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 出立の手筈はすぐに整った。蝋梅が向かうと、慣れぬ様子の兵たちが、辺りをきょろきょろともの珍しげに眺めているのが見えた。

「よくこの短期間に人を集められたのね」

「皆待ちわびているのです。恐怖から解き放ってくださるあなたさまを」

 同行するという女官の一人が、恭しく礼をした。少し年上の彼女は、玫瑰と申しますと名乗った。雪のような肌に、紅がよく映えている。そして、ほっそりとした柳のような体つき。兵たちは見惚れたようにぽかんと見ている。あれが例の、と囁く声が聞こえた。

 蝋梅もまた、まじまじと彼女を見つめた。

「どうかなさいましたか?」

 声をかけられてはっとする。いえ、と誤魔化すと、脇からひょこりともう一人が割って入ってきた。その姿に蝋梅は目を丸くする。

 こちらも蝋梅よりも歳の頃は上。だが彼女とは正反対の、妖艶な目元が印象的な美女だ。猫のような笑みを浮かべると、挑発でもするかのようにぐいと近づいた。

「お噂はかねがね。先の黒妃に仕えていらっしゃったんですよねえ。その熱心な仕事ぶりたるや、若いながらも女官頭に推薦されてもおかしくなかったとか」

 玫瑰は扇子の向こうでころころ笑った。

「お上手ですね。あなたとは初めてお会いしますわ」

「申し遅れました。私は赤桂花。赤家でも分家の分家。最近宮殿に上がったばかりですので、至らないところもありますかと。かの秘蔵の花にお目にかかれて光栄です」

 優雅な礼だ。兵の視線から、好みが二分されたのがわかる。粒揃いの女官の中でも、上位に入るほどの美貌だろう。

 その二人の向こうから、今度は少し強面の青年が、にょっきりと姿を見せた。かなり大柄でがっしりとした体躯だ。彼は玫瑰のやや後ろで、ぎこちなく礼をした。

「彼は梧桐と申します。武芸の才は、先日の正妃さま主催の武術大会でも五本の指に入ったほどです。その腕前で、此度は蝋梅さまの護衛の任につかせていただきます」

「命にかえてもお守りします」

 玫瑰の紹介に続けて、梧桐が誓う。蝋梅は勢いよく首を横に振った。

「それは困る。危なかったら何をおいても退避すること。他の方にも伝えてください」

 その言葉に、青年兵は眉根を寄せ、何か言いたげに口を開いた。が、それはすぐに飲み込まれた。彼は口数少ない性質らしい。それから馬車に乗り込むまで黙って警護していた。

 見習いと言えど、塔の人間には特別待遇が約束されている。屋根部分だけのものではなく、周りも遮られた軒車が用意されていた。格子窓から外を眺めると、ゆっくりゆっくりと街並みが流れてゆく。こんなにゆっくりとしているのは、花朝節の時以来だ。

 街並みはやがて門をくぐると豊かな田畑に変わってゆく。

(殿下と見たかったな)

 蝋梅は、彼がいるであろう遠くを望む。姿など見えようはずもない遠くを。

(まずは今日。しっかりとやり遂げないと)

 初日は近いところから。言葉どおり、やがて馬車は動きを止めた。

 悪鬼や化け物とは程遠い、小さな澱みだ。しかしそれがちょっとしたきっかけで膨れ上がるものであることも、ありふれたきっかけであることも、蝋梅は知っている。体の不調や人間関係の拗れ。その一切を断つことなどできはしない。

 小さな澱みはすぐに祓えた。あとはその村の廟を清めさせ、星神と祖霊に供物を捧げ、祈ればよい。人々は入れ替わり立ち替わり、何度も拝した。あとは自分たちが去っても続けてくれればよいが、強制するわけにはいかない。事が済めば、蝋梅はさっと立ち去った。

