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「殿下! あの司祭、いい加減に何とかならないんですか!」

 ようやく見つけた仕事の合間、ヘンリー殿下の執務室に押しかけて来たカインは魔王の形相で、自身の主君に詰め寄っていた。

 普段からカインはヘンリーの護衛の傍ら、執務の助手を勤める事もあり、気安くヘンリーの執務室に出入りしている。今日も執務の手伝いを理由に押しかけてきたという訳だ。

 普通の主君であれば、直ぐに不敬罪で首を跳ねられてもおかしくない程の無礼な物言いで、執務室の机で書類を広げているヘンリーの前に立つ。

「ああ…何とかしたいのはヤマヤマなんだがね……」

 ヘンリーは、眉尻を下げて困ったような表情を作りながらも、普段と変わらない悠然とした態度で軽くカインをあしらう。

 穏やかで冷静沈着な未来の賢王は、優秀な臣下であるカインの扱いを実によく心得ている。

 カインの不満は結局のところ、カイン個人の問題であり、カイン自身が何とかしなきゃならない課題だ。カインもそれは良く分かっているから、こうして不満を吐き出したいだけなのだ。

 ヘンリーから含みのある笑みを向けられ、苛立ちを隠さず、カインはグッと言葉を飲んだ。

 それにしても、あの司祭の行動は目に余る。

 サシャに案内役を依頼してきた癖に、実際に魔法遺跡などの案内をさせたのはわずか半日。

 その後は、王都で人気のカフェだとか、有名なデザイナーのブディックでショッピングだとか、国立公園の湖でボートだとか。今日に至っては、サシャを連れて観劇に行っているという。

 しかも、度々お礼と称してサシャにドレスやアクセサリーの贈り物をして着飾らせては、恋人のように侍らせ、連れ回しているのだ。

 これじゃあ、まるで枕営業じゃないか。セクハラ行為も甚だしい。

「お前の気持ちも分かるが、彼が何をさぐっているのか、未だに掴めてない。トリアングロ・リミテについては、教会だけが把握してる秘密が多くあると聞く。奴らが放っておけない何かがあるのは間違いない。もう少し、泳がせておく必要があるんだ」

「………」

 カインはグッと眉間に皺を寄せた。

「万が一にもサシャ嬢には被害が及ばないよう、護衛を貼り付けて監視させている。絶対に二人きりにさせないよう指示しているさ」

 問題はそれだけじゃない、とカインは憤る。

 あの司祭は、節操なくサシャにアプローチしているようであるが、決して強引過ぎることはなく、キチンと一線を越えないことに徹していると聞く。さすがのサシャも見境なしに迫られれば、警戒するだろうが、あの司祭は巧みにサシャとの距離を詰めているようだ。

 お人好しで世間知らずのサシャが、そのうちあの男に絆されてしまうのではないかと心配なのだ。

「前から思ってたけど、お前、サシャ嬢のことになると面倒くさいくらい口うるさいな。一体、どういう立場で言ってる? 彼女のことを何だと思ってるんだ?」

 ニヤリと誂うように目を細めながら、ヘンリーは手に持った万年筆を指先でクルクルと回す。

 カインは眉間の皺を深めながら、苦々しい思いで目を伏せた。

「……私は…、彼女の亡き母親からサシャのことを頼まれているんです。だから…、私には彼女を守る責任があります」

 ヘンリーはピクリと片眉を上げる。

「ふ〜〜ん、責任ねぇ……。お前は、サシャ嬢が幼い頃に負った怪我に責任を感じているの? 罪悪感からなの?」

 ヘンリーの言葉にカインは憮然とした顔で視線を上げた。

 そう、幼い頃、サシャは生死を彷徨うほどの大怪我を負った。

 カインを庇って――。

 サシャはあまりその時のことを覚えていないようであるが、カインが今、こんな苦しい状況に陥っていることの全ての始まりはあの時の事件からだ。


◇◇◇


 その日、サシャとカインは親友である母達に連れられ、トリアングロ・リミテの結界近くにある避暑地ラングーサ町のトラヴィス公爵家の別荘を訪れていた。

 緑豊かな場所で別荘のすぐ先には大きな公園があった。公園の端には黒の森が広がっており、黒の森を少し入った所にトリアングロ・リミテの結界があると言われている。だから、人々は決して黒の森に入らないようにしていた。

