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 一直線に進んでゆく。気配も何もわかったわけではないけれど、がむしゃらに猪突猛進。細身でも小柄でもないけれど、速さでそう負けてはいない。幼い頃から山を駆けてきたのだ。そんな自負がある。

 しかし、その進路に特に怪しい者はいなかった。いや、怪しくてもわからないのか。見渡せば、同じような格好の兵たち。まだ互いの顔と名も一致していないのだ。紛れていてもわかるまい。

 梧桐はため息をついた。傍らに、先程蝋梅の髪に挿したのと同じ花が見える。何の反応もなかった。

(……桔梗)

 踵を返そうとすると、兵たちの話し声が耳に入った。

「筋金入りの箱入り娘って感じだよなあ。何でも思い通りにしてきたんだろ」

「わざわざ車降りてさあ、いちいち祓ってくの。偽善ってえのか? 俺たちで教えてやろうか」

 下卑た笑い声だ。これまでも聞かなかったわけではない。ただの冗談。暇つぶし。そんな時もある。

「いいね。女官も綺麗どころを集めてきたが、その主人は更にときた。どんな声で鳴くのか楽しめそうだ。殿下に嫁ぐ前に、色々知っておいた方がいいよなあ」

 けれど。明らかに彼女を指しているならば。彼女に届く位置ならば。

 無防備に手を差し出してくる彼女の姿が浮かぶ。貴賤関係なく、何の見返りもなしに祓い、自らを犠牲にする彼女。

「逆に貴族の偉いさんから感謝されそうじゃね?」

「おい、そういうのを不敬っていうんだろ」

 やや被せ気味に、台詞をかき消す。やや年嵩の男は、明らかに不満をあらわにした。

「ああ? 綺麗事ぬかしてんじゃねえよ」

「おいおい喧嘩かあ?」

 周囲が色めき立つ。複数の悪意が、梧桐を囲んだ。怯むことなどしない。

(俺は、兄貴だから)

 握りしめた拳が、交差した。



「祓除の前にこんなふうになられては困ります」

 玫瑰に手当てされながら、梧桐はむくれた。殴り合いの喧嘩はすぐに止められ、相手の一行は少し離れたところで治療されている。多勢に無勢だが、引けは取らなかった。向こうからもまだちらちらと、敵意が向けられている。

(こんなのでも呪いになるんだろうか)

 ちらと上を向けば、傷の具合を覗き込んでいる蝋梅が見える。何か祓っている素振りはない。

「私を庇ってくれたんだって? ありがとう」

 目が合うと、彼女は礼を言う。

「できてしまった傷を、私は治せない。ごめんなさい」

 眉尻を下げて、そう告げる。

「止めないんですね、呪いを背負うの。止めたら楽になれるでしょう」

 声に、つい苛立ちが滲む。彼女のそれを、他の誰かが揶揄するならば拳を上げる。けれど、そうあってほしいわけではない。

「私はそういうものだから」

 梧桐の脳裏に、幼い少女の姿が浮かぶ。痩せ細って、ぼろぼろの布を纏うだけの。

 ――ねえ、私のお願い聞いてくれる?

「……それは、そう思い込まされてるだけじゃないのか」

 そうこぼすと、藤色の衣に身を包んだ少女は首を傾げた。

「いや、なんでもないです」

 梧桐はゆるくかぶりをふった。





「この先は盗賊の出る道を迂回するので遠回りになります」

 隊の長が説明にくる。星守の読んだ結果を告げているだけだ。あらかじめ知らされていたから、驚きはない。が、玫瑰は扇子の陰で「まあ怖い」と声を震えさせた。

「大丈夫です。お守りしますから」

 そう口にする梧桐と目が合って、蝋梅は口元を扇子で隠した。もごもごしている中はもう身ぐるみ剥がされて種だけになった三つめの梅干しがいる。怖いも何も、盗賊とは遭遇しない。百合の目はしっかりと先を見据えている。それよりも。

(この梅干し美味しい。どこで買ったのか聞きたいな)

 まずは種をどうにかしてから。こっそりと扇子の陰で種を吐き出して紙に包んでいると、玫瑰が近づいてきた。

「どうかなさいましたか?」

 蝋梅ははっとする。手の中の小さな壺は、やけに軽い。つまり玫瑰の分の梅干しがない。もう少し持ってないだろうかと、梧桐の方を見やる。しかし彼の姿は、他の兵に紛れてしまっていた。

 玫瑰はその視線の先を目ざとく追う。

「まあ、それは! 恋! の芽生えかもしれませんわ!」

「梅干しに?」

 思わず声が裏返る。玫瑰の向こうで、梅干しを空にしたのを見ていた桂花が、がくっと肩を落とした。が、知らぬ玫瑰には聞き間違いと思われたらしい。こそりと耳打ちするように、話を吹きこむ。視界を、彼女の扇子が遮った。誰にも見えぬように、聞こえぬように。

「最近の殿下は、仕事の合間にもっぱら色々な娘と手当たり次第に会っているそうじゃありませんか」

「――え?」

 急に、息が詰まりそうになる。

「釣った魚には餌をやらないものです。蝋梅さまも戻れば今度はいつ出られるか。お楽しみになられてはいかがです」

 ぬるい蜜のような声が、蝋梅を絡めとろうとする。さっと、脳裏に花朝節でのひと時が浮かんだ。艶やかに着飾った娘たちに囲まれる望。

「……私はそのために来たわけじゃないもの」

「そんなつもりで申し上げたわけでは。ただ、あなたさまの気が塞いでいらっしゃるようでしたら、楽になっていただきたくて」

 玫瑰は更に顔を寄せる。名と同じ香りが、鼻をくすぐった。妖艶、というのは違う。もっとそれに相応しい紅を見ているから。ならばこれは何と表そう。甘さの中に清純さを織り交ぜながら、絡みついて離そうとしない。

