表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世安全管理者の異世界ホワイト戦記~死にたくないので安全部隊を作ったら、勘違いで不敗の魔導名将に。夜の放電メンテナンスを求められて困っています【R15】~  作者: トール
第二章:安全な陣地構築が「不落の要塞」と呼ばれるまで

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/35

第015話:泥濘(ぬかるみ)を歩む「黒鉄の百合」と、迂回奇襲の算段(ブラック進軍)

 第015話:泥濘ぬかるみを歩む「黒鉄の百合」と、迂回奇襲の算段(ブラック進軍)


 ――グシャ、ズブブ……、カチャリ。


 底なしの泥濘が、重厚な鉄の長靴グリーヴを容赦なく吸い込んでいく。


 一歩踏み出すたびに、足元からねっとりとした粘土質の泥がまとわりつき、引き抜くためには通常の何倍もの筋力を強要された。


「……ハァ、ハァ、ハァ……っ! 遅れるな! 歩みを止めるな! 聖オルテンシアの戦士たる者が、これしきの泥に足を囚われてどうする!」


 国境地帯の深い闇、冷たい雨期の雨が容赦なく叩きつける街道のただ中で、凛烈たる女の声が響き渡った。


 声を上げたのは、オルテンシア王国軍別働隊の指揮官――ヒルデ・フォン・クランツ(二十四歳)。


 全身を隙間なく覆う、鈍い漆黒のフルプレートアーマー(全身板金鎧)。その機能美に溢れた強固な装甲は、数々の戦場をくぐり抜けてきた傷跡が無数に刻まれており、彼女が「黒鉄の百合」という異名で恐れられるにふさわしい、苛烈な女傑であることを示していた。


 だが、その頑強な甲冑の内側は、今や地獄のような「劣悪な労働環境」と化していた。


 雨期の多湿と、容赦なく降り注ぐ冷たい雨水。それらが甲冑の継ぎ目から容赦なく侵入し、インナーであるウールの衣服をじっとりと濡らし、ふやけさせている。さらに、激しい行軍によって全身から噴き出す熱い汗が混じり合い、鎧の内部はまるで蒸し風呂のような不快な熱気と、皮膚を擦りむく靴擦れの痛みに満ちていた。


 鉄錆の臭いと、カビ臭い濡れたウールの臭いが、彼女の呼吸を一段と苦しくさせる。


(……くっ、身体が、重い……っ。鎧の自重だけで三十キログラム。それに、この泥を吸ったウールがさらに私の体力を削り取る……っ)


 ヒルデは兜のスリットの奥で、美しくも険しい瞳を固く引き締め、あふれ出そうになる弱音を強引に噛み殺した。


 彼女の背後には、同じく全身を鋼鉄で固めた重装歩兵五百、そしてその後方に続く軽装歩兵と宮廷魔導師団を合わせた、総勢一千五百の大軍勢が、蟻の列のように連なっていた。


 中世の軍事常識において、この「雨期の進軍」とは、それ自体が狂気の沙汰である。


 平野部の通常の街道は、すでに「底なしの泥の海」と化しており、一歩踏み誤れば家畜も馬も、重装備の兵士も二度と抜け出せないスタック(生き埋め)を免れない。


 案の定、彼らの進軍ルートの脇には、泥濘にハマって脱水症状を起こした者や、寒さと疲労で低体温症ハイポサーミアを発症し、のたうち回っているオルテンシア兵が点々と転がっていた。


 現代の安全基準で言えば、即刻「極悪ブラック現場」として営業停止処分を下されるべき、地獄のような多重ハザード環境――。


 だが、騎士道精神を狂信的に信じるヒルデの脳内に、「安全管理(KYT)」や「労務管理」などという軟弱な概念は存在しなかった。


「動けなくなった者は置いていけ! 彼らの犠牲は、聖女様とオルテンシアの栄光のための、尊き『生贄』である! 残された我らは、その名誉ある死を背負い、ただ前進あるのみだ!」


 ヒルデは抜剣し、錆びかけた大剣の先で暗闇を指し示した。


 兵士たちは、低体温症でガタガタと歯の根を鳴らしながら、


「せ、聖女様万歳……!」「突撃、進め……!」と、虚ろな目で呪文のように呟きながら、走るようにして泥を進む。


 彼らの限界を超えた精神力(ブラック企業への忠誠心)だけで維持されている、崩壊寸前の強行軍。


 だが、これほどの過酷な犠牲(労災)を払ってまで、ヒルデがこの「泥の地獄」を進むのには、確固たる軍事的な「算段」があった。


「……フフ。ゼーフェルト辺境伯の愚か者どもめ。今頃は、平野のぬかるみに足を取られ、糞尿と泥にまみれた軍営で、赤痢に怯えながら丸くなっているに違いない」


 ヒルデは、兜のバイザーを上げ、汗に濡れた美しい額を冷たい雨風に晒しながら、邪悪な、しかし確信に満ちた笑みを浮かべた。


 彼女の睨む地図(戦略プラン)は完璧だった。


 通常の街道がすべて泥で封鎖されている今、辺境伯軍の本隊三千は、平原部で身動きが取れなくなっている。彼らは「この天候で敵が動けるはずがない」と完全に油断し、哨戒すら満足に行っていないはずだ。


