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 白将軍率いる一団は、暗い中を粛々と宮殿へ戻ってきた。まるで人目を避けるような戻り方に、周囲は不思議そうに首を傾げた。

 特に、白将軍に伴われた星守見習いが、間借りしている冷宮ではなく煌々と灯りのともった廟に入っていくのには、みな目を丸くした。そこに入れるのは、祭祀に携われる限られた者だけ。星冠を持とうと、許可された者しか入れない。

 しばらくして、これまた静々と、夜闇を連れて現れた影がひとつ。

「やあ、我が星守」

 影が燭台の灯りに照らされて、姿を現す。蝋梅はそれに目の端を向けた。

「王太子殿下」

 これまでになく親しげに、朔は側へ寄る。にこりと微笑むと、ひと房髪を手に取り、無遠慮に顔を寄せた。

「蝋梅の香ではないな。俺のものになると決めてくれたか」

 手のひらを傾ければ、髪ははらはらと流れ落ちる。その先の持ち主は、静かに手にしていた香炉を撫でた。同じような香炉から、幾つも煙が立ちのぼっている。煙たいほどに。それを吸い込んで、蝋梅は述べた。

「これはあくまでも星守の塔の香。王太子殿下も聞いたことはありませんでしょう。どうぞご堪能ください」

「うっすら薬草のような匂いがするが……これくらいならすぐ俺の香に書き換わるだろうな」

 首を傾げて、次の王は語る。表情には余裕が浮かんでいた。しかし蝋梅も怯みはしない。肩のあたりまで香炉を掲げて笑んでみせた。二人を隔てるように、煙がゆらめく。

「どうでしょう。衣の下は、第二王子殿下の香のまま。そう簡単に書き換えられたりはしません」

「へえ、言うねえ」

 煙を越えて、朔の指が少女の顎を捉える。触れたところに集中すれば、彼の身に充満する呪いが拡がる先を求めて溢れてきた。

(陛下よりも強い)

 香炉を握る手に、力がこもる。それを知ってか知らずか、彼は滑らかな声で囁いた。

「星守は王の妃のひとりでもある。香を上書きすることなんて容易いことだ。あいつがどれほど色濃くつけていようと、これから触れられるのは俺だけ」

 くつくつと、彼は嗤う。

「愚かな俺の半身は、怒り狂って目通りを求めてきているらしいぞ。折角手に入りかけたものが掠め取られたんだ。無理もないよなあ」

 香炉を傍らに置くと、蝋梅は朔の指をはがす。しかし逆に指を絡めとられた。

 強く手を引かれて、朔の腕の中におさまる。触れたところから反射的に呪いを吸い上げた。

 底の見えない沼のように、それは深く深く。蝋梅は足を踏み締めて星冠に集中した。しかしその間にも、朔の唇が近づいてくる。

「こんなこと、本意ではありますまい」

 そう告げると、王太子は動きを止めた。

「うん?」

「あなたさまの身体は、柘榴さまの残り香で満ちています」

 僅かに目を見張って。それまで嘲笑うかのようだった表情は、一気に歪んだ。

「覗きとは悪趣味だな」

 身体の中の呪いがざわつきだす。

「そうとも。俺が本当に愛しているのは柘榴だけだ。彼女は俺の愛を受け入れてくれた。そして俺の隣にあるために、どんな誹りも受けると言ってくれた。手に入ればもう、他はいらない。手に入るなら、なんだってする。それが道に外れようともな」

 青いはずの瞳は、燭台の灯りだけでは昏く、何も映さない。望と同じはずなのに。あまりにも違う。蝋梅はぎゅっと彼の服を掴んだ。

「道に外れた王に、加護があるとでも?」

「そうだな。このままでは星神は吉と出さないだろう。異境の民の血が混じるのを弾こうとする。父との間に子がなかったのがその証。その分、お前を星守にすることで溜飲を下げていただかねばなるまい。生贄も捧げる」

「百合を、ですか」

「生贄は豪奢であるほど誠意は伝わろう。俺の幻覚を見るほど呪いに身を堕としたとはいえ、星冠を持つ者であることにかわりはないからな」

 狂気と、蘭が評すのもわかる。端正で優美と誉めそやされた彼は、まだどっぷりと呪いに浸かって主導権を握られている。凄みのある表情で、彼は続ける。

「母が死んだ後、俺たちの間には隙間風が吹いてた。それを埋めようとして、望は星守の導きに縋って、お前の世話に精を出した。怪我した小鳥に餌をやるのと変わらないんだよ。ただの愛着だ。同情だ。暇つぶしだ。それを愛情だと誤認してる。だから、人の命と引き換えなんていう綺麗事で、お前を捨てられる。他を全部敵に回してもお前を手に入れたいなんて、思っちゃいないんだ。覚悟なんて、これっぽっちもない」

