第004話:大地のコンパクション(軟化)と、雪綿鴨(スノー・ロプ)の効率的狩猟
大陸暦一二五三年、初秋。
バウムガルト男爵領は、領地始まって以来の「奇妙な熱狂」に包まれていた。
どこまでも広がる畑の海には、まるでおとぎ話の金貨を敷き詰めたかのような、豊満に実った黄金色の小麦が風に揺れている。
「……信じられん。蒔いた種の、十五倍だと?」
馬上にまたがったバウムガルト男爵は、収穫の様子を記した木札を震える手で握りしめ、言葉を失っていた。
中世の農業における小麦の収穫倍率は、せいぜい蒔いた種の三倍から四倍。半分は翌年の種モミとして保管せねばならず、残りを領主と飢え死に寸前の領民で分け合うのが「この世界の現実」だった。
それが、一気に十五倍。バウムガルト男爵領の歴史がひっくり返るほどの、空前絶後の大増産である。
「若君は、やはり土の妖精の愛し子であらせられる……っ!」
刈り入れを行う農民たちは、皆一様にルディ(十四歳)の立つ高台に向かって、神仏を拝むように深く頭を下げていた。
彼らが狂信的な目でルディを崇拝するのには、確かな理由があった。
数ヶ月前、ルディはおもむろに畑へと歩み出ると、自身の保有する魔法【土壌安定】を発動した。本来なら「地盤をカチカチに硬化させる」ための地味な土木魔法である。
だが、前世で化学メーカーの安全衛生管理者だったルディは、その魔法を「分子レベルでの結合イメージ」で完全に逆用した。
土壌粒子同士の結合を緩め、土の隙間に存在する水分と空気の比率(液相・気相・固相の三相分布)を理想的なバランスへとコントロールし、カチカチだった粘土質の酸性泥土を、一瞬にして深さ三十センチまで「ふかふかの土」へと物理的に破砕・軟化してみせたのだ。
さらにルディは、ただ耕すだけでなく、領民たちに命じて裏山の「石灰」と炭焼き小屋の「木灰」を大量にかき集めさせ、畑の酸性度をアルカリ側に引き上げて「pH(水素イオン指数)の中和」を実践した。
それだけではない。
ルディは、炊事主任となったミリー(十六歳)に指示し、蒔く前の小麦の種モミを「塩水」に浸けて中身の詰まった優良種だけを選別(塩水選)させ、さらに五十四度の熱湯に十分間浸ける「温湯消毒」を徹底させた。
「ルディ様が『種をお湯で洗え、塩水に浸けろ』って言うから最初は驚いたけれど……。毎年、うちの宿屋で誰かがのたうち回って死んでいた『黒い粒の呪い(麦角菌中毒)』が、今年は一例も出ていないわ……!」
大釜の前に立つミリーは、頬を薔薇色に染め、ルディを熱い眼差しで見つめていた。
麦の穂に寄生する「麦角病」は、食べれば手足が壊死してのたうち回って死ぬ不治の奇病として恐れられていた。ルディは、それが単なるカビ(嫌気性真菌)による生物的有害因子であることを知っていたため、上流のプロセス(種子消毒)で完璧に根絶したのだ。
(……いや、ただの現代の農業プロセス管理だ。実家が貧乏のままだと、来年俺が率いる五十人の防具が「ただのなめし革のベスト」のままになってしまう! そんな紙装甲で最前線の泥濘に放り出されたら、流れ矢一本で重大労災(死亡・重傷)が確定する。部隊の安全装備をグレードアップするための資金源を確保するには、まず実家の農業プロセスをカイゼンしてキャッシュフローを爆増させるのが最優先課題だったんだ!)
