01 大魔術士ルハス~ハッタリにもなりはしない
実際のところ、自分はとても頑丈だ――カルスはそう思う。
どことも知れない森の上空へと強制的に転移され、そこから落下して、木の枝や葉によって、落下速度がゆるやかになったとはいえ、何とか地面へ着地を成功させ、しかも、擦り傷以外のケガはないのである。
頑丈としか言いようがないだろう。
いや、運がいいと言うべきだろうか。
後で、なぜ『浮遊』の付与魔術を使わなかったのか、と身もだえはしたが。
無駄に恐怖を味わってしまったではないか!
だが、それはともかく――。
「あのじじい、しばいてやる」
二人の間にどうしようもない実力差があるなど関係はない。
あのすかした顔に一発入れてやらなければ、この気持ちは鎮められない。
すべての怒りを師匠へ投じることを決定してから、カルスは周囲の確認へと入った。
見渡すかぎり緑ばかり。人の気配は絶無である。
木の実やら食べられる草やらで食いつなぎ、川を見つけることができれば、生きることは問題ないだろうが、なかなか貧しい食事事情になるだろう。
できれば、それは避けたい。
師と二人の暮らしで稼ぎがなく困窮している時も、魚や獣を捕まえて、麓の村に持っていき、食材をやる代わりに、料理を作ってもらったものである。
主に横に向かってダイナミックな体形をしたミランダおばさんがいなければ、この師弟はとっくに栄養不足に陥っていたことだろう。
それはともかく、とにかくこのままでまずい。
主に食べ物関係が絶望的だ。
だいたいカルスは綺麗な寝床と風呂が大好きなのだ。このような自然環境そのものの場所にはいたくない。
カルスは田舎派ではなく都会派の男だ。
というわけで、カルスは森からの脱出をはかることにした。
あの性悪な師匠のことだ。勝手知ったる山の中、ということは絶対ないだろう。実際、一瞬だけ見た空からの風景はまったく見覚えのないものだった。
歩いて、歩いて、歩きまくるより、脱出方法はないのだ。
カルスは歩き始めた。
こういった自然に溢れた土地を歩くのは得意だ。師匠が問題行動を起こすたびに、正規の道を通れなくなり、山越えをすることなどしょっちゅうだからだ。
よく指名手配にされないものだ。いや、カルスが知らないだけで、どこかの地域では指名手配されているかもしれない。
師のことを思い出し、腹を立てながら、カルスは森の中をずんずんと歩いていったのだった。
後にまた、彼は思いだす。「飛翔」の魔術を使えばよかった、と。そうすれば、ずいぶんと森の脱出の時間は短縮されたことだろう。
二日後、カルスは無事森から脱出した。
小さな村を発見し、村人から村の名を聞いたが、まったく聞き覚えがなかった。
国名とここから一番近い町の名前を教えてもらって、捕らえた獣と交換で食事をとると、すぐに村から出発した。
小さな村があまり余所者を歓迎しないことを彼は知っていた。すぐに出ていくと分かれば、村人からさほど無下にもされないので、そのことをさりげなく主張しつつ、食事をすると、彼は有言実行したのだった。
互いを尊重した気持ちの良い交流である。
そして、カルスは町にたどりついた。
ドンドール国東部にあるダルロというのが、その町であった。
ちなみにドンドールの都はガイロンという。
カルスが師と待ち合わせをしている都の名前は、ソール・ラント。
そう、国が違うのだ。
パール国王都ソール・ラント。
ドンドール国王都ガイロン。
これを知った時、カルロが師匠の顔に二撃目を入れることを決意したのは、べつだん不思議ではないだろう。
ちなみに、パール国とドンドール国は隣国である。
ドンドール国の西方にパール国はあった。
そして、カルスがいるのは、ドンドール国東部である。
大魔術士ヴィル・ティシウスの性格が分かろうというものだ。弟子であるカルスは、世の中に流れている師の悪評に対して実体験から大いに頷きたい。世界中の人々にその噂は正しいのだと積極的に触れ回りたくなった。
師匠に迷惑をかけられているのだから、弟子としても、師匠に対して迷惑をかけてもいいだろう。
カルスは名案を思いついた。それ実行するべく、町へと来たのである。
カルスは今、ダルロにある魔術士協会を訪れていた。
ダルロはたいして大きな町ではなかったが、魔術士協会があるくらいには栄えた町だった。魔術士協会の存在は、その町が一定の経済的発展を遂げていることを意味する。何しろ、魔術士への依頼というのは、一般的に金がかかるものだからだ。