 言葉で、呪いで、彼は圧倒しようとする。そのまま飲み込んでしまいそうなほどに。

「あなたはあるのですか。それほどのものが」

「あるとも。あるからこうしてここにいる。可哀想な呪いの子。報告書で読んでいるぞ。どうして自分が愛されると思ったんだろうなあ。身の程をわきまえろよ。お前がいくら愛したって、種類が違う。でも安心してくれ。俺がお前を星守として大切に扱う。必要なものがあったら言ってくれ。上等な食事か? 飽くほどの宝飾品か? あいつから毎日何をもらって心酔した? これまであいつに向けてた庇護を、愛を、俺に向ければいい。あいつにできたことだ。俺にもできる」

 鎌首をもたげ、かぶりついてきた呪いを、叫びを、蝋梅は受け止めた。同時に、首に手を回して彼をも抱きしめる。

 騒ぎ立て暴れる呪いは、確かに激しい。けれどその荒々しさの奥に、本当の彼がいる。それによびかけるように、蝋梅は尋ねた。

「何に怯えていらっしゃるのですか」

「怯える?」

 わけがわからないといったふうに、相手は目を瞬かせる。

「怖さから目を逸らそうとしていらっしゃるように見えます。柘榴さまを愛していらっしゃるなら、私のそれなど不要でしょう。それでも満たされないのは、手に入っていないと気づいているから、だから」

「ああ、腹立たしいな」

 朔は言葉を被せる。

「俺は思い通りにならないのに、同じ顔のあいつは簡単に手に入れる。これだけ言ってもあんたは望を好いたまま。ずっとあいつの側にいて、ずっと心を寄せて」

 どうしてだよ。ずるい、俺だって、満たされない、寂しい、欲しい。小さな子が駄々をこねるような、そんな叫びが呪いに混じって聞こえる。蝋梅はその取り巻く呪いを懸命に祓った。

 呪いの憎しみは、朔の声をしていない。檀の、いや紅榴の叫びだ。それが幼かった彼の心を捕らえてしまった。それが彼にとって救いとなるようにしてしまった。

「見たいんだよ。あいつの絶望する顔を」

 腰に腕を回して動けないようにして、朔は顔を寄せてくる。蝋梅はそれに思いきり頭突きした。

 不意打ちをくらって、王太子はぽかんとする。その隙に、蝋梅は星冠を更にきらめかせた。

「天枢、天璇、天璣、天権、玉衝、開陽、揺光!」

 光の大剣は、一閃して蝋梅もろとも朔に刺さる。

「当たり前のように愛していただけるなんて、思っていません。いつだって、すぐにだって手から溢れてしまうかもしれません。それでも私は……私があの方をお慕いしているから、お守りするのです。だから私では完全にあなたに寄り添うことはできないでしょう。けれど、できるところまで呪いを削ぎます!」

 人間のものとは思えないほどのおぞましい叫び声が響く。しかしそれは朔のものではない。焔が消えゆく前に、自らの怨みを迸らせる音だ。

 表層から奥へ奥へ。深層へと呪いを剥がしてゆく。憎しみをぶつけられ、心の暗いところを増長させようと侵食ささてくるのを、圧倒的な光でもって照らす。

 すると、瞳の曇りが、少しずつ晴れていった。もがき苦しむように一度離された手が、再び行き場を失う。そのまま下ろされるかにみえたそれは、いくらか躊躇ったのちに再度蝋梅の身体を捕らえた。

「呪いが、また増えてきている……」

 奥の、朔そのものに辿りつく直前に、呪いの層がまた織られてゆく。ここは見せられないとばかりに。それは蝋梅が祓う速度よりも早く。

 しかし蝋梅も負けてはいない。更に光を強めた。一進一退。攻防に曝されながら、王太子は苦しげに口にした。

「俺のものになれ。俺のことを見ろ。俺のことを愛せ。揺るがないくらいに」

「王太子殿下……それがあなたの、願いですか」

 夢と現の狭間で、呪いに蝕まれてなお願うこと。焔は再び勢いを増してゆく。

「兄上」

 呪いの熱をものともせず、声の主は蝋梅から呪いを引き剥がす。そうして自らの腕の中に星をおさめた。

「殿下」

 つい、呼びかける声音が柔らかいものになる。その先の望は、優しく笑んだ。が、すぐに厳しい顔つきを兄の方に向ける。

「どうやって入った。警備の兵がいただろう」

 本人に自覚はあるのだろうか。呪いの焔をちらつかせながら、朔は頭を抱えて一歩二歩と後退する。

「蝋梅と一緒に入ってきたんだよ。兄上に会わせろと騒いでいたのは俺の影武者だ。どうせ正面きって行ったところで、俺には会ってくれないだろ」

「会う必要がどこにある。話すことなんて何もない」

「俺はあるんだ」

 黒い焔に怯むことなく、望はひとつ歩を進める。蝋梅は望に火の粉が降りかからないよう、破邪の気を流した。

「兄上は、柘榴と名乗る者のことをどこまで知ってるんだ?」

 単刀直入に、望は尋ねる。

「異境の神であったこと。珠の王子と愛し合う仲であったこと、王子の死を機に、晶華への呪いに身をやつしたこと。どれも本人や周りから聞いているのか?」

 歪んでいた表情が、次第に凍っていく。

「なに?」

「柘榴、いや紅榴というべきか。愛は囁けど、本当のことは明かさなかった。もう過去のものと秘匿することもあるだろうな。でもそれなら、なぜ珠の王子を想う憎しみのこもった呪いをかけるんだ。しかも、今この瞬間にも増幅させる?」

