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水の聖者  作者: 森川 悠梨
序章
2/7

海。

連載再開です。

大変お待たせしました。

 潮の匂いがする柔らかな風に包まれながら、シノンは甲板からどこまでも続く海を眺めていた。

 どこからともなく流れてくる風は潮の香りを運んできて、シノンの嗅覚を刺激した。

 ここは甲板の2階で、1階にいる他の乗客達も見下ろせようになっている。

 シノンは手すりに寄りかかり、じっと正面を見つめている。

 そんなふうにしてしばらくすると、彼の背後から近づく者がいた。だが、シノンはその者の気配の正体をよく知っている。故に動かないでいた。


「船旅はどうだ、シノン?」


 ロウだった。シノンの隣に立ち、共に海の向こう側を見やる。

 シノンからの答えは期待していなかった。返ってくるとは思っておらず、ただ息子の隣に立ったのだ。

 だが、シノンはそんな養父の予想を良い意味で裏切る。


「……なんだか、懐かしい気がする」


 ロウは驚いて、軽く目を見開いてからシノンを見下ろした。普通の子供よりも小柄な体格をしているシノンは、手すりの高さがちょうど胸のあたりだ。

 腕を組み、それを手すりに載せて、さらにその上に顎を預けているといった状態で、正面を向いたままそう呟いた。

 今日は冬とは思えないほど澄んだ快晴で、空気は冷たく乾燥しているものの不思議と寒くはなかった。むしろ潮の香りも相まった心地良さすらあった。

 そんな風にしてしばらく海を眺めていたシノンが懐かしい気がすると答えたのは、なんとなくだった。

 どこか懐かしい記憶が蘇りそうで、何も出てこない。

 痒くて掻きたいのに、痒い場所がなかなか見つからないかのようなもどかしさすら感じていた。

 そんな、時。


「シノン」

「わかってる」


 背後にある階段から感じるいくつかの魔力反応。気配は完全に消せても、魔力までは抑えられない。

 数少ない魔力感知の能力を持つ者である2人は、背後で静かに自分たちを殺そうと待機する3人の人物が動くのを待ちつつ、いつでも武器を手に取れるよう密かに構えていた。

 しかし、あまり待ってもいられないようだった。

 下の階では、悲鳴や激しい物音が鳴り始めたからだ。

 2階の甲板にいるのはシノンとロウの2人のみ。ここには彼らが守るべき乗客はいない。

 2人は視線を合わせ、無言の会話をする。ロウが先に下へ飛び降り、戦っている味方の助太刀に向かう。シノンは先に3人の敵を処理し、その後で助太刀へと向かうことになった。

 頷き合い、早速行動に移る。

 ロウは相棒の短槍を取り出し、手すりに片手をかけて下へと飛び降りた。シノンも相棒である双剣を取り出し、一振り。

 振り向くことなく低い声で呟くように告げる。


「……隠れてねえで、出てこいよ」


 ロウや自分を拾って世話を焼いてくれた人たちを抜き、他人に話しかけるなど、記憶を失くして以来初めてだ。

 いつものように外套の頭巾は間深く被っている。故に相手にはシノンの顔は見えないはずだ。

 数秒して、階段をゆっくりと昇る足音が聞こえてきた。

 シノンは視線だけを背後に向け、前後左右全てに気を配り、敵の動きを把握していた。

 やがて出てきたのは体格の良い大柄な男と、小柄な老人2人。どう考えても、小柄な子供であるシノンに勝ち目はないように思える。しかしシノンは全く怯えたりするような仕草もせず、むしろ余裕さえ持っていた。それでも油断しているような様子は全く見られず、敵に背中を向けつつも全く隙がない。