「星守さまのおかげで、あの呪いの元凶はなくなったのでしょう。もう、あなたさまに頼らずともよくなった。予定されていた下げ渡しの儀礼がなくなったと伺いましたし、あなたさまが呪いの鎮めのために天公廟でお勤めになるお話も出ているとか」

 ぎゅっと胸が締め付けられる。後宮は噂の巡りが早い。そこにまで話が及んでいるのなら、当事者とはいえ、知らされていないのは自分だけ。

 下げ渡しがなくなったのが本当ならば、他の妃を娶るのも当然だろう。

(自分が本来の役目を果たし終えたのは事実だ。もう、いついらなくなっても命が潰えてもおかしくない。そうしたら、他の人の手を取るのだ)

 苦しい。早鐘を打つ鼓動は、反響して全身に響き渡る。夏の暑さを忘れる程に、心が凍る。

 彼ならば、誰でも魅了するだろう。誰に対しても優しくあれるだろう。

「ならば、ならばですよ。誰の目もない外で、愉しむのも一興ではございませんか。これからもあなたさまは邪を祓いに行かれるのです。この場限りというわけではございません」

 ひら、と玫瑰の扇子が取り払われる。その先で、ちらちらと気遣わしげに見ているのは梧桐。けれど蝋梅の焦点は、そこには合わない。ふいと馬車の方を向くと、奥へと乗り込んでいった。

「ああ蝋梅さま、あちらに珍しい案山子がありますね。おかしな顔」

 玫瑰は何かにつけ話しかけてくる。野の花のこと、この辺りの名物のこと。気晴らしなのだろうか。蝋梅は格子越しにそれを見やった。確かに人の顔というよりは、福笑いのように不自然に歪んでいる。それでいて服も着せ、足までしっかり作られている。

 そうやって下の方まで目をやったところで、田に張られている水に違和感を覚えた。うっすらとだが、澱んだ気がある。水が汚れているだけなら、そんな感覚はない。

「……何か気になるところでも?」

 玫瑰が尋ねる。

「止めましょうか」

 蝋梅が答えるのと同じくらいに、彼女は兵に合図を送った。

 降りてみると、澱みは一箇所だけにとどまらず、連綿と続いていた。

(何か水を巡って諍いでもあったのかもしれない)

 少し先にいっとう濃い澱みが見える。そこで底をさらうと、恨みごとを書きつけたかわらけの破片があった。

 ――狡い。お前だけ。

 手の甲に集中して、それを祓う。はらはらと空気に溶けるようにして、澱みは消えていった。

 見えぬものには、何をしているかわからない。蝋梅はかわらけを見えぬよう埋めてから、

「待たせてごめん。行きましょう」

と告げた。

「不公平にはなりませんか。救われた者は感謝しますが、仕掛けた者は恨むでしょう」

 びっくりするくらい淡々と、玫瑰は問いかける。蝋梅は水で土を流して立ち上がった。

「公平になんて、どうしたって無理だもの。でも、この力を持ったまま放っておくのはどうかと思うから」

 手巾からちらり、北斗のしるしが覗く。

「素晴らしいお心がけです」

 同じ声音のまま、この女官は拱手した。

「わたくし、誠心誠意お仕えいたします。ああ、何か必要なものはございますか。甘いお菓子は? 飲み物でもお持ちしましょうか」

「大丈夫よ、さっきも休んだもの」

 蝋梅はさっと馬車に戻る。しかし玫瑰は引き下がらなかった。

「そうおっしゃらず。緑豆糕です」

 差し出された包みの中には、手のひらに乗るくらいの菓子がいくつか入っていた。ありがちな縁起のよい文字の他に、黄花菜の花があしらわれている。

 黄花菜と言えば、黒妃の名だ。

 馬車の中ではあるが、口にしようものなら黒家との関係を噂されても仕方ない。人の口に戸は立てられない。

「宮殿ではこんな型まであるのね」

 そう言及するに留めておく。

「それは私物です」

 言われて蝋梅は目を丸くした。

「私が作らせたのです。料理は得意ですから」

 横から桂花が、黒妃の名をあしらったものを口に放り込む。

「聞いたことがありますねえ。先の黒妃が先王陛下にお渡りいただくために、女官に命じて料理でもてなしたとか。柘榴一辺倒だったとはいえ、多少関心をひきはしたと聞いていますよ。それがあなたでしたか。過去にはそれで覚えがよく、文字通り胃袋を掴んでお手つきになった者もいたそうですねえ」

 そう言って、猫よろしくぺろりと指を舐めると、玫瑰は眉をひそめた。

「私も作れるようになったら、殿下の胃袋を掴めるかな」

 ぽつりとこぼす。

 料理人として採用してもらう道も有りか。求人はどこを訪ねたらよいのだろう。そんなことに考えを巡らせていると、女官二人は何とも言えない顔をしていた。

「あなた心臓をがっつり握りしめてるくせに何を今さら」

「あなたさまが厨房に入られるのですか?」

「握れてないし、前は焦げ散らかしてたから……」

 水仙や百合と作ったのはついこの間のはずなのに、随分と遠く感じる。蝋梅は、何だか少し郷愁にかられた。



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