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 退がれと叫ぶ声があちこちから聞こえる。兵たちは霊符で固めた盾を前に出し、じりじり後退した。

 煙が徐々にひいていくと、中央の状況が見えた。

 赤黒い結晶の中の二人の名を、口々に周囲は叫んだ。それをおかしげに紅榴は眺める。

「このまま朽ち果てられたら幸せかもしれないわね。呪いに魂を焼かれながら。苦しんで苦しんで苦しんで」

 でも、とその表情は一変する。かっと目を見開き、口元を歪ませる。

「二人なら耐えられるのかしら。私は引き裂かれたのに? そんなの許されない。あなたたちに幸せなんて与えない! 私と同じように!」

 紅榴は再び焔を巡らせる。二人を裂くように焔は突進した。

「させるか!」

 菊花は床に霊符を叩きつけた。星座を模るように点々と地がきらめく。そこから白い蝶が噴き出した。かつて牡丹が襲われたのとは逆に、今度は紅榴へと向かってゆく。

「児戯ね」

 けたけたと神だった女は笑う。身体を焔が焼いている。それなのに愉悦に浸ったような顔で呪いをふりまく。その一片は王太子へ。

 飾ることを忘れたその青年は、ようやく呼吸が落ち着いてきたばかりだった。呆然とした状態で、なりゆきに身を任せている。蘭が引きずろうにも間に合わない。

 百合の代わりに、水仙が霊符で結界を張る。業火はそれを焼ききった。衝撃に水仙は尻もちをつく。

「愚かな人形、壊しなさい!」

 黒々とした焔が朔へ殺到するも、蝶がそれを阻んだ。代わりに焼けてボトボトと落ちてゆく。下に霊符の燃えかすが溜まっていった。

「まだ未練がおありなら、お退がりください」

 ちらちらと手のひらの霊符をちらつかせながら、蘭が脅す。

「未練? そんなものなくなったって、あなたのしたことは変わりないわ。父殺し、王殺しの反逆者!」

 言葉巧みに、紅榴は朔の心を蝕もうと叫んだ。

「俺は、」

「もう取り返しなどつかないのよ。茨の道でも、私の傀儡となるしかないの!」

 耳元で威勢よく手が打ち鳴らされる。異臭に朔は鼻を覆った。

「このままついていけば、あなたさまは暗愚なままでしょう。けれど、ご覧ください」

 蘭は百合を手で示す。あの呪いに覆われた天幕を剥がしきった彼女を。

「彼女はやり直すことをしかと選びました。結果、星に認められた。あなたさまはどうなさるのですか」

 朔の青が、百合を映す。他と違う星の冠を戴く彼女。それは呪いに溺れ、苛まれていた彼女ではない。美しく輝ける星。

 朔は目頭が熱くなった。何も覚えていないのだ。父を切った感触を。彼女を絡めとった夜のことを。弟に呪いを移したことを。愛していると、慕っていると思っていた人が、自分を利用していたことを。

 何も知らなかった。

(それは俺の、罪だ)

 ――これから少しでもお返ししてゆかねば。

 かの星も、脳裏できらめく。

 動かなければ。立たなければ。

 けれど魂に侵食する彼女の呪いが、甘美な響きを与えてくる。

「呪いは愛。愛してくれるというなら、私の願いを最後まで聞き届けて」

 呪いは苦しいけれど優しい。優しいけれど、そこに自分はいない。

「俺は、」

 声が震える。

「自分の意思で、」

 呪いの中で、しっかと意識を留める。

(蝋梅が、望が戻るまで。俺は呪いを離さない。自分自身も)

