05 試練3~ショウリの後は
セラフィアとレナは、城内のある一室で魔獣のふわふわの毛に包まれて、幸せな気分にひたっていた。
このような気分にひたれるということは、つまり、二人は囚われてなどいなかった。むしろ、今までになく快適な環境で過ごしている。
広い一室には高級絨毯が敷かれていて、また、壁は薄い水色で、天井には二つの大きなシャンデリアがあった。
城の主は真ん中に置かれたソファーに身体をうずめ、足を組んで座っている。彼女の正面には巨大な画面があり、そこにはセラフィアの旅仲間であるカルスが映っていた。
主――メッサミリアは、今日は一日中興奮しっぱなしである。
画面に向かって大声で話しかけたり、笑ったりと大忙しだった。
セラフィアとレナも画面を見ていた。
最初はルハスが酷い目にあうというイベントが満載だった。レナもふっと息を吐くように笑って、ルハスをちょっとバカにしていたのだが、途中から目が真剣になっていた。
強くなっていく少年から目が離せなくなったのだろう。
しかし、ルハスは魔術の才もあるのだろうが、それよりも身体能力が高い。剣士になったほうがよかったのではないか。
何かしら英才教育を受けていたのだろうか、とセラフィアは疑った。それほどルハスの動きと体力は常軌を逸していた。
「魔術士にとって重要なのは、魔術の才」
と、自分に言い聞かせるようにレナが言っていた。
身体能力の高さというか、戦闘の動きの良さは、少年の師匠カルスもそなえていた。
この二人を見ると、セラフィアは魔術士に対する認識を改めざるを得なかった。
魔術士とは魔術だけでなく体術でも化け物揃いなのだろうか。
「メッサミリアさん」
セラフィアは呼びかける。
「ん、なんじゃ、今あの小生意気なカルスが苦戦しておって、なかなか楽しいところなのじゃ」
画面に視線をあてたまま、メッサミリアがセラフィアに答えた。
「魔術士ってみんなあんなに動けるものなんですか?」
「いや、そんなことはないのじゃ。普通の魔術士ならば動けるやつは、二、三割もいない――あんなふうに魔術を放ちながらとなると、かなり珍しいのじゃ。たいてい動ける魔術士は肉体強化に魔術を使用するだけなのじゃ」
「じゃあ、あれは魔術士の一般的な戦い方ではないということですか」
「そうじゃ。ヴィル・ティシウスの悪影響じゃ。やつは、何でもできるから、当たり前のように魔術以外の方法も戦いにくわえる」
「メッサミリアさんでもできないんですか?」
セラフィアの言葉に反応して、ちらりとメッサミリアが振り返る。
「カルス程度でよいのなら、可能じゃ。だが、わらわと同レベルの魔術士や剣士を相手にというのなら、無理じゃ」
「剣士で【五大魔術士】と互角に戦える人間がいるのですか!」
名のある剣士は当然いる。
だが、セラフィアはカルスと行動を共にすることで、剣士が魔術士に勝利することは無理なのではないか、と考えるようになっていた。
「互角かは知らぬが、まあなかなか戦えるやつはおるのじゃ。カルスくらいなら倒せる剣士がおるじゃろ。まあ、それなりの武器がなければ難しかろうが」
「剣士でもいけるんですね!」
「カルスのレベルなら充分可能じゃ」
メッサミリアが笑って言う。
セラフィアは両手を握りしめ、拳をつくる。身体の内から力がわいてきていた。自分はまだまだ強くなれるのだ。
視界の端で画面に映っているカルスが吹っ飛ばされていたような気がしたが、あの男ならそれくらい大丈夫だ。問題ない。
セラフィアはこれからのことを思い、決意を新たにしたのだった。
飛竜の牙を避けたものの、おそらく風の魔術がかすめたカルスは、壁に吹っ飛ばされた。
壁を蹴って、カルスは床へと着地した。
巨体の飛竜が暴れているのに、床も壁も傷一つない。魔道具を使い、強化の付与魔術を長時間託せるようにしているのかもしれない。
スクールの訓練場や、王都などにある大規模な大会を開く闘技場ならば、準備されているだろうが、何とも贅沢な魔道具と魔術の使用の仕方だ。
しかし、まあ、カルスはそんなことに感心している暇はなかった。
奥の間にいるルハスが最初は騒いでいたもののじょじょに声をなくしていったことから、カルスが危険にあると外から観察されるということが分かる。
自身の評価でも、容易な状況ではないという判断だ。
