03 一週間前の事件~ちょっとニオウな
テリアから聞かされた事件自体は珍しい話ではなかった。
ダルロを治めている領主イースファ侯の娘クリスティナが魍魎に魅入られてしまった。
そこで解決を求めて、イースファ侯は魔術士協会に依頼をした。
イースファ侯としてまさにこのような時のために魔術士協会を優遇していたのだ。ここで働いてもらわねば意味がなかった。
むろん、魔術士協会もそのことは承知している。
ダルロ支部最強の布陣で魍魎に挑んだのだった。
だが、今回の魍魎は強力だった。魔術士たちは敗北してしまったのである。
三人の魔術士の内二人が重傷を負い、一人も傷を負った。
すぐに報せは魔術士協会本部へともたらさせ、強力な魔術士が派遣されることに普通はなるのだが、タイミングが悪く、ちょうど強力な魔術士が出払っていたのだ。周辺の都市――大都市の強力な魔術士はこれも運悪くつかまらなかった――にはダルロの魔術士と同等の力量の者はいても、より強力な魔術士はいなかった。
結局魔術士の派遣は遅れることになる。最速でも一カ月はかかるという結果だった。
これは完全に魔術士協会側の失態であり、魔術士協会側の都合による遅延だ。当然、依頼主であるイースファ侯は激怒した。
ここから状況は混沌へとひた走っていく。
そして、彼は後先考えない行動に出た。
魔術士協会へ移設するように通達したのである。
確かに領主であるイースファ侯と魔術士協会支部との力関係は、イースファ侯に軍配があがる。
だが、これがイースファ侯と魔術士協会全体となれば話は変わる。地方の一貴族が一人で対抗できるほど魔術士協会の規模と力は弱くはなかった。
当然、魔術士協会で働く者はそれを知っている。支部長であれば絶対に知っている。だから支部長はこの通達をはねのけることができたはずだ。
もちろんおおっぴらに拒否はできずとも、先の戦いで負傷者しかおらず今すぐに移設することはお許しいただきたいとでも言い訳をすれば良いのだ。
あるいはイースファ侯も本気で移設などできるとは考えていなかったかもしれない――実際、一週間が経った後も元の魔術士協会は立ち入り禁止区域に指定されているだけで売買などはされていない――、単に怒りを抑えきれずに腹いせで言っただけというのが本当のところではないか。
だが、ダルロの魔術士協会の支部長は、真面目であった。また、誠実であった。
彼は領主の言葉をすべて受け入れ、魔術士協会の移設を決定した。そして、自分は今も姫の傍につき魍魎との戦いを継続しようとしている。三人の内で軽傷だったのが、この協会支部長だったのだ。
「なるほどなるほど、そして、お姫様は性格も良く民に人気があったために、この町ではそのお姫様を救えなかった魔術士へのあたりが強くなっているってことなんですか。いやあ、それは仕方ないですね。師匠」
いつの間にか隣に座っていたルハスが、カルスに同意を求めてきた。
「確かに手加減したけど、すぐにぴんぴんになるほどじゃなかったはずだが……」
「師匠、師匠、そんなことどうでもいいですよ。師匠はこれからその魍魎を倒しに行くんでしょう? 僕は魍魎をまだ見たことがないんでとても楽しみです」
「何でそんな話になるんだ!」
「え、ならないんですか?」
不思議そうにルハスがカルスを見てくる。
その間抜け面をさらした鼻をつまんでひねってやろかと、本気で実行しそうになったがカルスは自重した。
「考え中だ」
「考え中ですか。でもテリアさん、心配しなくても大丈夫ですから。師匠と時間を重ねてきた僕は、師匠がこの依頼を引き受けることを確信しています」
「おまえとはさっき会ったばかりだけどな」
「時間は関係ありません」
「自分の言葉に責任を持てよ。で、テリアさん、魍魎について詳しく教えてくれませんか?」
「本気でやるつもり?」
驚いているような怒っているような複雑な表情である。ふわっとした外見をしているが、テリアはあんがい怒ると怖いタイプなのかもしれない。
「まあ、時間稼ぎくらいはしますよ。支部長も結界の維持を行っているんでしょう?」
「ああ、そういうことか。でも、しんどいわよ」