 そんなシノンの態度が面白くなかったのか、大柄な男はこめかみに青筋を浮かべながらも笑みを浮かべて話しかける。


「……小僧。何か言い残すことは?」


 勝てることを確信した笑み。当然だろう、何せ相手は小柄な体格を持つ子供なのだから。

 だがその子供には余裕があるし、全く隙を見せない。それに対して男達は不気味さすら感じていたが、無理矢理押し潰していた。……認めたくなかったからだ。

 シノンはゆっくり振り向く。

 右手に漆黒の刃を持つ黒刃、左手には純白の刃を持つ白刃。

 この世に使い手の少ない、双剣術。それに男達は目を見開き、その後すぐににやりと笑みを浮かべた。

 老人2人は大柄な男1人で十分すぎると判断し、後ろに下がった。

 その理由は、双剣術などシノンのような子供に扱えるはずがないと判断したからだ。

 大人でも使いこなす者の数は少ない双剣術を戦場で使うなど愚かな行為だ。双剣術とはすなわち、強い魔力を宿した双子魔剣なのだから。

 魔剣は1本の剣として使用されることが多い。それを双子剣ではない2本の剣として扱うことを二刀流、又は二剣流という。それは魔剣に限らず普通の剣でも同じだ。

 複数の武器を同時に操るなどといった行為は難易度が高いだけでなく習得にも時間がかかる。

 個人差はあっても、まともに戦える者ですら数は少ないのだ。

 双剣術となればさらに数は激減する。そもそも双子剣というものの数が少なく、手に入れることすら難しい。

 金銭だけではない。情報やコネといったものまで必要になるだろう。

 手に入れられたとしてもしっかり使いこなせる者は極小数、両手に魔剣を持って魔力を制御できるかどうかすら怪しい。

 それを、子供が持っていたとしたら。勝てるどころか、貴重で希少な双剣をも手に入れられる。

 男はそんな欲望に負け、シノンの様子など最終的には全く気にしなくなった。


「……何もない、か。それでいいんだな?」


 黙っているシノンに対し、最終確認だとでも言いたげに男は告げる。

 それでも答えないシノンへ、男は大剣を向けた。だがシノンは動じない。双剣は地面に向けたまま、自然体のまま立っている。

 男は腰を落とす。そしてさっさと済ませたいとばかりに一気にシノンとの距離を詰め、首を取るべく大剣を薙ぐ。

 本来ならばそこでシノンの首が飛び、床に落ちるはずだった。しかしそんなことは一切なかった。……その代わり。


「が、は……」


 派手な音を立てて大剣を落とし、首から血を吹き出して倒れたのは大柄な男の方だった。

 白目を剥き、口から泡を吹いて。


「……なっ」

「なん、だと……?」


 驚きを隠せないのは後方で見ていた老人達だった。魔法師なのか、その手には魔法植物製の杖が握られている。

 それぞれ杖を落とさぬように強く握り締め、呆然と倒れた男とシノンを見ていた。

 シノンは、男の首があった位置に突き出していた黒刃を引っ込め、血も付いていないのに振り払うようにひと振りした。

 床を伝って自分の足元に流れてきた血を嫌うように、軽く跳ねて一旦手すりの上に乗った。

 そしてのんびりはしていられないと判断したので、シノンは老人2人の位置をしっかり確認し、躊躇なく距離を詰めて首を狩る。老人達も、声を上げる暇もなく、何があったのかを知るのも許されることなく、床に伏した。


「……さて」


 1人呟き、シノンは先程のロウと同じように手すりを乗り越えて下へ飛び降りた。

 甲板は混沌と化しており、乗客の悲鳴や戦闘音、死体を踏みつける人々。床は人の血で溢れていて、一種の地獄絵図のようだった。

 シノンは自らの身体に魔力を纏わせ、全ての液体を弾く効果をもたらすよう調節した。

 着地すると同時に目の前にいた男を切りつけ、もう少しで殺されそうになっていた少女を庇った。

 丈の長い外套が舞い、彼の足元の血がびちゃりと飛び散る。

 しかし纏った魔力の効果でシノンの身体や服に血がつくことはない。

 背後で傷だらけになっている少女は怯え切って、敵を倒したシノンですら警戒しているようだった。シノンと同じように間深く頭巾を被っているので顔は見えないが、震える身体を見れば一目瞭然だ。

