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第一話:小さな雨

「師匠!」

 刻は昼過ぎ、師からの使いを早くすませた少年は枯れた丘にたたずんでいる人物に思わずといった風に駆けて行く。

 柔らかな黄金の色彩を灯した瞳がとらえた先には、まだ若い女性がこちらを振り返るところであった。 しかし彼女のその透きとおる青い瞳がふいに焦りの色に彩られる。

「レインっ、危ないから走るなっ!」

「大丈夫です!」

 晴れやかに即答する愛弟子に彼女は大丈夫じゃない! と内心絶叫した。

 敬愛する師のその様子にレインは大げさだと思わなくもないが如何せん彼は奴隷上がりである。

 つい最近彼女の気まぐれで助けてもらうまで酷使されていただけに、今では彼女の魔術によって治癒されてはいるがどこもかしこ傷ついており、やっと体力が戻ったのが現状であった。

 立っているのもふらふらでよく転んで身体をどこかしらぶつけていたのだ。故に過保護だと言われようがそれは仕方がないのである。

 ようやくと言ったくらいに体力がついてきた矢先……こちらに駆けてくる愛弟子のレインの姿に師である彼女は当然のように不安を掻き立てられる。いくら愛弟子が大丈夫だといっても悪い予感がするのだ。彼女の勘はたいてい的中する。

 そしてやはりというべきか少年、レインは彼女の予想通りに足をくじけ、勢いのあまり師の胸に飛び込んだ。

「ぐっ……」

 彼女は当然飛び込んできた愛弟子を柔らかく受け止めた。

 しかし、ここは丘である。

 思い出してほしい。ここは小高い丘なのである。

 丘と言っても高さはあった……下はむき出しの大地に覆われている岩場でもあった。

 視界が回り空が青いなと場違いながらも一瞬現実がつかめなかった彼女だったが……さぁ、と彼女は血の気が冷えた。このままでは転落すると、自分のみならずレインも怪我するだろうと。

 しっかりとレインを抱き込み彼女は術の発動を意識する。

「うわぁああああっ」

 悲鳴を上げる当のレインは己の失態にか、それとも窮地にか顔を青ざめていた。

 しかしさすがというべきか勢いにのまれ危うく転倒しかけた時、彼女はとっさに風の陣を展開した。魔術ではなく陣を具現したのだ。空に浮かびあがった少々複雑な淡い円状のそれは風となった。

 ふわり、とあたたかい風が二人を柔らかく包み込む。

 ゆっくりと丘から降り、地べたに転がるようにして座り込む二人。

「何とか間に合ったな」 

 レインは己の無事に胸をなで下ろしていたが、しかし師である彼女、アガスティアはそれを許さなかった。

「し、師匠……?」

 安心すると同時にレインが恐る恐ると顔を上げれば、そこには聖母のごとく優しき笑顔を浮かべている師があった。……ただしこめかみにできていた青筋が裏切っていたが。

 まだあどけない少年の絶叫が丘に響いた瞬間であった。




 

 石を積み重ねた塔。生い茂った森の奥にひっそりとたたずむそれは魔術師であるアガスティアの家ある。

 その塔の広い一室、地下にできている部屋に壁には本、床でさえ一面と本に埋められ、幾重にも折り重なった紙の束が無造作にあった。元がいかに広くとも足の置場もないのが現状である。

 貴重な資料や本で埋もれているその空間は半ばから地上につながっているようにできているためにどうしても窓が高くなってしまっており、当然光もあまり入ってこない。

 アガスティアは暗い空間を明るくするため必然的に光の陣術を用いる。火など使った場合、最悪本に引火してしまっては目も当てられない。

 浮かべているガラス玉に込められた光陣で、部屋を薄明るく照らしている空間に師弟の姿はあった。

 アガスティアは苛立っていた。

 滝のように流れる黄金の髪に足を組み、頬杖をつきながらしきりに指でコツコツと機械的に机を叩くその姿、行儀こそ悪いがその(さま)は美貌と相まってはまるで女神のようであった。しかし内心とその険しい表情がそれを裏切っている。

 昼間街へ使いに出したレインについてだった。

 使いというのもただ手紙を出させただけだ。体力作りの一環で今回のように使いに出してやることがある。 

 レインは決してどんくさいわけではないのは師であるアガスティアがよくわかっている。

 長年酷使され続けてきただけにむしろ俊敏だということも。そうではなく、彼は体力がいまだに回復していなかったのであった。

 半年ほど前に、気まぐれで人間の住む街に出かけたはいいがなんせ数年ぶりである。

 雨であっても市場は人であふれていた。あまりの人気(ひとけ)の多さに参っていた折、人混み逃れた裏の路地で捨てられていたのがレインであった。

 単に気まぐれだ。面白い雰囲気をまとっていたのが目に入っただけであった。

 実際その場にはほかにも捨てられていた孤児などいたが、その雰囲気がレインを拾った理由となった。今にして思えば何か惹かれるものがあったのかもしれない。

 最初こそ泥のように汚かったあれが今では天使だ。

 くすんだ灰かと思っていた髪はべっとりと張りついた血と泥を洗い流すうちに漆黒となった。さらに黄金の瞳だ。まるで子猫のようではないか! まさに井戸から宝玉という先人の言葉のとおりである。将来はきっと美丈夫に育つであろうとうかがい知れた。

