船でコウスの意識が朦朧となり、船長を呪術師と疑う
第五章
一
翌日の朝早く、船長が宿舎へ来て、船の修理が終わったと宿主に伝えた。宿主は、それを各部屋に伝言して回った。
「船の修理と点検を終えたので、いつでも出航できると知らせが入りました。ご用意が出来次第、船にお乗りくださいと申しております。」
今朝は宿舎ごとに順番に出るのではない。組ごとに離れ、互いに無視してさえいれば同時に出ても、同方向に歩いても構わない。
もしも昨夕から見張っている嗅助がいても、この動きを見れば三十三人が一個部隊だと思うことはないからだ。
桟橋でマイヤとシモン、童子のコウス、女人ニコルと世話人を先頭に、ケイシなど怪我が軽度の者が宿の主や賄い人、三十人ほどの船の修理人、見送りに出てくれた夙卦の人々に、お礼の言葉を述べて船に乗った。
三日で着くはずだった己実津への航海は、予定の四日間に戻った。遅れた訳ではないし、船の具合は良いと聞いた。
夜半から雨が降り、灰色の雨雲が重く被さる不気味さを感じ、やけに風が冷たい。
朝餉を食しながら、もう地揺れや高波はないだろうと話していると、屋形の外で周辺を警備していた船長が、話に乗ってきた。
「大きな地揺れが起こったり、高波が陸にまで押し寄せたりした翌日は、よく雨が降るのです。まだ天神や海神の怒りが収まり切っていないからです。でも大丈夫です、直に雨がやんで晴れますから。」
海の天気の変化まで予測できる、船乗りって凄いとシモンが感心した。だが地揺れや高波の襲来は神の怒りなので予測できず、防ぎ切れないと言う。
「このような災難を何度も経験していますが、今回のは最大で、駄目かと肚を括りました。しかし漕手と船員の八人は死にましたが、乗り合わせた人は全員無事でした。」
船長は、尚も話を続ける。
「船も壊れた個所がそれぞれ小さくて、ひと晩で治ったのです。何かこう、天神や海神の怒りに抗する神がおられ、鎮めてくださった気がしているのです。」
船長の話を聞きながら、コウスは無意識のうちに胸の前で手を合わせていた。偉大な力を持つ神は確かに存在する。
あの高波から吾と仲間を救ってくれたのは、疑いなく神だ。伊勢の叔母様、もうすぐ己実津が見えてきます、御加護を……。
「まあ、手前の軽口ですから聞き流して、どうぞ忘れてください。」
船長は去ったが、コウスの身は動かない。何かあったのかと、マイヤとシモンが心配して、顔を覗き込み、肩を揺する。
息はあるが、意識がはっきりしない。船長の話を聞きながら、コウスが金縛りに遭ったとマイヤの勘が働いた。
あの船長は敵の嗅助でなくても、恐ろしい呪術師だったのかと背筋が凍った。
「コウス皇子、大丈夫ですか。身体は動きますか、横になれますか。シモン、急いでニコルをここへ。」
朝餉を済ませ、甲板に出ていたニコルを連れて戻ったシモンが、経緯を話してコウスを看るように指示し、マイヤと二人で船長の後を追った。
ニコルは横になっていたコウスの手を取って、意識が戻るのを黙って待つ。すると意識が戻ったコウスは目を開け、起き上がって辺りを見回す。
「あれ、ニコルか。二人はどこへ。」
「船長の後を追って行きました。コウス様が船長に呪縛をかけられたと、顔面蒼白になっていました。」
「何だって。吾が船長に呪縛をかけられて、意識を失い倒れたと。うーん、船長の話に感動していたが、聞きながら眠ってしまったのか。それは失礼なことをした、謝らなければ。」
コウスの瞳は揺れておらず、言葉も明瞭だ。ニコルは呪縛が切れて正気に戻ったと安心した。
身体も機敏に動き、マイヤとシモンを追って立ち上がろうとするので、握っていた右手を放さず引き戻す。
「お待ちください。ここは船ですから、すぐ船長を連れて帰って来ます。お話はここでしましょう。」
コウスはニコルの強く握った手が、皇子は無闇に動転するものではない、軽々しい行動はすべきでないと訴えているのを覚え、落ち着きを取り戻した。
しばらくして二人が船長を連れて帰ってきた。マイヤは船長を屋形に入れず、外に立たせて両脇に立ち尋問する。
「船長、其方の話を聞いているうち、皇子が呪縛を受けたように身動きしなくなり、意識も朧気になった。もう一度問う。船長は呪術の心得があるのか。」
苦々しい顔をして、マイヤを横目で睨む船長。二人が血相を変えて迫り、何事かと聞くと呪術師の疑いを掛けられたのだ。
船長は困惑を超えて、怒りが収まらない様相だ。
「某は未羽で生まれ、父の跡を継いで航路を使う人のために働いている。乗る人は様々で、事情も違うため、いちいち身分や航海目的に興味を持たないことにしている。何度も言うが、某は西国の誰とも一切関りはなく、神に誓って呪術のような心得はない。」
コウスが身動きしなかったのは、一心に伊勢神の加護を念じていたためだ。それを金縛りだ、呪縛だと騒いでいる。
「もういい、マイヤ。面倒をかけて済まなかった。吾は船長の話から神の存在を確信し、これからの戦いの場で心身が竦まないよう、少しでも神威を賜れるよう、祈っていたのだ。船長を疑い、皆にあらぬ心配をかけたことを、このとおり謝る。」