 シノンはそんな少女の様子など全く気にした様子もなく、近づいてくる敵を淡々と倒して行った。

 先ほどの大柄な男のように、シノンを上物だと思って寄ってくる欲深な者達だ。


「……ちっ、雑魚が」


 誰も聞こえないような小声で呟かれた、苛立たし気な言葉。

 しかしそれでもシノンの動きが鈍ることはない。むしろ鋭くなったような気すらする。動きに全く無駄がなく、まるで近づいてくる小さな虫を払うかのように、攻撃を軽く避けては全て一撃で斬り伏せていく。

 さっさと済ませたい一心で、自分から向かっていこうかとすら思っている。

 ……いや、もうその必要はなくなった。

 何故なら、ロウが最後の1人の心臓を貫いて、戦闘は終了したからだ。

 シノンも他に敵がいないことを確認してから、息を吐いて構えを解き、双剣を振って汚れを払ってから腰の鞘へと剣を収める。

 その動作ひとつひとつが洗練されており、美しさすら感じる。

 そんな彼の様子を見て、背後でずっと見守っていた少女が、恐る恐る話しかけた。


「……あ、あの……っ」


 震える身体で、震える声で、シノンに歩み寄る。

 その声には怯えの色がある。当然だろう、全身に傷を負って、殺されかけた直後なのだから。

 自分よりも歳上らしい少女。シノンは振り向きもしないまま歩き出した。

 他人とは話がしたくなかったのだ。例え相手が善人でも、信用出来ない。したくない。


「あ、ありがとう! 助けてくれて!」


 そのつもりがなくても、貴方がいなかったら私は死んでいた。

 そう伝えたかった少女は、笑みを浮かべて手を振る。

 シノンは頭巾を深く被り直すだけで、何も反応せずロウの下へ向かって行った。


「おう、お疲れ、シノン」


 ロウに迎えられ、うなずくシノン。ロウの隣には、見知らぬ中年の男が立っていた。

 ロウと同じ、槍を手に持った男だった。どこが威厳を携えた男で、姿勢も正しく、まるで騎兵隊員のようだ。

 しかしシノンは全く気にする様子はない。他人には元より興味がないからだ。

 とりあえずロウの傍にいる。それだけだった。


「……っと、悪い、娘を探してくる」

「おお、早く行ってやれ」


 慌てて男は飛び出して行った。だがすぐそこで出会ったらしく、無事で良かったと安堵したような声を漏らしている。

 シノンは覚えのある気配と声を感じて少しだけ反応した。

 嗅覚は血の臭いで塞がれていて使えないが、間違いなく男の言う娘らしき人物は、会ったことがある人物。それも数分と経っていない、つい先ほどに。


「ロウ、悪いが手当を手伝ってくれないか」

「ん? ……っ、酷い傷じゃないか……!」


 1人の少女を横抱きにして先ほどの男が帰ってきた。やはり、とシノンは軽く目を見開く。

 まさか、自らの養父の知り合いらしき男の娘だったとは予想外だった。

 その少女は確かに酷い傷を負っていて、放置すれば死に至るほどのものだった。

 今は冬だったから良かったものの、夏だったならば紫外線や高い温度云々ですぐにでも死に至っていただろう。

 少女を手当するロウと男。

 シノンはそのまま傍観していようかとも思ったが、彼女があんな酷い傷を負って必死になっているロウの顔を見て、渋々意向を決めた。

 ゆっくりと歩み寄り、少女の傍らにしゃがむ。彼女はシノンが先ほど自分を助けてくれた人だとわかったのか、はっとして頭巾の下で軽く目を見開いていた。


「……っ、シノン、どうするつもりだ」


 まさか自分からこちらに来るとは思ってもみなかったのだろう。驚いた様子でロウはシノンを凝視している。

 しかしシノンはそんなロウのことなど全く気にした様子もなく、少女に手を翳すと目を閉じた。

 魔力を集中させ、優しい光を放ちながら少女の傷を治していった。

 "回復ヒール"。光属性の魔術であり、その名の通り傷の回復速度を上げ、傷痕すら残さずに治す方法。

