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 熱気に溶けた月が空に浮かび上がる頃、村の広場には人々が集まっていた。無数の灯りを掲げて、昼のようにしているのは、兵たち。対して瘴気は、闇夜に乗じてじわじわと森から勢力を拡大していた。やがて村に入れば、標的を襲わんとするだろう。

 村の家々は、普段はそこまでつけない灯りをここぞとばかりに灯して、闇を寄せつけまいと抵抗する。軽装に着替えた蝋梅は、輪の中心で確認した。

「霊符は持っていますね。道案内の方も持ってください。梧桐、もし危険なようなら彼を連れて逃げること」

「あんたはどうするんですか」

 怪訝そうな顔に、蝋梅は微笑み返す。

「私は耐性があるから」

 その傍らで、玫瑰は怖いと怯えていた。霊符を握りしめ、きょろきょろと辺りを見回している。

「兵は村の護衛でいくらか残して」

 そう言いかけると、兵の一人が声を上げた。

「俺たちも行くなんて聞いてないぞ」

「安全なところで待っていればいいと言われた!」

「全部星守見習いさまがおひとりで解決されると伺っています」

 梧桐は目を剥いた。

「主を一人で行かせて、自分は安全地帯にいるなんて、武人の名折れだろうがよ!」

 蝋梅ははじめ目を見張ったが、すぐに気を取り直した。この場の指揮を執るのは、望ではない。兵も場慣れした精鋭ではない。それでも。ただの一人でも。

「行きましょう」

「待ってください!」

 櫟が樟を引っ張って一行に加わる。女官と他の兵は全て置いて、四人は夜の森へと歩を進めた。

「暗いですからおぶりましょうか。霧も出ていますし」

 持てる灯りは限りがある。広場のように煌々と焚くわけにもいかないから、足元程度しか照らせない。軽装とはいえ、森を歩き慣れない蝋梅には少々難易度が高い。しかし梧桐の申し出に、流石に首を横に振った。

「大丈夫。それでは幼子のようだもの」

「あー、梧桐クン。きみは道案内の人を任されたんだ。彼に集中しておかないと。なあ、相棒。きみが手を引いて差し上げたらいいんじゃないかな。俺は灯りを持ってるからさ」

 櫟はひょいと手にしていた灯りを取り上げる。その手を樟がとった。

 舞台にでも誘うように、その手つきは優しい。しかし武人らしくごつごつとした手のひらが、白魚のような指を包んだ。強引でもなく、それでいて先導を任せるほど弱くもなく。太い根につまづきそうになれば、逆の腕を掴んで支えてくれた。身のこなしに無駄がない。精鋭の一人だろうかと、蝋梅はその表情をうかがった。

(私に何かあっても、引き際を見極めて退がってくれる人がいないと)

 櫟一人で男二人を連れ帰るのは、骨が折れるだろう。

 松明の炎は、ゆらゆらと周囲を橙色に染める。しかし夜闇の色は強すぎて。はっきりとは見てとれなかった。

「現地では私より前に出ないで。何かあるといけないから」

 先導する櫟の背に、声をかける。肩越しに彼はとんでもない! と慌てた。

「盈妃さまに何かあったら俺、殿下に刺されますよ」

「盈妃?」

 聞き覚えのない単語だ。鸚鵡返しにすると、櫟はにっかりと笑んだ。

「蝋梅さまのことですよ。破邪の星、って呼び名は、殿下がしかめっつらなさるんで、みんなで知恵を絞って考えたんです。星神さまにまでヤキモチやくなんて、とんでもなく不敬ですよねえ。でも、それだけ大切なんですよ」

 ぎゅうっと胸が潰れそうになる。手に入らないものが目の前にぶら下げられているのだ。盈は満ちることを意味する。満月を表す望とかけているのだろう。家の名を冠することができぬ彼女に、配慮してくれたのかもしれない。