 小さなことの積み重ねだ。朝早くから出かけて、夜には戻る。慣れぬことではあるが、玫瑰がこまめに飲み物や軽食を出してくれた。人前に出る時には、髪や化粧も直してくれる。後宮の妃や女官と違い、ことさらに飾り立ててこなかったから、はっきりとした紅をひかれた時にはむず痒さがあった。

「ここいらは都に近いですから、まだいいもんです。威光の届かない遠方は、鬼が夜中に闊歩するところもあると聞きました」

 馬車の準備を整える間、見送りに来た老人は、そう言って身を震わせた。

「蝋梅さま。私の耳にも入っています。そろそろ遠方に足をのばしてはいかがでしょう」

 玫瑰もそう進言する。すると反対側から、桂花がしなだれかかってきた。

「随分真面目ですねえ。こう連日連れ回しては、蝋梅さまがもちませんよ。おひとりなのですから、労わって差し上げないと」

 爪の先まで夏の花のように彩られた指で、彼女は蝋梅の肘のあたりを撫でる。まるで膝の上の猫でも撫でるように。玫瑰はその手つきに、僅かに顔を顰めかけた。思いとどまったのはさすがというべきか。それでも、無礼ですと、ぺしりと手を払いのけた。

「しかし、陛下が天公廟に昇られるまでに少しでも減らしませんと。陛下の身に何かあっては困りますでしょう。ひいては指揮をとられる王弟殿下の評判にも関わること」

「桂花ありがとう。私なら大丈夫よ」

 新米女官は、むっとした表情を隠そうともしない。真夜中にも爛々と輝きそうな目で、玫瑰を捉えた。

「ならば構いませんが、ひとつ話しておくべきことはありませんか」

「話しておくべきこと、ですって?」

「ええ。あなたの不名誉な二つ名。噂は本当なんですか?」

女官にしては濃く引かれた紅が、不敵な笑みを彩る。

「新米風情が、どうしてそんなことを」

 表情は変わらずとも、その淡い墨色の袖が握りしめられているのを蝋梅は見逃さなかった。

「何かあってからでは遅いでしょう」

「噂って?」

 そう尋ねると、彼女は扇子で顔を隠した。

「戯言にございます。お耳にいれるまでもございません」

「おやおやあ、隠し事ですか? やましいことでも?」

 妖艶な声が畳み掛ける。が、彼女はそれをぴしゃりと跳ね除けた。

「後宮では足の引っ張り合いなどよくあること。それとも何か。あなたは私を陥れたいのかしら」

 そう言い放つと、素早く踵を返した。

「まいりましたね。怒らせてしまいました」

 台詞とは裏腹に、彼女は愉快そうだ。馬車の奥の席に蝋梅を誘うと、入り口側に自らは陣取る。その耳元で、蝋梅は密やかに耳打ちした。

「あなたも話してないことがあるでしょう、金華」

 にんまりと、唇は三日月の形に変わる。

「ああ、やっぱりバレてましたよねえ」

 まだ空に月の浮かぶ時間ではない。女の姿のまま、袖の影で彼女は笑った。後宮を引っ掻き回した時とはまた違った姿だ。

「最近見なかったけど、どうしたの」

「女官修行中なんですよ。自活しようと思いましてねえ」

 蝋梅は訝しみながらも窓の外へ目を向ける。その視線の先には、玫瑰。兵の長と、何やら地図を見ながら話している。その体には、見えるべきでないもやが見えていた。

「彼女、祓っても祓っても何かから呪われている。宮殿から繋がるものじゃないわ。もっと別の。根本から断ち切らないとどうにもならない」

「そうでしたか。やはり不運の女官の二つ名は伊達じゃないと。縁起を担ぐ後宮では、運の悪さは嫌われますからねえ。こちらにつけられたのも頷けるというものです」

 外から見えないのをいいことに、彼女は大胆に欠伸する。猫のままなら昼寝していたはずの時間に活動していたのだ。欠伸を連発するのも無理はない。それでも、恨み言を言う口は止まらなかった。