まず、二頭いること。身体が大きいこと。この二点が物理的に問題だ。
そして、魔術でダメージを与えられていないことも問題だ。だが、この問題はもう少し厳密に考える必要があった。
正確に言えば魔術を飛竜の肉体に当てることができていないのだ。飛竜は竜の息吹で魔術を打ち消すか、避けるか、しているのである。
当てればチャンスがおおいにあるのではないか、と考えられるが、巨体を使った物理攻撃と二頭いるという事情が、カルスに複雑な攻撃をする余地を与えなかった。
だからといって、単純な攻撃では簡単に見極められてしまう。
完全詠唱で最大威力の魔術をぶっぱなすという方法もあるのだが、詠唱を許すほどの時間を飛竜が与えてくれるとは思えない。今のところ、そういった優しさは見られなかった。
カルスは動き回る。
何とか二頭の飛竜を動きで幻惑できないか、と肉体強化の付与魔術を唱え、スピードをあげていた。
しかし、この二頭の飛竜は慎ましいというか、争うように攻撃をしてこないのである。
互いに互いの領分をしっかりと守っている。
このような分別があるからには野生じゃないことは確かである。
メッサミリアに教育、いや調教されたに違いない。
飛竜の大きな口が閉じる様を時に間近で見ながら、牙の重なる音をバッググランウドとして楽しみ、しなる尾によって生じた風圧を身体全体に感じたり、正面に吐きだされた炎の塊を防護結界から眺める、などなかなかスリリングな思いを強制的に味わわされたカルスは、あることを思いついた。
カルスは中央に追いつめられた。挟み撃ちの格好になっている。
彼はしゃがみこみ、床に手と膝をついていた。
二頭の飛竜が同時に視界に収められるようにカルスは身体のむきを調整している。
五秒ほど動きがほとんどなかった。
どうやら中央であるために、二頭の飛竜も攻撃をどう行うか躊躇したらしい。
カルスとしてはそれを利用しない手はない。
「光よ、砕け」
一方の飛竜に五つの光球を放った。
当然のように飛竜は竜の息吹を放射した。
「防げ、八重の鎧」
光が一瞬浮かび、幾重もの無形の防御壁がカルスをドーム状に包み込む。
そして、カルスは竜の息吹に向かって走った。
防ぎきれない炎の熱さが防護結界に浸透してくる。
だが、かまわない。最初から覚悟していたカルスは無事炎から脱けだした。
正面から口を開けた飛竜が、牙で噛み砕かんと迫ってくる。
カルスは走る速度を最大限にあげた。
背後からバチンと金属がぶつかる音が聞こえる。
駆けぬけたカルスは振りかえった。
手前にいる飛竜が振り返り、後ろにいる飛竜ものしのしと近寄ってくる――その時だった。
飛竜の足元で魔術が炸裂した。カルスが付与魔術で罠をはっていたのだ。
闇がいっきに広がり、二頭の飛竜を包み込む。
この闇に包まれればまったく周りが見えなくなるのだ。
といっても、その範囲はこの巨大な部屋すべてに及ぶものではない。飛竜が少し移動すれば、すぐにぬけられるものだ。さらに、効果時間も十数秒と短かった。術士本人も闇の中では視界が閉ざされるという、あまり利便性の高くない魔術である。
おそらく、カルスが魔術を放った瞬間を見ていれば、この初級レベルの闇魔術など、まったく飛竜に気にしなかったに違いない。
だが、思いもよらぬところから奇襲であったことが、二頭の飛竜を数秒だが混乱させた。
その数秒の内にカルスは呪文を唱えながら、移動した。
いつもの短縮された詠唱ではない。
正式な呪文である故に、彼の口は「力ある言葉」を紡ぎつづける。それは、まるで吟遊詩人が吟じる歌のように美しい旋律をともなっていた。
闇から脱けだすことに成功した二頭の飛竜がカルスを捜している。だが、カルスはすでに二頭がいるのとは逆方向に移動していた。
二頭の飛竜もカルスがいないことを察してすぐに振り返る。効果の消滅しつつある闇に躊躇なく突入して、逆側へと姿を現した。
正面には奥の間があるのみ――そこにいるのは、魔獣とルハスだ。
きょろきょろと頭を動かすがカルスを発見できない。
だが、一頭がついにカルスを見つけた。闇の途切れるちょうど切れ目に魔術士はいたのだ。
壁を背にするようにして、カルスは立っていた。
カルスは両手で小さな三角形を作るようにしている。
淡光を放つ魔法陣が次々と浮かびあがった。力ある言葉によって、魔力が巨大なエネルギーと化してこの世に現出しようとしている。