 ぬかるみに足を取られそうになるのを察して、樟が支える。

(しっかりしないと)

 蝋梅は足を踏みしめた。

 やがて、灯りのうちに墓地の端が入り込むころ、蝋梅は一行を止めた。墓地は周囲をぐるりと石で境界を分けられていて、その中は水を得た魚のように呪いが跋扈している。

「霧が濃くなりましたね。それになんだか息苦しい」

 言いながら梧桐は無意識に口元を袖で覆った。見えぬものには、深い霧に見えるらしい。が、毒々しい気は、呪いの対象でなくても息苦しくさせているようだった。案内役も櫟も、霊符を懐に入れているはずだ。しかしどちらも顔を顰めている。

「これはただの霧じゃない。瘴気よ。皆はここまで」

「はあ?」

 納得いかないといったふうに、梧桐と櫟が声を荒げる。が、蝋梅はそれを手で制して振り返らなかった。

「危ないから下がっていて」

 そう告げて、一人墓地に入っていく。灯りは持たない。手が塞がれば、光の剣が握れない。しかし足元は少しだけ先まで見えたまま。その光源は、まだ手を握ったままの樟。どうやら櫟から松明を失敬したらしい。彼の手にあったはずのものが消えている。蝋梅は不思議そうに立ち止まった。

「これ以上は危険よ」

 樟の表情は相変わらず隠れていて読み取れない。有無を言わさず、彼の手を引き剥がした。多少の抵抗はされたものの、ついに手は離れる。

 今度こそ本当に一人になって、蝋梅は奥の、崩れた墓の辺りを目指す。暗くとも、月明かりが遮られようとも、呪いを見透かす眼は、その気配を辿れる。すると傾いた墓の上で、揺らめくものがあった。中心から灯籠のように青白い光が漏れている。無数のそれらは、波間のくらげよろしく、ゆらゆらと漂っていた。何か仕掛けてくる気配も、怯えるほどの悪意もない。

 しかしそれでも案内人の度肝を抜くには十分だったらしい。ひいいと悲鳴が上げられた。それを無視して、蝋梅は神経を研ぎ澄ます。

(あれはただの鬼火。怪音の正体は常人の目には見えぬ汚染された魂の方)

 火の玉の明るさに隠れるようにして、闇の中を呪いがじわじわ攻め寄せる。

「我が縁の元に、その加護を現せ! 天枢、天璇、天璣、天権、玉衝、開陽、揺光!」

 蝋梅はすらりと光の剣を抜いた。地に刺すと、辺り一面に、眩い光が広がっていく。誤魔化しがきかなくなって、呪いに取り憑かれた魂たちが姿を現した。バレてはかなわないと、汚染魂が蝋梅に襲いかかる。しかし蝋梅は、剣を抜くそぶりはない。

 背後を取った一つが、まずは先陣とばかりに勢いよく彼女を襲撃する。それを木の剣が受け止めた。何でもない剣にそんなことはできない。桃の木で作られた特別なものだろう。しばし拮抗していたが、やがて力任せに跳ね返す。剣の主は樟。いつの間にか、すぐ側まで来ていたらしい。他の汚染魂も防ごうとするその剣を、蝋梅は止めた。

「まだ消してはだめ」

 襲いくる呪いは、細い身体を直撃し、纏うもやその意識を取り込もうと浸潤し始める。

「ぐっ……」

 衝撃によろめくが、足を踏ん張って耐える。そうしていると、次第に声が聞こえてきた。

 ――さびしい、さびしい。

 ――いっしょに、いっしょに。

(これは、あの方の家族)