 その時。

 紅榴の後方が突如崩れて。巨躯が飢えた猛獣のように吠えた。




 柘榴を初めて見たのは、珠が陥落して間もなくのことだった。捕虜となった者の中に、舞の名手がいると噂になり、献上されたのだ。

 彼女の舞い姿は見たこともないほど艶やかで、確かに心動かされた。彼女を推薦した者が、自分の手柄にすべく妾にと熱心に勧めてきた時も、二つ返事で了承するほどに。

 ――俺は反対だ。兄上の命を狙っているかもしれん。

 長庚はそう反対した。

「王家と縁のない旅の踊り子ではないか。何の恨みがある? 星守は吉と出した。わしの勝利が得た戦利品のひとつにすぎん」

 驕っていたのだ。何もかもうまくいくと。彼女は慎ましやかに冷宮の手前、小さな宮に入った。

 あからさまに媚びたり、下卑た小細工を弄することはしない。そうしてどういうわけか、たちまち赤妃と懇意になった。

 赤妃の笛の音に合わせて彼女が舞う。いい友人ができたと、蓮は微笑んだ。

 ――とにかく話が合うの。服も音楽も。何だか仕草まで似ている気がするわ。妹みたい。柘榴といると、あっという間に時間が過ぎるの。

 確かに似たところがある。だが特別、足繁く通ったわけではなかった。

(そうだ、特別ではなかった)

 柘榴も、実のところを言えば蓮も。

 心を、情熱を燃やしていたのは版図の拡大。その道のりにあっては、後宮にはさほどかまけてはいなかったのだ。

 一番はじめに王子を産んだ者を正妃へ。ただし他の妃にも同じように通った。それが王の務めで、そして晶華を保つためには五家の均衡が重要だから。

 かの国の神を星神の下におさめた後。その快進撃は止まる。王がしばしの休養を余儀なくされたためだ。

 頭が重い。身体がだるい。

 疲れが出たのでしょうと医師は診断した。塔でも、星からは何も見えないと、気休め程度の祈祷が行われた。

 暇を持て余して後宮を見渡せば、蓮と柘榴が楽しげに琵琶を挟んで話していた。

(ここは、こんなにも心躍る場所だっただろうか)

 蓮が奏で、柘榴が舞う。奏で、舞う。頭が重い。音色が反響する。

 ――お恨みしますぞ。

 振り返れば、これまで弑してきた国々の亡霊が、足首を掴んでいた。

 夢で何度も見た光景だ。年を経るにつれ、その屍は増えてゆく。

(それくらい覚悟の上だ。今更怯えるものでもない)

 ここに念入りに張られた結界が、星の護りが、害を防ぐ。これまでもそうやって守られてきた。

「陛下?」

 そう呼びかけてきたのは、蓮だったか、柘榴だったか。記憶を手繰る。

 どちらだ。いや、正妃は蓮だ。蓮こそが。

「陛下、あなたさまの描く未来を、私も見とうございます。今は英気を養う時です」

 進めぬ苛立ちが、なぜか蓮といると緩和された。心地よさに、後宮に足が向く。他の宮からは足が遠のく。臣下も、やつ当たりされるよりはと止めなかった。

「兄上、どうしたんだよ。体動かさないと鈍るぜ。王子たちも上達したぞ」

 頭が重い。身体がだるい。蓮なら。

「陛下らしくありませぬよ! シャキシャキ歩く!」

(そうだった。あれは、そういう女だった)

 蕩かしはしない。行けと背中を押す女だ。そうやって版図を拡大してきた。

 ならば。

 ――戦はおやめくださいませ。

 夢の中であのような、しなだれかかるような言を発したのは誰か。

 涙ながらに、なぜ帰らぬのかと縋るのは。

 蓮と柘榴の姿が重なる。

「何ということだ」

 柘榴の寝台での睦言は、いつも夢見心地だった。

 ――寝室での戯れは、全て私の術によるもの。あなたはずっと、夢を見ていたの。

「わしは、愚かであった」

「お目覚めですか、陛下」

 星守さま、とまだ混濁した意識は口にする。

「そなたの星守ではありませんよ、啓明」

「……先代」

 大きく息をつく。

「わしの星守は」

 言いかけてぶるりとかぶりを振る。だんだんと夢から覚めてきたように、意識がはっきりする。あれほどまでに重かった頭も体も、今は軽い。その分、これまでのことがのしかかってくる。