ルディは、手帳の「第一フェーズ:食料生産プロセスの適正化による資金調達」の項目に力強くチェックマークを入れた。
大豊作により、男爵家には小麦の売却益という、前代未聞の潤沢な軍備予算が転がり込んできた。
しかし、休む間もなく、ルディは手帳の次のページを開いた。そこに赤ペンで大書されているのは――。
「第二フェーズ:冬期行軍における低体温症および凍傷リスクの完全排除」
中世のキャンペーン(戦争)は、青草が伸びる春から始まり、泥濘の秋を経て、最悪の場合は凍てつく冬まで長引く。
一昨年、次兄バルトルトが低体温症で危うく死にかけ、その結果、傷口が嫌気性細菌(破傷風・化膿レンサ球菌)に感染して右腕の機能を失ったのは、記憶に新しい凄惨な被災事例(重大労災)だ。
「気温が氷点下に達する中、水分を吸って氷のように冷たくなる重いウールの外套や、冷え切った鎖帷子を身にまとって行軍するなど、正気の沙汰じゃない。人間の体温が三十五度以下に低下すれば、筋肉は強張り、指先がかじかんで武器を握ることもできなくなる。……何より最悪なのは、『寒さで体が縮こまり、逃走時の最大風速(全力疾走)が出せなくなること』だ。これでは安全第一の保身計画が成り立たない!」
軽くて、極めて高い断熱(保温)性能を持ち、なおかつ敏捷性を損なわない、世界最高のセーフティウェア。
「――そうだ。前世のアウトドアや災害現場で無数の命を救ってきた、あの『ダウンジャケット(羽毛衣料)』を、この世界で製造する」
* * *
そして晩秋、冷たい霧が立ち込める男爵領南部の泥濘湿地帯。
「……若君、本当にこんな場所に、あの警戒心の強い『スノー・ロプ(雪綿鴨)』が群れているのですか?」
ルディの後ろに従うのは、猟師のマルコ(四十二歳)を筆頭とする、領内の凄腕の猟師たち五名だった。
マルコは、ルディの寝室の常連(専属メンタルケア担当)となった双子のサシャとリタの父親でもある。娘たちを飢えから救い、見違えるほど美しく健康にしてくれたルディに対し、彼は深い恩義を感じていたが、今回の「鴨狩り」の提案には首を傾げていた。
「スノー・ロプは、冬が始まる前に越えなければならない過酷な北方から渡ってくる鴨ですが、非常に耳が良く、人間の気配を感じると一斉に空へ逃げてしまいます。網や弓矢を使っても、一日にせいぜい三、四羽獲れれば大猟(お祭り)ですよ。それを、若君は『五十人分の羽毛を毟るために、一網打尽にする』などと……」
「問題ない、マルコ。お前たちは、俺が合図をしたら、あの葦の陰に張った網を引くだけでいい。獲物(労働資産)の品質を落とすような外傷は一切不要だ」
ルディは、泥濘に長靴を沈めながら、そっと右手を突き出した。
自身の眼球に、魔法【ガス・温度検知】の気流視覚化を展開する。
冷たい霧に隠された湿地帯の奥――ルディの視界には、葦の茂みの中に潜む、何百もの「赤く燃え上がる熱源(鴨の体温)」が、マルチロックオンされるように鮮やかに浮かび上がっていた。
「熱対流、および心音による位置特定完了。深度パラメータ調整……。よし、作業開始だ」
ルディは、静かに水際へと歩み寄り、自身の右手の指先を、冷たい泥水の中にそっと浸した。
「マルコ、耳を塞げ。……行くぞ」
ルディの指先から、魔法【微弱放電(静電気・スタンガン)】が起動された。
本来は暗殺者からの一瞬の隙を作るための、護身用の微弱な魔力である。だが、ルディはこれを「水」という極めて導電性の高い媒体を利用し、さらに水中の塩分濃度による抵抗値を瞬時に計算(オームの法則)。
スノー・ロプの心臓を止めて肉を傷つけることのない、だが運動神経と筋肉を一瞬で完全麻痺させる絶妙な「閾値(ボルト数およびヘルツ数)」に調整して、一気に放出した。
――バチチチチチッ!!!
湿地帯の水面が、一瞬だけ青白い不気味な静電気の火花を散らした。
次の瞬間。
バシャバシャバシャ! と葦の陰で激しい水音が響き、数十羽、いや、百羽を超えるスノー・ロプが、羽を一切傷つけることなく、白目を剥いてぷかぷかと水面に浮かんできた。
気絶しているだけで、傷一つない、完璧な状態の獲物の山である。
「な、な、なんという……!?」
マルコは、腰を抜かして泥の中にへたり込んだ。他の猟師たちも、恐怖と畏怖のあまり、その場に平伏してガタガタと震えている。
「落雷の神の、権能……。若君は、指先一つで天候を支配し、目に見えない光線で獲物を仕留めておられる……! 我が娘サシャとリタが、夜な夜なこのお方の寝室で『ビリビリして、頭がおかしくなるほどの極上の癒やし(マッサージ)を与えられた』と言っていたのは、この神聖なる落雷の秘術だったのか……っ!」
(いや、ただの静電気の抵抗値計算と、低周波スタンガン猟法だ。サシャとリタのことは……それは完全にコンプライアンス(業務外の個人ケア)の問題だから今その話を出すな、マルコ!)