いつしかテリアの口調はやや崩れたものになっていた。眠たげな空気は霧散し、落ち着いた物腰だけが残っている。
「魍魎痕がすでに強く浮き出ているんですね」
「そう。嘗めているわけではなくて、魍魎のことを分かっているみたいね。分かった。今回の魍魎の情報をあなたに教えることにしましょう」
「お願いします」
どうやらテリアは、実力も知識もないぺえぺえ魔術士が正義感のみで魍魎と戦おうとしていると考え、怒っていたようだ。
しかし、そうするとなぜルハスが魔術士協会のことを訊いた時に話したそうにしたのだろうか。
単に暇つぶしだったとか? ――一番ありそうなところだ。
「はい。この報告書をどうぞ。魔術士協会本部へ送った情報と同じものよ」
一度奥にあるドアに下がって、テリアは書類を持って戻ってきた。
カルスは書類を読みながらテリアに質問する。
「それにしても、領主の娘という人はそんなに人気があったんですか?」
「ええ、あったじゃなくて、今もあるわ。どうしてそんなことを訊くの?」
「さっきここの前で宿屋のおじさんみたいな人から、魔術士は詐欺師だみたいな言葉をもらったんで、よほど熱狂的なのかなと思いまして」
「ああ、それはドイルさんね。あの人、昔魔術士に酷い目にあったみたいで、この辺一帯でも有名な魔術士嫌いの人よ。普通はそんなことはしないから。まあ、ひどい人もいるでしょうけど、たいていは早く姫様を救ってやってあげて、とかかしら」
「ああ、ピンポイントで魔術士嫌いを引き当てたのか」
「でも、あの人、良い人だから大目に見てあげて」
「ああ、でしょうね。俺が魔術士だと分かるまでは、そんな感じでした。いったい、どんな魔術士だったんでしょうね。迷惑な話だ」
「――確かねぇ、とても美形で丁寧な言葉づかいの――」
「あ、その話はもういいです」
カルスは書類を読み終えていたので、聞きたくない話を遮断することにした。
「早いのね。しかも、話しながらなんて」
「そうですか?」
と言いつつ、自分が速読であることをカルスは自覚していた。必要なので身についた特技だった。
隣ではルハスが書類を熱心に読んでいる。どうやらこの少年も字を読んでいる間は静かなようだ。
「感想は?」
「そうですねえ」
「領主の屋敷に行く気がなくなったでしょう? いいのよ。うまくいけば、数日中にも強い魔術士が来られるかもしれないって伝達も届いているから」
「なるほど、だからまったく慌てていないんですね」
「そう。下手にあなたたちみたいな若い人たちを巻きこんだら、大惨事になりかねない」
「それでその強力な魔術士って誰なんです?」
「さあ、それがよく分からないの。強力な魔術士だけど、魔術士協会とは疎遠な人らしいから。あんがい、あなたの師匠なのかもね。一つ依頼が入っているらしいけど、すぐに終えるという話しみたいだし。というか、本当にあなたの師匠はあのヴィル・ティシウスなの?」
「残念ながらそうです」きっぱりと言い、すぐに話題を転換する。「それと領主の屋敷がどこにあるか教えてくれますか」
「――行くつもりなの?」
「少しは結界を張るのに役に立ちますよ。さすがに魔力がもたないので何日間も維持することはできませんが、支部長の休憩時間くらいは稼ぎます。たとえ魔道具を使用しているとしても、ずっと一人ではもたないでしょう」
「支部長はね。あの人は何というか、異常に頑健なのと言っても伝わらないでしょうけど。それにね、いくら結界の手伝いだけとはいえ、相手は魍魎よ? 何が起こるか分からない。それをあなたは本当に分かっている?」
「はしくれとはいれ、俺も魔術士ですからね」
「そうね。師匠の下にいる魔術士なら危険の認識は大丈夫なはずね」
「スクールはダメですか?」
「私はあまり信用できない」
「協会員としては問題発言では?」
「あなたが告げ口しなければ問題にはならないわ」
「じゃあ、領主の屋敷を教えてください」
若い魔術士と女魔術士が視線をぶつける。
そこにさらに若い声が久しぶりに加わった。
「大丈夫ですよ。内の師匠の腕なら保証します。テリアさんよりも強いですし、たぶん、支部長って人よりも強いと思いますよ。はい、これどうもありがとうございます」