 周囲は布で包まれていて見えない。しかし不揃いな硬い床が、謁見の間に何があったか物語っていた。

「ここから出せ。もう祓いきったのだろう。こんなに寝覚めの悪い朝はなかったよ」

「そう急かさない。そなたに蔓延る呪いを祓うのは、相当骨が折れたのだから」

 何か剥がす音がして、袋の口から光が入ってくる。這い出ると、香炉を大事に抱えた将軍と、ほとんど消えかけた弟がいた。

「お前の拳はよく効いた」

 瓦礫の向こうには、紅榴と、それに対峙する王太子。

「演技なんて、慣れないことまでして。死してなお心配かけたな。あとはわしに幕引きさせよ。柏槇、手伝ってくれぬか」

 一も二もなく、白将軍は是の返事をした。





 手には王のみに許された宝剣。大きく振りかぶって、それは振り下ろされた。

 慌てて飛び退く紅榴を、巨躯からは想像もつかぬほどの機敏さでそれは追撃する。武術の嗜みのない避け方だ。ただがむしゃらに逃れようとしている。

 そんな彼女に、今度は少し遠い間合いから鋭い槍の一撃が放たれた。

 もっと遠くへ。高く跳躍した彼女を、網目のような結界がそれより上へ行くのを阻んだ。

「逃しはせん」

 星冠をぎらつかせ、睨むのは茉莉花。そして。

「「父上」」

 朔と蘭の声が重なる。

 かつて共に戦場を駆けた二人が、剣と槍を構えて気を発していた。その凄まじさといったら。獲物を前にした空腹の獣のよう。周囲の兵がぶるりと震える。

 ああ、とため息にも似た声が、紅榴の喉から漏れた。

「元凶が。紅玉を殺めるよう命じ、そして兵を指揮したその罪は重いわ。どう逃れたかは知らないけど、必ずや滅する!」

 接近戦に持ち込めぬよう、業火が盛大に吐き出される。それは剣や槍だけでは太刀打ちできない。

「逃れたなら、正気のまま焼いてやる! あの城は熱かった。放たれた火で喉も肺も爛れた! 彼と同じように苦しみなさい!」

 近づけなくては剣も槍も役には立たない。

「先代、何か手はないか」

「ええい、我々は元々戦うための術はもたないのだぞ」

王と将軍に襲いくる呪いの焔を防ぎながら、彼女はぼやく。

(あれも無尽蔵ではあるまいに。どこまで消耗させれば、底が見える?)

 菊花も同じ頃、同じようなことを考えていた。側で水仙が指輪を握りしめる。

「菊花さま、もう少し彼女に近づきたいのです。話ができるくらいに。援護していただけませんか」

「やってみよう。百合、しばし守りが薄くなるぞ」

 菊花は星冠をきらめかせようとする。

 が、不意にこの場にそぐわぬ香りが、背後から香ってきた。異国情緒漂う、色っぽい自己主張の強い香。その主は水仙から指輪をさりげなく取り上げた。

「やあやあ、随分と派手な趣向だな。最近はこんなのが流行りなのか?」

 呑気な言い回しに、皆の視線が集まる。端の方の兵たちが、知らぬ顔にざわめきだした。

 すらりと伸びた背に、引き締まった肢体。その印象はごつごつしたものではなく、しなやかだ。

「あれは……」

 白将軍は目を凝らす。埋もれた記憶の中に、その名はあった。

「紅玉殿下」

 戦場にあっては鬼神の如く戦い、最期は自身の命と引き換えに城の民を残らず逃した男。

 青年は、臆することなく焔の中へ足を踏み入れる。黒々とした呪いの焔は、爪先から彼を登り始めた。

「何のつもり? あなた守りでもあるの?」

 水仙の声は震えている。青年は背中で、要らないとでもいうように手を振った。けれど歩を進めるにつれ、その表情は苦しいものになってゆく。ただ、それでもその目は、紅榴を見つめている。

