第12話「怨念、消えぬ、こころ」
1.【分度器の笑顔】
地球・豊北市役所 市民課。
パーテーションのわずかな隙間から、防災課の有家美兎子が、じっと小出二郎の横顔を見つめていた。
今朝の小出は、明らかにおかしい。両目のハイライトは完全に消失し、死んだ魚のような、いや、死んでから数日経った深海魚のような目をしている。それなのに、口元だけが分度器で引いたような笑顔を貼り付け、やけにハキハキとした大声で喋っているのだ。
窓口には住民が、年度がバラバラの古い申請書類の山を持ち込んでいた。
小出はそれを受け取るや否や、目にも留まらぬ高速の手さばきで、厚型卓上パンチと一本の麻紐を回す。
(ガチコォン! ス、ズィー、キュッ!…パタン)
一瞬だった。寸分の狂いもない、芸術的なまでの「簿冊閉じ」が、バラバラだった書類の山を完璧な一冊の行政文書へと縫い上げる。
最初と最後のページは麻紐で擦れて破れやすいのでリングシールによる補強もされている。
住民:「うわ、一瞬で……! 助かったよ、ありがとう!」
小出:「いいえ! 私は適正な事務手続きを執行しただけの、ただの簿冊閉じ係長です! ハハハハハ!」
住民:「ぼ、ボサツ閉じ係長……?」
引きつった顔で去っていく住民を見送りながら、小出は「よし、次だ!」と誰もいない空間に向かって元気よく声を上げる。
有家:「(……やっぱり絶対におかしい。キチューから帰ってきて以来、ずっとあの変なテンションだ)」
その時、小出のデスクのホログラム端末が光った。
2.【消された愚痴】
ホログラムでぬっと現れたのは、銀河行政本庁の総務部長である。
総務部長:「小出君! 君は地球の役所で『10年前の職員の怨念を解読した』という、恐るべき『降霊術の持ち主』だそうだな!」
小出:「いや、10年前、決裁書類に鉛筆で強烈な筆圧で『予算ケチりすぎ』って書いた後、我に返って消し、その消し跡を付箋で隠してた職員がいたらしいんですよ。私が書類を見た時に付箋が取れちゃって、それに気付いて後任の担当者に愚痴を引き継いだだけなんです」
総務部長:「なるほど!素晴らしいな!とにかく現場は混乱している! 怨念渦巻く惑星ヨクキへ行って除霊してこい!」
小出の目は、食べ終えた焼き魚の目に進化していた。
3.【声の墓場】
惑星ヨクキの区役所に現着する小出。
現着したのは、洗練された銀河行政本庁舎とはほど遠い、カビと湿気と古いインクの臭いが充満する「地下5階・未整理簿冊庫」だった。案内する現地職員は、手にしたランタンをガタガタと震わせ、歯の根も合わない様子で地下の奥へと小出を導く。
ヨクキ区職員:「20年前、当時のヨクキ区長が『住民の本音をすべて受け止める!』と息巻いて、全庁的に【声の記録制度(本音簿冊)】というものを立ち上げたんです。役所のロビーに住民が愚痴でも後悔でも、何でも匿名で自由に書いていい箱を設置した。……でも、書かせるだけ書かせて、それを集計して実際の政策に反映するための『人員』も『予算』も、組まれなかった。読むリソースがないから、すべて『未決裁』のまま、この地下に段ボールで死蔵され続けたんです。そして20年が経ち、制度ごと形骸化して廃止されました……」
小出:「……典型的なポピュリズム施策の残骸ですね。書いた住民は『役所が聞いてくれている』と信じていたのに、実際は誰も読んでいなかった。ただ書類の墓場に埋もれさせていただけだ」
その時、簿冊庫のすべての白熱灯が、チカチカと激しく明滅を始めた。
重苦しい静寂の奥から、紙が勝手にめくられる、不気味な音が響き渡る。
(ペラ……ペラ……ペラペラペラペラペラペラ!)
