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ブラック・スミス2 〜探偵と幽霊もどきと妖精の丘〜  作者: 雅楠 A子
《本編》

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12/30

6(2/2).

 店内に残された二人は、カフェカーテン越しに窓の外のリリーの姿を確かめながら、静かに言葉を交わした。


「どうやってここに入ったんだ?」

「ん?」


 ジェムの質問にヴィンスは首を傾げた。


「お前、"蹄鉄会"じゃないだろ、なんで追い出されてないんだ?」

「ああ、そのことか」


 合点がいって、ヴィンスは、ほら、と右耳を見せつけた。装蹄鎚(そうていづち)削蹄剪鉗(さくていせんかん)を模した丸いピアスが彼の耳朶を飾っている。


「……ピアス?」

「アーヴィン・パウエルのものだったのを、ちょっと弄ってる」

「大丈夫なのか?」

「スミスから直接もらったんだ。会員番号のところは潰してあるから正式なものではないけど、こういう場に出入りするくらいならできるように手配してくれているらしい」


 ふうん、と相槌を打ちながら、ジェムは推察する。以前、"蹄鉄会"の会員証として使用されていたカフリンクスは、つい最近、デザインが刷新されたと聞いている。そこへ、敢えて旧い会員証をヴィンスに手渡したところに、「手配」の意味が込められているのだろう、と。


「占い師になにを頼まれたんだ?」


 ジェムは話題を戻した。


「一言でいうなら、援護だな。お前たちになにかあったとき、外部から手を差し伸べられる人間が必要だ、ってんで連れてこられた」


「連れてこられた?」ジェムはヴィンスの話に眉根を寄せた。


「この世には想像もできないような移動手段があってだな、」

()()ならではの移動手段か」

「そゆこと」


 おちゃらけた言い方をするヴィンスであるが、それは、誰が二人の会話を聞いているかも分からない状況下であるが故の、彼なりの配慮だった。ジェムはヴィンスの"移動手段"について深くは追及しないことにして、話を続けた。


「そういう事情なら、お前に頼み事をするのは難しそうだな」


 ヴィンスは首を傾け、不服そうに片眉を吊り上げた。


「なんで? 腐っても情報屋よ、おれ。ジェムの知りたいこと、おれなら分かるかも知んないじゃん」

「そうだけど、追加調査が必要だったら? 身動き取れないんだろ?」

「ある程度の自由は利くさ。なにが知りたいんだ?」

「依頼人の評判」


 ヴィンスは腕を組み、ぐっと顎を引いた。


「名前は?」

「ウィリアム・ハフナー」

「必要なのは、この町での評判?」

「いや、元被用者からの」

「紳士的、悪く言えば気障ったらしいとも言われている。"蹄鉄会"に相応しい人柄だな」

「それを言った人たちの名前や外見までは分かるか?」

「なるほど、そいつは厳しい」


 ほらな、と言ってジェムは困ったように笑う。ヴィンスは、申し訳なさの表れであるその顔を見て、悔しげに唇を曲げた。


「別に知らないってわけじゃないぜ。ただ、一人ひとり、詳しく挙げていくには記憶が定かじゃないってだけで、」

「いいんだ、ヴィンス。他の方法を当たるから」

「ちぇっ。おれが忍者で分身の術でも使えたらな」

「拗ねるなよ。まだ、お前に聞いてほしいことがあるんだから」

「……なんだよ?」


 口では億劫そうに訊ねているが、ヴィンスの上目遣いの瞳は期待で輝いている。ジェムは苦笑した。これから口にしようとしているものの内容が、突拍子もないことなので、どんな反応をされるだろうかと少し不安になる。ジェムは居心地悪そうに首筋を撫でた。


「……神隠しの経験はあるか?」

「え。なに。なんかあったの? 時空を飛び越えたりした?」


 予想外の反応に、ジェムは戸惑った。


「本気で訊いてるのか、冗談で言ってるのか、どっちなんだ、それ?」

「本気だよ。それに、そういう話なら、おれじゃなくて、もっと適任がいるだろ」


 ヴィンスは目配せして、ジェムに窓の外の存在を示した。うーん、とジェムは曖昧に返事をして、ヴィンスの視線の先を物憂げな表情で窺い見た。


「……()()()、お前に訊いてほしいんだ」

「はあん、なるほどね」


 ヴィンスはジェムの態度から、彼はセイラとあまり関わらないようにしているのではないかと考えた。セイラのことだ、ジェムの抱える居心地の悪い秘密を、彼女の特異な能力によって知っているのだろう。彼女と関わらなければ、"それ"をわざわざ思い返すことも、話題にすることもない。()()()()()()()()()()()()()()()


 ……裏を返せば、ジェムの過去もおれの過去も、なるべくしてなった、ってことなんだろうけど。


「詳しく話せよ、なにを見たんだ?」


 ヴィンスに促されて、ジェムは『ヴィッラ・エリジウム』での出来事を話した。



 * * *



「セイラ! セイラ、そこにいるの?!」


 オイスターバーでジェムたちと別れたリリーは、その店の屋根に向かって、口許に手を当て叫んだ。すると、屋根の上でぴょこんと尻尾が立ち上がり、虎柄のようで斑模様にも見える、顔が半分黒い猫がむっくりと起き上がった。そうしてリリーの立ち位置からようやく姿が見えるようになって、リリーは安堵の表情を浮かべた。

