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(殿下が出てこないいい!)

 呪いに対処したのだからと、順番に身を清めさせてもらって、我慢ならないとすっ飛んで行ったのはもうだいぶ前だ。同行組はゆっくり休んでいいと言われたものの、心が休まらない。結局身を隠して様子を伺っていた。

(本当に盈妃さまのことになると、あの方は……ずーっと物陰から睨みをきかしてるし)

 愚痴を上げ始めたらきりがない。

 思考を切り替えていると、とててと蝋梅の休んでいる家屋から白猫が出てきた。

 月の光を浴びるその毛並みは、とてもなめらかだ。猫はそのまままっすぐ歩いてゆく。その先に、大きな影があった。白猫は、影の足元に絡みつく。そうして甘えるように、にゃーんと鳴いた。しゃがみ込んだその影の顔が、月光に晒される。

(あれは、梧桐。何で見張り当番でもないのにここに)

 猫を撫でる手は、武器をふるう彼からは想像がつかないほど優しい。

「桔梗も猫が好きだったな」

 微かな呟きだ。けれど夜の静けさの中で、櫟はそれを聞き逃さない。もう一つの足音も。

「ちょっとあなた!」

 小さな足音は、玫瑰だ。寝衣の上に一枚羽織っただけの出立ちだが、逢引という雰囲気ではない。

「もっと気合い入れて落としてくれない? お膳立てしてるこっちの身にもなって」

 潜めた声ながらも圧がある。すましている時とは大違いだ。

「蝋梅さま、具合が悪いんじゃないか? 何か盛ったりしてないだろうな。俺は聞いてないぞ」

「そんなことしてないわよ。人聞きの悪い。私の出世がかかってるんだから、ちゃんとやってよね」

 足元では白猫が二人の言い争いを見つめている。その頭を撫でて、梧桐は立ち上がった。

「あんたくらい美人で家柄が良くてもしんどいって、後宮ってとこは魔境だな」

 白猫は不思議そうに二人を見上げている。玫瑰は半歩後退りした。いつもは扇子を使うところを、手で追い払うような仕草をする。しかし猫がその意図を汲もうはずがない。まんまる目に少女を映すばかりだ。彼女は諦めたのか、息をついた。

「そうよ。後宮ほどじゃないにしても、あの方もいずれ巻き込まれるわ。守りたいんでしょ。なら本気でかかるべきだわ。ほら、顔見るくらいしてきなさいよ。あそこは今誰もいないんだから。裏から回れば止める兵もいない」

「こ、こんな夜ふけに行くなんて破廉恥だろ!」

 顔を完熟西瓜のように真っ赤にして慌てる梧桐。玫瑰はその背を容赦なく押した。

「夜通うものでしょう! 意気地なし!」

 ほら行けさあ行けと、彼女はけしかける。梧桐は渋々歩き始めた。それでも彼の信条に反するらしい。少し歩いては後ろを振り返る。玫瑰はそれを察したのか、こちらも振り返っては早く行けと言いたげな仕草を見せた。

 櫟は慎重に回り込むと、そんな梧桐の前にさりげなく出て行った。

「梧桐、もう出たのか。さっぱりしたか?」

 呪いには怯まなかった巨躯が、飛び上がらんばかりに驚いた。

「あんた、さっきの……!」

 胸のあたりを押さえて、梧桐は振り向く。さも何も知らないふりをして、櫟はからから笑いかけた。

「いやさあ。恥ずかしい話かもだけど、あんなの見た後じゃ眠れなくってさ。オバケってーの? 怖くってさあ。そっちは平気なのかよ。平気じゃなさそうだなあ」

 梧桐ははっとして背筋を正す。

「平気、じゃいられねえよ。あんなの初めてだし。塔の方々ってえのはいつもあんなのと対峙してんのかって思うと、な。年頃の女の子だぜ。それなのに」

「だよなあ。それでもあんた、動けてたろ。すげえよ。俺なんて固まっちまってたぜ」

 肩を叩くと、そうとう身体が強ばっているのがわかる。その憂い顔に、櫟はぐいと近づいた。

「あ、もしかして憧れてるとか? 何かにつけて盈妃さまのお側に近づいてたろ」

 そんなんじゃねえよ、と彼は僅かに体を離した。

「なんだよつれねえな」

 逆に櫟は一歩踏み込む。声を落として持ちかけた。

「まあ違うなら協力してくれよ。実はさ、俺本当はお近づきになりたくてさあ」

「どうして」

 眼光が急に鋭さを帯びる。それに呑まれてしまわないように、櫟はいなした。

「めちゃくちゃ可愛いじゃん。気丈に振る舞ってても俺の膝の上では可愛い子猫ちゃんになってほしおいおいめっちゃ睨んでないか。何だ、解釈違いか? お姉さん系でいてほしいのか?」

「そういう穢らわしい妄想はやめろ」

 躊躇なく梧桐は襟首を掴んでくる。ものすごく純情。そして本気だ。これ以上は手が出る。そんな気迫だ。

 けれど、もっと繰り出してくる手の早いやり手を彼は知っている。将軍の娘という肩書きを利用して、将軍顔負けの厳しい鍛錬を自らにも兵にも求めた少女を。伊達にぽいぽい投げられてきたわけではない。

「うそお。俺だって体はったんだぞお! 危険な任務に立候補しただろ!」

 一旦するりとその手から逃れるが、櫟は距離を置くことなく、逆に更に踏み込んだ。

「じゃあ、梧桐としては王弟殿下はどうなんだよ」

「……噂じゃ、殿下は自分の地位の確立のために利用してるんだろ。そんなの論外だ」

 吐き捨てるような言いぶりだ。表情にも嫌悪感が滲み出ている。

「今回の面子の中には、盈妃さまのこと、殿下を誘惑した悪女だって言ってる奴らもいたろ」

「そんなこと、きっとしない」

 淡々とした櫟の台詞に、梧桐はやや食い気味に声を重ねた。

「なんだ、昔の知り合いとか? 古参?」

 茶化すように尋ねるも、相手は頑なだった。さあな、とそっけなく返すだけ。櫟は再び肩を叩いた。

「戻ろうぜ。明日もあるんだ」

 頭ひとつ大きな彼を回れ右させようとするが、その身体は動かない。

「どうした?」

「いや、ちょっとその」

 しどろもどろになりながらも、彼の足は蝋梅のいる方へ向く。まだ望が戻ってくる気配はない。いや、既に立ち去っていたにしても、彼を蝋梅の元へ行かせるわけにはいかない。

櫟は夏空のように爽やかに笑ってみせた。

「どうした? 逆だぞ。もしかしてえ、俺の後ろに隠れたいとか? やっぱ怖いよな、そうだよなあ」

「そ、そんなわけねえよ」

「大丈夫、大丈夫。歌でも歌いながら一緒に戻ろうぜほらほら」

 なるべく目立つように、ずりずり引っ張って帰る。音痴な歌に、見回りの兵の視線が突き刺さった。さすがの梧桐も諦めるより他にない。

 肩越しにちらと後ろを見やると、白猫が尻尾を振って見送っていた。




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