 これの場合、1番効果の弱い第一回復術ではあるが、シノンの場合は"魔術"であるということで、効果は魔法よりも高い。

 そのお陰で、全く何も問題なく少女の傷は完治した。

 それに対して驚いたのは少女と男だった。目を見開いてシノンを凝視しており、何があったのかとただただ混乱していた。


「……ありがとな、シノン」


 そう言って、ロウはシノンの頭を軽く撫でる。嬉しそうに小さく微笑み、慈愛に満ちた顔をしていた。


「……ろ、ロウ、この子はいったい……」


 何者なんだ。

 そう尋ねようとする男。少女もそれを聞きたかったのか、ロウの方へと視線を向けたまま離さない。


「ああ、紹介が遅れた。こいつはシノン、血は繋がってないが……俺の子だよ」

「…………」


 視線だけ男に向け、何も言わずに立ち上がるシノン。

 人見知り且つ警戒心の強い性格をしているせいで、ロウ以外のの者には口を利こうとしない。


「ああ待て待て、シノン。紹介させてくれ」


 慌ててシノンを引き止め、両肩を持って男と少女の方に向けさせるロウ。

 シノンはどうしたらいいかわからず、視線を泳がせている。

 こんなことは今までになかった。シノンが関わろうとしなかったら、ロウは無理矢理引き止めたりなどしなかった。だからこそ、少し困惑しているのだ。


「紹介させてくれ。俺の幼馴染みで親友のエジルと、その娘のルミナだ」

「初めまして、だな。エジルと申す」


 エジルと紹介された男は、礼儀正しく右拳を左肩に当て、軽く頭を下げる。やはりどこかの地位の高い騎士か何かだったのだろう。

 ルミナと紹介された少女も一歩前に出て、スカートの裾を軽く持ち上げて頭を下げる。


「……ルミナと、申します。その、さっきと、今。助けてくれて、本当にありがとう」


 にっこりと美しく笑いかけ、シノンに丁寧に挨拶と礼をするルミナ。口元しか見えないが、間違いなく美人であろうと想像できるような、整った小さな顎と口。

 シノンをまっすぐに見つめ、少し緊張しているかのような口調で話す。

 珍しいことに、シノンもその少女から目が離せなかった。どこか、懐かしいような、胸が高鳴るような、そんな気がしていたからだ。

 だがしばらくじっとしていると、頭を振って気を取り直した。

 ルミナから無理矢理視線を逸らし、気を紛らす。


「はは、珍しいな。……まあ、いいが。エジル、部屋に行こう」


 苦笑いをしたロウだったが、子供たちを休ませなければと思いエジルにそう提案する。

 エジルも同じことを思っていたのか、否定する素振りも見せずうなずき、歩き出した。

 部屋はお互い隣同士だった。ロウとエジルがお互いこの船で再会したのは、出航から2日目の夜だったらしい。つまり昨晩だ。

 シノンとルミナが寝ている間に、彼らは甲板で長話をしていた。

 十数年ぶりに会った親友は変わっていて、会っていなかった十数年間は色々あって、とても有意義且つ楽しい時間だった。


「……そう言えば、ルミナ。先ほどシノンに礼を言う時、さっきと今、と言ったな。あれはどういうことだ?」


 シノンとロウが使っている部屋に入った時、エジルがルミナにそう尋ねた。ルミナはそれに反応し、シノンに命を助けられたのだと弾むような口調で話し始めた。

 シノンは面倒臭そうな顔をしてベッドに座り、窓の外へと視線を投げた。

 だがそんなことは気にせず、エジルは驚いたように目を見開き、誠心誠意を持ってシノンとロウへと礼をしたのだった。

 ルミナも一緒に、頭を下げている。

 ロウはそんなことをしていたのか、とシノンを賞賛するように隣に座り、褒めながら頭や首筋など、褒美だとばかりにシノンの弱点を撫でる。

 その事でシノンは頬が緩み、何気に疲れていたのか、そのままロウへと体重を預けて眠りに落ちるのだった。

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