第二十二話 潜入、そして…
7月に入って今日で二日目となり、眼の痛みにも慣れてき始めた彦乃が部活動の再開を決意しようかと思っていた頃だっただろうか。
朱莉から渡されていたスマホが突如として鳴り響いた。
幸い、昼食中だった事が功を奏したと言えるだろうか。
「電話ですね。アレ? 雲類鷲さん携帯変えました?」
「あ~…これ、アルバイト用のなんだー。ちょっとゴメンね…はい、雲類鷲です」
いつものように集まっていた彦乃・織姫・美波・文佳が昼食にしようとしていた時、彦乃の携帯が鳴ったと言う訳だ。
席を立った彦乃はなるべく教室の端へと行って少しでも静かな環境を意識するようにする。
電話に出る前に画面を確認してみるが、「本部」と登録されているだけで相手は誰か分からなかった。
『………』
「……? もしもーし?」
いくら耳を澄ませても、聞こえてくるのは無音の時に流れる砂嵐のような音だけ。
悪戯電話か何かだと思った彦乃は、とりあえず声を掛けてみた。
もしかすると通信状態が悪いのかも知れない。
科学の発展したこの時代において、電波障害などあまり考えられないとは思っているが。
『……すみません、聞こえますか?』
「あ、やっと聞こえた! はい、聞こえてます」
『そちら雲類鷲彦乃さんで間違いないですか?』
どうやら彦乃の名前を知っているという事は少なくともいたずら電話ではないようだ。
きっと朱莉の知人とか部下とかだろうという事で彦乃は特に気にする事はない。
返事をすれば間違い電話でもかけていたのか「あぁ、よかった…」と安堵する声が聞こえてきた。
『私、コンペイトウの工廠開発チーム責任者でセレスと言います』
「セレスさんですね、宜しくおねがいします!」
「っ?!」
遠巻きな位置からとは言え、彦乃の言動に気を配っていた美波だったが案の定だ。
聞き覚えのある、というか聞きたくなかった名前が耳に入って来て一瞬で表情が変わって警戒を強める。
なんだか犬が嫌いな人や犬の接近を感じ取って唸っているみたいだ。
彦乃が誰彼構わず飛びついて舐めてくる愛犬だとすれば、美波は玄関先で吠えまくって牽制する番犬と言う所だろうか。
『今…は学校でしたね。放課後になるのとほぼ同時に迎えを寄越しますので、本社の方へお越し願えますか?』
「んー…はい、分かりました。行くのって私一人だけなんですか?」
あまり深く考えなくても、部活動より人助けの方が優先されるのは分かり切っているだろう。
直接的な事ではなく、例えるなら研修だとか受け渡しだとかだったとしてもそれが人助けに繋がらない訳がない。
少しだけ悩んでしまっていたのは、彦乃がそれだけ部活動に励んでいたからと言える。
『出来れば、スターライトの方全員で来てください』
「あ、そうなんですね。分かりました、伝えておきます」
彦乃が快諾すると、ちょっと笑ったような声をあげつつ「それでは」とだけ言ってセレスは通話を切った。
楽しい事があったのだろうと思った程度だった彦乃は、皆の所へ戻って行く。
その途中、窓の外からの視線に若干の敵意を感じながら。
「ただいまー…」
「雲類鷲さん、さっきの電話、セレスからだったの?」
予想外な美波のくいつきに怯んだ彦乃は、その場で一瞬だけ「えっ?」と声を上げて固まってしまう。
普段の彼女なら「もうちょっと声を抑えなさいよ」とか言ってくる程度かと思っていたのに、この反応はある意味で新鮮だった。
美波とはまだ一週間も共に過ごしていないのに、彦乃たちはもう既に美波の「普通のパターン」は掴んでいたのだ。
「う、うん…セレスさんからだったよ?」
「それでっ?! あの人なんて言ってたのっ?!」
「もぐもぐ…(今日の青星さん、雲類鷲さんにかなり食いつきますねー…これは…)」
「……」
文佳はグイグイと彦乃に食いつく美波を観察しながら、そーっと隠れるように織姫の方を確認する。
もしかすると暴走したように怒り狂って彦乃と美波を引き離すかもしれないと思っていた文佳だったが、どうやら沸点には遠く及ばないのか、織姫は水筒のお茶を飲みながら二人のやりとりをただ観察しているだけのようだった。
ただし、情報戦において右に出る者は居ないと自負している文佳には一目見れば分かる。
織姫のあの眼は、「グイグイ押しやられて焦っている彦乃を視線で愛でている」眼だ。
良いように言えば「彦乃が困って表情を転々としている様子を見て心の中ではその可愛さに悶えている」ともとれるし悪いように言えば「最初から美波の事など眼中にない」ともとれる。
そっとしておいた方が良いのだろうと感じた文佳は、そっと織姫から視線を外すのだった。
「み、美波ちゃん落ち着いて?セレスさんは放課後になったら迎え寄越すから本社に来てって言ってたよ」
「もぐっ?!(本社?! なんですか、大企業からのお呼び出しですかっ?! こいつは臭ぇ! スクープの匂いがプンップンしますねぇ! これ以上の特ダネには出会った事がない程にですっ!!)」