「増幅、だと」

 愕然とした様子の朔に、望は静かにたたみかける。

「そうだよ。兄上の言う愛も、百合に言い放ったのと同じように、呪いの見せる幻覚なのかもしれないな。あれは心の隙間をついてくるからな」

「何だと? 口を慎め!」

 頭をかきむしるような仕草で、朔は言葉を振り切ろうとする。

「何だ、心当たりあるんじゃないか。頭痛がしないか? よく眠れないことは? 感覚が鈍いことは? 相手を意のままに操る術もあるらしいぞ」

「違う」

「兄上が百合のところへ夜、出入りしていたという証言が上がっている」

「違う、違う!」

「俺が行方不明になった後、甘ったるい匂いが服についてなかったか?」

「違う、違う、違う!」

「晶華の史書に、先王の妃を娶った王の記述があるのは知っているだろう。先王を亡き者にし、そして自分の妃とする。そんな絵を描かされてはいないか」

「違う! それは、俺の意思だ! 俺がそうすると決めた! 俺が、」

「あら、兄弟喧嘩はよくないわ」

 激昂する声が、不自然に途切れて。代わりに聞こえたのは妖艶な声音。

「紅榴」

 肩を抱く望の手に、力がこもる。

「まあ、祭祀に使う廟って、こんな薬漬けみたいな香をたくの? こんな特別感、私なら遠慮しちゃうわ」

 しゃなりしゃなりと近づいてきた赤い衣の女は、背後から朔にしなだれかかった。その彼の目からは、光が消えている。

「兄上!」

 望の呼びかけにも反応はない。

「浮気なオトコは嫌いよ」

 ぎらりと紅い目が光る。それに魅入られたように、あっという間に祓われた分の呪いは元に戻り、あまつさえ膨れ上がった。

 それは朔の器から溢れるほどの多さで。溢れたそれは、離れた望の内へ燃え移ろうとする。望に触れていた蝋梅は、すぐに感知した。星冠をきらめかせて、それを祓う。

「殿下に毎日少しずつかけられ続けた呪い。あれは王太子殿下から溢れてきていたのですね」

 爛々と輝く瞳で、紅榴は笑う。形の良い爪の先で、王太子の胸のあたりをつついた。

「そうよ。猫に変身させた術もそう。双子は魂を分った存在だそうね。今も密接に繋がっている。彼を通してかけさせてもらったわ。今だってそう。簡単に傀儡になる」

「殿下、今祓います!」

 蝋梅は望に意識を集中させる。肉体に包まれた魂へ、深く深く。

 朔と繋がった向こう側では、ごうごうと焔が燃え盛っている。しかし、望の方へ広がろうとするそれは、見えない何かに堰き止められたように消えていった。

 手ごたえを感じないのだろう。紅榴も眉をひそめる。

「入り込めない? もしかして、破邪の気が中に?」

 対抗するようにぎゅうぎゅうと、望は蝋梅を抱きしめる。

「少し前から、耐性がついてるような気がしてたんだ。蝋梅からもらった気が防いでくれたから、悪夢に魘されることもなくなったんだな」

 余裕だった相手に、いささか怯みの色が見える。星冠を、光が駆け抜けた。

 望は鞘を払って剣を抜く。間合いを詰めると容赦なく紅榴に斬りつける。

 しかし間に朔が割って入った。身から溢れる呪いが、剣を受け止める。

 蝋梅は望の背後から光の剣を持ち上げ、躊躇うことなく朔に刺した。彼の体が大きく震える。うめき声が喉から迸った。逃れようと蝋梅に向かう腕は、望が止める。

「兄上、覚悟決めたんだろ。本当に愛してるなら、呪いに克って、それでも愛してるって言ってみろよ! あんたの想いは、そんなんじゃないんだろ! 本物なんだろ! 目ぇ覚まして俺と戦え!」

 旗色が悪いとみたのか、紅榴は呪いの焔を迸らせる。外に意識がそれた瞬間、二人は姿を消した。

 逃げ足の早い、と望は吐き捨てる。

「王太子殿下の襟元に匂い袋は入れました。報告どおり、五感が鈍っているようですね」

 望は一瞬、複雑そうな表情を見せるが、すぐに元に戻る。

「陛下の元へ急ごう」

 走り出そうとする彼の手を、蝋梅は握る。

「どうした」

「先程の逆をやってみようかと」

 逆。望は頷くと、手を解いて蝋梅を抱え上げる。不意打ちに、ひゃ、と蝋梅は思わず声をあげた。

「そっちに集中してろ。俺が足になる」

 頷いて抱きつくと、蝋梅は望の奥に意識を集中させた。


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