第14話 決勝
一年生トーナメント、決勝戦。
たくさんの視線が、会場へ集まっていた。
観客席は満員。
生徒たちだけでなく、教師や上級生、一般客までもが、決勝に残った二人の魔術師を見ようと集まっている。
「トリック・ワイヤー!」
「アリシア・グランベル様ー!」
「どっちが勝つんだ!?」
歓声が響き渡る。
会場の中央では、トリックとアリシアが向かい合っていた。
アリシアはいつものように、堂々と杖を構えている。
対するトリックは、少し落ち着かない様子だった。
(……すごい人だな)
トリックは、何気なく観客席を見上げた。
その瞬間。
「……え?」
見覚えのある姿があった。
少し古びた服。
膝の上に置かれた小さな鞄。
そして、こちらを見つめている優しい顔。
「母さん……?」
そこにいたのは、マジカルだった。
トリックの母親。
本来なら、仕事をしているはずの母が、なぜか観客席に座っている。
しかも、両手を胸の前で握りしめながら、俺の姿をじっと見つめていた。
「……どうして?」
トリックが呟く。
マジカルは、トリックと目が合うと、小さく手を振った。
「頑張ってね、トリック」
声は届かなかった。
けれど、その口の動きだけで、何を言ったのかは分かった。
トリックの胸が、強く跳ねる。
(母さんが……見に来てる)
「どうしたの?」
アリシアが声をかけた。
トリックは慌てて視線を戻す。
「いや……」
「観客席に何かあったの?」
「……うん。母さんが来てた」
「お母様が?」
アリシアが少し驚いた顔をする。
「そうなのね」
「……だからって、手加減はしないわよ」
「分かってる」
トリックは頷いた。
けれど、その声にはいつもより力があった。
「僕も、負けるつもりはないよ」
アリシアはその表情を見て、わずかに目を細める。
いつものトリックとは違う。
普段は控えめで、どこか自信なさげな少年。
だが今は、目の奥に強い光が宿っていた。
「……いい顔するじゃない」
アリシアは杖を構え直した。
「それじゃあ、始めましょう」
「両者、構え!」
審判の声が響く。
トリックは静かに息を吸った。
(母さんが見ている)
(だったら――)
「試合開始!」
先に動いたのはアリシアだった。
「――《火炎弾》!」
巨大な火球が、一直線に飛んでくる。
トリックは横へ跳んだ。
火球が地面に着弾し、爆炎が広がる。
「まだよ!」
アリシアが杖を振る。
風が巻き起こり、炎が一気に加速した。
「――《烈風火輪》!」
炎の輪が複数、地面を滑るように迫ってくる。
トリックは後ろへ下がりながら、懐から小さな金属片を取り出した。
指先で弾く。
カンッ。
金属片が地面に落ちた瞬間、トリックの周囲から白い煙が噴き出した。
「また煙!」
観客席がざわめく。
アリシアは目を細め、風を起こした。
「――《暴風》!」
煙が吹き飛ばされる。
しかし、その先にトリックの姿はなかった。
「……どこへ?」
「上だ!」
誰かが叫んだ。
アリシアが顔を上げる。
トリックが、空中にいた。
「なっ……!」
トリックは高く跳び上がっていた。
まるで空を歩いているかのように、何もない場所で一瞬だけ静止する。
(仕込み、ちゃんと動いた……!)
観客席から驚きの声が上がった。
「空中で止まった!?」
「飛行魔法だ!」
トリックは空中で身体をひねり、アリシアの背後へ着地する。
「――そこだ」
「っ!」
アリシアはすぐに振り返った。
だが、トリックはすでに距離を取っていた。
「逃げてばかりね」
「逃げてるんじゃないよ」
トリックは、普段よりも堂々とした声で言った。
「次の準備をしているんだ」
「なら、その前に焼き尽くすまでよ!」
アリシアが杖を掲げる。
周囲の空気が熱を帯びた。
炎が、一本。
二本。
三本。
次々と空中に浮かび上がる。
それぞれが巨大な槍の形へと変わっていく。
「――《火炎槍》!」
炎の槍が一斉に放たれた。
トリックは走る。
一本目をかわす。
二本目を身を伏せて避ける。
三本目が目の前を横切った。
熱風が頬を焼く。
(速い……!)
(しかも、数が多い!)
