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 蝕め。苦しめよ。

 呪いの焔に向かって、そう念じてきた。

 どうかどうか、この痛みを忘れませんように。その一心で。

 時間は記憶や感情を洗う。そのせいで幾分かでも色褪せてしまってはたまらないから。

 膨大な力を使うたび、辛さに打ちひしがれる。それを耐えられたのは、その怨念のおかげ。

なのに。

 窓から差し込む光が柔らかく明るいのを、知覚した。王も王子も、向けてくるのは作りものの愛情。女官は自分の作り出したまやかし。誰もかれも本物の感情など向けてはくれない。そういうふうにしたのだから。

 権謀術数渦巻く後宮で、自然と生み出されるのは打算と嫉妬だけ。人の心の温かさなどわからない。そのはずの自分が。

「どうだい。上手くなったろ」

 にっかりと人懐こい笑みが、目の前にある。頬杖をついて、紅榴はダメ出しした。

「そうかしら。敬語をやめて若者らしく振る舞ったところで、ねえ」

 今のところ皆勤賞の彼は、少しずつ少しずつ違和感を消してゆく。見慣れてきたせいかもしれない。上書きされているのかもしれない。それでも紅榴は追い出すことまではしなかった。そうなると彼はつけ上がる。

「そうか? 早く応えてほしくてたまらないのに」

 慣れた手つきで、彼は茶をいれる。茶菓子もどこから調達してきたものやら。

「何に応えるのかしら」

 眺めながら返すと、彼は一旦手を止めた。するりと近くまで寄ると、ほっそりとした紅榴の手を取る。

「俺は求婚とかしたんじゃないのか?」

「神相手に? 畏れ多いとか思わないの?」

 思わず彼女は鼻で笑う。

「思ってほしいのか?」

 不意に、生前の彼の姿がよぎる。自らの神にするように恭しく。

 はじめはそれが当たり前だった。そうされるものだと思っていたから。けれど次第にそれが煩わしく、そして嫌になっていった。彼と自分の間にきつく引かれた境界線のようで。だからこんなふうに、対等に接するように言った。やがてその口から、愛を紡ぎ出せるほどに。でも。

「……あの国の神が、許さなかったわ。ぐちぐち文句言われたもの。ただでさえ境を侵して長期滞在していたから仕方ないといえば仕方ないのだけど。小国の神でなければやられていたわ。無視してたら、神官を通じて王族中にバラされて。相当反対されたみたいね」

(そうは言わなかったけれど)

 少しだけ肩を落として。うわの空で。触れてくる手がやけに優しかった。

「駆け落ちとか考えなかったのか?」

 ずばりと彼の姿をした青年は切り込んでくる。容赦なく。

「――そんなこと、言ってくれなかったわね」

 どこか遠い、願いの叶う楽園へ。

「優しいのよ。彼は。自分を大切にしてくれる家族を蔑ろにはできなかった。その分、妃を娶らずに秘密の愛を貫こうとした」

「義理堅いんだな」

「そうよ。歳上には敬意を、歳下には慈愛をって。困ってる人がいたら、放っておかないのよ。考えごとって、たいてい他人から受けた悩み事相談! 知恵を貸したことだってたくさんあったわ」

 貸してばかりではない。

 ――踊りはあなたの権能じゃない? 俺もです。この国ではいつも広場で誰かが踊っています。それは周りに広がって、一緒に笑顔も広がって。いつしか皆が楽しんでいるのです。だから悲しい時や辛い時は、皆広場に来ます。女神よ、美しいあなたに憂い顔は似合わない。手を取る無礼をお許しください。

 夢の神は、眠りの間に信託を告げる。起きている人間と接触する機会はそうない。求められていないから。そういう神だから。でも彼は、手を伸ばしてきた。

 ――あなたが好きなら、楽しいなら、それでいいではありませんか。

 神という枠組み、自分という枠組み。

 永きに亘って固まっていたものが、解けていった。彼の手で。

「彼、聞き上手で。何でも話しちゃうのよね。きっと。私だけ見なさいよって、何回言ったか」

「あー、庇護欲を掻き立てるタイプってわけか」

「彼の顔で言わないで!」

 袖で帳を作って、視界を遮る。しかし相手はそれをめくって内を覗く。

「今からしてみるか? 駆け落ち」

 一度も口にすることなどなかった言葉。何よりも偽者だとわかる証拠。ばしりと袖でその顔をはたく。

「偽者とするわけないでしょう」

 そうか? と青年は首を傾げる。

「あなたはもう、もたないだろ」

 見抜くようなまなこは、人ならざる鋭さを垣間見せる。口調をいくら似せても、誤魔化せない。

「偽りの星の位置を見せるのは大ごとだ。あなたが体調を崩していたのは、行事や心労ではなく、隠蔽工作や呪いをかけたことによる力の使いすぎ。病ではないから、星にも凶とは出ない。違うか? 星守とやりあって消耗している身体で保持し続けるのは大変だろ。体調不良が長引いているのはそのせい。檀を動かすこともできないくらい、な」

 赤い三日月が細く引かれる。

「それでも私を倒すことはできないでしょうね。長くは続かなくとも、最大火力はまだまだ出る。わかっているから、こうして絆しに来ているんでしょう」

 しばしの睨み合いが続いて。青年は目を伏せる。次に瞼を上げた時には、鋭さは影を潜めていた。

「それは俺の考えることじゃない。言っただろ。俺はあなたを口説き落としにきただけだ」

「口説いて、落としてどうするのよ。それほど浅はかな女だったと嗤って捨てるだけなんじゃないの? あなたの目的がかつての主人の復讐なら、そうするでしょう」

 その手には乗らないとばかりに、紅榴は青年の体を押し戻す。しかし彼は視線を切ることはなく。

「それ、その先に何があると思う?」

 静かにそう問いかける。

「……その先は私の目的じゃないもの。関係ないわ」

 紅榴はぷいとそっぽを向いた。


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