「マルコ、呆けている暇はない。鴨が目を覚ます(制限時間十五分)前に、迅速に回収し、工場(炊事班の作業場)へ搬送しろ。無災害キャンペーン(初陣)を成功させるためのセーフティギアの原料だ。一羽たりとも逃がすな!」
「は、ははぁっ! 直ちに作業に取り掛かります、我が雷神・ルディ様っ!」
猟師たちは、ルディを完全に「未来の覇王(あるいは雷神の化身)」と大いなる勘違いをして、凄まじい作業効率で鴨の山を回収していった。
* * *
搬送されたスノー・ロプの羽毛処理は、ミリーたち炊事班に委ねられた。
作業場に立ち込める、蒸気とハーブの瑞々しい香り。
ルディは、大釜から立ち上る熱気の中で汗を流しながら作業するミリー、サシャ、リタ、そしてニナ(十四歳)に、徹底した「衛生管理(HACCP)」に基づくプロセスを指示していた。
「毟り取った羽毛をそのまま衣服に詰めると、雑菌の繁殖や腐敗臭によって、着用した兵士が皮膚感染症(大労災)を起こす。いいか、ミリー。まず毟り取ったダウン(胸部の産毛)を、自作の『茨の石鹸』を溶かしたぬるま湯で徹底的に一次洗浄しろ。余分な獣脂と汚れを完全に落とすんだ」
「はい、ルディ様!」
ミリーはテキパキと大釜をかき混ぜる。しかし、彼女の視線は、ルディの側でせっせと羽毛を仕分けているサシャとリタの姿に注がれ、その胸の奥は複雑な感情でかき乱されていた。
(……サシャも、リタも、若君の「放電マッサージ」を受けてから、見違えるように綺麗になって……。まるでもぎたての果実みたいに、身体の内側からとろけるような艶を放ってる……)
ミリーは、湯気で湿った自分の十本の指先を見つめた。
ルディの特製バームのおかげで、あかぎれの痛みは消え、驚くほど滑らかな肌を取り戻している。だが、ミリーは知っていた。あの春の夜から、双子の妹たちがルディの寝室を訪れ、若君の「あったかい手」で全身のコリをほぐされ、気絶するほどの激しく甘い低周波(愛の洗礼)を注ぎ込まれて、完全に骨抜きにされているということを。
(私も、若君にあのビリビリするお仕置き(マッサージ)で、頭が真っ白になるほど癒やされてみたい……。でも、私はみんなをまとめる炊事主任だし、若君にそんなはしたないメンタルケアを要求したら、嫌われてしまうかも……)
立場や身分差の葛藤、そして抑えきれない羨望が混ざり合い、ミリーの豊かな胸の奥はギリギリと切なく疼いていた。
そのミリーの苦しい葛藤など露知らず、双子のリタは、湯気で肌を濡らし、薄い麻のシャツをその発達途上のふっくらとした胸にぴたりと張り付かせながら、ルディにそっと身を寄せた。
「若君……。昨日の『物理療法(放電マッサージ)』のおかげで、今日の作業はちっとも肩が凝りません。……でも、少しだけ、身体の芯がまだピリピリして……もっとルディ様の電気でほぐしてほしいんです」
リタは蜂蜜色の瞳を潤ませ、ルディの耳元にその甘い息を吹きかけながら囁いた。
「今日の作業が終わったら……今夜もまた、私たちの『メンタルケア』、してくださいますか……?」
(――おいおいおい! 作業場だぞ! コンプライアンス的に私的な時間外労働(深夜のマッサージ)の交渉を公の場でするな! サシャ、お前までそんなトロンとした目で俺を見るんじゃない!)
