第八十一話 見破る眼
彦乃の家へ遊びに来た織姫。
しかし、その目的はそれだけではなかった。
(ヘレンさんから貰った情報…あれが本当かどうか、自分の目で確かめる…)
ヘレンから貰った情報。
それは、彦乃がどこかしか、おそらくは味覚を右目や記憶の時のように失っているのではないかという推測を含めた考察が書かれたメールだった。
宛先は織姫と操の二名のみに絞られているようだった。
青星姉妹は付き合いが長いとは言えないから除外したのだろうか。
「ごめんごめん、お待たせー」
「ううん、大丈夫だよ」
居間で待っていると彦乃はお茶を持って来てくれた。
その顔はいつも通りの爽やかで明るいものだ。
けれど、その裏ではきっと自分の身体に起きている異変に怯えているはずだ。
正直な所、大半の記憶が無いと言うだけでも普通は相当不安になるものだろう。
少なくとも、彦乃のように明るく振る舞えているとは思えない。
「はいどーぞ」
「ありがとう彦乃ちゃん。 いただきます」
持ってきてくれたのはいつも飲んでいる麦茶。
安売りの物を沸かしているだけの物だが、彦乃の一手間によって見違えるような美味しさになると評判だ。
夏場は勿論、冬場でも彦乃たちは麦茶派である。
「…っ! あまい…お砂糖?」
「うん。 この前塩とか砂糖入れると美味しいって読んで、試してみたんだけど…どう?」
「おいしいよ」
麦茶独特の渋みを、砂糖の甘味が助けてごくごく飲めてしまう。
あっと言う間に、織姫のコップからは麦茶が全て消え去っていた。
「ふぅ…」
「ふふっ…いい飲みっぷりだったよ?」
「彦乃ちゃんの作ってくれた物だもん、一気飲みもしたくなるって」
「え、あ…う、うん…」
織姫のべた褒めは案外彦乃には効果があったらしい。
一気に余裕がなくなって視線を逸らす。
こうなってしまえばもう織姫の掌の上だ。
「彦乃ちゃんの作るお茶も美味しかったけど、私は彦乃ちゃんが欲しいかなぁ」
「えぇ…」
慌てるのも早ければ、冷めるのも早かったらしい。
まあ、迂闊な事を言ってしまった織姫がだいたい悪い訳ではあるが。
「はぁ……まぁ、いつもの事だから許すけど…」
「彦乃ちゃんのそう言う所、大好きっ!」
「おおっとっと」
突き飛ばしそうな勢いで飛び込んできた織姫を、彦乃はしっかりと受け止めた。
彦乃ほどの身体能力があれば、反射的に回避する事だって出来たはず。
それをしない程度には彦乃も織姫の事を嫌ってなどいない、寧ろ好きだという証拠。
「ねえ、彦乃ちゃん?」
「ん? なあに?」
「味覚が無いってホント?」
「っ?!?」
だからこの際、遠回しに探るような真似はやめる事にした。
こうして直接聞いた方が早い。
それに、こうしてストレートに聞いたからこそ分かる事だってある。
彦乃は「誰かの為に嘘を吐く」時、目がくっと開き視線が泳ぐ。
声や口調でこそいつも通りなので顔が遮られていたりすると見分けがつき辛い。
しかし織姫は彦乃ソムリエ。
彦乃が嘘をついているかどうかは味で分かる!
「れろっ」
「きゅぃっ?! お、織姫ちゃんっ?! いきなりどうしたのっ?!」
まるで犬か猫かのように、彦乃の首にいきなり舌を這わせる。
くすぐったさと急に舐められたことへの驚き、そして真顔で舐め取ってきた織姫に動揺して彦乃は今まで見せた事がないくらい狼狽えていた。
彦乃を舐めた織姫には分かった事がある。
それは、彦乃が誰かの為に嘘をついているという確証だった。
「彦乃ちゃん…これは、嘘をついている時の味だよ!」
「あ、味ぃ?!」
急に舐めてきたかと思えば「嘘ついてるでしょ。味で分かるんだから」と言われる。
彦乃からすれば何を言っているのか分からなくて戸惑うだろう。
でもここで慌てふためいていては、私は嘘を吐いていますと言っているようなもの。
悟られるのを避けたかった彦乃はすぐに落ち着きを取り戻す。
「ふぅ…い、いきなり舐めてきたのには驚いちゃったけど、嘘なんてついて」
「…また、そうやって嘘を重ねるの?」
「っ…」
嘘をついている事を隠そうとしてまた嘘をつく。
そこまで見破られていては、さすがに彦乃も言葉を濁す。
「…私、彦乃ちゃんの事信じてるんだよ? 大好きなんだよ?」
「そ、それは私だって織姫ちゃんの事…」
「だったら!」
「っ!?」
織姫の言葉に彦乃が全てを返す前に、織姫は彦乃を強く抱きしめる。
「好きなら…信じてるなら……隠し事なんてイヤだよ…彦乃ちゃん…」
「織姫ちゃん……うん、分かった 話すよ…だから…だから放して…くるしぃ…」
ずーっと締め付けるように抱きしめてきているのだ、苦しくない筈もない。
プロレス技で、こんな技を見た事がある気がする。
確か、抱きつくように締め上げて苦しめる、やり過ぎると肋骨とか折っちゃうような技だったような。
なんとか動く手で織姫の肩をポンポンと叩いて、やめてくれと訴える。
「ふぁっ?! ご、ごめん!彦乃ちゃん! 大丈夫?」
「はぁ…はぁ… あっはは…大丈夫大丈夫、私頑丈だから」
すぐに慌てて離してくれた織姫。
さっきまで声が震えて泣き出しそうだったが、もうその心配はなさそうだ。