ルハスがとんとんと書類をまとめると、テリアへと手渡した。
やや困惑の空気を漂わせながら、テリアは受けとった書類と満面笑みのルハスの顔、そしてカルスへ視線を何度か投げて、諦めたように言った。
「弟子からとても信頼されているのね、若いのに。ああ、それとも見た目どおりの年齢じゃないのかしら?」
「何歳に見えているのか分かりませんが、十九歳です」
「十九歳で支部長よりも強い魔術士というのが本当なら、カルス君は天才ね」
「そこは、ルハスの妄言なんで聞き流してください」
「領主様の屋敷は教えるし、紹介状も書くけど、本当に無理だけはしないでね」
「スクール上がりの秀才じゃないんで、その辺は信頼してください」
「あなたもスクール上がりを信じていないんじゃない」
テリアが小さく笑った。
この後、領主の屋敷のある場所を教えてもらい――教えてもらわなくても分かるくらいに目立つ建物らしい。
領主と支部長への紹介状を受けとってから、カルスとルハスが魔術士協会を後にしようとしたところで、最後にテリアが言った。
「ルハス君、今日の夜うちに泊まりに来なさい」
「え? それはいったい? どういったお誘いなんでしょうか?」
「お誘いも何も、あなたルイーザの子供でしょう? 聞いてないの? あなたが見えたから、受付に出てきたんだけど」
「ああ、そうかあ。テリアさんが母の知りあいだったんですか」
「私の名前を教えてなかったのね」
「ええ、まあ」ルハスが恥ずかしそうにぽりぽりと頭をかいた。「母は、まあ、ああいう人なんで」
「食事も用意しておくから」
「それは師匠に訊かないと」
「もちろん、カルス君も食事まではいいわよ」
テリアが小さく肩をすくめた。
カルスを警戒しているからというより、カルスを成人男性として尊重してくれているのだろう。
「だそうです。どうしますか、師匠?」
「ルハスをお願いします。待ち合わせは協会でいいですか?」
「ええ、そうね。18:00までにお願いできる?」
「分かりました」
カルスとテリアが約束を交わすと、反対の声があがった。
「いやいや、僕のことをかってに決めないでください。僕は師匠と時間を共にしますよ」
「母親の知人なんだ。お世話になっとけ」
「僕にとって魔術士としての最初の仕事なんです。最後まできちんとやります」
「いや、これはルハスじゃなくて、俺への依頼な。新米魔術士がいきなり魍魎の仕事を受けられるわけがないだろう」
「何を訳の分からないことを言っているんです! シンマイって何ですか!」
「どこについて怒っているんだか。ちなみに、新米っての俺が好きな食べ物のことだ」
「意味が分かりません」
「はいはい、分かったから。で、師匠はどうするの?」
ルハスの顔を抑えるように手を伸ばして、テリアが割って入ってきた。
「面倒くさいんで、あっちで様子を見ます。18:00までに来なかったら帰ってください。明日、改めて訪ねますから」
「そう、分かった。できれば、今日の内に戻ってきてほしいけどね」
「俺もそっちのほうがいいですけどね」
「何ですか。大人同士の密談ですか! 僕は退きませんよ」
ルハスが力説する。
「別に退かなくていいよ。試験をするから、ほら、行くぞ。それじゃ、テリアさん」
「ええ、気をつけて」
「テリアさん、明日ご馳走になりに行きます」
「ご馳走を用意する気はないけどね」
「何ですか、そのがっかりな返しは――でも、僕は期待していますから!」
他称師匠と、自称弟子の二人をテリアは小さく手を振って見送ったのだった。
彼女の中には、じゃっかんの心配があった。カルスは無理をするような若者に見えなかったし、実力もあるように見えた。
魔術士らしくできる範囲のことしかしないと信じているが、物事には絶対はないということを、テリアも魔術士らしく冷静に認識している。
でも、まあ、二人なら大丈夫だろう、と楽観主義者らしくテリアは最後にそう思った。
「あ、支部長の名前、教えるの忘れてた……」テリアは少しだけ考えた「まあ、紹介状があるから大丈夫か」
結論を出すと、彼女は仕事に戻った。
受付の席に座ると、十を数えることなく、小さく船をこぎだしたのだった。




