04 魔術士~三つのカタ
「でも、18:00なんていう時間の言いかたをする人が、母の他にもいたんですね」
ルハスが跳ねるように通りを歩いている。
隣には、じゃっかん汚れの目立つ服装をしたカルスがいた。
昼食にはまだ早い時間だが、通りは人であふれ、にぎやかである。
「それはルハスの母親が魔術士である証だな。魔術士はいろいろなものに数字をあてはめることで、合理的にすることを好む傾向がある。魔術士で花や宝石なんかで暦や時間を表す人はめったにいない。いたら変わり者だな」
ちなみカルスの師匠は、数字を使わない変わり者である。
師匠曰く「数字も抽象化した概念ではありませんか」ということだ。言われた当時、カルスは師匠の言った意味が理解できなかったが、最近になって少し分かってきた。だが、それだと師匠の言葉が正しいと認めるも同然なので、内心で葛藤しているという事実は誰にも教えていない秘密である。
「へえ、そうなんですか」
「ま、現実主義者なんだ。便利なものなら仕組みがわからなくとも利用する」
「え、何ですか、それ? なんか頭が悪そうですよ」
「仕方ない。それが現実だ。何しろ魔術士が魔術士たるゆえんの魔術だって、俺たちは何も分かっていないに等しいんだからな」
知ったような口をききながら、カルスは自身をおかしく思った。これは、まんま師匠の受け入りである。
おそらく、昨今多くの者が利用するようになったスクールでは、このような教え方はしないだろう。
師匠個人の主観の入った考え方を教えているとも言えるし、綺麗ごとではない現実を語っているようにも聞こえる。
これは師弟制度故の弊害か、それとも利点だろうか。
「それは嘘でしょう。僕を騙そうとしてますね。なんで何も分からないのに魔術が使えるんですか」
「使用方法は分かっても、それ自体がどう言ったものなのかは解き明かされていないってことだ。まあ、こんな話はいいよ」
「いえ、よくありません」
「追及姿勢ってのは魔術士に必要な要素の一つだけど、こだわらないというのも魔術士に必要な要素だ」
「何なんですか、それ! まったく逆のことを言ってるじゃないですか」
「魔術士の存在なんて、矛盾の塊だ。まあ、人間自体が矛盾の塊だけどな」
「哲学ですか! それは哲学なんですか!」
「そんなわけあるか。俺たち魔術士は、哲学者でもなければ、学者でもない。研究者っていう側面がないわけじゃないが、それも違う。ただの実践者なんだよ」
「何ですか、それ。師匠、自分に酔ってるんじゃないですか。気持ち悪いですよ」
「真面目に答えてやったら、おまえは」
カルスはとりあえずちょうどいい高さにあった少年の頭をぎりぎりと握りしめた。
「ぐ――ぐぬぬぬ、ぐああああああああ、痛ああああああい」
騒ぎだしたので、カルスはルハスの頭を離して、さっさと歩いていく。
「ちょ、そこで何事もなく歩きますか! 衆目を集めてもだえ苦しむ弟子を見捨てますか」
ルハスがすぐに駆けよってきた。
魔術士協会にいる時から、何となく感じてはいたのだが、見かけによらずルハスは頑丈であるらしい。
「確かに注目を集めているな」
「師匠が悪いんですからね」
「おまえの魔術士ですよっていう主張が問題じゃないか? その格好と俺のことを師匠って大声で呼んでるからな」
自分で言っておきながら、それだけじゃないだろうな、とカルスは思う。
ルハスは中性的な顔立ちをした線の細い少年だ。絵画に描かれるような金髪碧眼の美少年のような趣がある。
女性の視線と一部の男性の視線が集まるのも分からないではない。
「ああ、そういえばこの町じゃ、魔術士はマイナスイメージでしたね。でも、その割に、悪意みたいなものは感じませんね」
「冷静な人ばかりで良かったな」
「ええ、昔から僕は運がいいんです」
自信満々にルハスが頷く。
「そうかよ。じゃ、試験を始めるぞ」
「え、こんなところでですか? 危なくないですか?」
「大丈夫だ。ただの口頭質問だからな」
「僕が質問するんですか?」
「んなわけあるか」
「ですよね。今さら師匠が僕の師匠にふさわしいかどうかを試験しても仕方ありませんよ」
「おまえは、何でそんな根本的な間違いができるんだろうな。俺には不思議だよ」
「母が言ってました。世界は不思議に溢れている。だから、私は旅をするって」
「あ、そう」
何となく頭痛がしてきそうで、カルスはこめかみを押さえた。
「大丈夫ですか、師匠」
ルハスがのぞきこんでくる。
「おまえのおかげでな」
「それは良かったですね」
「会話って難しいな」
「頑張りましょう、師匠。大丈夫ですよ」
「ああ、もういいや。とりあえず、始めるぞ。ルハスは、攻撃型、守備型、付与型のどれだ?」
「何ですか、その攻撃型、守備型、父母型って」
本気でルハスは不思議がっている。
知らないということだろう。
「父母じゃなく、『付与』型な。母親に習って魔術は使えるんだよな」
「はい」
「――それで知らないってことは、ルハスの母親も師弟制度だな。しかもコテコテの」
「さっきのスクールがどうこうってやつですか?」