ルディは、双子から発せられる強烈な依存のフェロモンと、昨夜の極上のマッサージの余韻に当てられ、必死になってポーカーフェイスを維持した。
その様子を、大釜の煤で頬を汚した最年少のニナが、ドギマギしながら見つめていた。
「ミリー姉さん……。なんだか、リタたち、すごくエッチな雰囲気になってない……? 私、なんだか、若君の顔をまともに見られなくなっちゃった……」
「ニ、ニナ、余計なことを見てないで手を動かしなさい……っ!」
ミリーは顔を真っ赤にしながらニナを叱りつつも、ルディの形の良い唇や、双子に触れる長い指先を盗み見ては、生唾をゴクリと飲み込んでいた。
(次は……次は絶対に、私があの指で、めちゃくちゃに癒やされてみせる……!)
少女たちの心に芽生えた狂信的な好意と依存は、労働の現場において、ルディへの終わりのない献身という名の、爆発的なエネルギーへと融解していく。
「コホン。……ミリー、雑談を止めろ。その次は、俺が温度を管理する『温湯滅菌』だ。プロセスを厳守しろ!」
「は、はいっ! ルディ様!」
ルディの指示で、作業は再び引き締まる。
「ディテクターの温度監視のもと、五十五度の熱湯を正確に維持しろ。この温度に十五分間浸けることで、羽毛に付着したすべての寄生虫、ダニ、およびその卵を百パーセント死滅(滅菌消毒)させる。一℃でも下がれば滅菌が不完全になり、一℃でも上がれば羽毛のケラチンタンパク質が破壊されて保温性が低下(品質低下)する。品質管理(QC)を徹底しろ!」
「お任せください、若君! 私たちの愛の温度(五十五度)は、絶対にブレません!」
サシャとリタが、ルディに熱い視線を送りながら、乾燥室のパン焼き窯の余熱を利用して、滅菌された羽毛をふっくらとほぐしていく。
こうして処理された最高品質のダウンを、ルディは男爵領の織子たちに発注した「二重構造の密編みリネン(麻布)ベスト」の格子状キルト(空気室)に、ぎっしりと充填させた。
さらに、ルディは秋の収穫の利益で購入した薄い「鉄板」を細かく鱗状に加工し、そのダウンベストの外層(胸部・背部・側面)に仕込ませた。
完成したその装備――
「バウムガルト式・防刃ハイブリッドダウンベスト」。
重量は、従来の重く水を吸うウール外套の約四分の一、わずか八百グラム。
それでいて、心臓や肺、腎臓などの主要臓器を完璧に冷え(低体温症)から守り、なおかつ敵の矢や短剣を通さないという、中世の常識を遥かに超越した「宇宙世紀(あるいは前世)レベルの超セーフティギア」であった。
* * *
冬の朝。領主館の兵舎において。
男爵家に仕える老騎士ハンス(五十八歳)は、ルディから手渡された、奇妙なほど軽くて柔らかい「格子状のベスト」を前に、困惑していた。
「……ルディ様。私はこれでも、三十年以上戦場を駆け抜けてきたバウムガルト家の盾。このような、ふかふかとした、まるで女の寝具のような軽い衣料を着て戦えと? やはり、騎士の防具とは、重厚な鉄板や、身体に重みが食い込むウールこそが、魂を奮い立たせるもの。これでは、敵の矢に射抜かれて、一瞬で骸に――」
「まあいいから、四の五の言わずに着用しろ、ハンス。これは雇用主である俺からの『安全配慮命令(義務)』だ」
ルディに促され、ハンスは渋々、なめし革のベストを脱ぎ、その薄いダウンベストを着用した。
そして、その上に鉄の鎖帷子を羽織った。
――その瞬間。
老騎士ハンスの身体が、一瞬にして硬直した。
「……な、なな、なんだ、これは……っ!?」
ハンスは、自分の身体を何度もさすり、信じられないというように目を見開いた。
「軽い……。まるで、何も身に纏っていないかのようだ……。いつもなら、冬の朝の鎧は、氷のように冷たくて肌に張り付き、関節がきしんで動かぬはず。……それなのに、このベストを着た瞬間から、まるで陽だまりの中に抱かれているかのように、身体の芯から温もりが満ちてくる……! 指先が動く! 肩が驚くほどに軽い! これなら、いつもの三倍の速度で剣を振るい、いや、いつもの五倍の速度で……走れる!」