 崩れた墓から感じる泣きそうな想い。そして。

 ウラム、ウラム。タタル、タタル。

 明らかに掘り起こされたようなところから発している悪意。その矛先を辿れば、尋常ではない怯え方をしていた男の家に続いていた。

「生死の境は分たれねばなりません。七星剣!」

 剣を抜き、一閃する。光は巨大な刃となって、魂の周りのもやを切り裂いた。切り裂かれたそれは、そのまま光に炙られ消えてゆく。

 蝋梅は小さな香炉を取り出すと、火をつけた。香りが、影のような人の形を炙り出す。

「なるべくこちらへ寄ってもらえますか。あなた方の事情を聞きたいのです」

 残滓から発される音は、絞り出すようなものから、消え入りそうな微かな話し声に変わっていった。

「我が恨み、まだ消えぬ。眠っていたのを叩き起こし、自らの利益の道具にしようなど。呪いの力を借りずとも、この魂、鬼となってやつらに仕置きをせねば」

 祖霊は胸の内を明かす。

「私はあなたたちをただ滅したいわけではありません。しかし、無辜の子孫まで巻き込みたくはないでしょう。ここに住まうのはあなた方の護るべき者たちのはず」

 勿論と荒ぶる魂たちの同意する声が、いくつも重なった。

「我々は子々孫々見守る為にここに在る」

 その一つが、高らかに言った。

 ならば、と蝋梅は口を開く。

「幾ばくかあなた方の力をお借りできませんか。因果応報と言いますから。あなた方の気持ちもおさまらないでしょう」

 諾する声が再び重なる。しかしそれは先程よりもだいぶ小さくなっていて。いつしか瘴気もなくなっていた。

「私は、」

 最後に残った、かなり薄い残像となった魂がわななく。

「呪いに取り憑かれて、取り返しのつかないことをしてしまいました。嫌ってなどいないのに、死んだことを忘れてさびしくなって、そうして呼んでしまいました」

 どうか、どうかと身体があったならひれ伏さんばかりの声が訴える。

「妻の呪いを解いていただけませんか。どうかお願いします」

 蝋梅はすっと村の方を示す。

「私ではなく、あなたが伝えねば解けません。愛する方の姿が、言葉が、どれほど心安らぐものか。私にもわかります。この程度の呪いなら、あなたが負けてしまうことはないでしょう」

 ありがとうございますと何度も老人の声は礼を言う。そうして蛍のように小さな瞬きは、空へ飛び去っていった。あっという間に見えなくなったそれを送り出して、蝋梅は辺りを見渡す。

 怪しき光も音も鳴りを潜め、梟の鳴き声や葉の擦れ合う音だけが聞こえてくる。礼をして香を消し、松明の灯りを目指して歩き始めると、樟が灯りを持って素早く駆け寄ってきた。

「どうなったんだ?」

 腰を抜かした案内人を担いで、境界の石垣の向こうから梧桐が尋ねる。

「もう大丈夫。悪意を増幅させていた呪いの部分を消したから」

 星冠を失ってから、剣を出して祓うのは初めてだ。これくらいはと思っていたが、違ったらしい。慣れぬ感覚に、一瞬眩暈がする。それを樟がさっと支えた。

「大丈夫」

 手で制すも、櫟が心配そうな顔で覗き込む。

「いや、盈妃さま無理しちゃいかんですよ。少しは」

「本当に、もう大丈夫」

 明るく返すも、誰もが信用ならないという顔をしている。樟は灯りを櫟に引き継ぐと、ひょいと蝋梅を抱え上げた。つい体勢を崩して、彼の首に抱きつく形になる。ごめんなさい、と反射的に体を離そうとするが、この赤家の兵は歩みを止めない。ここで抵抗すれば、彼も怪我をするかもしれない。蝋梅は諦めて身を任せた。

 ここまで近づくと、暗くともさすがに目元が見える。夜に塗られた空。魅入られたようにそこから目が離せない。胸がきゅうっと切なくなる。その首筋に顔を埋めてしまいたくてたまらない。

 見られているのがわかったのか、相手はちらと蝋梅をねめつける。言うことを聞かないじゃじゃ馬とでも思われていそうだ。蝋梅は、耳元で彼にだけ聞こえるように「ありがとうございます」と囁いた。


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