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 ほぼ予定通りに目的地に到着すると、村の長をはじめ、年長者たちが出迎えた。歓迎されていないわけではないようだが、雰囲気は重い。子どもたちの姿も見えなかった。

 まずは廟を清めて拝すと、蝋梅は村の長に声をかけた。かなり年老いてはいるが、足取りはしっかりしている。

「ところで、これから行くところのことを確認したいのです。森に瘴気が出ていると聞きました」

 長が目配せすると、初老の男がさっと地図を出した。

「はい。その森は墓地として使用している区域があるのですが、その付近が瘴気で覆われた頃から、夜になると妙な音や光が出ているそうです」

 骨ばった指先は、やや震えながらある一帯を示す。

「目撃者は複数人おります」

「昼のうちに様子を見たいのです。誰か案内を頼めますか」

 地図を持った初老の男が、すかさず「私が」と立候補した。

 長の息子だという彼は、すぐにその一角へと連れていってくれた。森へ入って、そう深くないところだ。生者と死者を視覚的に分けてはいるが、歩く距離はそうでもない。が。

「足元が悪いですから、気をつけてくださいね。昨日はこの辺は雨だったんです」

「あのあたりは?」

 より森の奥に近い方が、土砂で土に埋まったり、倒れたりしている。

「先週大雨がありましてね。崩れてしまったのでこれから直すところなんです」

 バツが悪そうに、彼は頭をかいた。雨が続いたのだろう。別段、それを咎めたりはしない。二次災害が起きても困る。

 それはそれとして。蝋梅はじっと倒れかかった墓をみつめる。幾つかにまたがるようにして、呪いが霧のようにかかっている。その一部は、村の方へと微かに繋がっていた。

「具合の悪い人がいませんか? 例えばこの家とか」

 蝋梅は地図を借りて、呪いの先を辿る。男は目を見張った。

「ああ、星神さまはそこまで見抜かれているのですね。最近体調を崩しておりまして、薬もあまり効かぬようです。春に家族を亡くしましたから、病は気からというものかもしれません」

 墓のひとつと、地図に書かれた家の名は同じだ。

「会えますか?」

 躊躇うことなく、尋ねる。男は狼狽えた。

「は……あなたさまにうつってしまっては」

「呪いであれば、医師も薬師も対処できないでしょう」

 蝋梅はきっぱりと言いきる。

 病の類というより、呪い。悪意が見える。その強弱はさまざまだ。

(いくつもの想いが、交錯して膨れてる)

 ざわざわと、ひんやりした風が吹き抜けてゆく。見えぬ者でも、それには思わず身震いした。取り憑くまではいかないが、敵意を感じる。

「戻りましょう」

 蝋梅が告げると、みな頷いた。




 祓いにこられたのですか、と女は袖を握った。伏していたらしく、髪が乱れている。老いた体に、どす黒い霧が、その乱れ髪よろしく絡みついていた。

「私は呪われているんですか」

 恐る恐る尋ねる彼女に、蝋梅ははっきりと言い切った。

「そうですね」

「……そうでしたか」

 老女はどこか腑に落ちたようだった。心なしか、口元に笑みさえ浮かべている。しばらく逡巡ののち、彼女は口を開いた。

「このままにしてもらうわけにはまいりませんか」

 寝台に腰掛けたままの彼女を、蝋梅は見つめる。返答はしない。静かに呪いの動向を注視していた。受け入れてなお、呪いは彼女の内へと完全に浸透してゆかない。

「苦しいままでいいのかよ」

 後ろで堪えきれずに梧桐が声を上げた。唸るような声に、女は身体を震わせる。それでも項垂れたまま言った。

「……私にはそれがぴったりです」

 今にも泣き出しそうな声だ。苦しげに、眉を寄せてさえいる。蝋梅は、横になるよう伝えた。老女はつぎはぎの布団をかぶって啜り泣く。屈んでその背を撫でながら、蝋梅は尋ねた。

「どうして呪いを消したくないと思うのですか」

 女は答えない。熱気の籠る室内で、窓も開けず震えている。部屋は異様に片付いていて、何か口にした形跡はない。水も飲んでいないようだ。そんなふうに蛹になっているその様子は、まるで。

「その呪いが、大切な方からのものだからですか」

 黒い蝶と化した呪いを、蝋梅は思う。大切に大切に抱きしめられていた卵。

 すると布団の蛹は、ややあって声を発した。

「あなたさまは、呪いの声は聞けるものですか」

「それが叫びとなって発露されれば」

 蛹は再び震えた。それでも奥からぽつりぽつりと、絞り出すように語りだす。

「死んだ家族が夢に出たのです。家族は窓を何度も叩き、私を呼びました。だんだん呼び声は大きく恐ろしくなってきて。生前では考えられないくらいに。私は応えませんでした。怖かったのです。死んだ者がそんなふうに呼ぶなど、道連れ以外にありえません。そうして昨日の夜。あれはついに悍ましい声を上げて入り込んできたのです。自分と一緒に来るようにと、そう叫びながら。恨まれる覚えなどありません。でも私はきっと、あれに嫌われていたのです。黄泉の国へと連れて行こうとするくらいには。そう思うと、あまりにも辛くて……」

「いっそ、連れて行ってもらおうと思ったのですね」

 更に小さく、蛹は丸まった。蝋梅の手のしるしは変わらない。光を帯びることはせず、そこにある。

「祓い終わったのですか」

 後ろで袖の影から玫瑰が囁いた。薄水色の髪は横に揺れる。

「祓わないんですか。今まで祓ってきたのに」

「嫌だという方を祓っても、また呼び寄せるだけ。一過性のものだとしても、根本的な解決をしなければ。今までのだってそう。祓ってくれとは言われたけれど、私は一時それを忘れさせたにすぎない。身を正し、周囲を清めれば、病も含め、ある程度妬み嫉みのやわらぐこともあるでしょう。けれど生きている限り、人と比べる心や、不安の種はなくならない。それらはいつしか芽吹いて、何かを呪い、そして呪われる。そしてまた、祓われるべきものとなってくる」

 後ろで梧桐が、やりきれない顔をして下を向いた。

「他の家も見て回れますか」

 蝋梅の意識は、次へと移っている。長の息子は、慌てて扉を開けた。

 次の家では、外に響かんばかりの声で、男が叫んでいた。家の中が酒臭い。けれども当人が酔っ払っている様子はない。見れば、割れた酒の瓶と中身が散乱していた。

「助けてください、早く! 早く! あいつらが!」

 窓や壁に向かって、指差してみたり悲鳴をあげたりと、こちらはだいぶ賑やかだ。手当たり次第物を投げてくるのを、梧桐が止めた。それでも暴れようとするその表情は、必死だ。

「ずっと幻を見ているようなんです。顔色も土気色で」

 村長の息子は、もうお手上げと言わんばかりに肩をすくめた。

 蝋梅は暴れる男をずっと見つめる。先程の老女とは違い、呪いが身体を蝕もうとしている。幻覚や幻聴は、目や耳を覆われているせい。その端っこの方に触れると、遠くで喚くような恨み言が聞こえた。

 ――ウラム、ウラム。

 そう何度も繰り返される。蝋梅は左右に目配せすると、男の家を出た。


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