第13話「名前の無い福祉」
【1.惑星スマーケア】
銀河連邦の辺境に位置する惑星スマーケアは、「未来の福祉都市」として称賛を集めていた。
住民たちの頭上には、一人につき一台、小型の球体ケアマシーン「ホカツ・ポッド」が浮遊している。
ポッドの底部からは白い光の帯が柔らかく伸び、住民たちの首元に綿菓子のマフラーのようにふわりと巻きついていた。
「お茶を淹れて」「肩を揉んで」「荷物を運んで」――。
住民が呟くだけで、光の帯を通じて声帯の振動から意図を汲み取ったポッドが、日常のあらゆる世話を全自動でこなし、至れり尽くせりの甘い生活を約束する。
スマーケアは銀河が誇る福祉惑星なのだ。
【2.折れた芯と、三度目の逃走】
「……どうせ、俺を笑いものにしてるんだろ!!」
惑星スマーケア市役所住民福祉課のロビーに、老人の怒鳴り声が響いた。
別の総合相談ブースで書類整理を行っていた小出二郎は、その声を聞き顔を上げた。
窓口の前で、擦り切れた防寒着を着た老人――コンキューが、怒りのせいだろうか、真っ赤な顔をして全身を震わせている。
コンキューは申請書をグシャグシャに握り潰すと、カウンターに叩きつけ、脱兎の勢いで出口へ走り去っていった。
「お……! お待ちください……!」
職員はカウンターに叩きつけられた申請書を前に、困惑と怯えの色を浮かべて立ち尽くしていた。
小出は静かに席を立ち、そのカウンターへ歩み寄った。
「どうされたのですか?」
「あ……GAAからの応援職員さん……。いや、僕も何がどうされたのかサッパリわからなくて…」
職員は消え入りそうな声で俯いた。
「先週も先々週も来られた方なんです。『生活の相談に乗ってほしい』とおっしゃるので、まずは【申請書】にお名前を書いてもらおうと、鉛筆をお渡ししたんですけど何故か激昂されてしまって……」
カウンターの上には、名前すら書かれずグシャグシャになった申請書と、書きやすいように朝一番で手入れして尖らされた一本の鉛筆が転がっていた。
だが、鉛筆の芯の先端は、無惨にもポキリと折れている。
小出はその折れた芯をじっと見つめた。
【3.総務部長の的外れな過大評価】
そのとき小出の通信機が鳴り、総務部長のホログラムが展開された。
「小出君! 君は地球の市役所で『福祉の包括ワンストップ・マスター』と呼ばれているらしいな!」
小出二郎の表情筋は、ピクリとも動かなかった。
「それはロビーの総合案内板の前でキョロキョロしていたお年寄りに、『まずは市民課へどうぞ』って私の窓口に座っていただいたら、全く所管外の畑の境界線の愚痴を三時間聞かされた時の話ですね?」
「素晴らしい!君が今いる惑星スマーケアでは、生活支援・介護・福祉の一切を民間事業者『銀河ワンストップ包括ケア機構』に包括委託している!困りごとはケアポッドに音声で話しかけるだけで事業者がすべて無償で引き受ける奇跡の民間活力モデルだ!住民満足度は驚異の百パーセント!」
「……行政が福祉を民間に丸投げして満足度百パーセント。嫌な予感しかしませんが」
「ところが住民から激しい抗議が寄せられていてな。どうやら市役所前の中央広場で暴動になりかけているらしい。ワンストップ・マスターが民間委託の素晴らしさを説いてこい!」
小出は深いため息をつき、住民が集う中央広場へ向かった。
【4.真綿菓子の首輪】
「GAAの税金泥棒が! どの面下げて来やがった!」
惑星スマーケアの中央広場で小出を待っていたのは、耳を劈く怒号と、飛来する生ゴミや空き缶の嵐だった。
暴徒化した群衆を縫って、純白のスーツを着たギリキョウの幹部、カツ・ケアホが優雅に進み出てきた。
「おやおや、公務員さん。私の大切な利用者を睨み付けないでいただきたいな」
その傍らには、窓口から逃げ出したあのコンキューがいた。
「カツ・ケアホ様はいちいち申請書なんか書かせない! 【お願いします】という言葉一つで、俺たちを救ってくれるんだ!」
周囲から割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。