 酷かった怪我も陣術で時間をかけて介抱してやった。魔術ですぐ治すより自己治癒させた方がはるかにいいのは当たり前である。魔術はまだ幼い体に負荷がかかる。

 水の魔術の適性もあったのでレインと、小さな雨と名付けた。

 レインは最初こそ猫のように警戒していたが飯で絆してやった。本当に猫のようである……。

 大きな黄金の瞳が純粋に自分だけ求めてくるのがありありと伝わり少々くすぐったく、自分にはいない弟がいたらこうなったのだろうかと思った。

 気まぐれに教えた水陣もすぐに覚えた。才能があったかもしれない。

 今では多少簡単な術はつかえるようになり、簡単な文章も書けていた。

 己の指が規則的に奏でる音を聞きながらアガスティアはそばで本をにらみながらせっせと必死にノートに陣を書き写している弟子を見やる。……もちろんその足には当然、真新しい包帯が巻かれていた。

 陣は単純なものから複雑怪奇なものまで多数存在する。今レインに書かせているのは三つほど陣を重ねてあるものであった。

 三種類の役割を持って構成されたそれはそれぞれ意味を解していなければ発動しない。

「ただひたすらに書き写すのでは意味はない。手順を踏みその情報を叩きこめ。解析し意味を理解しなさい。陣術はたしかに強力な力を発揮する。しかし使うとなるとなると書きこむ作業に時間がかかる。そうならないためにも頭に叩き込み、意味を解しなさい。知識として記憶に焼き付けておけば緊急にも使える。……今日のようにとっさに私が具現した風陣がそれだ」

 最後の言葉に今まで真剣に聞いていたレインはビクリと体をこわばらせ筆を止めた。なまじ自分が悪いと自覚があるだけに何も言えない。

 レインの失態である。アガスティアが風の陣をとっさに展開していなかったら、自分どころかアガスティアまで怪我を負うところであった。

 己の負い目、それは弱きことである。

 少年は渇望していた。力を、アガスティアを守ることのできる力を。

 幼い身ながらにもその小さな体は強欲にも力を欲していた。

 もっと、もっと、と力を望み努力した。

 その成果で魔術師でさえ習得に難しい三段陣を、わずか三月で覚えた。それはアガスティアも目を見張るものがあった。

 過酷な状況をレインはその身をもって理解していたから、幼いがゆえに努力の限度を知らなかった彼はひたすら陣を習得し、知識を吸収した。その努力は力と比例する。

 しかしまだ足りない。アガスティアには到底かなわない。

 このままではいけない。このままではアガスティアに迷惑をかける。

 このままではアガスティアを守れない。このままでは、……捨てられる。

 押し潰されそうな不安に、レインのこぶしを握る小さな腕に力がこもる。

 そんな弟子の様子を見やり、アガスティアはため息をついた。そのため息に再び固まるレイン。

 アガスティアその動作の一つ一つにおびえたように反応する弟子に、頭を抱えたくなる。自分の態度も多少大人げなかったのかもしれないと顧みて反省した。

 しかしよく考えてほしい。彼女は魔女である。

 アガスティアは永い時を生きることを運命づけられた魔女でもあった。それは別れを宿命された悲しき生でもあった。

 まだ幼くとも、当時からすでに才能の片鱗をのぞかせていた彼女は理解してしまった。

 聡明だったがゆえに、幼少から俗世を切り捨てた彼女だ。当然人とかかわることは少なくなった。

 人と長きにおいて接する機会もなかった故に、不器用なところがあった。なぜ拾ってしまったのだろうかと今更ながらに己の所業に疑問を持った。

 しかし彼女は、疑問に思いこそしたが、後悔などは微塵もしていなかった。

 先ほどまであった苛立ちはすでに消えていた。

「そこまっで怖がらなくてもいい。私はたしかに怒ってはいたが」

 そこでいったん言葉を区切り、アガスティアはそっとレインの柔らかい漆黒の髪をなでてやる。

「レイン、お前に罰など与えようとは思わないから」

 柔らかい響きを持つそれにレインの描いていた魔術陣がゆがんだ。ああ、これでは陣が書けない、と思いながらもそれを止めることはできなかった。たしかに、ここには彼を傷つける者はいない。

 現にアガスティアが与えてくれるぬくもりは暖かく、決して彼を傷つけなかった。

 優しくなでてくれている。慈しんでくれている。

 ぽたりとわずかな水滴が己のこぶしを濡らした。

「……っ」

 こらえていた涙があふれた。

 アガスティアはたしかに怒っている。しかしそれはすべて自分の身を案じているが故なのだ。

 なでてくれている手、優しく抱きしめてくれる腕、レインを気に掛ける声の優しさ、どれもレインは知っている。彼女のことならたくさん知っている。

 頭をなでてくれるそのぬくもりに、泣いているレインにはその優しさが痛いほどよくわかっていた。

 あの雨の日に、使い物にならないと力を振るっていた主人に捨てられた冷たい雨の日。

 もう動けないと、死ぬことを受け入れたときに拾ってくれたアガスティア。殴られないかと怯えたけどそれは間違いだった。泥と自分の血にまみれた動けない汚い体を優しく抱きしめてくれた。うまれて初めて与えられたぬくもりに、飢えていた少年は必死にすがった。

 


 ――はじめてやさしくしてくれたひと。

 ――てばなしたくない。

 


 少年が、レインがアガスティアに強く依存した瞬間であった。

 アガスティアのことは何でも知りたい。

 アガスティアの大好きなものを知っている……苦手としているものも知っている。

 彼女が大好きだ。

 純粋な想いは時として毒ともなりえる。

 幼いがゆえに一途なそれは少年の心を少しずつ確実にゆがめていく。

 強くて優しいアガスティア。

 姉のようで母のようであるアガスティア。

 そして、

 美しいアガスティア。

 いまだ十二とまだ幼い彼だったが、すでにその心は黄金の魔女に強く焦がれていた。




 

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