「だろう? それが『断熱と軽量化(エルゴノミクス設計)』の効果だ。作業員の可動域を広げ、疲労を軽減することで、回避率を劇的に向上させるんだ」
ルディは満足そうに頷いた。
「ハンス、そしてそこの農民兵たち。よく聞け。俺たちの初陣(労働現場)における最優先事項は、手柄を立てることではない。『誰一人として凍傷(寒冷地労災)にならず、寒さで逃走速度を落とさず、全員が無傷で家に帰ること』だ。このベストは、お前たちの命を守るための『安全帯(命綱)』だ!」
「ル、ルディ様……っ!」
ハンスの、老いた瞳から、滝のような涙が溢れ出した。
彼はその場にガシャリと膝を突き、ルディの前に深く、深く平伏した。
「おお、おお……なんという深い慈悲。なんという神算鬼謀……! 他の傲慢な領主どもは、我ら一兵卒の命など、ただの使い捨ての盾、冬に凍え死ぬ虫ケラとしか見なしませぬ。それなのに、ルディ様は……、ルディ様は、我ら五十人の兵が凍えぬよう、傷つかぬよう、目に見えないカビの病を払い、落雷の奇跡を以て極上の羽毛を調達し、これほどの聖衣を、全員に無償で支給してくださった……!」
ハンスは、バウムガルト家の紋章が刻まれた盾を胸に抱き、泣き叫ぶように誓った。
「これぞ、古今東西のあらゆる戦術書を超えた、完璧なる騎士道の体現……! このハンス、生涯のすべてをルディ様に捧げます! 我ら五十人の兵、若君の『安全第一』の御旗のもと、地の果て、火の中、泥の沼であっても、喜んで突撃し、ルディ様を大陸の覇王へと押し上げてみせましょう!!!」
「「「バウムガルトの雷神、ルディ様万歳!!! 安全第一、ヨシ!!!」」」
兵舎に響き渡る、五十人の徴募兵たちとハンスの、狂信的なまでの大合唱。
ルディは、その凄まじい「勘違い(バグ解釈)」の熱圧に、冷や汗を流しながら、必死に胃の痛みを堪えていた。
(……いや、だから、突撃はするな! 地の果ても火の中も行くな! 泥の沼に突撃したらアダルベルト兄上みたいに過大トルクで関節が破壊されるから、ただ「安全第一」で逃げろって言ってるんだよ! ハンス、お前のその熱すぎる忠誠心(オーバーワーク精神)が、俺の保身計画にとって最大の不安全行動なんだが……っ!?)
ルディの悲痛な脳内ツッコミなど露知らず、男爵領の五十人の兵士たちは、世界で最も「軽量・防寒・防刃性に優れたセーフティギア」を身に纏い、中世の常識を覆すほどの異常な士気(ホワイトな職場への狂信)を滾らせていた。
* * *
しかし。
ルディが「これで後方で安全にサボれる完璧なチーム(無災害職場)が完成した」と内心で安堵したのも、束の間のことに過ぎなかった。
大陸暦一二五四年、春。
氷が解け、青草が萌え出すとともに、男爵領の遙か東方――オルテンシア王国との国境にまたがる「ゼーフェルト辺境伯領」からは、例年とは明らかに異なる、不気味で重苦しい軍靴の響きが伝わってきていた。
領主館の物置裏、冷たい春の風がルディの手帳をパタパタと揺らす。
他国(オルテンシア王国)の宮廷魔導院では、かつてない規模の「魔力炉」が起動されたという不穏な風聞。さらには、周辺諸国の傭兵団が、ゼーフェルト辺境伯の国境関所に向けて急速に集結しつつあるという密偵の報告。
今回の「スプリング・キャンペーン」は、例年のただの小競り合い(定時作業)ではない。
何者かの強大な地政学的力学が働き、この東部国境全体を、巨大な血の泥沼へと引きずり込もうとする「大いなる戦火」の予兆が、確実に、そして冷酷に迫っていた。
ルディがどれほど完璧な防寒ベストを作り、食料のHACCP管理を徹底し、逃走経路をハザードマップに記そうとも。
中世の戦場という名の「超極悪ブラック危険エリア」は、容赦なく、そして貪欲に、十四歳のルディと、彼を狂信的に崇める五十人の兵たちを、その血塗られた牙の奥へと飲み込もうとしていた。
「……来やがったな」
ルディは、手帳の端をぎゅっと握りしめた。
どれほど優れたセーフティギアを身に纏おうとも、一筋縄ではいかない。死と血、そして予測不可能なハザードが支配する、本物の初陣(現場)が、すぐそこまで迫っていた。




