最終話 虹空の下、婚姻を
「いるんだろ。ローザリッテ」
「――――いやだ。気配が漏れていたかしら」
「わかるよ。なんとなく。でも、黙ってた」
「意地悪なかたね」
「どっちがだ。降りてきてくれ。話がある」
「……はい」
空に透けていたローザリッテは、ぱちりと大きな瞳を瞬いて一回転。質感をがらりと変えて窓辺に降り立った。
見送ったときと同じ装いだ。クリーム色を基調にしたデイドレスのところどころにやわらかなオーガンジーの薄紫のリボン。細い首を同色のチョーカーが飾る。
勝手にどきどきと高鳴る胸を、ラルクは心で叱咤した。
「ひとつ、怒りたいことがある。聞いてくれるか」
「何なりと」
「なぜ……、どうして!」
「? きゃっ!」
見ていられなくて、腕のなかに閉じ込める。ほっそりとやわらかな肢体に鼓動は速まったが、もうどうにでもなれの心地だった。
ただ、ただ、伝えたくて。――胸のうちを。
「どうして約束の記憶を奪った? 俺は、喜んでいただろう……? 君に会えて」
「っ……あの、あの。ラルク様、わた、わたし」
「令嬢の君も目を奪われたけど、あのときの、素の君も大好きだ。忘れたくなかったのに。どうしてくれるんだ……俺の初恋!!」
「ああああのっ、えっ……。そこ? そこですか??」
「そこしかないだろ? 会う前から『君』が好きだった男だぞ。こんなこと、誰にも言えなかったし」
率直に言うなら、さっき思いだした、という台無しなひと言は、ぐっと堪えた。きっと、それすら目の前の彼女には筒抜けなのだけど。
案の定、ぽかんと口を開けたローザリッテは、しばらくラルクの真剣な瞳に見入っていたが、やがてくすくすと笑いはじめた。
(やばい。なんだ、これ)
彼女のくすぐったそうな笑い声に、おそろしく体温が上昇する。多幸感に死にそうになる。
耐えられなくなったラルクは観念したように少女の肩に額を当てた。
――……本当に、なんてことだろう。
幸せすぎて目眩がする。
「ラルク様。それ、気のせいよ。うれしいけど」
「いいね、どんどん読んで。話す手間が省ける」
「もうっ!」
至近距離のふたりには、互いしか見えない。
生きて、生身で側にいる。
そのことを実感したくて、彼女を捕まえたくて。
ラルクはローザリッテの背中と腰に回した腕に、きゅ、と力を込めた。
「妻になってくれますか。俺が生きている限り」
「……もちろんよ。あなただけと言ったでしょう? 愛しいかた」
そっと、かつての第一王子の居室の床に落ちた影が、ぴたりと溶け合う。
どこからともなく、夕紫の光沢を放つ真珠色の花が舞い降りる……
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かつて。
この国に訪れた高位の精霊は、ふとした気まぐれでひとりの少女に恩寵を与えた。
金の髪、金の瞳の少女は、水晶のように透明な涙をぽろぽろとこぼしながら泣いていた。閉じ込められた塔の最上階で。
精霊は少女を助けた。彼女を虐げていた女王は、もとより民の嘆きを浴びすぎていたので。ほんの少しの手助けでじゅうぶんだった。
気まぐれだと思っていた。
忠臣に助け出された彼女が陽の光の下、皆の祝福を浴びて新女王に即位する――その光景を見届けて終わりだと思っていたのに。
『ねえ、あなたは、かあさまのおっしゃっていた、恩人の精霊さんですか?』
助けた娘と同じ容貌。同じ金の瞳に、ある夜見咎められた。
なぜ、見つかったのだろうと首を傾げながら。
礼を言われ、会いたかったと告げられ、生まれるのはさらなる気まぐれ。
――ずっと、可能な限りは彼らを見守れる術がある。
高位の精霊は、はじめて口の端をあげた。
生まれてはじめての“笑み”だった。
以来、彼は。
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「もうさあぁ、今夜だけだからな? お前と酒飲んでやるのなんか」
「光栄ですよ、シェイド。ああうれしいな。私も、兄上みたいに精霊の友になってみたかったんです」
「何言ってんだ、友なんかじゃない」
「? 違うんですか?」
夜も更けた王の居室。
さしで向かい合うのは部屋の主セインと、若干ふてくされた闇の精霊だった。小姓姿のほうだ。
祝い酒でいいですよね、と、笑顔でごり押しする国王は薄桃色のシュワシュワとした酒をちいさなグラスに注ぐ。
珍しがるシェイドに、セインは誇らしげに「今度、我が国の名産として売り出す予定の果実酒です」と告げた。その顔は、民と国への愛に満ちている。
「へー……」
グラスを傾けると甘い芳香。喉を流れる爽快感に、見た目よりすっきりとした味わい。「いいんじゃね」と呟く少年に、セインはお代わりを注ぐ。
「何もかも、ご先祖とがんばってくれた代々の【掃除屋】と、民のおかげです。ありがとうございます」
「礼なんか――」
「言いますよ。これからもね」
「ほんっっと、変わんねえな、お前らって」
「?」
「何でもない」
ぷいっと横を向いた闇の精霊は、無意識なのか、照れ隠しなのか。ガチガチとグラスの端に歯をたてている。
吹き出したセインの、控えめな笑い声が響く。
『ティリエル』。
かつて塔に囚われていた王女の名。
新しい国の名をそれに変えるなら、契約に反しない限りこの国を護ろう。
そんな申し出は、もう、あのときの精霊の胸のなかだけの秘めごとだ。
「……友じゃねえよ」
コトリと空のグラスを置き、シェイドは闇に溶けていった。
◇◇◇
やがてきたる、国王と王兄がそれぞれの妃を迎える華燭の典。
ティリエルでは輝く虹雲にそこかしこから花吹雪。爽やかな晴天にあって、澄んだ光は国中にあまねく降り注いだ。
謁見のバルコニーでは、愛らしく微笑んだローザリッテがラルクに寄り添い、「まるで精霊郷のようよ」と囁く場面があった。
うしろで控えていた正装の小姓からは、微苦笑とともに「軽々しく口にすんな」と、たしなめられたり。
それは仲睦まじく。
末永く……――
fin.