「…照会」
銀緑の装甲が小出の全身を覆い、宇宙公務員オヂェフが現着する。
オヂェフは住民の頭上に浮かぶ無数のケアポッドの通信ログをスキャンした。
「……カツ・ケアホ。貴様、ケアポッドの音声集音センサーを悪用しているな」
「おや、心外ですね。利用規約に基づいた正規のサービスですよ」
カツ・ケアホは嘲笑うように、空間に極小フォントでびっしりと埋め尽くされたホログラム利用規約を展開した。
「読めませんか? 『ケアポッド利用規約第百八十条:利用者の日常的な音声指示(「お願いします」等の発音)を検知することにより、公的給付の受給および財産管理の一切を当機構へ包括的に委任したものとみなす』! 民事上の合意に基づく、極めて合法的な契約書面ですよ!」
《音声検知:『母ちゃん、醤油取って、【お願いします】』》
《音声検知:『運転手さん、次の角で降ろして、【お願いします】』》
オヂェフの端末から、街中の無邪気な日常会話のログが次々と再生される。
「……住民が日常で交わした無数の『お願いします』を勝手に収集し、包括代理受領の委任処理としている。 この委任を根拠に年金受給権を代筆で簒奪し、年金支給額のほぼ全てを管理手数料としてピンハネしている。 利用者が無償だと思っている福祉は、自分たちの将来の年金を抜かれた残りカスだ! 貴様がやっているのは福祉なんかじゃない……甘い綿菓子で誘惑し、真綿で首を締め、死ぬまで年金を吸い上げ続ける『家畜の飼育』だ!!」
広場が静まり返る。
「目を覚ましてください! こんな福祉に人生を預けてはいけない!」
オヂェフが叫ぶが、最前列にいた住民が涙を流して叫び返した。
「そんなこと言われたってよぉっ! 役所の窓口に行けば、『預金通帳を見せろ』『親兄弟に頼れ』って、惨めな人生を品定めされるんだ! 俺たちだって、こんな首輪が良いわけない! だけど、窓口でガラス越しに見下される恥に比べたら、何も聞かずに飯を食わせてくれる方がよっぽどマシじゃないか!!」
住民は騙されていたのではない。
手続きの屈辱に耐えかね、自ら尊厳を差し出して首輪をはめていたのだ。
オヂェフは行政の冷徹さと自らの無力さに唇を噛んだ。
【5.名前が無くとも】
絶望した人間が自ら真綿で首を締めるのを、「本人の同意」という規約で見殺しにしていいはずがない。
どれほど憎まれようと、石を投げられようと、住民が明日も「人間」として自立するための足場を死守すること――それが公務員の使命だ。
「カツ・ケアホ! 貴様のその包括委任契約は、今この瞬間に法的効力を喪失している!」
「いいや!私法上の有効な規約合意だ! 本人が納得して端末を使っている以上、行政が民間の契約に嘴を挟める根拠がどこにある!」
「銀河生活保護法 第五十九条!『保護を受ける権利は、譲り渡すことができない』!生存権に基づく公的給付は一身専属権!いかに約款に同意があろうと、強行法規違反により契約は【原始的無効】だ!」
「なんだと!?」
カツ・ケアホの胸元のエンブレムが砕け散り、住民から吸い上げていた委託金データが強制凍結される。
「おのれ……だが契約が無効になったところで公務員に何ができる! こいつらは誰一人、申請書を一枚も出していないぞ! 【申請主義】の役所がどうやってこいつらの今夜を救うというのだ!」
オヂェフは、バイザーの奥の瞳を鋭く光らせた。
「……銀河生活保護法 第二十五条 第一項!!『保護の実施機関は、要保護者が急迫した状況にあるときは、すみやかに、【職権をもつて】保護の種類、程度及び方法を決定し、かつ、開始しなければならない』!!」
「!!」
「申請書がない? 資産調査がまだ? そんなものは後だ! いま現に命の危機にある住民を救うためなら、公務員は――【職権で直ちに保護を開始する】!!」
「申請主義を……職権で飛び越えるというのか!?」
役所自らが課した【申請主義】という重い足枷を、公務員自身の責任と職権によって打ち破った瞬間だった。