カルスの蒼黒髪が舞いあがり、服がはためく。余剰となって漏れだす力が彼の周囲に魔術の網となって張りめぐらされた。
詠唱を完成させる最後の言葉をカルスは放つ。
「大いなる息吹よ、天剣となれ」
白光が一瞬にして一頭の飛竜を突き抜けた。避ける暇などない。魔術はそこで終わりではなかった。巨大な白光が遅れて現出し、すべてを呑みこむように巨大な光となって飛竜に直進した。
それは最初に現れた光とまったく同じ軌道をとり、飛竜は何もできずに白光に包まれたのだった。
光がすべてを支配した。
光が収束すると、一頭の飛竜の胴体には巨大な穴があいていた。全身は火傷を負ったように肌の色が変わり、空間を揺らめかしながら煙がたゆたっている。
「このバカ者おおおおお!」
近くで女の声が聞こえ、カルスの側頭部に衝撃が撃ちこまれた。
力を逃がすことに成功したカルスは、横へと身体を投げ出し、倒れこんだ。
すぐに立ちあがろうとするが、身体が言うことをきかない。仕方なく、周囲に視線を飛ばした。
もう一頭残った飛竜は攻撃する素振りを見せていない。瀕死の状態となった相棒を心配するように見つめている。
瀕死の飛竜の傍には、純白の髪をした女性が光を放ちながらつきそっていた。
攻撃を受けた瞬間に分かっていたことだが、やはりメッサミリアであった。
彼女はどうやら飛竜に治癒を行っているらしい。今や光はメッサミリアのみならず飛竜の身体全体に及んでいる。
まるで時が凄まじい勢いで巻き戻って行くかのように、負傷した飛竜の傷がみるみるうちに回復していった。
さすがに巨大な穴はそう簡単には治らないらしく、時間がかかっている。
光の強さが治癒力に直結しているのかは分からないが、治癒魔術が結集しているメッサミリアの掌は黄金色に輝いていた。
カルスは飛竜に近づいていった。
彼が一歩歩くたびに、飛竜に開いた穴は一回り小さくなっていく。カルスが飛竜の傍にたどりつく頃には、その穴は大ケガですまされるほどの大きさになっていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけあるか! こやつが強い飛竜でなければ、さっきの一撃で消し飛んでおったのじゃ。そなたは反省するのじゃ」
会話をしながらも治癒の術は継続され、飛竜に穿たれた穴は、元からなかったかのように存在をなくしてしまった。
「だいたい非常識であろう、あのような魔術を室内でぶっぱなすなど」
「いちおう自分なりに呪文を改変して、威力を抑えたつもりだったんですけどね。なんか、思ってた以上に威力があって」
「思ってた以上に威力があって、てへ――で、許されると思っておるのか!」
完璧に治癒が終わったらしいメッサミリアから治癒の光が消えた。彼女は純白の髪をたなびかせて振り返ると、即座にカルスの顎に向かって拳を突きあげてきた。
カルスは顎と身体を引いて避ける。
「なんで避けるのじゃ、罰を受けるべきであろう」
「いや、確かに魔術の威力を誤ったというのは、魔術士として恥ずべきことですけど。そもそも、飛竜二頭を倒すのに、俺の力量で他にどういった手段があったというんですか?」
「なんじゃ、言い訳か?」
「言い訳じゃないですよ。ルハスの時と俺の時じゃ、あきらかにやってることが違いますよね、という話です」
「なんのことか、さっぱりじゃ。話を変えようとしても無駄なのじゃ」
「では、大魔術士メッサミリアに聞きますけど、短縮呪文では相手にまったく魔術がきかず、また、身体能力でも相手に大きく劣る状態で、どうやって、敵を倒すのですか?」
「そんなものは魔術で一発なのじゃ」
「そうでしょう。だから俺も一発の魔術で相手を倒すことを選択しました」
「じゃが、相手に無意味やたらと大きな負傷を負わせておるのじゃ。魔術士は必要な魔術を必要な時に行使するのが、最低限の条件なのじゃ」
「最低ではなく、最高の、でしょ」
「たいした違いはないのじゃ。もうよい、すでに問答の時間は終わりじゃ。わらわが直接そなたの相手をする。好きなだけ、好きな魔術を使うがよいのじゃ。わらわもそなたのやり方にあわせて、好きなだけ好きな魔術を使うのじゃ」
――めちゃくちゃだ、この女。
加虐的な笑みを浮かべた大魔術士がカルスの正面に立っていた。




