奴隷少女
ロウがマガネスの家を離れてから三か月が経った。
用事が済んでも、行きも帰りも徒歩であるためこの程度の時間がかかってもおかしくはない。ロウ自身もどのくらいの時間で帰って来れるかわからないと言っていたため、彼がいつ戻って来れるか、誰も予想ができない。
マガネスの家に滞在させてもらうことになってから、シノンは積極的に手伝いをした。
ライザと共に狩りと山菜採り、畑の仕事に家事等、世話になっている自覚を持って取り組んでいる。
もちろん、ルミナの戦闘訓練にも付き合っている様子である。自分も体が鈍ってはいけないので、ルミナの訓練がてら自分の訓練も欠かさず行っていた。
「もう少し、力を抜いてもいい。動きが硬い」
「う、こう…?」
「ちょっと柔らかすぎ」
「難しいね。それなりに成長したつもりだったのに」
「実戦経験が足りてないだけ。大丈夫、ちゃんと成長してる」
街で購入し愛用している長剣を握り、ルミナはシノンから戦闘の指導を受けていた。
シノンは定期的にこうしてルミナの素振りや組み手に付き合っており、たった三年で少なくともDランク冒険者として活動できるほどにまで成長していた。もう少し殻を破れば、Cランク並みの実力にまで届くことだろう。
通常の冒険者が活動を始めてから経験を積んだとして、Dランクに到達するまでに平均五年かかると言われている。
三年前の時点では全くと言っていいほど自衛すらできていなかったことを考えると、三年でDランク冒険者並みの実力を得たこと自体、彼らレイヴァの血筋は異常とも言えるほど戦闘力が高いとも言えるだろう。
「今度エジルさんに許可をもらって、外で実践訓練でもする?」
「そうね…一人だと不安だし、シノンがついてきてくれたら安心なんだけど…お願いしてもいいかな?」
「もちろん。戦闘初心者を一人で森に放り出すようなことはしないよ…」
「あはは、ごめんごめん」
両腕を組んで目を逸らし、不貞腐れるシノン。
そんな様子がおかしかったのか、ルミナはクスクスと笑いながらシノンに返した。
「早速行きたい。エジルに聞いてくるね」
「待てって、焦るな。明日にしよう」
今日だけでもルミナは三時間も体を動かしていた。いくら戦闘民族の末裔とはいえ、まだ戦闘の経験も浅いうちからこんな軍人のような訓練をする必要はないと感じたシノンが、今日のところは休もうとルミナに提案するのだった。
少しでも早く成長したいと考えていたルミナは少し不満そうだったが、自分よりも経験のあるシノンに従うことにするのだった。
「わかった。今日は休むよ。あ、でも、川に行って水を汲んでこなきゃ」
「俺が行くよ。ルミナは湯浴みをしてこい」
「いいの? ありがとう」
訓練でかいた汗を拭きながら、ルミナはシノンに礼を告げた。
階段を上り家に入って行くルミナを見送り、シノンはバケツを手に取って森の中へと足を向ける。
少しずつ夏に向けて気温が上がってくる季節であり、雨季が近づいていることもあり、森は高い湿度で覆われていた。普通の人間ならルミナのように汗をかくものだが、シノンには全くそんな気配はなく、涼しい顔のまま一切の汗をかかないでいた。
マガネスの結界から外に出ると、無数の動物や虫の気配と鳴き声に囲まれる。シノンは迷うことなく、南西の方角へまっすぐ歩いている。
街道を跨いだ向こう側には水質の綺麗な川が流れていて、人も動物もその場所によく水を飲みにやってくる。
両端に水汲みバケツを吊り下げた棒を肩に担ぎながら、シノンは森を進んでいた。いつも騒がしい動物たちも、今日は少し控えめであることに、シノンは気づいていた。
その理由は、近づいてきた街道を人が通っていたからだ。
複数の馬車が列を成して進んでおり、野太い男たちの怒号もシノンの耳に入ってきた。
「早くしろ! 追いつかれるぞ…!」
その切迫した様子から、その人々は何かに追われているようだった。
シノンは気配を殺し、物陰に隠れる。外套のフードを深く被り、様子を窺う。
「あっ…!」
ドサッ、と音を立てて転んだ小さな少女がいた。転ぶと同時に聴こえてきたのは、不快な金属の音だった。
「さっさと立て死にてえのか!」
「おい、ちょうどいいから置いていけ。どうせあんな汚い子供、高く売れない! ここで餌になってもらった方が、俺らの命くらいは保証されるだろ!」
「…チッ!」
物陰に隠れているシノンの目の前を通り過ぎる馬車の列。耳に届く会話の内容に首を傾げながら、シノンは馬車が通り過ぎた後の街道へと目を向けた。
「ギャアアア!!!」
先ほど転んだと思われる少女が、手足に取り着けられた鎖に絡まれながらも立ち上がろうとしていた。その後ろに迫っていたのは、体長二メートルほどの猿型の魔物、フォレストエイプだった。
シノンは咄嗟に飛び出し、腰に装備していた剣を抜くと同時にフォレストエイプの首を落とす。
「っ…!」
地面に伏せっていた少女が、驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。
手入れのされていないボサボサのくすんだ髪は伸びっぱなしで、顔の全体が見えない。身体中が汚れと小さな怪我で覆われていて、とても丁寧に扱われていたようには見えない。
手足には鎖が取り着けられていて、怯えたような視線でシノンを見ていた。
