕を持っていた。
というよりも、どこか面倒くさそうだ。
「隙だらけ…っやぁ! っ?!」
「どっちがよ」
余裕そうに会話する二人に攻撃する好機と見た桜は、そのまま少女へ突撃する。
剣での一撃が少女を切り裂く。
かと思えば、いつの間にか桜の背後に少女は立っていた。
「このっ!」
「遅い遅い」
「くっ…うぅぅっ…」
最初の一撃こそ桜がけしかけていたが、後はすっかり少女のペースだった。
素早い連撃を、桜が剣でなんとか受けて耐えてを繰り返す。
だがそれも長くは続かない。
「っぁ!?」
「はいこれで…おっしまいっ!」
「そこまでだ」
強烈な連撃に耐えられず、桜は持っていた剣を弾き飛ばされてしまう。
もしも衝撃に負けまいと剣を握り続けていたら、腕ごと持って行かれていたかもしれない。
剣を失い倒された桜へ、少女はトドメの一撃を振り上げる。
だがそこで男が止めに入った。
まあ前に立ちふさがるとかではなく、ただ声を掛けただけだったが。
それでもあの少女の動きを完全に止めるのには十分だったらしい。
「ちぇ…あとちょっとで首から上と下にバラせたのに…」
「情報量を少なくしてどうする…」
「別に少なくなんてならないでしょ? 何考えてるのよ!」
「俺だってちゃんとした考えがあって指示を出してるんだ、お前もそれに従えと言っている」
「っ…」
戦いが終わったかと思えば、さっきのように言い争う二人に戻る。
なんだかいつもより激しく言い争っているらしい。
これは逃げるチャンスなのでは、と桜は閃いた。
だが、桜の選択肢に逃げるなんてコマンドは存在しなかったのだ。
立ち上がろうと地についた手が、身体を支えている足が、全く動かない。
「やれやれまったく…逃げる事は出来ないぞ?」
「え、逃げようとしてるのこの子? 恥ずかしい、流石は出来損ないね」
「どう…して…」
腕や足は動かせないが、口はなんとか動かせた。
「それも分からなくなってるのか… それはな、サクラ。 俺がコマンド…要は命令を与える役割を持つからだ」
「コマンド…?」
「だからこんな事も出来る… 立て」
男の指示に、桜は即座に立ち上がる。
桜本人の意思なんて介在出来ない程の一瞬の判断で、桜は素早く立ち上がって見せた。
「意識データの一時上書きをしておくか… こっちに来い」
男が手招きすると、それに従い桜はすぐにその場へ向かう。
「嫌…動き…たくない…」
「嫌か?嫌がれ その方が一時上書きも固定しやすいだろうからな」
まるで子供の頭を撫でるように、優しく桜の頭に手を乗せる。
そうするだけで良かったからだ。
桜が抗おうにも身体の自由は全く効かない。
「嫌…嫌…嫌嫌嫌…入って…こないで…」
「こらこら、インストール中なんだからあまり喋るな」
男の手が光を放ち、触れている桜の中へ何かが入ってくる。
意識を掻き回されて、自分が自分でなくなって行くような感覚に襲われた桜に、もう抗う術は残されていない。
自分は誰か、ここはどこか、何の為に居たのか、そういったものがどんどん取り払われていく。
「たすけて……ひこの…」
「ヒコノ…? あぁ、そういやこの子保護されたんだっけ」
「ああ、そうなる形で送り込んだからな。 保護先はアルタイルだったか…」
「アルタイル… そういや今期のアルタイルってレアモノの山盛りなんだっけ」
「索敵能力と飛行を含めた機動性はアルタイルそのものの特性として、今期の所持者は攻撃力、パターンの強化に多数の機能を追加していたようだな」
それを聞いて、無邪気にニヤリと少女は笑う。
だがその笑みは決して穏やかな物ではない。
「へぇ…… 喰い殺し甲斐ありそうじゃない」
「そこまでの進化はあまり見ないからな、持ち帰っての分析も視野に入れておけよ?」
「生き残ってたら考えてあげるわ… ヒコノ、かぁ…どんな娘なのかなぁ」
まだ見ぬ対戦に心を躍らせ少女は笑う。
どれほどの相手かを想像し妄想し予想し楽しむ。
その傍らでは、桜が倒れそうになったのを男が抱えたりしていた。
「インストール完了だ。 最適化まで時間がかかるからこのまま持って帰るぞ」
「はいはい、良かったわねサクラチャン、お兄ちゃんにお姫様抱っこして貰えて」
「やだ…かえ…して…」
茶化すように頭を撫でる少女の手を払う事も、今の桜には出来ないでいた。
虚ろな瞳には何も映らず、ただ男に抱えられ少女にからかわれながら運ばれる事しか出来ない。
その無力さを、その非力さを、その無情さを、桜は自分を呪う。
「ひこの……みんな…」
どうする事も出来ず、桜はそのまま運ばれていき姿を消した。
助けを求めても誰も来ない、抗う術を失い、何処とも知れない闇を行く。
彦乃がそれに気付くまで、桜は誰にも見つけることはないのだろう。
続く




