9.王子様の家庭教師
次の王妃教育の日。
私は、王妃様のお誘いで、庭園でお茶を楽しむ事になった。天気も良く、冬で少し寒いのに、私達を囲む一帯は結界魔法で心地よい暖かさだ。
私の目には、結界魔法が、極細の糸のように編み上げられているのが見える。
─綺麗だな。
これは誰が編み上げた結界だろうか?とても繊細で芸術的。見事な腕前だ。
結界に見入っている私に、微笑みを浮かべながら王妃様が声をかけて下さった。
「さすがですね。ミレーニアには結界が見えるのですね。」
「はい。とても綺麗で、素晴らしいですね。」
「ふふ。あの子があなたの為に用意したものですよ。」
「レイモンド様がですか?」
「ええ。あなたを守るものに他の者の手を借りたくないそうです。」
「え、あ、そ、そうですか。」
どんな顔でそんな台詞を言うのだろう。恥ずかしい。まるで恋愛小説のようじゃないか。
「母上。」
「来ましたか。ちょうど良かったです。お茶が入ったところですよ。お座りなさい。」
「はい。」
レイモンドは、相変わらずの無表情で、軽く会釈すると、席についた。
「今、ミレーニアと、あなたの結界について話をしていたところです。」
「結界ですか?」
「ええ。とても美しいと褒めてくれたのよね、ミレーニア。」
「は、はい。とても綺麗です。」
「そうですか。今後もあなたの為には、私が結界を用意しましょう。毎回柄を変えて、楽しめるようお約束します。」
無表情のまま、意味のわからないお約束とやらをするレイモンド。この結界の柄?柄にこだわりが?
「あ、ありがとうございます。」
チラリと見ると、王妃様は額に手を当ててため息を吐いていらっしゃる。
結局、話の弾まないお茶会はまるで我慢大会のようで、耐えられなかった王妃様によって、早々に終了となった。
「ミレーニア、聞いていると思うが、私が魔法を教える事になった。次回から始めるので、その心積りでいるように。」
「はい。レイモンド。」
息詰まるお茶会を終えて、馬車に乗る頃には、すっかり気疲れしてしまった。これが毎回続くのかと思うと、憂鬱な気分になる。
「ユーステア。」
「はい。お嬢様。どうされました?」
「結界に柄なんて意識するもの?」
「は?なんて?柄?」
「帰ったら兄様に聞いてみる。結界は兄様のお得意だから。」
柄?と言いながら、首を捻るユーステアを見て、窓の外に目を向けると、この王都全体を守る結界が目に入る。
魔道棟の人々が毎日メンテナンスしている結界。
薄い膜のように覆う結界には柄は無い。
でも今日見た結界は、本当に綺麗だった。
5日後、初めてのレイモンドの授業に、私は柄にもなく緊張している。彼が天才だと言うことは私もよく分かっている。それなりに自信があった私でも彼には遠く及ばない。
それが不思議と嬉しくて、羨ましかった。
魔導練習所に着くと、既に待っていたレイモンドが小さなテーブルを指し示す。近づくと、その上には、一冊の冊子。
「教書だ。開いて。」
言われるままに開くと、それは緻密な図解いりの魔法の説明書だった。
描いたの?私だけの為に?王子から王太子になって忙しいんじゃないの?
微に入り細に入り書き込まれた説明書は、そのまま売ったら幾らになるかと思うほどのできだった。
「始めよう。最初のベージから。」
私は首を傾げて彼を見た。魔法の練習は、通常指導者が指導される人の体に触れながらするものだ。
触れることで魔法の流れを見たり、自分から魔法を流して、流れを矯正したりする。
今、私と彼の間は2メートル。いつもの距離感だ。
「離れたままで指導されるのですか?」
「問題ない。」
「離れたままで私に魔法を伝えられるの?」
「今日も、私が贈ったブレスレットをつけているので、それを通して行う。」
家庭教師になった記念にと贈られたブレスレット。常に付けているようにとの説明書が着いていたので、城に来る前につけてきたが、これが?レイモンドの魔法を通す?
「よく分かっていないようだ。今から魔法を僅かに流すので、感じてみろ。」
そう言うと、ブレスレットからごく微量の魔法が流れてくる。気持ちをリラックスさせる魔法だ。
「分かるか?」
「はい。」
「では、教書に戻ろう。1ページ。」
彼が教書を読み上げ、私がその通りに魔法を使う。
時折、わざと間違えてみせると、すかさずブレスレットから魔法が流れ込んで正される。
そして、一冊終わると、その日の練習は終了した。
どうやら、この教書は、一回分らしい。
「今日は、ここまで。」
「ありがとうございました。」
「本は持ち帰って構わない。では、私は執務に戻る。ミレーニアも戻るように。」
「はい。」
立ち去る後ろ姿を見ながら、彼が私に近づく日が来るとは思えなかった。