誰にも相談できないコウスは、伊勢の叔母を訪ねる
謁見の縁で見ていたヒサラは、掌が汗ばんでいることに気付き、そっと袴で拭き取った。隣の天皇は二人の迫力を目の当たりにして、怪我など負わないかと、心配している顔だ。
「いい申し合いだった、どこも怪我はないか。二人とも思った以上に戦闘力に長け、精神力も強く、恵枇タケルを討てると見た。出立の準備、道程で必要な物や情報は配備しておく。到着後は兎農のマセラ、火良のシウリに面倒を見てもらうので、心配は無用だ。他に気掛かりがあれば、何でもヒサラに申し出よ。」
夕刻、ニコルは高尾へ帰った。その道中、隣の警護兵に西国の国主討伐任務を引き受けたことを、後悔している心境を話した。
「そうですよ。国主と一対一なら問題ないですが、砦に潜り込めば周りに剣、槍、弓を持った兵がいますから八方塞がりでしょう。ニコル様が覚悟を決めて下命を受けた時、拙者は耳を疑いました。天皇の命令が下った以上体調を悪くするか、親族に偽りの不幸を作る以外に、断る手段はないでしょう。ぜひ、そうしてください。」
想像するほど怖くなる任務を警護兵に打ち明け、心優しい進言をもらった。打ち寄せる恐怖を胸に仕舞い込まず人に話して、幾分であるがニコルは心が軽くなった。
そして、この命は国や人のために役立つのだと、改めて覚悟を決めた。
「そうしたいですが、もし命令を取り下げて戴いても、恵枇タケル討伐の結果がどうであれ、断った後悔が一生涯消えません。そして世間には、恐れをなして逃げたと思われるでしょう。」
警護兵は、女人でありながら男と何ら変わらない、ニコルの剣士としての気概を重く感じ入った。
「私は西国までの命ですが、人はいつか必ず死にます。ご命令を受けた以上、纏向のコウス様と倭都国のために、誇りを持って命を捧げます。優しいお言葉、ありがとうございます。」
十三
纏向に西国偵察の伝助が、朝方と夕刻に宮廷の伝助詰所に出入りして、恵枇タケルの動向を伝え、返信を聞いて出る慌ただしい毎日が続く。
昨夜からの激しい雨が大地を叩く早朝、濡れ鼠と化した風体の伝助二人が、詰所に駆け込んだ。
「数えて十日前になりますが、茶蓮山の麓が更地に変わり、三百人ほどが杭を打ち始めました。砦や兵舎の建造と見て間違いありません。火良の話によりますと、恵枇タケルとその一団が、労役者を指導しているとのことです。」
「規模はどうか。」
「はい。木材や石の運び入れを見ると、前より大きい感じです。かなり急いでいるようで、建て上がるまで五十か、六十日くらいかと。」
いよいよだ。政務の間では出立にあたって纏向の精鋭兵十と、高尾から兵二人に女人世話役ひとりを選び、難波津から針間までの航路準備と、針間からは陸路にして加勢兵十五人を借り、未羽津まで七十里の安全確保までは終えている。
そこから美々津までの航路準備も進め、美々に上陸すると兎農のマセラが迎え、地理に詳しい兵十人とニコルの身辺を受け持つ女人世話役を二人加えるよう手配中だ。
到着地は火良で、首長のシウリに世話を頼み、十日かけて敵陣へ潜り込む算段をさせる。行程は天候にもよるが三十日で火良に着かせたい。
「父上は、吾に死ねと言っている。吾を気遣っていると言いながら、兄上を殺した気性を疎んじ嫌っているのだ。西国へ行けば無事に帰る手立てはなく、誰にも相談できない。」
十四
コウスは考えた末、従臣二人を伴って伊勢に向かった。天照大神の御杖代である叔母ヤマトヒメに、別れの挨拶をするために。だが本心は叔母に会えば、何らかの神威が得られると考えたのだ。
「叔母様、お会いできて光栄に存じます。手前は西国で勢威を張り、倭都への再叛を窺う恵枇タケルを討伐せよと父上からご命令を賜りました。近々に出立致しますので、お別れに参上致しました。」
叔母ヤマトヒメは、しばらく見ぬうちに立派になったと喜んでくれたが、なぜ取り立てて遠方から、別れの挨拶に来たのか、詳しく話を聞きたいと言った。
「とても強い女人剣士と二人で、恵枇国の陣営に潜り込んで、国主の恵枇タケルを討つのです。しかし首尾よく討っても千二百の敵兵に囲まれ、逃れ出る術がありませぬ。叔母様とは、今生の別れになりますので。」
「そうか。だが、そのような陣営に潜り込めるのか。その前に見つかって、殺されやしないか。」
「恵枇の国主は無類の女好きと聞き及んでおります。女人剣士は十八歳と若く、とても美しい御方です。手前は身の丈が低いので、女人に化けて同道すれば潜り込めるかと。」
まだコウスは髪を上げていない童子で、娘子に見間違われる顔立ちだ。だが剣術・槍術に長け、体捌きの速さと跳躍力、騎馬術は大人の兵を圧倒している。
ヤマトヒメは景行天皇の狙いが見えた。だが女人剣士は盾の役で、征西の主はコウスでないといけない。
掌を合わせて静かに、一心に拝むヤマトヒメ。すると脳裏に、恵枇軍の陣営と側近や兵士、恵枇タケルの国主席が浮かび上がった。
その浮像は陣営の棟上げを終え、その下で宴を催している風景だ。ヤマトヒメはコウスに、少し待つよう合図して奥へ消えた。