 この頃のカインは、とても気弱で身体も小さく、いつもサシャの後をピッタリと付いて回っている少年だった。

 サシャはこの頃からマイペースな裏表のない性格で、自分の好きなことや興味のあるものに対しては、なりふり構わず夢中になる所があった。

 カインにとって、自分がサシャのとっておきのお気に入りとして愛でられていることは、とても心地の良いこちだった。

 サシャの突拍子のない言動や、過剰な愛情表現に戸惑い、狼狽えることも多かったが、正面からぶつけられる好意が、弱気なカインの心に安心と自信を与えてくれた。

 その日もカインはサシャの後を追って、公園で遊んでいた。二人は公園に棲むリスを見つけては、その可愛らしい姿を見ようと追いかけ、気がつけば黒の森の入口付近まで来ていた。

 その時、ふとサシャが何かを見つけて森の奥を指差した。

「あそこっ!!」

 カインがサシャの指差す方を見ると、茂みの中で何かが動いていた。

「竜がいる! 小さい竜だわ!」

「え…本当…? 僕には見えないけど…」

 カインにはよく見えなかったが、サシャには何か見えたようで、竜だと断言する。

「何か様子がおかしいわ!」

 茂みの方へと駆け出そうとするサシャを、カインは慌てて手を掴んで引き止める。

「サシャ! 森の中に入っちゃ駄目だ! 結界を超えちゃうよ」

 しかし、サシャは振り向いてニッコリと笑う。

「ちょっと様子を見てくるだけだから、大丈夫よ。カインはここで待ってて」

 そしてカインの手を振り払って駆けて行ってしまった。

「サシャ!!」

 カインも急いでサシャの後を追った。

「大変!!」

 茂みの中を覗いてサシャが叫ぶ。

 後から追いついたカインが見たものは、傷ついて血まみれになった小さな竜だった。

 まだ子どもと思われるその竜は、何物かに襲われたのか、背中に大きな傷があって、その傷は黒く変色していた。

(――きっと毒だ。魔獣に襲われたんだ!)

 命からがら逃げてきたようであるが、傷口のドス黒い変色は背中いっぱいに広がり、瀕死の状態と思われた。

 しかも、その竜は普通と少し違う。薄い灰色がかった色の体をしていた。

 サシャは竜の側に座り込み、胸元から自分の首に下げたペンダントを引っ張り出している。

 カインはサシャが何をしようとしているのか、直ぐに気付いた。

 サシャのペンダントの中には、希少な魔草でできた薬が入っていた。どんな毒も傷にも効くという魔草の薬だ。

 お人好しなサシャの父親が、人助けで金を貸した代わりに貰った物だ。金は返って来なかったようだが貴重な薬だからと、サシャの父は、それをお守り代わりにサシャに持たせていた。お転婆な娘が、いつか必要とするかもしれないと思って。

「サシャ! 駄目だよ。その子はもう無理だと思う…。その竜はきっとアルビノだよ。元々、強い子じゃない。今助けたところで、生き延びるのは難しいと思う。だから、そんな大事な薬を使っちゃ駄目だ」

「まだ分からないわ! それに、薬は使わなきゃ意味がないじゃない」

 制止するカインの言葉を無視して、サシャはペンダントの中から薬を取り出した。そして、カインを見て指示する。

「お願い! この子の口を開くのを手伝って!」

 カインがサシャに言われるまま、震える手で竜の口を開くと、サシャは薬を握った手を躊躇なく竜の口に突っ込んだ。

「これでいいわ! お願い、頑張って!」

 サシャは祈るように呟く。

(全く…呆れるほどにお人好しな性格は父親譲りなんだから)

 竜の為に祈るサシャを見て、カインは思わず口元を綻ばせた。

 その時、カインを見るサシャの目が大きく見開かれた。

 次の瞬間、大きな衝撃と共に、カインはサシャに突き飛ばされていた。

 慌てて起き上がったカインが見たものは、血だらけになって倒れているサシャの姿。

「サシャ!!」

 見上げると、狼のような真っ黒い魔獣が数メートル先から、グルルルッと不気味な唸り声を上げてこちらを威嚇している。

(しまった! 油断していた!)