シノンは仕留めた魔物を一瞥すると、収納魔術を使用し、異空間へと収めた。
「…っ!?」
血の臭いで魔物が引き寄せられないようにと思って収納したまでだったが、奴隷の少女はそれが理解できなかったのか、シノンを見つめたまま動けないでいた。
「…はあ」
手に持っていた剣を逆手に持ち替えた後、シノンは剣を真下に振り下ろした。
奴隷の少女は硬く目を閉じ、死を覚悟したが、自分の身体に刺された痛みが走ることはなかった。その代わりに聞こえてきたのは、自分の足に取り着けられていた鎖が断ち切られる音だった。
「行け」
「…?」
全く、理解が追いついていない様子の少女。
ただ茫然と目の前にいる人物を見上げ、断ち切られた鎖を見つめ、黙っているしかなかった。
「お前は今日死んだ。新しい人生を自分で切り開いて行け」
そう言って、シノンはその場から立ち去ろうとする。目の前で誰かが死ぬのを目撃するのはもっぱら御免だったが、命を助けたことにはなるものの、これ以上関わるのは面倒だった。
そう思い背を向け歩み始めたが、シノンの背後で、ドサ…と少女が地面に倒れる音が鳴る。
振り向いたシノンはそんな少女を見つめ、とても面倒くさそうな顔を浮かべながらため息をついた。
「…どうしろってんだ…」
このまま道端に置いていくわけにもいいかないし、シノンは少女を肩に担ぐと、再び歩みを進めた。
「…じゃ…ご飯……るね…お湯……うん、大丈夫」
「……ん、う……」
「あ、起きたかな?」
温かくて、柔らかい布団の上で目を覚ました少女は、慌てて飛び起きて額を床に擦り付け謝り始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、申し訳ございません申し訳ございませ…っ」
呼吸が詰まって、それ以上の言葉が出てこなくなってしまったようだ。
息継ぎの音が聞こえず、苦しそうに背を丸めているその少女に対し、ルミナは慌てて駆け寄る。
「大丈夫? よしよし、深呼吸して、落ち着いて…」
「…っは、はっ…あっ…」
全身が強張って、ルミナの声も届いていないかのように、少女の全身から汗も吹き出していた。
「ルミナ、部屋の窓を開けてお湯を沸かしてきてくれ」
「シノン…! わ、わかった」
「おい、余計なことを考えずに息を吐くんだ。吐くことにだけ集中してろ」
シノンは口は悪いものの、いつもよりも柔らかい口調で少女の背をさすりながら声をかけた。
十数分ほどの時間が経ってようやく呼吸が落ち着いてきた少女は、シノンを無言で見上げる。
「落ち着いたか? これで顔を拭くといい」
シノンはぬるま湯で濡らしたタオルを少女に渡す。無言のままシノンからタオルを受け取ると、少女はゆっくりと汗を拭き取り始めた。
「どう? 少しは落ち着いた?」
水の入ったコップを手に差し出しながら、ルミナがそっと少女に声をかけた。
少女もようやく落ち着きを取り戻したようで、こくりと首を縦に振った。
「良かった。驚かせちゃってごめんね、これ飲む?」
少女は躊躇いながらも、ルミナに差し出されていたコップを受け取り、それをゆっくりと飲み干した。
「もし良かったら、あなたの名前を教えてくれる? 私はルミナ。そこのちょっと口の悪い人はシノンだよ。シノンが、あなたをここまで運んできてくれたの」
「……名前、ユウキ、です」
「ユウキっていうの? いい名前だね。お父さんかお母さんはいるの?」
優しく語りかけるように、ルミナはユウキに問いかけた。
しかし、ユウキはうつむきながら首を横に振った。
「じゃあ、故郷は? 自分がどこから来たのかは、わかる?」
「……夢の、村です。でも、ボクには、家がありません。お父さんも、お母さんも、村の人に捕まって……」
「捕まって……?」
ユウキが言葉を詰まらせたのを見て、ルミナは首を傾げる。
ルミナに夢の村という場所に心当たりもなく、思わずシノンを見た。しかし、世界中を旅するシノンでさえも「夢の村」という単語に関する心当たりはなく、返せる答えは首を横に振ることだけだった。
「両親に、村を、追い出されました。ここには、帰ってくるな、と……生きて、どうか幸せになって、と……そう、言われました」
「何か追い出されるような罪でも犯したのか?」
「わかり、ません……生まれてから、村を追い出される、まで、家から外に、出たことが、ないんです……」
ユウキは震えながらそう答える。
話を聞いている間にマガネスが入ってきて、首を傾げているシノンとルミナに声をかける。
「夢見の里のことではないかね? その子の魔力に、幻夢龍の影が見える」
「あ、そうです、そうだと、思います」
「なるほど…え、まって。夢見の里って砂漠を越えないとたどり着けないって話だったよね? そんなに遠くからこんなところまで来たの?」
「えっと、ボク、砂漠に着いた時、奴隷? のご主人様に拾われました。たくさん叩かれたり、髪を引っ張られたりしましたけど、食べ物と寝る場所があった、ので…」
ルミナは顔を歪ませ、ユウキの手を優しく握った。痛かっただろう、辛かっただろうと、目に涙を浮かべながら。
「マガネスさん、勝手に拾ってきてしまってすみません」
「気になさんな。とっくにわかっていたことさ」