トリックは懐に手を入れた。
けれど、そこで一瞬だけ迷う。
(……これを使うと、かなり目立つ)
観客席には母親がいる。
派手な魔法を見せれば、きっと驚くだろう。
そして、失敗すれば終わりだ。
(いや)
トリックは、観客席を見た。
マジカルは、心配そうにしながらも、しっかりとこちらを見ている。
その目には、期待よりも何よりも――
無事でいてほしい、という気持ちがあった。
(母さんに、安心してもらいたい)
(俺はちゃんと戦えるんだって)
トリックは、静かに笑った。
「……よし」
アリシアが眉をひそめる。
「何を笑っているの?」
「ちょっと、見せたいものがあるんだ」
トリックは両手を広げた。
「――最高傑作」
その言葉と同時に。
闘技場の四隅から、細い光が走った。
地面に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「魔法陣!?」
「すげーでけえぞおい!」
「どうなってるんだ!?」
光が一気に立ち上がった。
四本の柱。
その間を、無数の光の線が繋いでいく。
アリシアはすぐに危険を察知した。
「……させない!」
炎の槍を、全てトリックへ向ける。
数十本の炎が、空間を埋め尽くした。
逃げ場はない。
観客席から悲鳴が上がる。
しかし、トリックは動かなかった。
ただ、右手を軽く掲げる。
――瞬間。
トリックの姿が消えた。
炎の槍が地面を穿つ。
爆発。
煙。
轟音。
「トリック!?」
レオンが観客席から立ち上がる。
アリシアも目を見開いた。
(当たった……?)
だが。
「……ここだよ」
声がした。
アリシアの背後。
トリックが立っていた。
「なっ……!」
「僕の魔法は、まだ終わってない」
トリックが指を鳴らす。
パチン。
闘技場に浮かんでいた光の線が、一斉に動いた。
光が鏡のように反射し、トリックの姿を次々と映し出していく。
一人。
二人。
十人。
百人。
闘技場全体が、トリックで埋め尽くされた。
「……何よ、これ」
アリシアが息を呑む。
どの姿も本物に見える。
全てが別々に動き、別々の方向から歩いてくる。
「幻影……?」
「なんなのだあれは……!!!」
ルシアンが観客席で立ち上がった。
「どうなっているんだ!」
ルシアンが、初めて声を荒らげた。
「百人以上の分身なんて……!」
アリシアは杖を握りしめる。
「こんなもので、私を惑わせたつもり?」
炎が、彼女の周囲に集まる。
「全部まとめて吹き飛ばすまでよ!」
トリックは、無数の自分の中から一歩前へ出た。
「この舞台は、もう僕のものだから」
その言葉に、観客席が沸いた。
「すげえええええ!」
「何だあいつ!」
「まるで別人じゃないか!」
マジカルも、驚いたように目を見開いていた。
「……トリック」
いつも家では、遠慮がちに笑っている息子。
食事の量を気にして、母親に気を遣い、何かを頼む時も申し訳なさそうにする息子。
その息子が今、誰よりも堂々と舞台に立っている。
マジカルは胸の前で手を握った。
「頑張って……」
アリシアは、静かに息を吐いた。
「……分かったわ」
炎が消える。
トリックが少し驚く。
「え?」
「あなたの魔法を、全部焼き払うってのは野暮よね」
アリシアは杖を下ろさない。
「でも、諦めたわけじゃない」
「……!」
アリシアは目を閉じた。
炎ではなく、風が彼女の周囲に集まる。
空気の流れ。
熱の揺らぎ。
足音。
魔力の残滓。
彼女は一つずつ、情報を拾っていく。
「見つけてみせるわ、本物」
トリックの表情がわずかに固まる。
「……」
アリシアが目を開いた。
風が闘技場を駆け抜けた。
無数のトリックの姿が揺れる。
その中で、一人だけ。
ほんのわずかに、服の裾が揺れた。
「見つけた!」
アリシアが走る。
トリックは驚いた。
(まずい! 見つかった!)
アリシアの炎が、拳の形になって迫る。
トリックは咄嗟に身をひねった。
炎が肩を掠める。
熱で制服の一部が焦げた。
「……っ!」
「まだよ!」
アリシアは追撃する。
トリックは逃げる。
一歩。
二歩。
三歩。
アリシアの攻撃を、紙一重でかわしていく。
観客席は、二人の接近戦に息を呑んだ。
「トリックが避け続けてる!」
「すごい!押してるぞ!」
トリックはアリシアの杖を見た。
次の攻撃が来る。
右。
その次は左。
そして、風による加速。
(よし……読める)
(アリシアの魔法は、本当にすごい)
(だからこそ――)
トリックは、足元の小さな金属片を踏んだ。
カチッ。
アリシアの足元で、薄い煙が弾けた。
「……!」
一瞬、視界が白く染まる。
その隙に、トリックはアリシアの背後へ回り込んだ。
「――そこだ!」
指先が、アリシアの肩に触れる。
しかし。
「まだよ!」
アリシアは振り返りざま、炎を放った。
トリックは反射的に後ろへ跳ぶ。
炎が目の前を通り過ぎた。
アリシアは笑っていた。
「そう簡単には、終わらせない!」
トリックも笑う。
「そうこなくちゃ」
二人は再び距離を取った。
もう、観客席の誰も声を出していなかった。
ただ、目の前の戦いを見つめている。
炎と風。
光と幻影。
本物の魔法と、魔法に見える手品。
二人の力が、最後の一撃へ向けて集まっていく。
トリックは懐に残った最後の道具を握った。
(これで決める)
(頼む……ちゃんと動いてくれ……!)