 しかしセイラは、リリーを見つめたままじっと動かない。


「セイラ、お願い、下りてきて。話がしたいの」


 リリーが懇願すると、セイラは上手に雨樋を伝って地面に下りてきた。リリーの目の前にちょこんと座り、元々猫背な身体をさらに屈めて控えめに彼女を見上げる姿をみるに、セイラはリリーに対して後ろめたさに近い感情を抱いているようだった。リリーは彼女を宥めるように、その場にしゃがんで声をかけた。


「セイラ、」リリーの呼びかけに、セイラのしっぽが揺れる。「ヴィンスを連れて来てくれたのね」


「……万が一のためよ」


 セイラは自己弁護をしようと低い声で答えた。


「うん、分かってる。約束したものね、無茶はしない、必ず戻る、って。困ったら遠慮なく頼る、って」


 リリーはセイラに責められていると思われないように、優しい声音を意識して話し続けた。そんな彼女を、セイラは訝しげに見つめる。


「……怒らないの? アナタになにも話さないで勝手なことをしたのに」


 セイラの問いかけに、リリーは首を横に振った。


「わたしたちのために、できることをしようとしてくれているのに、どうして責められるの? 」

「でも、アナタたちのためにならないかもしれない。良かれと思ってしたことが裏目に出ることだってあるわ。相談もしてないんだから、余計にね」

「そうね。だけど、そうしないと不安なんでしょう? いてもたってもいられないんでしょう? わたしやジェムが――死んじゃうんじゃないか、って」


 セイラはじっと動かず、リリーの顔色を窺っている。その様子は、リリーの言葉の真意を探っているようだった。リリーは小さく深呼吸をした。


「……薄々、気付いていたの。あなたが必死になって仇の組織と"(ケット・シー)の密約"を結んで、わたしたちを守ろうとしてくれているのはきっと、わたしたちがそうなる未来を見てきたからなんだろう、って」


 リリーはそこで、きゅっ、と唇を噛んだ。これからセイラに訊こうとしていることを、そのまま言葉にすることを躊躇して、そして決心した。


「……ジェムが危ないの?」


 リリーの質問を受けて、セイラは目を閉じた。なにかを熟考するように頭を垂れて、しばらくしてからそっと顔を上げ、立ち上がった。とてとてと、小さな足を動かしてリリーの足許に近寄ると、彼女の脛に身体を擦りつけた。リリーはセイラの頭を優しく撫でた。


「知っているわけではないの」リリーから顔を背けたまま、セイラは言った。「でも、あの人のことは沢山見てきたから、もしものときにどんな行動を起こすのかは大体分かるの」


 淡々と話すセイラの背中を、リリーは毛並みに沿って撫でた。自身の持つ妖精の力によってか、それとも家族として長年彼女と一緒にいたためか、リリーはその小さな背中から、セイラが恐怖を心の内に隠そうと必死になっているのを感じ取った。


「……こんな重荷、アナタにも背負わせたくはなかったの」


 ああ、そうか、とリリーは理解する。


 ……わたしやジェムだけじゃない。いろんな人の死を、ずっと一人で抱えてきたんだわ。たった一人、ただ未来を知っているだけなのに、責任を感じて、がむしゃらに生きて。誰にも信じてもらえないときだって、あったはず。


「ねえ、セイラ。わたしは、あなたが望む未来のために、ここにいるのよ。あなたも言っていたじゃない、本当なら、わたしはこんなふうにジェムと一緒にいなかったんだ、って。ジェムに出会っていなかったら、探偵の仕事をするなんて考えもしなかったはずだわ。でも、そうなった。そうなって、ようやく自分の道を見つけられた気がしているの。だからわたし、全然平気よ、わたしがジェムを助けるための手段になっても」


 恐る恐るこちらに顔を向けるセイラに、リリーはふわりと微笑む。


「教えて? わたし、なにをすればいいの?」


 セイラは、ごろごろ、と喉を鳴らした。


「やっぱり、アナタはアナタね」


 なんだか哲学的な科白だ、とリリーは思った。


 ふと、セイラが首を捻ってオイスターバーの方に顔を向けた。つられてリリーもそちらを向くと、店の窓にカフェカーテンに隠されたジェムとヴィンスのシルエットを確認できた。薄く透ける生地のカーテンでも、外から見ると目隠しの役割を立派にこなしている。


「……行って、リリー。なるべく、彼のことを気にかけてあげて。ワタシに言えるのは、それだけよ」


 セイラの言葉に、うん、とリリーは頷いて、ジェムたちと合流すべく立ち上がった。


「じゃあまたね、セイラ」

「また会いましょう、リリー」


 そうしてセイラと別れ、リリーはオイスターバーに戻った。夕方に差し掛かり、少しだけ暗くなった店内で、時間も忘れて談義を重ねる"蹄鉄会"の客たちをぼんやりと眺めながら、仲間たちの許に向かう。