「おのれぇぇぇ!!ならば全員まとめて消えろ!! 必殺――包括強制回収砲!!!!」
狂乱したカツ・ケアホが、広場にいる数百人の住民を照準に捉えた。
放たれるのは、地表を削り取る超高密度の破壊熱線。
【6.福祉という盾】
「う……うわぁあああああ! 助けてぇぇ!!」
その破壊光線は容赦なく住民を襲う。
オヂェフは、迷うことなく胸のリアクターの物理安全栓を引き抜き、住民の上空に投げた。
「『福祉-ルド(ふくシールド)』ッッッ!!!!」
空間に展開されたのは、黄金色に透き通る光の天蓋。
ドーム状に広がった『福祉-ルド』は、住民たちを一人残らず、ふわりと優しく包み込んだ。
直後、怪人の放った熱線が防壁に着弾。
だが福祉-ルドは熱気一つ通さず、爆風の欠片も届かない。住民の命を丸ごと肯定する、絶対究極のセーフティネットなのだ。
だが――。
「ぐあああああああっっっ!!!!」
オヂェフの絶叫が広場に響き渡る。
バキバキと音を立てて、オヂェフの装甲が砕け散っていく。
「なにしてるんだよ公務員!」
「早くシールドに入れよ! 死ぬ気か!!」
防壁の内側から、住民たちの悲鳴が響く。
オヂェフは血反吐を吐きながら、折れかけた足で踏みとどまり、ボロボロの背中を向けたまま呟いた。
「……恐れ入ります。『福祉』は……住民のためのものです。公務員を守るためのものではありませんので……公務員は適用除外なんです」
そして、オヂェフは語りかけた。
「あなた達の尊厳を窓口で踏みにじってしまったことは謝ります。……ですが、窓口で通帳を確認するのは、扶養者が居ないかを確認するのは……決して惨めな思いをさせるためじゃない! あなた達が背負ってきた痛みを全部、書類にして行政が『福祉』として背負い直すためなんです……」
「どうか……自分の人生を、首輪につないでしまわないでください……! 立って……自分の足で、どうか、あなた達だけの人生を生きてください」
コンキューが、懐の包括支援の通知カードを震える手で真っ二つに引きちぎった。
「返せ! 俺たちの人生を返せ!!」
住民たちは、ケアポッドから首元へ伸びていた光の帯――甘く首を絞めつけていた真綿菓子の首輪を、自らの手で引きちぎった。
飼い慣らされる安寧を拒絶し、自立という痛みを選んだ住民たちの叫びが怪人の支配エネルギーを霧散させていく。
「ば、馬鹿な……!……家畜が、自ら首輪を外すだと……!? 家畜に一人で生きていける力などあるものか!!」
白煙を吹きながら、オヂェフが一歩、前へ踏み出す。
「条例セイバー……起案」
「ひ、ひぃぃぃっ!!」
「福祉を私腹の道具にし、人の尊厳を踏みにじった罪、極めて重い。――行政代執行を宣言する! 審査一閃!!」
光の刃が、カツ・ケアホの虚飾を両断した。
怪人は爆発四散し、吸い上げられていた年金データは、光の粒子となって住民一人ひとりの端末へと返還されていった。
【7.記名】
福祉-ルドとO-JE-Frameが静かに光となって消えていく。
住民達が駆け寄り、小出の手を震えながら握りしめた。
「すみませんでした、俺たち……!」
「いえ、皆さんご無事で何よりです」
その中の一人、コンキューが語りだした。
「あのな、公務員さん……言えなかったんだ。役所の窓口で、言えなかったんだよ……」
コンキューは涙をボロボロとこぼしながら、子供のようにしゃくり上げた。
「俺は……子供の頃に学校に行けなくてよ……。字が、書けないんだ……! だから、窓口で『申請主義だから自分で書け』って書類を突き出されるたびに、恐ろしくて、恥ずかしくて……! 『字が書けない』なんて言えなくて、逃げ出すしかなかったんだよ……!」
その告白を聞いた瞬間、小出の胸は激しく締め付けられた。
役所に来ては逃げ出していたのは、冷やかしなんかじゃなかった。
字が書けないという、人生で最も隠したかった恥部を晒される恐怖と戦いながら、それでも生きるために、前に進むために、なけなしの勇気を振り絞ってやってきていたのだ。