「まったく焦りましたよ。ゆっくり修行しようと思っていたら、突然外に出るっていうじゃないですか。しかも殿下の留守中に。きな臭いにもほどがある。無理言ってねじこんでもらいましたけど、私はかよわいですから武力はからきしですよ。いざって時は魅了術全開にしますからね。せいぜい巻き込まれないように自衛してくださいよ」

「ありがとう、桂花」

 ふわふわの毛並みの代わりに、撫でるところをつい探す。しかしどこも猫にするようにはできなさそうで、蝋梅は少しばかり肩を落とした。

 すると、外から扉が遠慮がちに叩かれた。

「おや、梧桐でしたっけ」

 三回目ともなると慣れてきたのか梧桐もぽつぽつ話をしてくれるようになった。はじめのうちは、目が泳いでいたのだが。

「塔の方々なんて、お貴族サマ以上に滅多と見られるもんじゃありませんから」

 そう弁解しながら目を逸らしたものだった。伝達事項かと問うと、いや、とやはり目を逸らす。

「これを、蝋梅さまに」

 よく日に焼けた手から差し出されたのは、大ぶりの真白い花のついた枝。馬車の中に閉じ込められるや否や、その芳香は蝋梅を魅了した。

 梔子の花じゃありませんか、と横の女官はしげしげと手に取って眺めている。その花弁が揺れるたびに、芳しい香りは広がった。

「何かいい匂いがしたんで。俺は少しもわからねえんですが、こういうのがいいって聞きました」

 花に顔を寄せるようにして、桂花は艶っぽく笑む。

「そうですとも、そうですとも。お疲れですから、少しでも癒していただかないと」

 手は枝を握りしめたまま、主人に取り次ぐ気配はない。

「ありがとう、梧桐」

と礼を言うと、彼は僅かに相好を崩した。途端に、梔子とは違う匂いが漂ってくる。この香を、術を、蝋梅は知っている。ぎょっとして蝋梅は隣を見た。

 にこやかに枝を振って、金華は扉を閉める。窓の向こうの彼がどんな様子か、女官の頭で見えない。

「今は有事じゃないでしょう」

 そう袖を引くと、金華は呆れたようにため息をついた。




「あんな女官がいるなんて、うかがっておりません!」

 苛立ちを含んだ声が、男をなじる。相手はそのぼってりとした腹と同じように、動じることなく髭を弄んだ。

「赤家が焦ってねじ込んできたんだ。商家の娘らしいが、それだけだ。他に何も出てこない。そなたなら上手くやれるだろう、玫瑰」

 完全個室の茶室は、上等な調度品で飾られている。ここを使うに相応しいものしか入れない場所。男の柚葉色の衣が、燭台の灯りを受けて少し若い色合いになっていた。

「陰気と言われていた先の黒妃の宮を盛り立てた功労者。私はそなたを高く買っているのだよ。これに成功すれば、女官頭にするよう口をきくと言っただろう」

 玫瑰は、納得がいかない顔をしつつも口をつぐむ。伏せた眼で、薄墨色の衣を映しているようだった。それを横目で見て、男は小さな茶器を持ち上げた。

「そうそう、あの娘の下げ渡しはなくなったらしい」

「そんなことがありえるのですか? 先王と先の星守さまの承認を経たものが」

 わからん、と男は横にかぶりを振った。

「ただ、あの殿下が簡単に折れるとは思えん。早々に完遂する他ない。星守さまが着任したばかりの多忙なうちに、その目を欺くのだ。そなたも命は惜しかろう」

 玫瑰は礼をするとその場を後にした。

 男はしばらく一人で茶を愉しむと、側仕えの者を呼ぶ。そうして上の柚葉色の衣を脱ぎ捨てた。

 新たに羽織ったのは、鮮やかな雄黄色。黄家の中でもごくごく一部の者しか着られない色だ。店の裏につけた馬車に乗り込むと、中では同じ色の衣の若い娘が待っていた。

「お父さま」