 そして、ヒルデが選んだ奇襲ルート――。


 それは、平野部を大きく迂回し、ゼーフェルト本陣の「真裏」へと繋がる、あの不便な高台の「雑木林」だった。


「誰もが、あの雑木林を『守る価値もない僻地』と見做し、無視する。だが、高台の雑木林は樹木の根が土壌を支えているため、平野部よりも遥かに『地盤が固い』。重装歩兵が足を取られずに進軍できる、唯一の黄金ルートなのだ」


 ヒルデの戦術的眼光は、極めて正確だった。


 通常の戦術家であれば、泥濘の雑木林など、視界が悪く機動力が低下するため最初から除外する。だが、この極限の雨期においては、むしろ「地盤が流出していない高台」こそが、大軍を迅速に迂回させるための唯一のバイパス道路となり得る。


「我が重装歩兵五百が先陣となって雑木林を駆け上り、不意を突いて敵の貧弱な防柵を突き破る! その後、高台を完全に制圧したならば、後方に控える宮廷魔導師団の『重火球魔術』を展開するのだ。高台からの撃ち下ろしであれば、大平原に縮こまっている辺境伯本陣を、一兵残さず消し去ることが可能!」


「ハッ! ヒルデ隊長、まさに神算鬼謀にございます! あの不気味な雑木林に、敵が伏兵を置いている可能性は?」


 副官の騎士が、泥まみれの顔を上げて尋ねた。


 ヒルデはフッと鼻で笑い、軽蔑を込めて首を振った。


「あり得ん。ゼーフェルト辺境伯は、保身第一の無能な老いぼれだ。あのような泥だらけの僻地に兵を割く余裕などない。仮に守備隊を置いているとしても、どうせ辺境の貧乏男爵からかき集めた、錆びた槍とボロ布をまとっただけの『カカシ(徴募兵)』が数十人、震えながら立っているだけだ。――我が鉄蹄の敵ではない」


「おお……! まさにその通り! 聖女様の加護は、我らオルテンシア軍にあり!」


 兵士たちの間に、過酷なブラック労働(強行軍)に耐えた先にある「甘美な勝利(勘違い)」への期待が広がり、一時的に士気が跳ね上がる。


 しかし――。


 ヒルデたちの「完璧な算段」には、ただ一つだけ、致命的な計算違いが存在していた。


 彼女たちが「誰も守っていない、あるいはボロ布をまとったカカシしかいない」と確信している、あの雑木林の高台。


 そこには、前世が化学メーカーの安全衛生管理者であり、「絶対に怪我をしたくない、絶対に自分の有給サボり生活を脅かされたくない」という、極めて邪悪でロジカルな動機を持った若い貴族の少年、ルディ・フォン・バウムガルトが、ガチガチの「不落のホワイト要塞」を完成させて待ち構えているという事実である。


 ヒルデたちが「どうせ底なしのぬかるみだ」と思っているその地には、ルディの近代土木技術と【土壌安定ソイルコンパクション】によって、コンクリート並みに強固に排水・硬化された「全天候型アスファルト道路」が敷かれている。


 彼女たちが「簡単に突き破れる」と見下している防柵の根元は、石化土壌とトラス構造によって、攻城槌すら跳ね返す「鉄壁の防爆壁」と化している。


 そして、何よりも――。


 彼女たちが「せいぜい火を焚いて震えているだけだ」と信じているその場所には、定格出力を三十%に厳密に抑えられ、一射ごとに三十分もの時間をルディの「特別安全衛生指導(極上の低周波放電マッサージ)」に費やすことで、一滴の魔力も無駄にせず、常に完璧なコンディション(自律神経の完全調律状態)を保った「超高熱線魔術師エルザ」が、防爆土塁の陰から指先だけを突き出して待ち伏せしているのだ。


 そうとは知らぬヒルデは、汗で張り付いた美しい金髪をかき上げ、狂信的な瞳をギラギラと燃え立たせていた。


「ハァ、ハァ……。見えてきたぞ。雑木林のシルエットが……!」


 冷たい雨を切り裂き、ついに彼らの前方に、地獄の夜を越え、ようやく白み始めた雨霧の向こうに浮かぶ「雑木林の高台」がその不気味な姿を現した。


「全軍、突撃の準備をせよ! あの高台を奪えば、我らの勝利は確定する! 泥を痛み、死地を越えた我らの騎士道の、真の証明の時だ! ――聖女様のために、進めえええええッ!!」


「「「おおおおおおおッ!!!」」」


 一千五百のオルテンシア軍が、泥を跳ね上げ、鉄錆と血の臭いを撒き散らしながら、一斉にルディの「ホワイト陣地」へと向かって、猛然と突撃(不安全行動)を開始した。


 ――ズズズ、ズズズ……。


 彼女たちは知る由もなかった。


 自分たちが立てるその重苦しい進軍の地響きと、大軍が無理なブラック行軍によって放つ異常な「疲労熱信号オーバーヒート」が、すでに「昨夜の時点で」、ルディのディテクターによって完全に捕捉ロックオンされ、一晩中監視され続けていたことなど――。


 部下を極限まで使い潰す精神論の権化、「黒鉄の百合」ヒルデと。


 己の有給生活サボりを守るためだけに、完璧な安全衛生プロセスを敷き詰めた「安全管理者」ルディ。


 相容れぬ二つの「合理」が、ついに正面から激突しようとしていた。一晩に及ぶ泥沼のデスマーチの末、彼らがルディのホワイト要塞へと牙を剥いたのは、翌日の白昼のことであった。


 ――オルテンシア王国・迂回奇襲別働隊:ブラック進軍、ヨシ(と信じ込んでいる)。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