第18話:修学旅行、自由行動の主導権争奪戦
「修学旅行。それは学生生活における最大のフィールドワークであり、集団心理の縮図よ!」
京都へと向かう新幹線の中、勝呂みゆきは隣の席で、分厚い自作の『京都制圧ガイドブック』を広げていた。
後夜祭でのあの一件以来、彼女の表情はどこか柔らかくなった……気がしていたのだが、勝負事への執着は一ミリも減っていなかった。
「いい、航太。二日目の班別自由行動こそが本番よ。清水寺から金閣寺への移動ルート、混雑予想、そして各茶屋の回転率。すべてを計算に入れた私のロジックに従えば、私たちはどの班よりも効率的に、かつ優雅に古都を攻略できるわ!」
「……みゆき。修学旅行ってのは、もっとこう、行き当たりばったりでソフトクリーム食べたりするのが楽しいんじゃないのか?」
「甘いわね。計画性のない楽しみは、ただの時間の浪費よ。私は、最高の思い出という『勝利』を確実に手に入れたいの!」
みゆきが鼻息を荒くしていると、通路を挟んだ反対側の席から、涼やかな声が飛んできた。
「あら、勝呂さん。相変わらず余裕がないわね。京都の美しさは、計算の外側にこそあるのに」
風紀委員・九条麗香だ。彼女もまた、同じ班のメンバーだった。
「九条! あなたこそ、その余裕がいつまで続くかしら。自由行動での『満足度スコア』で、私に勝てると思っているの?」
「面白いわね。それなら、明日の自由行動、どちらのプランが班員をより喜ばせられるか……勝負してみる?」
こうして、修学旅行は一気に「京都観光主導権争奪戦」へと変貌した。
翌日。秋の京都。
みゆきは分刻みのスケジュールで俺たちを連れ回した。
「次は銀閣寺よ! 市バスの到着まであと百二十秒。無駄な歩数はエネルギーの損失よ、速やかに移動しなさい!」
「……みゆき、ちょっとみんな疲れてるぞ」
「ダメよ、ここで妥協したら私のロジックが……」
だが、九条は対照的だった。
「あら、あそこの路地の奥、素敵な香りがしない? ちょっと寄ってみましょう」
九条が指差した先には、隠れ家のような和菓子屋。予定にはない寄り道だが、班の女子たちは「かわいい!」「おいしそう!」と目を輝かせる。
「なっ……! 九条、スケジュールの進行が十五分も遅延しているわよ! 修正不能になったらどうするつもり!?」
「いいじゃない。この『今、この瞬間の高揚感』こそが、旅の勝利条件だと思わない?」
みゆきは唇を噛み締めた。
自分の完璧な計画よりも、九条の気まぐれな提案の方が、みんなを笑顔にしている。
その事実に、彼女の「効率ロジック」が音を立てて軋み始める。
「……航太。私、また間違えているのかしら」
人混みの中で、みゆきがポツリと漏らした。
「みんなを喜ばせるための最短ルートを計算したはずなのに……どうして私のプランには、あんな笑い声が足りないの?」
彼女の瞳に、かつての孤独な影が差し込む。
俺は、そんな彼女の手を人混みに紛れてぎゅっと握った。
「……っ!? 航太、いきなり何を……接触による心拍数上昇が……」
「お前の計画はすごいよ。おかげで全部の名所を回れたし、知識も増えた。……でもな、みゆき。お前が一番楽しそうにしてないと、俺は勝った気がしないんだよ」
俺は彼女を無理やり、予定にはなかった一本裏の道へと連れ出した。
「おい、どこへ行くの! ロジックが破綻するわ!」
「破綻させていいんだよ、たまには。……ほら、あそこのわらび餅、美味そうだぞ。あいつらを待たせて、二人で食べようぜ」
「……っ。不純だわ。班長としての義務を放棄し、個人的な嗜好を優先するなんて……」
みゆきは文句を言いながらも、握られた手を解こうとはしなかった。
小さな茶屋で、二人で突いたわらび餅。
「……甘いわね。計算外の甘さだわ」
みゆきは少しだけ、本当に少しだけ、肩の力を抜いて笑った。
「九条には……今回の『満足度』では負けるかもしれない。でも、このわらび餅の温度と、あなたの手の感触。……これは、私の個人メモリにだけ保存される、特筆すべき『勝利』として記録しておくわ」
夕暮れの八坂坂。
修学旅行の自由行動は、結局九条の「楽しんだもん勝ち」という結論に終わったかもしれない。
けれど、みゆきが見せた穏やかな微笑みは、どのガイドブックにも載っていない、俺だけの最高の戦利品だった。
【今回の勝敗:九条麗香の判定勝ち、みゆきの個人的快勝】
修学旅行という場で、みゆきが「効率」よりも大切な「感情の共有」を少しだけ学んだ回でした。
次は、第19話「雪の日の勝利、凍えた手を握るための口実」
季節は一気に冬へ。二人の距離が最も物理的に近づく、冬の登下校エピソードです。