「何をしているの」

 彼女の声もまた、揺れている。

 焔の、呪いの痛みに呻く青年に向かって叫んでいた。

「戻りなさい!」

「戻る?」

 青年は首を傾げた。

「佳境の場面に呼んでもらえないなんて、困るな」

 この場にそぐわぬ軽口。呪いに苛まれてなお、主導権を奪われることなく。

「何しに来たのよ!」

「証拠を持ってきたんだよ」

 証拠? と彼女は反芻する。

「俺があなたとの未来を、幸せを願った証拠。俺が生前注文していたものだ。残念ながら間に合わなかったけど」

 半身を焔に覆われても、彼は進む。肩で息をしているのがわかる。顔が歪んでいるのもわかる。それでも、少しでも、前へ。

 やめて、と少女のような声がしたのは誰のものか。

 構わず進んだ腕は、そっと彼女の手のひらに、一つの指輪を乗せた。紅榴はそれを潤んだ目に映す。

「これは、紅玉」

 目の前の彼と同じ名だ。その真っ赤な宝石にもまた、彼女が映り込んだ。

「内側を見てくれ」

 言われて素直に、彼女は指輪の内側を覗き込む。そこには短い言葉が彫り込まれていた。

 ーー良き旅路をあなたと共に。

「何よ、これ」

 紅榴はなじるような眼差しを向ける。逆に青年の表情は柔らかだ。

「昔、とある娘に可愛がられていた猫がいた。娘は後宮に迎え入れられた大勢の一人で、そして孤独だった。彼女は猫だけが心の拠り所だった。月を見ながら、あなたがいなくなったら困ると泣いた。猫は毎日祈った。この善良で無垢な娘が、幸せになりますようにと。猫は人よりもどうしたって短命だから。先に逝く者は憂うんだよ。嘆くんだよ。そうしてできるうちに精一杯の愛を注いで、でも最期は何もできないから祈る。その行く先の幸せを」

「叶わなかったのでしょう。だから生きて、恨んで」

「満たされなくて。そうしてもう目の前で泣くやつがいなくて済むように、手助けすることにした」

 聴きながら、彼女の手は指輪を握りしめる。大切に、大切に。

「……私だけ見てって言ったのよ。そうやって、目の前にある何もかもを助けようとするんだから」

 その間にも、辺りは燃えてゆく。彼の体が、焔にのまれてゆく。それでも彼は動かない。退がらない。ずっと耐えている。

「止めて」

 紅榴はついに声を上げた。

「誰か呪いを止めて! もうあの姿を焼かないで!」

 そう、悲痛に叫ぶ。

「私に止める権能はない! ただ夢でお告げをするだけのこんな役に立たないあなたを助けることもできない神なんてそんなの」

「願いを叶えよ、流星雨!」

 さあ、と細かな星の雨が降る。細かだけれども、強く。それは地を這う業火にも、紅玉の姿にも、そして紅榴にも降り注いだ。

 ぐらりと青年の身体が傾ぐ。が、それは途中で支えられた。

「大丈夫か、金華」

 望は、腕の中で縮まって白猫になってゆく彼を抱き上げる。濡れていつもよりも小さくなった白猫はふんと鼻をならした。

「私の美しい毛並みを損なったんです。最高級の櫛と油で梳かしてもらいますからね!」

「はいはい、酒も用意させてもらいますよっと」

 望はそう返して、素早くかけ寄ってきた水仙の手に猫を託す。水仙は猫が悲鳴をあげるくらいに、きつく抱きしめた。 その様子を、紅榴は呆然とした表情で見つめていた。どこか意識が別のところにあるような。

 その背後で、星が煌めいた。はっと紅榴が振り向けば、既に眼前に光の大剣が迫っている。雨はいつの間にか上がっていて、虹のように大剣は七色を走らせた。

「天枢、天璇、天璣、天権、天衝、開陽、揺光! 導け!」

「北斗の巫!」

 蝋梅の目が、彼女を、いや彼女の中の標を捉える。そうして渾身の力を込めて、七星剣を突き立てた。




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