「本社にって…何を考えているんだか、あの人は…」
内容を聞いてしまえば、落ち着いたのか美波はため息を吐きながらゆっくりと席に戻る。
隣で物凄く目を輝かせながら興味を抱いている目を向けてくる文佳に、短く「ダメよ」とだけ言って弁当を食べ始めた。
拒否されて露骨に落ち込む文佳を、慰める者は誰も居ない。
彦乃はそっとしておこうと思い、美波は行かせるわけがないと呆れ、織姫は特にこれといって気にもしていなかった。
「ふぅ……それって彦乃ちゃん一人で行くの?」
「ううん、私達ス…三人で来てって」
「という事は、私も含まれてるのね……何を考えてるのかしら、あのマッドサイエンティストは…」
「サイエンティストって…研究所か何かなんですか?」
興味津々とまでは行かないまでも、興味はありそうな視線をしきりに送る文佳。
しかし、他の3人はここぞとばかりに連携して彼女を止めに入った。
まるで三人だけの秘密であるかのように。
「あっ、文佳ちゃんは気にしなくていいよ? アルバイト先の事だから」
「そうよ、貴女は気にしなくていいの。「気にしたら負け」って奴よ」
「知り過ぎるのもちょっと問題だよ? 雲川さん」
ここまで同時に三方向から否定されて、普通の人なら怯んでそれ以上は調べたりなんてしないでしょう。
しかし、雲川文佳は一味違う。
新聞部は伊達じゃないという事です。
「なら、せめてどんなアルバイトをしているのかだけでも!」
「言う訳ないでしょ…ね、雲類鷲さん?」
「うぅん……なんて言えばいいのかな…」
「必死に考えてるっ?!」
隠そうとする二人と対照的に、彦乃はどうやって説明すれば良い物かと悩んでいた。
通常では有り得ないような怪物相手に戦ってます、なんて素直に言っても信じて貰えるはずもない。
文佳自身、既に被害を受けているのだと教えた所で信じはしないだろう。
では、そんな事を正直に言ってしまえばどんな目で見られるか?
そんなものは決まっている。
気をおかしくしてしまった哀れな人と見られる事だろう。
特に文佳のような、情報に囲まれて生きているような人間にとっては常識と非常識の線引きは通常以上にしっかりしているだろう。
「…ごめん、ちょっと説明しづらいかな」
「そうですか…まぁ、今回は諦めましょうかね」
「今回「は」?」
「す、すいませんっ! この件からは手を退かせてもらいますっ!!」
いつもよりいくらか低めな声で織姫が文佳を睨む。
その凄みには、文佳が対抗できるはずもなく、文佳は押し黙ってしまう。
織姫がその後すぐに「よろしい」と言っていなければ、プレッシャーで気がどうにかなっていたかもしれない。
「……と、とりあえず、放課後になったら迎えの人が来るみたいだし、それでコ…本社に行こう?」
「そうね…それがいいでしょうね」
「ところで彦乃ちゃん、クラブの方はどうするの?」
「それは…」
待ちに待った全国大会に向けて、クラブは現在強化特訓を行っている。
彦乃はその中で1.2年生の取り纏めを任されている。
普通ならば2年生か余裕のある3年生が請け負うべきなのだろうが…
「あぁ、期待の新星に頼らざるを得ない弱小チームだったわね」
「青星さんっ?!」
いきなり煽ってきた美波。
だが、彼女の言っている事もまた事実だ。
ソフトボール部設立以来、最後に大会で優勝したのは十数年前の時以来、一度も無い。
それ以降はいつも予選での敗退を強いられる弱小チームへと成り果ててしまっていたのだ。
「いいよ織姫ちゃん。事実なんだし…そうだ、文佳ちゃんチームの皆に伝えておいてくれない?」
「私ですか? 了解です!」
彦乃に頼まれた文佳は二つ返事で了承した。
ちょっとくらい大げさかもしれないと思う程の身振りでリアクションしていたりするが、文佳なら怪しまれる事も無い。
なにせ「いつものこと」だから。
「頼まれたからにはちゃんとお伝えしておきますのでご安心を!」
「うん、お願いね」
忘れないようにと手帳にメモを書き、食事をいつの間にか終えていた文佳は、新しい情報を求めて教室を去っていく。
昼休憩が終わる頃には帰ってきたがその時の彼女の表情は、どこか満ち足りた顔をしていたんだとか。
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時は過ぎ、放課後になって校門前に彦乃たち三人は集まっていた。
その前には黒いワンボックスが止まっており、中から一人の女性が顔を覗かせて三人に何かを話しかけている。
その様子を遠巻きに盗み見ていた文佳は知らないから分からないだろうが、それは雪菜だ。
「黒い車から見えた美少女…あれは同業者でしょうか?」
木陰に隠れ、カメラ片手にその様子を観察していると、車の自動ドアが開けられ中に三人とも乗り込んでいく。
