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後編

 あの場で気を失い、目覚めたら寝室でした。


「疑ってすまなかった」


 一番に旦那様が目に入ったと思ったら、旦那様が私に頭を下げます。


 ようやく疑いが晴れたのだと、数秒遅れで理解しました。


 ……良かった。


 ほっとしたら、涙が出てきます。


「だ、旦那様。顔を、ぐすっ……あげ、上げてください」


 旦那様の前なのでどうにかしたいのですが、中々止まりません。自分でも気付いていませんでしたが、随分と気を張っていたようです。


 いきなりぼろぼろと泣き出した私に、旦那様が慌てた様子で顔を覗き込みます。


「ふ、フランシスカ?」


 どうやら、心配させてしまったようです。


 気にしないで欲しいと言いたいですが、胸が詰まって、言葉になりません。


「うう、ぐすっ……」

「すまない、本当にすまない! いやすまないではすまされないことだがでもすまない……!」


 そしたら、私が怒っていると思ったらしく、旦那様がしどろもどろになりながら何度も謝罪してきました。


 実際には、怒りよりも安堵の方が大きいです。


 ……。とは言え、勿論怒っていない訳ではないので、私が泣き止むまでは勘違いさせておこうと思います。



 暫くしたら高ぶった感情が落ち着いてきました。


「みっともないものをお見せしました……」


 おろおろする旦那様を見て幾分胸がすきましたが、一つだけ大切な事を忘れていました。子供みたいな泣き顔を見られてしまうのです。……今更ながら恥ずかしくなってきました。


「いや、気にしないでくれ。……目が赤いな、冷やすものを持ってこさせよう」


 私が泣き止む間に旦那様も落ち着いたらしく、実に冷静な判断をします。


 使用人に言付けるつもりか椅子から立ち上がった旦那様を慌てて引き留めます。


「旦那様。それよりも、話してくれませんか」


 私はどうして浮気を疑われたのでしょう。


 少し怖い気もしますが、逃げるつもりもありません。思い切って聞くと、椅子に座り直した旦那様は「その、だな」と決まり悪げに目を逸らしました。


「――笑わなくなっただろう」


 そんな出だしで旦那様が語ったのは、正に寝耳に水の事でした。


「結婚当初こそにこにこしていたが、段々君の表情が硬くなっていって……その時点で、何かしただろうかと毎日悶々と過ごしていたよ」


 笑顔が硬くなった……思い当たる節があります。旦那様の肉体美に見惚れ続けて早三年。最初はだらしなく口許を緩めていましたが、流石に学習します。旦那様が言う“笑顔”は、私のにやけ面ですから。必死で隠していたのです。


「先日、騎士を熱心に見ている君を見て、ふと思ったんだ。俺の前で笑わなくなったのは、他に興味がある奴が――好きなやつが出来たからなのでは、と」


 ――浮気をしているかもしれない。


 旦那様の言葉にはそんな意味があったのですね。思えば、浮気をしているとは言っていませんから、旦那様も確信があった訳ではないのでしょう。


「そう思ったら、胸が苦しくなった。顔を合わせるのが辛くて……詰まりだな、俺は嫉妬していたんだ」

「嫉妬、ですか?」

「ああ」


 何となく、旦那様の印象と噛み合いません。物腰は穏やかそのもので、情事も淡々とこなされる旦那様が、そのような感情を持つなんて。


 不信そうな顔をしていたのでしょうか、旦那様が寂しげに笑います。


「……愛しているんだ。君を」


 囁くような声色なのに、たっぷりと甘さを含んだ声。そんな風な言い方をされると、本当に愛されているような気がしてきます。


 私が信じていないと気づいているのでしょう。旦那様は、「うーん」と何やら悩ましげな唸り声を上げました。


「君は、見合いの席で初めて俺と会ったと思っているんだろうな」


 唐突な切り出しで驚きましたが、それ以上に意味を図りかねました。その口振りだと、それが事実とは違うという風に聞こえます。


 私が首を傾げると、旦那様は苦笑して私の頭を撫でてきました。


「いや、実際に顔を突き合わせて会話を交わしたのは見合いの時だ。だが、俺が君を見初めたのは、クララのデビュタントなんだよ」


 クララのデビュタントと言いますと、見合いの一ヶ月程前の出来事だったと記憶しています。


 それは、王家主催の夜会の事でした。デビュタントのしきたり通り、真っ白なドレスを身に纏い、頭に花冠を乗せたクララを思い出します。


 あの場に、旦那様がいらっしゃった?


 クララと仲良くなったのはあの夜会です。けれど、私が話しかけた時、クララは一人だったような。


「俺は幼馴染みだったから、クララのパートナーとして参加していたんだ」


 女性が夜会を訪れる際、男性同伴が鉄則です。婚約者がいるならその方にエスコートして貰えば良いのですが、いない場合、肉親や、他の交流がある人に頼みます。


「だが、仕事相手に捕まってな、クララを一人きりにさせてしまったんだ。その隙に、クララも面倒な連中に捕まってしまって」


 そうでした。私が見たとき、白いドレスの少女が数人の男に囲まれていたのです。少女が明らかに嫌がっていたので、咄嗟に割って入ったのでした。


 ――まあ、お久しぶりですわ!