とは言っても、この後彦乃についての話を聞いてしまえばどうなるか分かったものではないが。
それにしたって織姫の怪力には驚かされる。
本気と書いてマジになった少女というのはこんなにも力を引き出せるものなのだろうか。
「さってと……どこから話せばいいかな」
場の空気も和んだ…と言うよりは話題を切り替えるのに丁度良くなったと言うべきか…事で彦乃は自分に起こった事をなるべく分かり易く伝わるように話しはじめた。
戦闘中に威力の上増しのため仕方なくシューティングスターモードを発動したと言った時の織姫がすごく心配そうに彦乃を見ていたが、それも無理もないだろう。
今までに「右目・嗅覚・記憶」と来て、そして今回の味覚の不調。
それらすべてに共通している事が「シューティングスターモードを使用した後」なのも既に皆知っている。
モード使用後は身体に莫大な負荷がかかる為に発生する機能不全であるという説明も受けた。
だがやはり、身近な人物がそうなってしまうというのは想像しているよりも精神的に来るものがあるのだろう。
たとえ本人が心の中で覚悟と折り合いを付けていようと、周りの者達まではいそうですかと納得できるものではない。
織姫や桜なんかは特に、大好きな彦乃の身体がどんどんボロボロになって行くのをただ見ているだけなんて、辛くてしょうがない。
だからこそ、皆には秘密にしているという事も含めて彦乃は織姫に告白した。
彼女なら、織姫なら胸の内に秘める苦しみを分かち合ってくれるかもしれないと思ったから。
秘密を教えた事で織姫を苦しませてしまうかも知れないと分かっていても、秘密にしたままの方が織姫をもっと苦しませてしまうかも知れないと思ったから。
「…彦乃ちゃん…」
「……織姫ちゃん……ごめん」
今まで内緒にしていた事に。
皆には内緒にしていて欲しい事に。
自分の不始末に巻き込んでしまった事に。
それらすべてに謝罪の意を込めて、織姫へ頭を下げる。
「ううん…大丈夫、彦乃ちゃんの事は内緒にしておいてあげるから」
「織姫ちゃん…ありがとう…」
ここまでは良かった。
欲を出したのがいけなかった、と後に織姫は語る。
「だから、ね? 彦乃ちゃん、私からもお願い…してもいい?」
「うぇ? お、お願い…?」
「うん、お願い」
「お願い」と口にする織姫の眼を見て彦乃は思った。
《これはダメだ。逃げられない》と。
二人は立ち上がると、居間を出て彦乃の部屋へと向かった。
居間を出る時に縁側をちらりと見ると、桜はまだ眠っているらしい。
寝転がっている足が全く動いていないのだ。
これでは助けを求める事も出来ないだろう。
「ダメだよ彦乃ちゃん、ちゃんとこっちを見て?」
「う…ううぅ…」
そっと頬に手を添えて、彦乃の顔が織姫の方へ向くよう優しく傾ける。
手に力は入っていない筈なのに、その手に抗う事は出来なかった。
蛇に睨まれた蛙然り。というやつだ。
「お願い、聞いてくれるんでしょ?」
「う、うん……そうだけど…」
「だけど…?」
「……な、なんでもないです…」
何一つ言い返す事が出来ない。
きっと離れた所から見ていると織姫から黒いオーラ的な何がが吹き出しているんじゃなかろうか。
「さ、ついたよ?」
「…」
少し歩けば彦乃の部屋はすぐだ。
外を隔てて離れになっている訳でも、家の隅の倉庫のような場所でも無い。
だから、すぐに着いてしまう。
「うふふ……えーいっ!」
「んぅ! ね、ねえ、織姫ちゃん…ちょっと待って…」
部屋へ入ってすぐ、織姫は彦乃をベッドへと投げ飛ばす。
本当にどこからそんな力が出ているのかと思う程だったが、事実彦乃は自分のベッドへ押し倒されるように投げられてしまった。
ベッドが思いっきり軋んで、家もちょっと揺れたんじゃないかってくらいの勢いで倒される。
「だ~めっ 彦乃ちゃんは」
「彦乃が…何?」
「さ、桜ちゃんっ!」
自分もベッドへ飛び込んで来ようとしていた織姫だったが、その野望は阻止された。
いつの間にか現れた桜によって。
ただ、その顔はすごく不機嫌そうだ。
叩き起こされた直後のように眉を顰めて織姫を睨みつけている。
「っ!?」
「おっそい」
織姫が振り向いたところで、桜は静かな一撃を放つ。
言ってしまえば腹パンだったが、それで気絶してくれるあたり助かったと思いたい。
「あ、ありがとう桜ちゃん…」
「んっしょ… 彦乃、お昼寝? 一緒に寝よ?」
気絶した織姫をその場に寝かせて、ベッドに寝転がったままの彦乃の隣に転がり込んでくる。
助けて貰っただけに、彦乃としても断りづらい。
それを利用した桜の戦略勝ちであった。
「彦乃、腕枕してー?」
「は、はいどーぞ…」
「んっ おやすみぃ」
そう言うと桜はあっと言う間に眠ってしまう。
織姫をそのまま放置しておいていいものかとも思った彦乃だったが、織姫が来てからのやりとりでドッと疲れてしまっていたようで、瞼が物凄く重い。
そのまま桜の寝息を子守唄に、彦乃も眠ってしまうのだった。
目が醒めるといつの間にか隣で織姫も眠っていて、二人に挟まれたまましばらく動けなくなっていたのはまた別の
お話。
つづく