 それは、竜を追ってきた魔獣と思われた。

 それは、真っ黒いモヤのような物を身に纏い、真っ赤な口から長い舌を出し、ダラダラとよだれを垂らしている。真っ赤な目は、真っすぐにカインとサシャに向けられていた。

 カインはサシャに駆け寄り、魔獣から視線を逸らさないようにしながら、ゆっくりとサシャを抱え起こした。

「…カイン…、逃げて…」

「嫌だ!」

 苦しそうに呟くサシャの腕を肩に抱え、カインはゆっくりと足元に落ちている石を拾い上げた。「サシャ、合図をしたら一気に走るよ。僕に捕まっていて」

 そう言ってカインは、力いっぱい、手にした石を魔獣に投げつけた。

 ギギギャァ゙ァ゙ァ゙!!

「行くよ!!」

 見事命中し、魔獣が怯んだ瞬間、カインは一気に駆け出した。サシャを抱え、力の限り走り続ける。

 しかし、子どもの力でサシャを抱えながら走るには限界がある。直ぐに背後に魔獣が迫ってくる気配を感じた。魔獣の恐ろしい唸り声が近づいてくる。

(もう駄目だ!!)

 そう思った瞬間、大きな羽音と共にカインとサシャは、背後から何物かに掴まれ、フワリと身体が宙に浮いた。

「うわぁぁぁっ!」

 そして今度は、身体を掴まれたまま、地面に向かって真っ逆さまに落ちて行ったのだった。

 その後の事を、サシャは覚えていない。

 この時、サシャは魔獣に襲われた傷から毒が入り生命の危機に陥った。

 竜にあの薬を使ってしまったから――。

 カインは深く後悔した。自分がちゃんとサシャを止めていたら、こんなことにはならなかったのに……。

 だが、結果的にサシャは命を取り留めた。背中に大きな傷を残して――。

 サシャの負った傷に対して罪悪感が無いと言えば嘘になる。

 彼女に守られるばかりの弱い自分が情けなく、強くなろうと誓った。そして竜騎士を目指し、王太子の近衛騎士にまで上り詰めた。

 でも、サシャに対しての思いは罪悪感だとか、贖罪だとか、そんな単純なものなんかじゃない。


◇◇◇


「別に…、罪の意識だとか、彼女の為だとか、そんなんじゃないです。私は…、自分がそうしたいからそうしているんです」

 真っすぐに視線を上げて答えるカインを見て、ヘンリーはクスリと笑った。

「だったら……、君は彼女の何なの?」

 少し意地悪をしたくなって発した問いに、カインは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 カインがサシャの亡くなった母親の代わりとしての立ち位置に徹しようとしていることは分かっている。