「ああ、でもスクールの話はおいておくぞ」
「魔術士はこだわらないですね。分かっています」
必死に好奇心を抑えているようだ。
スクールなんてただの魔術士学校なのでたいした話ではないのだが、まあ、いいだろう。
「結界は張れるな」
「はい」
「攻撃呪文は何か持ってるか」
「恥ずかしながら一つだけ」
「充分だろ。で、身体強化はできるのか?」
「それは才能があまりないって、母に言われました」
「今言った三つの中で、もっとも得意なのはどれだ?」
「ああ、身体強化が付与型なんですね」と質問とは違う発言をした後に、ルハスは答えた。「感覚的には結界ですかね」
「最低限のラインはクリアしたか」
「結界が張れないとダメなんですか。僕天才だから、結界が張れなくても、何とかなると思いますけど」
「知らねーよ。後は、その天才ってやつを見せてもらって試験は終了だ」
「実技ですね。どこでやるんですか」
きらきらと目を輝かせながら、ルハスが訊いてくる。
「どこも何も、領主の屋敷だよ。庭をかしてもらってやる。おまえの考えている実技がどんなものかは知らないが、簡単なやつだから、すぐに終わるし危険もない」
「すぐに終わって、危険がないんですか?」ルハスが残念な声をあげた。「魔術って危険なものだと思うんですけど」
「物騒なやつが使えば魔術も危険なものになるよ」
「ああ、確かに物騒な人間には使ってほしくないですね」
「ああ、そうだな。危険な魔術が使いたいって考えているやつには使わせたくないね」
「分かります。僕も師匠と同意見です」
ルハスは神妙な顔をしている。
カルスは顔をしかめた。
「人に迷惑をかける人間にもいろんな種類がいるんだな」
「?」ルハスが小首をかしげた。
町の北部は高級住宅街がひろがっていた。
高級住宅街に走っている道は、歩く人間も住宅街に関係している人間にかぎられるためか、人通りが少ない。
先へ進むごとに屋敷と敷地の規模が大きくなり、門前に武装した男が立つようになってきた。
おそらくルハスの喋り声がうるさいからだろう。警備兵が睨みつけてくる。
そんな警備兵に対して、ルハスがいちいち一礼し「お勤めご苦労様です」などと声をかけた後に、ひらひらと手を振るのは、本人としては決して挑発しているわけではなく、本気でやっている自然な行動なのだろう。
もちろん、その程度のことで警備兵が剣を片手に追いかけてくるということはないが、ルハスのいらない行動のたびに、カルスは怒気のこもりまくった視線を受けとめる役目を果たしていた。
謂れのない敵意を一身に浴びながら、二人は軽い上り坂を歩いて、ついに領主の屋敷へとたどりついた。
おそらく元は小高い丘であっただろう場所に立てられた領主の屋敷は、この町で一番大きく、もっとも高いところにある建物だった。
門前で、威圧することを職務と考えているとしか思えない警備兵に用件を伝えると、警備兵は強面の顔をさらなる強面へと変化させた。
領主の屋敷に勤務しているだけあって、「お嬢さま」を守れなかった魔術士に対して良い印象を持っていないようだ。
作り物めいたというか、作り物でしか表現できないだろう、人間を超えた強面となった警備兵とルハスがまったくかみ合わない会話を交わしているところに、執事の服装をした老人が近寄ってきた。
「何かご用ですか」
細身の老人は、背筋がピンと伸び、その口調からもまったく老いを感じさせない。
カルスに投じている控え目な視線にも力があった。
「こちらに魔術士協会の支部長――が訪ねていると思いますが、彼の仕事を助力するために訪れました」
カルスは一瞬支部長の名前を思い出そうとして、記憶を探ったが、彼の名簿に支部長の名はなかった。テリアから名前を訊いていないのだ。
支部長の名前など当たり前すぎて言うのを忘れたのか、わざと教えないということはないだろうが、いずれにしても間抜けすぎた。
間抜けすぎたが支部長でここは押し切ろう。
「スレイ様ですか。確かに屋敷におります」
あっさりと支部長の名が判明した。
「これが魔術士協会からの紹介状です」
門ごし――門は鉄の柵でできているので隙間がある――に、老人が紹介状を受けとった。
老人が封筒を確認する。サインやもしくは封筒そのものに魔術士協会を示す何かがあったのか、老人は小さく頷き屋敷へ入ることの許可をだした。
「お入りください。ただし、正式な許可は主人の承諾がなければ許されません。なので、一度待合室でお待ちになっていただきます」
「分かりました」
老人が二人の警備兵に頷くと、警備兵が門に手をかけた。
カルスの背丈など軽く越える高さと重さを誇る門は、音を立ててゆっくりと開いていく。完全に開ききると、カルスは老人の合図に応じて敷地へと踏み込んだ。
「おい、ルハス行くぞ」
門が開いただけなのに、ルハスが呆けていた。珍しいのは分かるが、そんなたいしたものではないだろうに、いちいち新鮮な対応をとる少年だ。
「あ、はい。行きます」
ルハスが勢い込んで敷地へと足を踏みだした。
何が楽しいのか少年は瞳をきらきらとさせ、顔を紅潮させていた。