 娘はそう微笑む。金に糸目をつけずに飾られた髪飾りが、しゃらしゃらと音を立てる。流れる髪は艶やかで、少し大人びた雰囲気に化粧を施されている。彼の自慢の娘だ。

「おお、梨花。さあ、殿下のもとへ向かおう。お疲れのところを癒して差し上げないと。あの悪女には長らく会っていないと聞くから、毒気もほどよく抜けた頃だろう」

 まあ、と扇子の影で娘は嬉しげに笑う。化粧とは逆に、愛らしさの滲む笑顔だ。

「ようやくお近づきになれるんですのね。これまでお話するくらいが関の山でしたが、わたくしの魅力でかの悪女を忘れさせてさしあげますわ」

 うっとりと虚空を眺めるその様子は、夢見る少女。これまで第二王子妃候補といえば、蘭が半歩先んじている以外は横並びと思われていた。しかしその蘭は、一足飛びに王の正妃へ。これには他の家の者たちは、ほぞを噛んだ。それでもまだ、世継ぎを産めば芽がある。しかし王弟ときたら。正妃以外は娶らないと公言しているという。

「何としても振り向かせないと!」

 父も想いは同じだ。

 宿営地に着くと、一人の男が供を連れて出迎えにきた。にこやかなその青年を、知らぬ娘はいない。むさ苦しい男たちの中で清涼剤となっているのは。

 連翹さま、と娘はつい口にする。父親の方は聞こえぬよう舌打ちした。

「これはこれは。銀杏さま自ら出向かれるとは」

「はは、即位の儀など、そう関われることのないものだからなあ。して、殿下は?」

 眼中にないとでも言わんばかりに、銀杏は辺りを見渡す。警戒していた他の青い衣は見えない。

「もうお休みですよ。作業も大詰めですからね。しっかり休んでいただかないと。来客がある場合は、代わりに僕がおもてなしするよう仰せつかっています。たまには酒席のひとつも設けさせてください。五家の結束が大事ですからね。明日はご案内もいたしますよ。殿下はあの大犬であちこち飛びまわられますから」

 ふんと銀杏は鼻を鳴らす。肉の間からぎょろりと目をぎらつかせた。

「星神の加護のない地へ神隠しされた者が。そなたに今できるのは、王弟殿下に媚びへつらうことのみ。そなたの歓待などいらぬ」

 しかしこの若人もさるもの。まったく気圧されぬどころか華やかな色気を振り撒き始めた。

「媚びへつらうことのみ? いいえ。確かに席は一時失いましたが、僕の最大の武器はこの美貌と才能。それは異境の美容術にて更に磨かれてきたのですよ! こちらへ戻ってから、僕が指揮した香水、化粧品の類が後宮を中心に広まっているのをご存知でしょう。ささ、梨花さまもいかがです? 薔薇水で作らせた、化粧水です」

「まあ! いい香り!」

 娘の方は素直に感想を口にする。連翹はここぞとばかりに手を取った。

「あなたのような可憐な方の美しさを磨くためにこそ、使ってみてほしいのです。おひとつ差し上げましょう」

「連翹さま」

 先程まで逆転に燃えていた瞳は潤み、頬は夕陽のように染まっている。

「誤魔化されんわ」

 銀杏はそう吐き捨てた。

「そなたも下げ渡しがないと聞いて飛んできたのだろう。以前もあの破邪の星を妻として、殿下を取り込もうとしたものな」

 髭の先を弄りながら、でっぷりとした腹を揺らす。

「本当に美しいと思ったから求婚したまでですよ」

 他の娘の手を取りつつも、きらめきを振りまく連翹。それでも娘は連翹に釘づけだ。

「ほう。破邪の星を餌に王子を誘き寄せ、その種を宿らせて弱みにしようとしていたのだろう。青家の当主の考えそうなことよ」

「はは。さすが黄家の当主の弟君でいらっしゃる。面白い物語が書き上がりそうですね」

 ばちばちと二人の間で火花が散った。



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