そして三人を乗せた車は、何事も無かったかのように校舎前をUターンして公道へと戻って行った。
その様子を見ていた文佳は、携帯とは別の通信端末を取り出す。
「…スクープの匂い……追跡開始ですっ!」
通学に使っていた自転車に端末を提げ、先程の車を信号や渋滞による遅滞で追い抜いてしまわない程度の速度で追跡を開始し始めた。
事前に制服姿からいつもの地味な私服に着替えており、きっとパッと見だけでは文佳だとは分からないだろう。
風よけ用の黒いキャップを被り、いつもは一つ結びにしている髪を下ろして、最後にダテ眼鏡を掛けてしまえば変装の完了である。
「えぇと、彦乃さんたちの位置情報はぁ…」
いきなり出発するでもなく、文佳は自転車に取り付けた端末の画面を操作する。
映し出されたのは地図の位置情報サービスだ。
その中心点には赤く点滅するポイントが示されている。
だが、そのポイントは文佳の居る場所とは全く以て関係ない。
「これは……国1に向かってますかね?」
文佳の言う国1とは、国道一号線の事だ。
大きな通りがいくつもの脇道を巻き込むようにして走っており、そのまま走って行けば東京まで高速道路を使わず行けるんだとか。
そこへ向かう脇道のひとつに、赤いポイントは止まっていた。
自転車で追いかければ一分待たずに追いつくだろう。
そのまま止まっていればの話だし、追いついてはいけない訳だが。
「さって…行きますか!」
追いかける目標を再確認した文佳は、自転車を漕いで追跡を開始した。
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「ここは…」
あれから一時間ほど走っただろうか。
発見されない程度の距離感を保ちつつ、県境を超えて追いかけてきた。
途中までの道は坂道などが多かった為に文佳は少しばかりバテ始めていたのだ。
だが、やっと目的の場所へ到着した。
国道一号からはだいぶ逸れてしまったが、山間部に位置する場所にある会社。
そのビルをポイントは示している。
「コンペイトウ(株)……製菓会社でしたっけ? ここで彦乃さん達はアルバイトを…?」
とりあえずビルの中へは入らず、敷地外から様子をうかがう。
彦乃たちの姿は見えず、時間的に暇な人も少ないのかエントランスを歩く社員の姿はほぼない。
インフォメーションを担当しているであろう女性社員が見える。
欠伸をして暇そうにしている。
「………行ける…」
覗き込んでいた双眼鏡を外し、カバンに仕舞い込んだ文佳はチャンスを見出してやったとばかりにニヤリと笑う。
そして敷地の中へ入って行こうとした、その時だった。
「…あなた…何をしていますの…?」
「ひゃいっ?!(み、見つかったっ?!)」
完全に視界の外側から声を掛けられた。
敷居自体は跨いでいるからここはもうあちら側の領域だ。
そこへ侵入してきた部外者である文佳の事は、敵と思われても仕方がないだろう。
しかも気配を感じさせる事無く、声を掛けられるような距離までの接近を許してしまっている。
「そのカメラ…取材の方かしら?」
「うぇ? あ…あぁー、はい。社長さんとお約束していました、鮎川といいます」
どうやら上手くやり過ごせそうだ。
偽名を使っているのは、あとあとになって嘘がバレても自分へ報復が来る事を避けるためだ。
県境を跨いでいるとはいえ自転車で行けるような距離の場所でそういった手が通用するともあまり思えないが、可能性がゼロでない限りはその手に頼らざるを得ない。
「そうでしたか。それでは案内させていただきますわ」
「はい、よろしくおねがいしm…げっほっ!な、なに…を…」
人は、三種類の油断をする生き物だという。
一つが、相手を過小評価しての油断。
もう一つが、自分を過大評価しての油断。
そして最後が、相手を信用しきった瞬間に生まれる油断だ。
文佳に起こったのは、まさにその三つ目に当てはまるだろう。
握手を求められ、手を握った次の瞬間には、顔面にスプレーを吹きかけられていた。
手で振り払おうにも片手がしっかりと握られて動かせず、もう片方の手はカメラを持っている故にあまり激しく振ってしまっては取り落としてしまいそうだ。
いきなり吹きかけられた事もあってか、そのスプレーが撒き散らした何かを大量に吸い込んだ文佳は、何か考える暇もなく頭の中が真っ白になって身体中の力が一気に抜ける。
それと同時に意識が急激に遠のくような感覚に襲われて、今の自分の現状を把握するくらいしかする事がないと気付く。
「あ……ぅ…」
「…こちらカノープス、不審者を発見しましたので無効化しそちらへ――」
ぼやけていく意識と視界の中で、文佳は自分の人生の終わりを悟りながら意識を失うのだった。
意識を失う直前、文佳は目の前にいる女性の姿をついさっきどこかで見たような、そんな気がしていたのだった。
はたして、文佳の運命や如何に!
つづく