 しかし、こんなに彼女の周辺に目を光らせている癖に、何故、彼女との関係を縮めようとしないのか、ずっと疑問に思っているところだ。

 もっとも、サシャ自身もあえて彼とは微妙な距離を保とうとしているように見える。

 いちいちサシャの行動を監視している様子を見れば、カインが彼女にただならぬ感情を抱いていることは明らかなのだが。

「言うとするなら―――、保護者みたいなものですかね」

 そう答えたカインに、ヘンリーは呆れ顔で大きく肩を竦めた。

「お前のそういうところ……、ホントにクソだよね」

 王族らしからぬ汚い言葉を口にし、優雅に微笑んでみせると、カインは無言で睨みつけてきた。

「ハハハッ、そんな怖い顔するなよ。俺だって出来るだけお前に協力するつもりだよ」

 ヘンリーは、眉尻を下げて軽く両手を上げた。「しかしなぁ…、最近リリアがうるさいんだよね」

 そうなのだ。リリアはもう結婚適齢期。とっくに婚約者がいてもいい歳だ。

 実際に、リリアの元には数多くの縁談が持ち込まれているのだが、リリアは全て拒んでいる。彼女はカインからの縁談の申し入れを待っているのだ。

 カインは、ヘンリーが学園に入学した時から近衛騎士になるべく修練を重ね、ヘンリーに仕えてきた。そのためリリアと顔を合わせる機会が多かった。

 そしてリリアが学園に入学してからは、カインやリューイといつも一緒に過ごしていた。

 カインはいつもリリアには誠実に接しているし、トラヴィス侯爵家嫡男のカインであれば充分に釣り合いも取れる。

 貴族界でも数年前からリリアとカインの婚約の噂が囁かれており、リリアが期待するのも無理はないのであるが。

「俺がお前をこき使ってるから、お前が忙しくて自分へのプロポーズに踏み切れないと思ってるようだ。あの調子だと親父に直訴するのも時間の問題だね」

 カインは静かにヘンリーを睨みつけたまま、強い口調で言った。

「それは殿下の方で阻止していただく約束です」「分かってるさ。リリアには他の良い家門の令息を紹介だってしている。でもリリアはお前を諦める気はないぞ」

 ため息交じりにヘンリーは机に肘をついた。

「お前がサシャ嬢への態度をはっきりさせないのが悪いんだぞ。なあ、サシャ嬢の保護者に徹するつもりなら、リリアと結婚したって構わないはずだろ?」

「いえ、絶対に無理です」

 頑なに無表情を崩さずに断言するカインに、ヘンリーは大きく息を吐き、頭を抱えた。

「あぁっ…もう、いっそのことお前は、あの噂のとおりだから諦めろとリリアに伝えようかな…」

「噂?」

 訝しげにピクリと眉根を寄せたカインに、ヘンリーはニヤリと誂うような笑みを向けた。

「知らないのか? お前が、いつまでたっても誰とも婚約もせず恋人の噂もないのは、リューイと禁断の愛を育んでいるからだと貴族令嬢達の間で囁かれているようだぞ」

「はっ?」

 さすがのカインもポカンと口を開けて固まってしまった。

「令嬢達の中には、お前とリューイの関係を温かく応援しようという倶楽部が出来ていて、それに賛同する令嬢達がどんどん増えてるらしいぞ」

 カインは眉間を指で押さえながら、大きなため息を吐いた。

 まさか巷でこんな噂が流れているなんて思ってもいなかったようだ。かなりショックを受けたようで、平静を装っているが、眉間を押さえた指がプルプルと震えている。

(これで少しは態度をはっきりさせる気になってくれればいいが)

 ヘンリーがそう思ってわずかに口角を上げた時、カインが毅然とした面持ちで顔を上げた。

「それでいいです」

 カインはゆっくりと瞬き、真っすぐにヘンリーを見ている。

「はっ!? それでいいって……」

「王家から正式に縁談の打診をされてしまえば、侯爵家から辞退することなんか許されません。でも僕は、絶対に結婚なんて無理なんです。その噂のとおりだとリリア殿下に伝えて頂いて構いません」

「お前な…、そんなにリリアが嫌なのか?」

 さすがに呆れ果ててそう尋ねると、カインはキッパリと断言した。

「リリア殿下のことは嫌いじゃないです。好きとか嫌いとかの問題じゃなくて、無理なんです。私の個人的な問題です」

 はあっとヘンリーは軽く天を仰いだ。

「そんな言い方をされると、お前が男色だという噂が本当のように思えてくるが…」

 苦笑いのヘンリーを、カインは再びギロリと睨みつけてきた。

「怖い顔するな、冗談だよ。しかし――、お前が良くても、リューイは? アイツだって迷惑だろ?」

「リューイなら大丈夫です。そんな繊細な奴じゃないんで」

 無責任に断言するカインの言葉に、ヘンリーは心からリューイに同情した。

「全く……リューイの奴も碌でもない友人を持って気の毒だな…」




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