棚に並んだ数万冊の手書き簿冊が、意志を持ったかのように一斉にページをめくり始めたのだ。
ヨクキ区職員:「ひっ!ひぃいい~!!お化けぇ~!!」
床に散らばった古びた簿冊の紙面から、黒いインクが泥のように滲み出し、生き物のように床を這い回る。
インクの糸が空間に幾重にも編み上がり、やがて巨大な人型をかたどっていった。怨嗟に満ちた数千人分の声が重なり合い、地下室の空気を震わせる。
怪人『ザオリキオク』の顕現であった。
ザオリキオク:「……わたしたちは……書いた……あの日、本当は隣人に謝りたかったと……役所に助けてほしかったと……。誰も! 読んでくれなかった!! 受領印一つ、押してくれなかった!!」
怪人が吠えながら腕を振るうと、古い簿冊のページが鋭利な刃物となって小出を襲う。小出は即座に『O-JE-Frame』を起動。銀緑色の装甲を全身に纏って宇宙公務員オヂェフとなるが、閉鎖された簿冊庫のコンクリート壁に激しく叩きつけられた。
ザオリキオク:「行政が読まぬなら、わたしたちの『未処理の後悔』を、全住民のポストに強制郵送してやる!!」
さらに、怪人のインクの糸が、オヂェフを襲い、まとわりつく。
ザオリキオク:「……見つけたぞ、宇宙公務員……お前の中にも……!」
オヂェフ:「なっ?」
ザオリキオク:「『とある惑星の報告書』……一介の執行官として介入の権限を持たなかった自らの無力さに、いまだ激しい悔恨が綴られている。だが、休暇中の事案のためこの文書は受理されなかった」
キチュー。
あの滅んだ星の記憶。胸の奥の「言えなかった本音」を容赦なく抉り出され、オヂェフの装甲から激しい火花が散る。
オヂェフ:「ぐっ……! 俺の心理データまで読めるのか……!」
ザオリキオク:「声は、放置されると腐る!! お前も、あの滅んだ星のことを、無かったことにするつもりなんだろ!!忘れるんだろ!!!」
周囲に渦巻く紙の嵐は、すべて「行政の不作為」が産み落とした住民たちの本物の悲鳴だった。
激しい悔恨の記憶に脳を焼かれ、冷たい床に膝をつくオヂェフ。
しかし、オヂェフはそこから、軋む金属音を響かせてゆっくりと立ち上がった。
バイザーの奥の深い瞳が、ザオリキオクを真っ正面から睨みつける。
オヂェフ:「……無かったことになんか、できるわけない!!忘れるわけがないッ!! 傷つかない公務員なんか、この宇宙のどこの部署にいるっていうんだ!!!」
ザオリキオク:「!!」
地下5階の密室に、小出の喉が千切れんばかりの絶唱が響き渡る。
オヂェフ:「悲しくて、悔しくて、今だって心がズタズタに引き裂かれてボロボロだ! 立ち止まって大泣きできるものなら、今すぐそうしたいさ! ……それでも! 公務員が、一つの事象に囚われて立ち止まってしまったら、『今、この瞬間に助けを求めている住民』は、一体誰が救うんだ!!!」
4.【魂の受領】
怪人のインクの濁流を浴びながら、オヂェフは一歩、また一歩と前に踏み出す。
ザオリキオクが、小出の凄まじい気迫に怯む。
しかし次の瞬間、20年分の「聞かれなかった住民たちの本音」が再び巨大な怨念の巨塊となり、オヂェフの全存在を押し潰さんと狂ったように突き進んできた。
ザオリキオク:「ならばその矜持ごと、暗闇の底へ沈めッ!!」
(ガシィィン!)と重厚な金属音を響かせ、右拳の『民声ナックル』を起動する。
しかし、拳を握らない。ただ静かに、その五本の指をいっぱいに広げ、津波のように迫る怪人の突撃を、正面から無防備に迎え入れる。
ザオリキオク:「なっ!?なぜ構えない!? 」
オヂェフ:「全部、受け止める」
ザオリキオク:「できる訳ないだろう!積もり積もった20年の怨念だぞ!…出来る訳な…」
オヂェフ:「出来る!」
ザオリキオク:「!」
オヂェフ:「声を聞くのが!それが!『公務員』だ!」
ザオリキオク:「…かっ…構えろ!死ぬぞ!」
オヂェフ:「あなたたちの20年分の怒りも、悲しみも、後悔も……すべて、この俺の手の中に置いていけ」
オヂェフの広げた手のひらに、柔らかい、すべてを包み込むような純白の光輪が灯る。
文字の連なりでできた掌紋が、静かに、優しく空間に広がっていく。