 リリーの姿を認めたジェムが、彼女に「おかえり」と声をかけた。


「話は終わった?」と、ジェムとヴィンスの顔を交互に見ながら、リリーは訊ねた。


「ちょうどね、」とジェムが答える。「きみにお願いがあるんだけど」


「なに?」

「店の電話を借りて、アルフォンス・ギファードと連絡を取ってくれないか?」

「オルトンと?」

「ちょっとした頼み事があってね」

「いいわ、どこにあるの?」


「こっち」と、ジェムは店内の奥へと移動し、箱型に仕切られた電話室を指し示す。「お店の人には言ってあるから」


 気兼ねなく使って、という意味だろう。リリーはにこっ、と口角を上げて頷き、電話室の戸を開けた。受話器を手にし、ボタンを手に馴染んだ順番に押す。呼出音が鳴り、それほど待たずに相手は応答した。


「――はい」

「こんにちは、リリアーヌ・ベルトランです。こちら、アルフォンス・ギファードのお電話で間違いないでしょうか?」

「――……リリー?」


 受話器の向こうの声が驚いて声を裏返している。


「忙しいところごめんなさい、オルトン。今、ちょっと話せる?」

「――大丈夫だよ、どうしたの?」

「ジェムがあなたに相談したいことがあるそうなの」

「――分かった。彼に替わってくれる?」


 リリーは電話室の戸を開けて、ジェムを手招きした。入室したジェムに受話器を手渡しながら小さな声で訊ねた。「わたし、ここで聞いててもいい?」


ジェムは肩を竦め、「構わないよ」と答えた。そして、狭い電話室で窮屈にならないよう、外側に重心を傾けて立った。


「ギファード、ジェームズだ」

「――やあ、ジェームズ。相談って?」

「ぼくの代わりに、してほしいことがあるんだ」

「――きみの代わりに?」

「スミシー探偵社に行って、ウィリアム・ハフナーの素行調査を依頼してくれないか」

「――ちょっ、とまっ、えっ? なんだって?」


 オルトンは当惑して素っ頓狂な声を上げた。


「ウィリアム・ハフナー――ぼくたちの依頼人で、『ヴィッラ・エリジウム』のオーナーだ」

「――その人の調査依頼を出せって? 僕が君の代わりに? 何故――いや、そもそも、そんなことしていいの?」


 受話器を挟んで隣からの鋭い視線を感じ、ジェムは、ほんの一瞬、言葉に詰まった。


「……良くは、ない、かもしれない、けど、」

「――ジェームズ、」

「君にしか頼めない。ぼくがアラン・グレアムを動かすわけにはいかないから」

「――……ブランポリス支部長の協力を得たいんだね?」

「少なくとも、あの人の耳に届くようにはしたい」


 ふうう、と鼻から深く空気を抜く音が、受話器越しに聞こえる。


「――どんな理由で、ウィリアム・ハフナーを調べたいの?」


 オルトンの問い掛けを受け、ジェムは横目でリリーの表情を窺い見た。視線に気付いてか、彼女が不思議そうな顔でこちらを見上げてくる。


「……きみの幼馴染みが危険な目に合わないか、心配だから」


 リリーの目が大きく開かれる。受話器の向こうも、しん、と静まり返っている。

 さて、どんな言葉が返ってくるかな、とこの状況を内心では面白がりながら、ジェムはオルトンの返答を待った。そして、音が割れるほどの大きな声が、ジェムたちの耳をつんざいた。


「――なんでそれを先に言わないんだ!?」


 じんじんと痺れる鼓膜に眉を顰めながらも、ほとんど予想通りのオルトンの反応に、ジェムの口許は緩んだ。


「引き受けてくれるのか?」

「――引き受けるもなにもない、妹の身を案じるのは兄として当然だ! すぐに依頼してくる!」

「待て、ギファード、まだ話は、」


 ――がちゃん、つー、つー、つー。


 虚しい電子音を残し、オルトンは電話先から去ってしまったようである。受話器を握ったまま、ジェムはしばらくの間放心していた。おずおずと受話器をリリーへ手渡し、電話機のフックに戻してもらう。


「……困りましたね。連絡、ここからしか取れないのに」


 念押しのようにリリーに指摘され、ジェムは頭を抱えながら深い溜め息を吐いた。少し揶揄うつもりでリリーを話題にしたのが仇となった。


「……ヴィンスに取り次ぎを頼むしかないな」


 苦し紛れのジェムの打開策を聞き、リリーは電話室の窓越しにヴィンスの姿を捉えた。腕を組んで"蹄鉄会"の交流に耳を傾けている彼は、情報収集(しごと)の真っ最中なのかもしれない。セイラが想定していたような"もしものとき"ではないが、早速、彼の力が必要となったようである。

 それにしても、とリリーは思う。


 ……ヴィンスはオルトンに会っても平気かしら。険悪にならなきゃいいのだけど。

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