第九話 掃除屋は二つ名を持つ(後)
「死なないでください兄上っ……! ひどい、誰がこんな真似を」
「落ち着け、陛下。死なない……というか、ちょっとばかり魔力枯渇になっただけだろ。怪我はないぞ?」
「兄上ほどのかたが! カラッッッカラになるまで魔力を使い切る事態だったことに私は嘆いているんです!! ええい口惜しい……!」
「セイン、お前怖いよ。国政大丈夫か」
「大丈夫です。きっちり、抜かりはありませんからね」
とたんにキリッと凛々しく眉毛を寄せる弟王に、ラルクは「ほんとかよ」と、こぼした。
◇◇◇
――昨夜はしくじった。
ラルクは、枕元で小姓姿のシェイドにあれやこれやと指示を出すセインから視線を外し、窓ガラス越しの青空へと移した。
そもそも、昨夜はヘデラ侯爵邸の調査が主な目的だった。
他国の『掃除屋』のように組織だった人員がいないティリエルでは、ラルクが地道に行う夜間調査と、シェイドが精霊のちからをもって行う国土の魔力探査でしか悪事を見抜けない。
先だってネサドラ侯の派閥子爵による婦女狩りを暴けたのも、ラルクの日頃の夜歩きの賜物だ。
闇の精霊シェイドから借り受けた【飛翔】【隠遁】の魔法は、見つかった際の大立ち回りより、隠密行動に明らかに特化している。
――だいたい、どこの貴族も門扉がいちばんの難所なので。
(今回だって、いつも通り楽に侵入できた。見取り図は頭に入ってたし、ターゲットの書斎だろうが寝室だろうが、シェイドが【眠り】の魔法をかければ一発で熟睡するんだ。こんなへましたことはなかったのに)
「シェイド。きみがついていながら、何故こうなった?」
「……セイン王。僕は、あくまで代々のマスターと契約関係にある。歴代ティリエル王の配下になったつもりはない。はき違えんな」
「おっと。それは失礼」
「!? おいおいおいっ、痛つ……」
「兄上!」
「だめだよマスター、今日は寝とかなきゃ。はい、よしよし」
ちょっと目を離した隙に喧嘩を始める弟と精霊の仲裁をしようと半身を起こそうとした。たったそれだけでラルクの全身が悲鳴をあげる。
苦悶の表情を浮かべるラルクに、セインは瞬速で振り返り、シェイドは面倒見よく上掛けを直した。ポンポン、と、驚くほどやさしい手つきで羽布団をたたく。
それから、じろりとセインを流し見た。
「さっきの続き。あんまり見ない文様が侯爵の寝室の床にあった。絨毯だと思う」
「絨毯? 毛織の?」
「そう。複雑な模様で……北に、そーゆーのを特産品にしてる国あるよね? あそこのまじない品のひとつじゃないかな。あれを踏んだとたん、マスターが動かなくなったから」
「…………罠。魔力吸いか」
「防犯とか、本来は魔よけのお守りだったのかも」
むむ、と思案の姿勢になったセインが為政者の表情になる。ぶつぶつと早口で呟きはじめた。
おそらくはヘデラ侯爵が手がける輸出入の品目や、北方諸国との関係性を口に出して整理しているのだろう。残念ながら、魔力切れでぼうっとするラルクにはあまり聞き取れなかったが。
「! そういえば」
突然、セインは思い出したように手を打った。
「兄上。最近、ロディタ男爵を狙いました?」
「? いいや。俺が直近で脅したのはカーネス子爵だけだ。ネサドラ侯の派閥の」
「そうでしたか。いえね、夜会の翌日、ご婦人たちが噂をしていたんです。男爵の馬車が『粛清の騎士』に襲われたと」
「はあ? 身に覚えがないぞ。それに、なんだってそんなにご婦人がたの話題に詳しい? 夜会の翌日って」
「王太后派の夫人たちとレオニアを引き合わせるため、母がひらいた茶会でしたからね。私も、少し顔を出したんです」
「……なるほど」
『王太后の茶会』と聞き、ラルクの心臓はどきりと跳ねた。
頭の中に光の速さでよみがえる記憶がある。
忘れようにも忘れられない――――『あなたの妻になるためですわ』と、臆面もなく言い切った彼女を。
かの少女、ローザリッテ・アルミスは、声や姿そのものに特殊な魔法がかかっているのではと思う。
目に、心に、焼き付いて離れなくなる。ひとに鮮烈な印象を残すのだ。
たとえるならば、藍のとばりが落ち、月がのぼったからと油断して見入った西空。うつくしい輝きを放つ落陽そのもののように、いつまでも、いつまでも残像を結ぶ。
――良くはないな、と、ラルクは自重の笑みを浮かべた。
「兄上? なにか」
「いや。それで?」
「ああ、はい」
胸の前で組んでいた手を顎に添え、セインが宙を眺める。
曰く、ラルクが馬車ごと男爵を襲うとは考えにくく、夜会の帰路であったこと。それらを踏まえ、『粛清の騎士』を騙った何者かではないか、とだけ匂わせてくれたらしい。
――ティリエルにおける『粛清の騎士』とは、すなわち代々の『掃除屋』を指す。
黒衣に黒髪。銀の仮面で顔を隠した貴族専門の襲撃者は、いつしか恐れを込めてそう呼ばれるようになった。怪異や妖精のたぐいに近い感覚だ。
なぜなら、ラルクとラルクの先代は極力殺さない『掃除屋』だった。
掃討する必要があるときは、なるべく事故や災害を装う。
だからこそ、この国の光である国王が否定してくれたのはありがたかった。
ほろりと笑んで礼を言うラルクに、セインはようやく微笑む。
では養生を――。そう告げた矢先、どかどかと扉に近づく足音がした。早朝でありながら無遠慮にノックをされ、顔をしかめたシェイドがこれに応える。
やって来たのは王居づきの近衛兵だった。
「何事ですか」
「もっ、申し訳ない。陛下に急ぎお知らせを。先ほど、ヘデラ侯爵の訃報が届きました。――……タウンハウスで。殺人だそうです」
今話は、時系列でいうと「掃除屋は二つ名を持つ(前)」の後半の前にあたります。
ややこしいですね……! (※作者)