 確か、そう声をかけました。無論はったりです。喋った事はありませんでした。


 それでも、昼に開催される茶会では姿を見ておりましたし、恐らく「久しぶり」でも合っている……筈、です。


 ともあれ、いきなり会話に割り込んできた私に、男性方も驚いたようで、一瞬隙ができます。その隙に、色々とまくしたて、男性方も視界に入ってないふりをして、クララの手を掴んで軽食スペースに逃げ込んだのです。……今思えば、かなり危ない橋を渡ったような。


「君がクララを助けるのを、遠目にだが見て、目が離せなくなったんだ。そして、思ったんだ。――結婚するなら、この人が良いと」


 嘘や偽りの気配はありません。どうやら、本気で言っているようです。


「丁度両親にも結婚をせっつかれていたからな。クララに探りを入れて、君に見合いを申し込んだんだ」


 そうして俺は君を手に入れたんだ、と旦那様が悪戯っぽく笑います。


「これでも、結婚後は舞い上がっていたし、君と話している間はとても緊張しているんだ」


 いつも冷静に私と会話している旦那様が、実は緊張しているだなんて、にわかには信じられません。


 私のそんな気持ちが顔に出ていたのでしょう。


「これで、多少は伝わるだろうか」


 おもむろに旦那様が私の頭を抱き寄せます。硬い胸板の感触が顔に当たりました。そっと耳をそばだてると、確かに通常よりも鼓動が早い気がします。


 ところで、その……良いでしょうか。この状態で顔を押し付けて、思いっ切り息を吸っても良いでしょうかッ!!?


 旦那様の胸元で、しかもこんな夫婦の重要な仲直りの場面で考える事ではありませんが、久し振りの接触で、理性がぶっ飛びそうです。


「旦那様……」

「フラン。どうか、名前を」


 低められた声が耳朶に入り込みました。懇願にも似た言葉に、頭がぼうっとしてきます。


「ま……マリオン、様……」


 腕の力が強まったのを良い事に、さりげなく顔を擦り寄せます。


 良かった、鼻血が出ない体質で本当に良かった! 旦那様のシャツを真っ赤に染めてしまっては、目も当てられません。


 私の興奮が伝わったのでしょうか。旦那様がくつくつと喉奥で笑う声が聞こえます。


「筋肉も、手も足も、目も、髪も、君のもの……だったか」


 自分で言った事ですが、本人に聞かせるつもりはありませんでした。というか、割と恥ずかしいことを言ってますね、私。


「嫌ですわ、マリオン様。早く忘れて下さい……」

「忘れない。フランが俺を思ってくれている証拠だろう?」

「……怒らないのですか?」


 私に、旦那様を束縛する権利はありません。勝手な事を言った私を、旦那様は嫌いになったりしないのでしょうか。


「まさか。嬉しかった」


 そう言う旦那様の顔が見たくなりました。身を捩って腕の拘束を緩めてもらい、旦那様の表情を確認します。


 旦那様は、いつになく柔らかい微笑を浮かべていました。何となく目を合わせられなくて顔を伏せようとしますが、旦那様の手が私の頬にかかり、阻まれてしまいます。


「隠さないでほしい。もっと君の顔が見たい」

「は、はい」


 反射的に返事をしてしまいましたが、何だか恥ずかしくなってきました。


 私の頬がじわじわと赤くなるのを見て、旦那様はくつくつと喉奥で笑います。


「話は戻るが、俺が欲しいと言うなら幾らでも貰ってくれ。だが――」


 ふと、旦那様の目に、怪しげな光が瞬いたように思えました。


「――それは、君にも言える事だと気付いているか?」


 旦那様が体重をかけてきます。屈強な現役騎士の重みに貧弱な箱入り娘が堪えられる訳もなく、私は押されるがままにベッドに倒れ込みます。


 ……この状況は。


 組み敷かれたと気付くのに、数秒の時間を要しました。


「あっ、あの……ッ!」

「フランの手も足も、その愛らしい表情も。無論、君の心も。全て夫である俺のものだ」


 額に、頬に、瞼に、……唇に。旦那様が触れるだけの口付けを落としていきます。


「それを確認したいんだが……良いだろうか?」


 熱の隠った視線で見詰められ、ぞくりと背筋が震えました。


 恐怖ではありません。この震えは、身体が甘く痺れるような、そう言う類のものです。


 求められていると、分かりました。私が旦那様に抱く感情と同等か、それ以上に。


「はい! 好きなだけ確認して下さい……!」


 それが嬉しくて、思わず元気よく答えてしまいました。返答があまりに予想外だったらしく、旦那様は数度目を瞬かせます。


 はしたなかったでしょうか。呆れられてしまったでしょうか。


「あ、あの、マリオン様。やっぱり、私みたいなのは、お嫌、ですか……?」

「そんなことはないが……」


 不安になり問いかけると、うっすら目元を赤くさせた旦那様が、敵わないな、と訳の分からない事を呟いて。


「……取り敢えず、俺を煽った責任を取ってくれないか」


 そう言った旦那様の笑顔は、獲物を前にした肉食獣のようでした。



 こうして、私の浮気疑惑は無事に晴れました。


 報告を待ってくれているクララに直ぐ伝えようとしましたが、それは叶いませんでした。


 理由としましては、しばらくベッドから出られなかったから、と言っておきましょう。

 そして、クララには、仲直りではなく妊娠の報告をする……かもしれない。


 めでたく結ばれた彼らですが、フランシスカが旦那以外の筋肉を見ない日はないでしょう。


「俺のもの(筋肉)では満足出来ないか?」

「わッ、私が男性の筋肉を見るのは、男性が女性の胸を見るようなものです!」

「…………そうか」


 そして、臍を曲げた旦那様が、寝室に連れ込むのでしょうね。


 フランシスカは学習しない。

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