魔術士協会も需要がなければ、協会など設置しない。というわけで、金を持ったお客さんがこの町にはそれなりにいることを意味した。
「しかし、なんでこんな場所に魔術士協会が……」
カルスはやけにみすぼらしい建物を見あげる。
町のはずれに魔術士協会はあった。本通りの裏、金のない旅人が宿泊するような安宿が建っている地域に魔術士協会が場違いな顔をして存在している。
こんなところでは客が来ないだろうに。
実際、門は人を拒絶するかのようにしっかりと閉じられていた。
「兄ちゃん、魔術士が珍しいのかもしれないが、あんな胡散臭いやつにかかわらないほうがいいぞ。騙されて金をとられるだけだ」
近くを歩いていた男が、魔術士協会の前で立ちつくカルスに声をかけてきた。
好意からの助言のつもりだろうが、魔術士であるカルスにすれば、侮辱であった。
まあ、だからといって、すぐに敵対するほど彼は子供ではない。
「はあ。でも、なんで、こんなところに魔術士協会の建物があるんですか?」
「なんでって、普通魔術士の建物なんか、町外れにあるものだろう。というか、あるべきだ。これが正しい姿だ。違うか? ああ、まあ、王都や大都市じゃ違うかもしれないけどな。なんだ、おまえ汚ねー格好をしているけど、ダインあたりから流れてきたのか」
ダインというのは大都市のことなのだろう、とカルスはあたりをつけた。そして、野菜を両腕に抱えているこの男は地元の人間なのだろうとも。
しかし、その前に――。
「俺の格好汚いですか?」
「何だ、自覚がなかったのか?」
「――いや、それはまあ」
と、何となくごまかす。
これは決して普段着が汚いわけではない。
森でサバイバルをしたから服が汚れただけなのだ。
カルスは自身にそう言い聞かせていた。あの師匠の下にお世話になるようになって、服装などにはまったく気を使わなくなっていた。どうせすぐに汚れるか破れるかするからだ。
師匠自身の身なりは綺麗なものである。
「もう少し私の弟子として恥ずかしくない格好をしてくれませんか、カルス」
などと嫌そうな顔をして言っていたが、まさか、師匠の言葉が正しいというのだろうか。
いや、そんなことはありえない。どんなことであろうと、あの師匠が正しいはずがない。
「その汚ねーなりだから、魔術士じゃないって分かったんだから、まあ、いいじゃねーか。ところで、おまえ宿はどこだ? 泊まるところが決まってないなら、俺のところに来たらいい。なに、安宿だ。金のなさそうなおまえさんにはちょうどいいだろうさ」
このおじさん、人相はあまりよろしくないが、人柄は良さそうだった。
というわけで、騙すのも申し訳ないのでカルスは正直に自分のことを語った。
「えっと、俺は魔術士なんですけど」
「何言ってやがる。つまらない冗談なんか言ってるんじゃねーよ。いいか、この町じゃ、そんな冗談はやめとけ。冗談にならないことがあるからな」
「忠告はありがたいんですけど、本当に俺は魔術士なんで」
「本当なのか?」
「はい」
しばらく男は沈黙した。
そして、
「けっ。魔術士かよ。この町に何の用があるのか知らねーが、さっさと出て行きな。ここはおまえたちみたいなやつがいる場所じゃねーんだ」
唾を吐き捨てて、男は一度も振り返ることなく去っていった。
驚くべき変わり身である。
あまりに驚きすぎて、カルスは何の反応もできなかった。
確かにパール国よりもドンドール国は魔術が盛んではないと聞いたことがある。だが、これほど強い差別があるとは、十九年生きてきて、カルスは一度として聞いたことがない。
国というよりは、この町で魔術士と住民の間で何かがあったということだろうか。
少ない材料で思考を進めながら、カルスは振りかえり、再び、魔術士協会の正門を視界に捉えた。
そこには十四、五歳くらいの少年が立っていた。
「頼もー。僕はルハス。大魔術士ルハス、いや正確には大魔術士になる予定のルハスだけど、それはおいておいて、説明を省略すれば一緒ということで、僕は大魔術士ルハスだ。魔術士協会は即座に開門することを願う」
ルハスは仁王立ちで呼びかけるが、魔術士協会は静まったまま反応がない。
「えっと、聞こえてますか? お留守でしょうか? 大魔術士とか調子に乗ったけど、僕は初心者ルハスです。魔術士希望です。まあ、将来的には大魔術士になりますけど――できれば、ドアを開けていただきたいのですが……先程の調子こいた発言をお怒りでしょうか? なら、父親直伝の今は失伝したと言われる最上の謝罪の証『ド・ゲ・ザ』をするので、許していただけないでしょうか」
