第十話 掃除屋は被疑者となる
被害者、オーレン・ヘデラ侯爵。
春の女神月九日、タウンハウスの寝室で何者かに殺害される。争った形跡はなく、寝台で仰向けに就寝していたところ、心臓を一突き。凶器は残されていない。
――――――
「第一発見者は執事。九日の朝、初めて異変に気づいたそうです。遺体の状況から逆算して死亡時刻は深夜未明だろうと。調査に携わった騎士たちは申しておりました。以上、報告です」
「ご苦労。俺たちが行ったときは、まだ生きてたからな」
「はい」
小姓姿のシェイドが頷く。
魔力枯渇で倒れた翌日。ラルクは昼前にこれらを聞いた。
――たった一晩で回復? 化け物なんですか?
と、開口一番に呆れられたが、動けるのだから問題ない。いつも通り身支度と食事を終えての昼下がり。『掃除屋』にとっては休息の時間だが、事件の次第は問題があった。
ラルクは憂鬱そうにベランダから王宮敷地内を見下ろす。
曇天、微風。普段よりも多めに行き来する騎士たち。
彼らは王宮警護を司る近衛ではなく、城下の治安部隊だ。個々の表情までは見て取れないが、全体的な緊張は伝わった。
なぜならば。
「……ヘデラ侯爵邸はここから目と鼻の先。自然、こちらの警備も厚くせざるを得ない。仕方ないよな。容疑者候補に『粛清の騎士』の名があがってんじゃ」
「はい。セイン王も苦慮していました。犯人がマスターのわけないのに」
「守護の契約内容は、王族籍の人間にしか話せない――そういう契約だもんな」
「仰る通りです」
「よく言う。契約した当の精霊のくせに」
「おそれいります」
シェイドはまったく恐れのないそぶりで嘯いた。ラルクは苦笑する。
そうして視線を地上に戻し――――ふと、間の抜けた声が漏れた。
「へ」
「? どうされました」
怪訝そうなシェイドもベランダに出て、あるじの隣から眼下に目を凝らす。同じものを見つけ、むぅと顔をしかめた。
「……わかりました。お茶の準備をしておきましょう」
「え? あれ、こっち来るか……? レオニア嬢とはぐれたんじゃないのか。ほら、ひとりだし」
いかにもぼんやりとした物言いのラルクに、シェイドは目をすわらせて振り向いた。
宣言通り、厨房に向かおうとしていたのだろう。もう陽が差し入らない部屋のなか。影のなかに身を置いている。その目が一瞬擬態を解き、黄金に輝いた。
「マスター。女性関連で、あんまり希望的観測は抱かないほうがいい。備えなんか、いくらあってもいい」
「ぐっ」
ぐうの音も出ないド正論を吐かれ、ラルクはいやそうに眉根を寄せる。
数分後、シェイドの見立ては正しかったことを知った。
◇◇◇
「急な訪問をお受けくださり、感謝申し上げます。ラルク様」
ポートメアリ公爵家の警護に付き添われ、落ち着いたグレイッシュカラーのドレスをまとったローザリッテは、心配そうに視線を彷徨わせた。本当にいろいろと気遣ってくれたらしい。
果物の盛り籠を携え、見舞いと称されれば無下にもできない。何より当のラルクは全快している。仮病を使う隙もなかった。
「いや……わざわざありがとう。俺の不調はどこから? レオニア嬢かな」
「左様ですわ。レオニア様は昨夕、陛下からのお手紙で。それで、わたくしにも教えてくださったのです」
「なるほど」
ラルクは重々しく首肯した。
あの、見た目は善性そのものの弟と婚約者殿が結びつくと、こうなるか――と、ひしひしと学ぶ。なかなか放っておいてもらえない。
観念したラルクは彼女に着席をすすめ、シェイドに紅茶の給仕をさせる。警護の騎士は開けた扉の向こうで待機させた。未婚女性への配慮だ。
そのせいか、ローザリッテは今日もおとなしかった。いかに奔放な彼女といえど、世話になっている公爵家の面子を保つためなら常識を守ってくれるのか――などと安堵しつつ。
よって、茶をすすめてからは自身もティーカップを口に寄せた。
反対に、両手を膝の上に置いたローザリッテは真剣なまなざしでラルクを見つめた。
「――――ラルク様。わたくし、ラルク様は犯人ではないと存じて上げております」
「ブファッッ!?」
「! まぁ、大変。大丈夫ですか? やけどは。お召し物は」
「ケホッ、ゲホッ……だ、大事ない」
危うく熱い茶で喉を焼きそうになり、咄嗟に横を向いて吹いてしまった。すると、涼しい顔のシェイドがやって来てすみやかに床を拭く。本当に良くできた小姓ぶりだった。
通路の騎士は物音に驚いたようだが、入室する気配はなかった。会話は聞こえなかったらしい。ラルクは瞑目して心を落ち着けた。
「失礼。どうしてそうなった?」
「きのう、ポートメアリ公爵夫人が茶会をひらかれました。招かれたご婦人がたは、そろってヘデラ侯爵殺害事件は『粛清の騎士』の仕業に違いないと。小物の男爵襲撃事件まで。わたくし、居ても立ってもいられなくて」
「……ローザリッテ嬢。それは、ティリエルでは伝承のお化けみたいなものだ。俺はお化けではない」
「もちろんですわ。ですが、ラルク様は“本物”です」
「――――は?」
不覚にも顎を落としたラルクは、たっぷり間を空けて訊いてしまった。
ローザリッテは、なおも自信満々に紅水晶色の瞳を輝かせた。
「濡れ衣ですもの。わたくし、必ずやあなたの汚名をそそいでご覧に入れますわ」