第十七話 精霊は、あるじを守りたい
「兄上。ちょっといいですか」
「……ああ」
扉を叩くノックの音。
夜ふけ前のひととき、いつも通りの気楽さでセインがラルクの部屋を訪れた。
ちょうど長椅子に寝そべったラルクが返事をすると、するりと入室して向かい側の席に腰をおろし、持参の蒸留酒の瓶をテーブルに置く。そうして、すかさずシェイドに酒肴を所望した。
シェイドは、つん、と横を向いて「乾き物しかありません」とあしらうが、セインは「それでもいい」と食い下がる。小姓姿の闇の精霊は、ますます眉間を深くした。
「非常識だと思いませんか。こんな時間に」
「こんな時間でないと来れないんだ。頼むよ」
「……」
シェイドは渋々、キャビネットからグラスをふたつ取り出した。そのまま退室したので、おそらくは厨房へ行ったのだろう。
セインは扉が閉まったとたんに襟元をくつろげ、浅く酒を注いだグラスをラルクに渡した。
「兄上、とりあえず乾杯しましょう。今日はお疲れ様でした」
「お疲れ様は陛下だろう? 俺は、たまたま立ち会っただけで」
「いいえ。僕は、兄上だからこそこんなに早く事件が収まったんだと思います。調書も上がりましたし」
「え! もう?」
「はい。――私は別件で会食中でしたが」
それで、夕食後の一杯を旧城で過ごすと決めたらしい。
すっかり「弟」の顔になった国王陛下に、ラルクはやれやれと体を起こした。
セインは手酌で注いだグラスを傾け、丸暗記したらしい調書を滔々と諳んじる。
曰く、最初に白状したのは、いちばん年若いロディタ男爵令嬢ミラだった。
◇◇◇
ミラは父親の男爵とそりが合わず、折につけて対立していた。二人姉妹の長女であるミラは、ゆくゆくは爵位を継ぎ、寄り親のヘデラ侯爵家の新規事業に乗って家を盛り立てたかったらしい。
いっぽう、ロディタ男爵は領地経営がうまくいっておらず、当面の資金繰りに苦しんでいた。そのため、早々にミラを嫁がせたかった。――持参金も不要の相手に。
ミラは今年十六。
ティリエルでは、十六の誕生日を過ぎれば法的に婚姻可能とされてしまう。
有り体に言えば、金銭的な援助と引き換えに、高位貴族の年配者や有力商家の妻に据えられてしまうと憂慮したミラは。
『思い出したんです。こういうとき、悪い貴族を葬ってくれる騎士様が居るじゃないって』
――――――
ぽつぽつと聞き取りに応じていたミラが、すべてを打ち明けた瞬間だった。
伝承でも噂でも、『粛清の騎士』は全身黒尽くめ。黒髪に銀の仮面と決まっている。容姿は「大男」「手弱女のよう」「小柄な」「中肉中背」と定まらないが、近年は「スラリとした」が主流だった。偽装はどうにでもできると思ったらしい。
ミラは身分を隠し、街で黒髪の困窮者を探し出して、装束とともに金貨を与えた。
『この日、この時刻に辻を通るロディタ男爵家の馬車を襲いなさい。狙いは当主。大丈夫。立ち往生するよう、車輪に細工をしておくから』
◇◇◇
「こうして、下町の芝居小屋で働いていた借金漬けの男は『粛清の騎士』を名乗り、ロディタ男爵の馬車を襲いました。しかし、男爵から毟り取った金品ですっかり満足したのか、翌日には住居を引き払っていたそうです。ミラ嬢は、『そいつこそを捕まえて!』と、担当官に訴えたようで。元気ですよね」
「な、なるほど」
ラルクは、げんなりとした。
わかってしまえば、何とも身勝手な内輪揉めに名を使われたことになる。
この場合はミラ嬢に委託殺人未遂の罪が問われるのだろうが……
では、ヘデラ侯爵は? と問うラルクに、セインは微妙な顔をした。「それが」
「続きは僕が話しましょう」
「! シェイド」
銀盆を片手に帰ってきたシェイドは、どうぞ、とセインの前に酒肴の皿を置いた。たしかに乾物メイン。ナッツ、燻製肉、ドライフルーツ……。一国の王に供するには、かなり扱いがぞんざいだ。
次いで、ラルクの前にはほかほかと湯気をあげるリゾット。カトラリーもしっかりセットしてゆく。
むすっとしたラルクに、シェイドは保護者のような笑みを浮かべた。
「だめですよ殿下。ちゃんと召し上がらないと。せっかく、こうして国王陛下がご相伴を申し出てくれたんですからね」
「うるさい。面倒だったんだ」
「まさか兄上、まだ食べてなかったんですか」
「いま食べる。――で? 続きは」
「いけない……早く腕のいいコックを派遣しないと。兄上が。兄上が」
「おーーい、戻れ〜セイン」
返答そっちのけでぶつくさとこぼし始めたセインに、シェイドはふう、と嘆息した。僭越ながら、と語り始める。
「僕は、精霊体での調査結果からご報告を。ヘデラ侯爵の寝室にあった絨毯は魔除けではなく、呪詛でした」
「え!?」
「あの姿に戻ると、今以上に魔力の流れがわかるんですよ。代わりに物質に触れられなくなるので、善し悪しですが。……マスターの膨大な魔力を得るまで、『あれ』は北の辺境部族が作り出した失敗作だったようです。侯爵父娘は、北部辺境で相当あくどい商売をしていたようですね」
「失敗」
「絨毯は二枚ありました。正確には一対。ヘデラ侯爵のタウンハウスに、ふたつの失敗作が飾られていたんです」
「……ひょっとして。アイビー嬢の部屋にも?」
「はい。片方の絨毯はマスターの魔力を吸ったことで完成し、『呪具を贈られた者』――つまり、呪われたヘデラ家の当主と令嬢に陰惨な悪夢を送りました。当主は夢のなかで殺されたんです」
「!? 夢で死んでも、ふつうは死なないんじゃないか?」
「ふつうは。…………だから、偶然が重なったんですよ」
「シェイド。あとは私が」
それまでおとなしく小姓姿の精霊の言に耳を傾けていたセインが、すっと手を挙げた。シェイドは頷き、一歩退く。
「アイビー嬢の証言は、こうです。あの夜、彼女は悪夢のなかで啓示を得ました。『父親に化けた魔物を退治しなければ殺される』と。彼女は懐剣を手に、部屋を出る夢をみたそうです」
「!! それは」
「犯人は彼女です。しかし――――操られてもいました。犠牲者でもあると、担当官は判断しています」
私も同意です、と、セインは両手でグラスを握った。
(待て。じゃあ……俺のせいで)
ラルクは青ざめた。食べかけのリゾットの横にカトラリーを置く。とてもじゃないが、食事を摂る気になど、なれなかった。
「マスター、それは違う」
「違わない。読むなよ、ひとの心を」
「いーや、言わせてもらう」
目を閉じ、再びひらいたシェイドの瞳は金。
縦長の同色の瞳孔は、いまは、しっかりとラルクを見据えていた。
「癪だけど、あのお嬢さんも言ってただろう。『不幸な偶然が重なった』と。それがすべてだ。王。明日、お嬢さんを呼べ。あいつにしか視えてないことがある。ぜんぶ喋らせろ」
「ローザ嬢か?? しかし彼女は」
口ごもり、気まずそうに視線を逸らすセインを、シェイドは叱咤した。
「僕を誰だと思ってる。開闢以来、この国を護り続けた守護精霊サマだぞ。――――いいか? 欠片を揃えろ。それでハッキリする」