金髪碧眼の中性的な顔立ちをした小柄な少年だ。身長が伸びるのはこれからといったところだろう。
深い緑色のローブで身体をおおい、右手に何かを持っている。ローブの膨らみから察するに、おそらく杖だろう。
後は短剣を帯びていれば、一般的な魔術士の格好と言える。
振り返ってカルスはどうかと言えば、ローブはなく、杖も持っていない。短剣こそ身につけているが、どこにでもあるような一品で、普通の人間でも護身のために持っていてもおかしくないものだった。
なるほど、魔術士と思われなくても仕方がないとカルスは思った。
「ちょっと、そこの人。これはいったいどういうことなんでしょうか? この僕がわざわざ訪ねてきたというのに、この態度。僕に恐れをなしているのでしょうか。僕が聞いてやるので、しゃきしゃき答えていただけますか。そこの一般人」
ルハスがカルスの傍へと寄ってきた。
「ルハスは謝ったり、居丈高になったり、何がしたいんだ?」
「な――なぜ、僕の名前を知っているんです。さては、あなたは高名な魔術士とお見受けします。その汚い姿もさては、世を忍ぶ仮の姿ですね。分かります。一見十代にも見えるその若い外見も世を欺くためのもの、実際は、数百歳なのでしょう? どうでしょうか、僕の師匠になっていただけませんか、師匠」
「いろいろと言いたことがあるが、例えば、名前はおまえが大声で言っていただろとか、おまえの変わり身の早さは何なのだとか、あるが、その前にしれっと俺のことを師匠と呼ぶな」
「なぜです!」ルハスが愕然とした表情をする。「この僕の師匠になれるなんて、涙ながらに感動すべきところでしょう」
「俺はおまえのことを知らないし、弟子をとれるような力量もない。そもそも俺はまだ弟子の身分だ」
「では、僕の弟子になりますか?」
瞳を輝かせてルハスが言う。
おそらく本気で言っているのだろう。
「うん、あれだな。おまえはアホウというやつなんだろうな」
「師匠、先程からおまえ、おまえと言っていますが、最初に呼んだようにルハスと呼んでいただけないでしょうか。僕は自分の名前が殊の外気にいっているのです」
「俺はおまえの師匠じゃない」
「しかし、それは無理というものです。いいですか、僕は両親の遺言で、魔術士協会を訪れた時に最初に会った魔術士を師匠としなさいと言われているのです。それを反故になどできないでしょう」
「遺言? 二人とも亡くなったのか?」
「何を言うんですか、師匠! 僕の両親は元気モリモリで健在ですよ!」
「いや、おまえが遺言って」
「ああ、間違えました、書置きです。『一流の魔術士になるためにあなたは外の世界に出なさい。ダルロに知り合いの魔術士がいるから、彼女に師匠になってもらいなさい。私たちは世界一周旅行に行ってきます、じゃあね』というものです。どうです?」
「どうです? じゃねーよ! 最初に会った魔術士に弟子入りするなんて記述は一言もないじゃないか!」
思わず、カルスは声を張りあげた。
正直師匠であるティシウス以外の人間にこれほど大声をあげたのは初めてのことである。
「さすがです、師匠! まるでダンバ君なみの勢いじゃないですか! 僕や僕の家族に対してそこまで激しい突っ込みをする人間を初めて見ました」
「ちなみに、ダンバ君とやらは、どういった人なんだ」
「ああ、山に住んでた気性の激しい猪です。いやあ、彼の突っ込みは凄かったですねえ」
「人間じゃねーのかよ! それに、それは突込みじゃなく、襲いかかっていただけだ――いや、そんなことはどうでもいいんだ。とりあえず、俺のことを師匠と呼ばないように、分かったか」
「強情な人ですねえ、分かりました、師匠」
「分かってねーな」
「師匠、何で拳を握って指をボキボキ鳴らしているんですか? 師匠、魔術士ですよね。何で肉弾派なんですか? というか、僕の言っている師匠とは単なるあだなの『シショウ』で深い意味はありません」
――いや、待て、自分。
ここで鉄拳を繰りだしては、あのダメ師匠そのものではないか。
――落ち着け、自分。
カルスは大きく息を吐いて、両手をさげた。
喋りつづけるルハスの相手をしていても仕方ない。さっさと魔術士協会を訪ねよう。
「いやあ、師匠ちょろいですね。あの程度の僕の言い訳、いや、芸術的言葉の魔術に引っかかるなんて」
ごきん、というあまり耳にしない音が魔術士協会の前の通りに響いた。
「俺は悪くないよな」
カルスは自分の拳を見ながら呟いたのだった。
彼の傍には、両手で頭を抑えて座りこむ少年の姿があった。




