第十三話 掃除屋は光の美姫を追いかける
――時は少し遡って。
朝、ラルクがシェイド以外の声で起こされたのは久しぶりだった。しかも、なぜその相手が王であり、異母弟でもあるセインなのか。
一瞬寝ぼけたのかと思いつつ、ぽかんと問う。
「暇なのか……?」
「そんなわけないでしょう!? 我が婚約者殿の、たっての願いです。さぁさぁ起きて。これに着替えてください。身支度要員にうちの侍従も連れてきましたからね。今日は、兄上の小姓にはべつの仕事を言い渡します」
「は!? おい――――こら、勝手に脱がすな!自分で脱げる」
「それは助かりました。来なさい、シェイド」
「はい」
あれよあれよと室内に雪崩込んだ国王付き侍従たちの手前、小姓姿のシェイドは従わざるを得ない。
そのうち、見るからに平民らしい服を着せられ、剣帯まで渡されたラルクは、長い灰銀髪を隠すように帽子を被せられながら、ようやく疑問を抱いた。
黒い革製の剣帯には一振りのロングソード。剣身を確認すると鋼の刃は潰されておらず、ずっしりと重い。本物だ。
ラルクはますます首を傾げた。
「陛下。説明を求めても?」
「ええもちろん。こちらも終わりました。よろしく頼む。シェイド」
「はぁ、わかりマシタ」
「?」
セインとシェイドは何らかの話し合いを終え、こちらに向き直ったところだった。
憮然として了承の台詞すら棒読みの小姓に、侍従たちが眉をひそめる。
セインは、苦笑して兄にお願いした。
「兄上。どうか、この者に一言『頼む』と仰ってくれませんか? 相当の頑固で」
「あ、ああ……? わかった。『頼む』。シェイド」
「チッ。畏まりました」
一転、すっと背筋を直したシェイドは一礼し、おとなしく退出した。
気のせいでなければ、舌打ちしていたが。
その背を見送り、ラルクはあらためて「頼む……何を?」とこぼす。
セインは、にっこりしながら懐から一通の手紙を取り出した。几帳面に折りたたまれたそれは、上質な紙の便せん。どうやら『読め』ということらしい。
ラルクは頷き、流麗な筆跡を目で追った。そこには。
〜我が親愛なる国王陛下〜
突然のご相談をお許しください。
我が家でお預かりしているご令嬢が、ミスト家のリリアン嬢とロディタ家のミラ嬢から遊びに誘われました。ウィンブロー伯爵家でおこなわれた、夜会でのことです。
待ち合わせは本日十四時。カフェ『ミモザ』にて午後のお茶を摂ったのち、しばらく街を歩かれるとのこと。
カフェまでは我が家の馬車でお送りしますが、我が国に不慣れなかたが、はぐれてしまったり、或いは意図して置いていかれることも考えられます。
我が家からも密かに護衛をつけますが、どうか、王兄殿下によしなにお伝えくださいませ。
〜レオニア・ポートメアリ〜
(えええ……)
唾を飲む。しばしの沈黙。
ラルクはおそるおそる口をひらいた。
「陛下、つまり、これは」
「そう。兄上に『よしなに』。つまり、兄上ならこうされるかと。どうです? 服、ぴったりでしょう。僕のお忍び用の一着ですからね。あ、剣はもう少し長いものを?? ごちゃっとした屋内でも使いやすい長さにしたつもりですが」
「!!? なんで振り回す前提で話を進める……? 落ち着け、剣はこのままでいい」
「それはよかった」
では、問題ありませんね、と天使のような笑顔が近づく。
セインは、ぽん、と異母兄の肩をたたき、そのまま唇を耳に寄せた。ひそひそと囁く。
「(シェイドには、あるじのいない間に精霊体で動けばどうかと唆しておきました。見つけたいでしょう? 『粛清の騎士』もどき。さっさと)」
「うーーうううん……」
「(更に。ローザ嬢を誘った二名の令嬢。監視が必要だと思いませんか? 無邪気な誘いのわけがありません)」
「……はあぁ。わかった。わかったよ、行けばいいんだろ。俺の得意な魔法も駆使して」
「さすが、兄上は話が早い。愛しています」
「はいはい」
仕上げに手荷物用のポーチを渡され、ラルクは観念した。
天を仰ぎ、眉間にしわを寄せる。
そうして、午後に至る――――
◇◇◇
ティリエルの王都は国土のほぼ真ん中にあり、街区は王宮を中心に放射線状の街路が走る。それは円形時計の数字が十二に分かれて時を刻むように。
ざっと分けて、北を指す零時をあいだに十時から二時までは貴族街。王宮に近いほど高位貴族が屋敷を構える。
令嬢がたが街遊びに指定したのは、六時方向へとくだるメインストリートの中ほど。その東側。
メインストリートを起点に六時から三時までは神殿の門前町として機能する参詣通りが。
六時から九時までは近隣諸国との交易市が立つ、外向けの商業区が並ぶ。
放射状に離れれば離れるほど「下町」と呼ばれる平民居住区となるため、貴族向けの商店はあくまで王宮寄り。そして参詣通りに近い。カフェ『ミモザ』もその界隈にある。
(こうして見ると、貴族の娘はちらほら歩いてるな……。セインの治世が豊かな証しか。なら、俺も【掃除屋】のし甲斐がある)
カフェで寛いだらしい令嬢三名は、参詣通りをやや外れて南下した。
それでもまぁまぁ従者連れの貴族や、裕福な身なりの若者たちが楽しそうに歩いている。両脇には被服店や軽食店、若干怪しげな魔法雑貨店。
とはいえ、小路の石畳にほころびはなく、清潔に掃き清められ、街路樹の佇まいも爽やかだ。樹下には彫刻が施された木製のベンチもある。
まだまだ、安心安全の範囲――
それに、付かず離れずついてくる本職の騎士もいた。人混みに溶け込み、丁寧に気配を殺しているので、おそらくはかなりの手練れ。
令嬢がたが店先で足を止めるたび、ラルクは手近な軒先を覗いた。後ろの本職護衛もそうしている。
が、風に乗り、葉擦れの音のように届く、ちいさな声を聞き分ける【諜報魔法】は、ラルクしか持ち得ないだろう。
意識を集中させ、心をしずかに。聞きたいと願う会話のみを拾う。
覚えてしまった声は、胸のなかですらいたずらな光を煌めかせるようだった。
(ふんふん。令嬢のあいだで流行りのまじない……なるほど、ありそうなこった。で? 友情の証?? ――――って。おいおい、ちょっとは警戒しろよローザリッテ嬢!!?!?)
おっとりにも程がある鷹揚さの極みで銀髪の少女が動く。両脇の彼女らに誘われるままにどこかの石段を踏んだ。チリリン……と、さやかに鳴るドアベルの音を耳が拾う。
距離にして三十歩向こう、店名は『妖精の隠れ家』。軒下にはメルヘンな装飾が目を引く、蔦模様の看板がぶら下がっている。壁は赤とオレンジのレンガを組み合わせた可愛らしい外観。まさに裕福な少女向け。
しかし、なにか、いやな予感がした。
――窓がない。
「チッ!」
残念なことに、養い親に近い闇の精霊の癖は、しっかりとラルクに伝播している。
ラルクは疎らな人垣を避け、帽子を押さえつつ、店に続く石段へと足をかけた。