オヂェフはどこまでも慈愛に満ちた目で怪人の咆哮を受け止め、叫んだ。
オヂェフ:「あなたたちの声は、今、この俺が責任を持って全員分――正式に【受領】するッッ!!!!」
オヂェフ:「『仏パーム』ーーーーーー!!!!」
打撃の衝撃は、なかった。
ただ、突進してきた怪人の全質量を、その広げた「菩薩の手のひら」で優しく、しかし絶対に押し負けない圧倒的な包容力で、静かに、ガッチリと受け止めた。
オヂェフの手のひらから溢れ出る純白の光輪が、数万冊の簿冊の一冊一冊に正式な【受領印】を刻印していく。
ザオリキオク:「な……なに……!? わたしたちのページに……【受領印】が……押されていく……!?」
オヂェフ:「20年間『存在しない書類』として暗闇に放置されていたあなたたちの声を、今、俺が公務員として正式に【公文書】として受領した。」
ザオリキオク:「……受理された……【公文書】……俺たちが!?」
オヂェフ:「手続きは始まった! もう誰にも、あなたたちの声を『無かったこと』にはさせない!!」
受領印が捺された瞬間、怪人という「未処理の異形」を繋ぎ止めていた法的根拠が消滅する。
ザオリキオクの引きつったインクの顔からトゲトゲとした鋭さが消え、長年の荷を下ろしたような、泣き出しそうで、どこか安堵した子供のような表情へと変わっていく。
ザオリキオク:「……あ、 あたたかい……. 俺たちの声が……受理された……. 」
黒いインクの糸はハラハラと清らかな白い紙片へと戻り、数万冊の簿冊が、まるで満足したようにパタン……パタン……と静かに閉じていった。
息を吹き返したランタンの橙色の光が、暖かくなった地下室を優しく照らす。
変身を解いた小出は、両手を見つめ、ぽつりと呟いた。
小出:「……声を聞くって……本当に、本当に大変なんだよな……」
5.【聞こえぬ耳と語らぬ口】
その静寂を破るように、小出の携帯端末から総務部長のホログラムがぬっと現れた。
高級な革椅子にふんぞり返り、満面の笑みでコーヒーをすすっている。
総務部長:「いやぁ小出くん! 今回の件は本当に素晴らしい成果だったぞ! 議会や外部から『住民の声が届かないのは本庁が握り潰しているからだ』と散々叩かれていたが……全部、怪人のせいだったことが証明された!!
『怪人が地下で声を吸い上げて暴れていたせいです!』と言えば、全部説明がつくからな! 本庁的名誉、完全回復だ!! わっはっは!!」
小出:「……いや、“全部”は怪人のせいじゃないですよね? 実際に予算を絞って、現場の人員を削って、物理的に住民の声を握り潰してた案件、本庁の引き出しの中にまだ山ほどありますよね……?」
総務部長:「ん? 何か言ったかね、小出くん!」
総務部長は、都合の悪い声を一切シャットアウトする構造の耳を持っている。
小出:「……いえ!さすがです!総務部長!」
小出:「(……まあ、私が現地で20年分の簿冊3万8千冊、全部【正式受領】の判子押しちゃったから、これからその処理の事務作業が山ほど本庁に届くんですけどね…… )」
総務部長:「ん? 何か言ったかね、小出くん!」
小出:「いえ!なんでもありません!総務部長!」
小出は、都合の悪い未来をギリギリまで報告しない構造の口を持っている。
総務部長:「よし!今からイメージアップの記者会見の段取りだ! じゃあな!」
シュン、とホログラムが消え、再び簿冊庫に静けさが戻る。
6.【それでも、消えぬ】
書類の片付けを始めようとしていた惑星ヨクキ区の職員が、ランタンの手元をガタガタと震わせながら、恐る恐る小出に近寄ってきた。
ヨクキ区職員:「あ、あの……小出さん。怪人は消えましたけど、その……まだ壁の奥の暗闇の方から、何か声が聞こえるって、皆が言ってるんです……。これ、やっぱりお化けとか呪いとかの残滓がまだ残ってるんじゃ……!」
小出:「……その声、なんて言ってるんですか?」
ヨクキ区職員:「……『ありがとう』って……細い声が、何度も響くって……ヒィッ~!」
小出の口角が少しだけあがった。
パタン、と風もないのに、机の上の古い簿冊が優しく閉じた。
第12話『怨念、消えぬ、こころ』 ‐完‐




