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第八話 掃除屋は二つ名を持つ(前)


 ローザリッテは、正確にはラルクの妻ではない。

 どころか婚約すらしていない。縁談は真正面から断ったはずだ。なのに。



「なぜだ……どうして。言葉は通じているのに」


「何、恋煩い? マスター。やだねぇ、そんな年で初恋なんて」


「は、は……初恋!? そそそんなわけないだろうシェイド! というかお前、『恋煩い』って」



 ずいぶん人間くさい言葉を知ってるんだな、と呆れ顔のあるじに、背に黒翼を生やした精霊は肩をすくめる。



「僕は人間じゃないけど。かれこれ五百年は人間と付き合ってるからね。いやでも覚えるよ」


「いやだったのか?」


「べつに」



 ふいっと目を逸らしたシェイドの横顔は端正なばかり。青白い月光を浴びて彫像めいている。猫のような金の瞳は、どこを見ているのか。

 ふたりの間に静寂(しじま)が横たわる。風が吹き、少年の闇そのものの短髪と黒衣の裾が控えめに揺れた。



   ◇◇◇



 ラルクが暮らす棟の最上階からは、王居よりも城下の灯りのほうがずっと近い。

 それは、旧王城(ここ)が王宮敷地内の外れにあるということ。

 ラルクは、自身も似たようなものだと思っている。

 血縁としては近くとも、王位からはもっとも遠いのだから。


 その境遇を不幸とも不平等とも感じたことはないが、生まれゆえに縛られている……とは感じたことがある。


 ――なぜ、自分は幼いときにシェイドと伯父に託されたのか。

 ――なぜ、母は同じ日に髪を切り、大巫女という位を賜って王宮を辞したのか。


 が、それらは国王(セイン)と王太后も同じこと。影であり、光である。連綿と続いた王国の守護と指導者の役割は、かたちは違えどたいして変わらないのだと。


 結論、ラルクは十代の終わりに悟ってしまった。

 伯父が世を去り、『掃除屋』を正式に引き継いだときだった。

 いまは、それぞれの役目が資質に合うもので良かったと思うだけだ。



 ――――けれど。


 案じていることがある。

 では、王国開闢(かいびゃく)以来ずっとティリエルを守り続けてきたシェイドは?

 彼の意思はどうなのか。


 永世を生きる精霊にとって、人間の一生など蜉蝣(カゲロウ)の一夜に等しい。仕える人間が変わり続けるだなんて。


(精霊は、何より契約に縛られるっていうもんな。俺は、こいつにとってさほど悪くない主人(マスター)であればいいんだが……)



   ◇◇◇



「じゃ、行こう。今日は城下?」


「あぁ」



 ラルクはひとまず気軽な調子のシェイドにホッとした。両腕をだらりと垂らし、余分な力を抜く。


 闇の精霊であるシェイドから【飛翔】の力を借りる際は、なるべく抵抗を減らす必要があった。

 摩擦が大きいと、貸すほうも借りるほうも消耗が激しいのだ。

 仕事先ではどんなアクシデントが待っているかもわからない。力の温存は必須だった。


 やがて皮膚にぴりりとした感触。背骨の真ん中が熱を帯び、肩甲骨がずしりと重くなる。

 それが収まると準備万端の合図。イメージするだけで大きな黒翼が現れ、ラルクはつかの間の翼人となる。


 なお、魔法でできた翼は羽が抜けない。

 痕跡を残さず、羽ばたいても無音のため、ラルクはたいへん重宝している。


 そうして、シェイドが見つめる眼下(さき)を、ラルクも見つめる。

 ……少しだけ哀愁を乗せて。



   ◇◇◇



 一夜明けて、ポートメアリ公爵家。

 夫人は優れない様子で執事と話し込んでいた。エントランスだ。たまたま通りかかった娘のレオニアは、はて、と首を傾げて声をかけた。


 他家の使いを見送ったばかりらしい。

 今日は、我が家で茶会を予定していたはず。

 先日、内々でひらかれた王太后陛下の茶会について、貴婦人がたがこぞって内容を知りたがったため、母である公爵夫人が用意してくれたのだ。


 案の定、どの夫人も令嬢も招待に飛びついた。

 さては欠席の連絡だろうか……? と。


 レオニアの予想は当たっていた。

 欠席の申し出は、未明に当主が亡くなったという侯爵家からだった。


 ――――皮肉にも、茶会はその話で持ちきりとなった。





「ねえ、お聞きになった? ヘデラ侯爵家の」


「ええ、ええ!」



 喪に服さねばならない近い家のご婦人がたは軒並み欠席となったこともあり、ポートメアリ公爵家に集った淑女たちは黒の小物で弔意をあらわしつつ、口元を扇で隠して忙しく(さえず)った。



「うちは、使用人の従姉妹があの家で洗濯婦をしているの。片付けを命じられたそうよ。ひどい有様だったと」


「久しぶりではなくて? 『粛清の黒騎士』が貴族を手にかけるなんて」


「先日はロディタ男爵があやうく殺されそうになったんですって」


「怖いわぁ」


「――さあ! 皆様がた、パイが焼けましたわ。先日、王太后陛下お抱えの菓子職人からレシピを譲っていただきましたの。レモンと蜂蜜茶はうちの荘園から取り寄せましたわ。お口にあえば良いのですけど」


「まあぁ!」


「素敵……!」



 パンパン、と、陽気に手を打つ音。

 ここぞというタイミングでポートメアリ公爵夫人がかぐわしい香りのレモンパイを運ばせる。

 貴婦人たちは手のひらを返すようにそちらへと移動し、さながら花に群がるミツバチのようにさざめきあった。


 やや遅れて彼女らのあとに続いたレオニアは、不安そうな面持ちで母に近寄る。



「お母様」


「レオニア。こんなときこそ笑顔でね? 不確定な情報で踊らせられてはだめよ。ほら、王太后陛下とお話した、ラッセルの春ドレス。あの話題なんてどう? きっと盛り上がるわ」


「……はい。そうですわね」



 つ、と、優雅に一礼して茶席へ向かった娘を見送り、夫人は、残されたもうひとりの少女に目を細めた。


 少女は国王陛下から預かった、大切な異国の客人だ。ティリエル語がとても堪能なので、噂話はすべて聞き取れたことだろう。

 せめて、安心させるように微笑む。



「さ、ローザ様もあちらへ。お好きなところを切り分けますわ」


「はい、公爵夫人」



 ありがとう存じます、と会釈する可憐な令嬢を、夫人はしずしずと連れゆく。


 いっぽう、ローザリッテは三歩ばかり進み、ふと立ち止まった。振り向き、じっと空を見上げる。


(…………)


 夫人に呼ばれるまで、銀の綿雲のような髪を持つ美少女は、ずっと、尖塔輝く王宮殿の隣――灰色がかった旧王城の方向を見つめていた。




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