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実況源氏物語 空蝉編 ――春日部つむぎ訳風で読む、逃げた女と負けた光る君  作者: 五平


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2/2

第2話:地獄は静かに完成するのだ

地獄って、燃え上がる音がするものだと思ってた。

でも違ったのだ。

本当に怖い地獄は、音なんてしない。

誰かが廊下の向こうで笑う。

御簾の奥で、衣擦れの音が止まる。

心配しているみたいな声で、毒が落とされる。

それだけで、人は少しずつ壊れていく。


第1話でつむぎが感じた、あの嫌な予感。

それは、最悪の形で現実になっていったのだ。


後宮の空気は、相変わらずきらびやかで、どこを見ても美しい平安絵巻のまま。

でも、更衣さんが一歩でも部屋の外に出れば、そこには見えない「針」が敷き詰められている。

「あら、更衣さま。お顔の色が……。帝も、少しはお控えになればよろしいのに」

それは、更衣さんをいたわるような、優しい声に聞こえた。

でも違う。

その声は、帝を責めているようで、更衣さんにこう言っていたのだ。


――あなたがいるから、帝は乱れる。

――あなたがいるから、後宮の秩序が壊れる。

――あなたさえいなければ、みんな幸せなのに。


顔は見せない。姿も見せない。

ただ、薄暗い廊下で、誰かが聞こえるようにため息をつく。

それを受ける更衣さんは、何も言い返さない。

ただ、申し訳なさそうに袖を握って、消えそうな声で「すみません」って謝るだけ。

いっそ叫んでくれたら、つむぎも一緒に怒れるのに……。


---


でも、本当の絶望は、パパ上(帝)の愛だった。


パパ上は、更衣さんの具合が悪いことを知って、ますます心配して、ますますそばに置こうとする。

「顔色が悪いね。僕がずっとそばにいてあげるから。里になんか帰らなくていい」

って、更衣さんの手を握りしめる。


パパ上の目は、本当に優しかった。

更衣さんのことを、心から愛してるのが伝わってくる。

でも、この宮中では、帝のそばこそが一番危ない場所だったのだ。

愛しているから、離せない。

離せないから、休ませられない。

休ませられないから、更衣さんの体は、どんどん透き通るように細くなっていく。


ねえ、パパ上。

それはもう、優しさじゃなくて鎖なのだ。

あなたの愛し方が、彼女をこの地獄に繋ぎ止める鎖になっちゃってるんだよ。

帝が彼女を抱きしめるたびに、御簾の向こうで衣擦れの音が止まり、新しい毒が用意される。

更衣さんの指先は、帝の熱に触れているのに、氷みたいに冷たいままだった。


---


そんな重苦しい空気の中で、唯一の救いは、幼い若宮――源氏くんの存在だった。


若宮は、何も知らない。

御簾の向こうの笑い声も。

母の袖を濡らした涙も。

帝が与えた愛の重さも。

何も知らないまま、小さな手で、更衣さんの指をぎゅっと握る。


その瞬間だけ、更衣さんの顔に、本当の笑みが戻った。

帝の前で作る「幸せな女」の笑顔じゃない。

誰かに見せるための、無理をした笑顔でもない。

ただ、一人の母親としての、柔らかな顔だった。


「……ごめんね。あの子を、よろしく……」


声にならない独り言が、つむぎの耳にだけ聞こえた気がした。

更衣さんは、自分の命がもうすぐ消えることを悟っていたんだと思う。

彼女は力を振り絞って、まだ柔らかい若宮の頬をなでる。

その指が、あまりに白くて、細くて。

まるで、冬の朝に消えかかる霜みたいに、今にも溶けてなくなっちゃいそうで。

つむぎは、もう何も言えなかった。

ただ、更衣さんの指が若宮の頬をなでる音だけを、ずっと聞いていた。


---


そして、ついにその時がやってきた。


更衣さんの容態がガクンと落ちて、もう宮中に留まることさえできなくなったのだ。

パパ上は、泣きながら、ようやく彼女を里に帰すことを許す。

でも、それは「お別れ」の許しだった。


牛車に乗せられる更衣さんの姿は、魂だけが先に抜け殻になっちゃったみたいだった。

見送る帝の背中が、あんなに小さく見えたことはない。


さっきまで宮中を彩っていた上品な花の香りが、いつの間にか、冷たくて重苦しい、線香のような匂いに変わっていた。

秋の風が、カサカサと乾いた音を立てて吹き抜けていく。


「陛下……」


更衣さんの唇が微かに動いたけれど、その声がパパ上に届くことはなかった。

牛車の車輪が、軋んだ音を立てて動き出す。

その音が、少しずつ遠ざかっていく。

衣擦れの音も、すすり泣く声も、全部秋の風に溶けていく。


更衣さんは、死んだわけじゃない。

まだ、息はしている。

まだ、若宮のことを案じている。

でも、その日、宮中から「色」がひとつ消えた。


愛されただけなのに、休む場所さえ奪われていく。

愛しただけなのに、手放すことさえ遅すぎる。

地獄は、こうして静かに完成した。


残されたのは、空っぽの部屋と、何も知らずに母の指を探す、小さな子供だけだった。


---


つむぎのあとがき


えー……第2話、どうだったかな。

つむぎ、今回はちょっと、うまく明るく話せないのだ。

更衣さんは、最後まで「申し訳ない」って顔をしていた。

謝らなきゃいけないのは、彼女じゃないのに。


帝の絶望。更衣さんの消えそうな笑顔。

そして、母がいなくなった場所で手を伸ばす、若宮の小さな指。

これが、のちに「光る君」と呼ばれる男の子が背負うことになる、最初の影なんだと思う。


次回は、更衣さんが宮中を去ったあとの話。

静かになったはずの後宮で、パパ上の心はもっと深い場所へ沈んでいく。

つむぎ、ちゃんと見届けるからね。


それでも、この光る君の物語がどこへ向かってしまうのか気になったら、また次の夜に会いに来てくれると嬉しいな。

それじゃあ、また。バイバイなのだ。

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