それなのに、行政は【申請主義】という正論を振りかざし、尖った鉛筆を突き出し、芯の先と一緒に尊厳をへし折ったのだ。
小出はコンキューの手を強く握り返した。
「何時間でも付き合います。一緒に、貴方の字で、書きましょう」
コンキューは声を上げて泣いた。
【8.総務部長】
シュンッ、と胸元から総務部長のホログラムが現れた。
「小出君! 悪質委託の排除、見事だ!」
「……総務部長。スーツが大破し、また肋骨骨折です。公務災害の申請書を――」
「ああ、君が職権保護した住民一万人分の決定通知書の事後決裁が舞い込んでね! 明朝までに全部起案したまえ! 頼んだぞ、ワンストップ・マスター!」
通信が無情に切れた。
小出は空を見上げてボソリと呟いた。
「……尖った鉛筆と公務員の肋骨は……ちょっとした圧でポキリと折れてしまうんですよ……」
【9.名前の無い福祉】
地球・豊北市役所 市民課(翌日 深夜二時)
小出は、デスクで一人、裏紙に鉛筆を擦りつけていた。
静まり返った執務室に、黒鉛の擦れる小さな音だけが規則正しく響く。
「……先輩。まだ残業してるんですか」
背後から声がした。振り返ると、有家美兎子が温かいほうじ茶を持って立っている。
有家は机の上に並んだ、先端の丸くなった十数本の鉛筆を見つめ、眼鏡のブリッジをそっと押し上げた。
「惑星スマーケアで字が書けない住民に、窓口で四時間付き合って、一緒に名前を書いたそうですね」
「うん。自分の名前の5文字、綺麗に書けたよ」
「でも先輩。相談窓口の標準対応時間は一人十五分です。業務効率化指標(KPI)的には『非効率』と評価されちゃうじゃないですか」
有家の言葉は、行政の現実として間違いなく正論だ。
「……役所の『福祉』ってやつはさ、『■■事業』とか『●●給付金』とか、どれも立派な【名前】がついてて、何億もの予算がついてるだろ」
「ええ。それが法治国家の福祉です」
「でもさ、その立派な制度の入り口って、信じられないくらい角張ってて冷たいんだよ。【申請主義】っていう高い障壁があって、尖った鉛筆みたいに『お前は来るな』って拒絶する凶器に見える。……役所の立派な制度と、追い詰められて震えてる住民の間にはさ、大きく冷たい障壁があるんだよ」
小出は、丸くなった鉛筆の先を、自分の親指の腹にトントンと当てた。
「鉛筆の先をあらかじめ丸くしておくとか。『書けるまで何時間でも待ってますよ』って顔して黙って座ってるとか。……そんなの、あまりにも小さすぎて、事務分掌にも載らないし、誰も予算も名前もつけてくれない、くだらない雑務だよね」
「でも、制度に立派な名前がついているから人が救われるんじゃないんだよ。『生活保護』みたいに名前がついた福祉も勿論大事なんだけど、KPIに現れないような、名前すら無いような、市民に寄り添う小さな福祉こそが、一番大事だと思うんだ」
有家は深いため息をつき、言った。
「……先輩。それ、先を丸くしてるつもりでしょうけど、結局は鉛筆を削って擦り減らして短くしてませんか?」
「え?」
「誰かを傷つけないようにって、ご自分の体を削って市民を守っている時の先輩と、全く同じです」
「……有家さん、なんか怒ってる?」
「怒ってますよ。そうやって自分を擦り減らして、最後には指で持てなくなるくらい短くなって消えちゃう気ですか?」
小出は、手元の丸くなった短い鉛筆を見つめ、優しく微笑んだ。
「短くなったら、補助軸をつけてでも最後まで使うさ。……尖って誰かを傷つける鉛筆より、擦り減って不格好でも、誰かの震える手に馴染む鉛筆でいたいんだよ」
「……本当に、敵いませんね、先輩には」
有家は隣の席に腰を下ろし、新しい鉛筆を一本取ると、裏紙の上で静かに滑らせ始めた。
「短くなるなら、半分ずつのほうが長持ちしますから。……半分、付き合います」
静まり返った夜の執務室に、黒鉛の擦れる音が、優しく重なっていった。
宇宙公務員オヂェフ 第13話『名前の無い福祉』 ―完―