アリシアも杖を両手で構えた。
「これで終わりにするわ!」
炎が巨大な渦となる。
風がそれを包み込み、炎の竜のような形へ変わっていく。
「――《紅蓮風竜》!」
轟音。
炎の竜が、トリックへ襲いかかった。
トリックは、正面からそれを見据えた。
そして――
笑った。
「――僕の勝ちだ」
トリックの姿が、突然沈む。
炎の竜が頭上を通過した。
次の瞬間。
トリックはアリシアの目の前に現れた。
「なっ……!」
トリックが、アリシアを場外へと落とす。
「チェックメイトだ」
審判が叫んだ。
「勝負あり!」
一瞬の静寂。
そして――
「勝者、トリック・ワイヤー!」
観客席が爆発したように沸き上がった。
「うおおおおおおおお!」
「また消えたぞ!」
「転移魔法だ!」
「凄すぎるだろあいつ!」
トリックは、ゆっくりと息を吐いた。
(……成功した)
(よかった……床の仕込み、ちゃんと開いた……)
(ちょっと反則気味だけどね……)
膝から力が抜けそうになる。
観客席を見た。
マジカルが立ち上がっている。
目には涙が浮かんでいた。
それでも、笑っている。
トリックは胸を張った。
「……母さん」
小さく呟く。
「僕、勝ったよ」
試合後。
アリシアは悔しそうにトリックを見つめていた。
「……負けたわ」
「うん」
「次は勝つ」
「絶対に」
「僕も、負けないよ」
アリシアは少しだけ目を逸らした。
「……その顔、ずるいわね」
「え?」
「何でもない!」
アリシアは早足でその場を去っていった。
トリックは首を傾げる。
その背後から、レオンが駆け寄ってきた。
「トリックー! お前かっこよすぎだろ!」
「特に最後のやつ、どうやったんだ!?」
「……秘密」
「またそれかよ!」
レオンが笑う。
少し離れた場所では、ルシアンが真剣な顔で会場を見つめていた。
「……目にも止まらぬ速さで高速移動」
「光の反射、視線誘導」
「煙による視界遮断」
「だが、それだけでは説明できない……」
ルシアンはノートに何かを書き続けている。
「やはり、トリック・ワイヤーの魔法には、未知の原理がある」
「何なんだ……一体」
「……勝てる気が、しない」
会場を出ると、入口の近くにマジカルが立っていた。
「母さん!」
トリックが駆け寄る。
「どうやって来たの?」
「学院から招待状をもらったのよ。魔法大会を見に来ませんか、って」
「そうだったんだ……」
「でも、来てよかったわ」
マジカルは、トリックの焦げた肩を見た。
「怪我はない?」
「大丈夫。ちょっと焦げただけだよ」
「無茶しすぎよ」
トリックは笑った。
「ちゃんと勝ったよ」
マジカルは、息子の頭にそっと手を置いた。
「ええ。見ていたわ」
その一言で、トリックの胸が熱くなった。
「……母さん」
「立派だったわ。とても堂々としていて……」
マジカルの声が少し震える。
「あなたが、あんなふうに戦えるだなんて知らなかった」
トリックは照れくさそうに笑う。
「母さんに見てもらえてよかった」
「うん」
マジカルは優しく頷いた。
「おめでとう、トリック」
その言葉を聞いた瞬間。
トリックは、今までで一番嬉しそうに笑った。
その様子を、少し離れた場所からアリシアが見ていた。
「……あんな顔もするのね」
アリシアは小さく呟く。
普段の自信なさげな顔とも。
試合中の堂々とした顔とも違う。
母親に褒められた子供の、素直な笑顔。
アリシアはなぜか、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「……次は、私が勝つんだから」
そう言いながら。
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
好評だったら更新早めます




