もう一度、君と出会う
放課後の校舎には、昼間とは違う静けさがあった。部活動へ向かう生徒たちの声が、廊下の向こうから聞こえてくる。明日からは夏休みが明け、二学期が始まろうとしていた。
晴は、体育館へ向かう途中でふと足を止めた。
「……あれ?」
校舎裏の方に、人影が見えた。見慣れない女子生徒だった。長い黒髪が夕方の風に揺れている。手には、一眼レフのカメラ。彼女は校舎ではなく、その向こうに広がる空へレンズを向けていた。晴は少しだけ気になった。この時間に、あんなところで何をしているんだろう。そう思った次の瞬間には、もう歩き出していた。
「何撮ってるんですか?」
声をかけると、少女の肩が小さく跳ねた。
「……え?」
ゆっくり振り返る。初めて見る顔だった。それなのに、なぜか、晴にはその表情がどこか懐かしく見えた。
「空……ですか?」
少女がカメラを胸元に下ろす。
「うん。夕焼け」
「夕焼け?」
「今しか見られないから」
そう言って、少女は空を見上げた。雲の隙間から差し込む光が、街を柔らかく照らしている。
「なるほど」
晴も隣に並んで空を見る。
「確かに、きれいですね」
「……うん」
少女は小さく笑った。その笑顔を見た瞬間、晴は一瞬だけ言葉を失った。
きれいだ。
それが、最初に思ったことだった。けれど、それを口にするほど晴は器用じゃない。
「写真、好きなんですか?」
「好き。特に、こういう普通の景色を撮るのが好きなんだ」
「普通の景色?」
「うん」
少女はカメラを見つめた。
「何年か経ったあとに見返したら、きっと大切な思い出になるから」
「へえ……」
晴は少し考える。
「じゃあ、今日の夕焼けも?」
「うん。今日の夕焼けも」
少女はもう一度カメラを構えた。シャッター音が静かな校舎裏に響く。
カシャ。
「……撮れた」
少女が嬉しそうに画面を確認する。
「いい写真?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「写真って、撮った瞬間には分からないから」
「どういうこと?」
少女は少しだけ考えてから答えた。
「その写真が、本当に大切な一枚になるかどうかは……時間が経ってから分かるんだと思う」
「……そっか」
不思議なことを言う人だ。晴はそう思った。けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
「俺、桐谷晴です」
少女が目を丸くする。
「……どうして急に?」
「いや、名前知らないまま話してるのも変かなって」
「あ……」
少女は少し戸惑ったように笑った。
「私は、白石遥」
「白石さん」
「うん。桐谷くん」
そこで二人は、同時に少し笑った。まだ名前を知っただけ。それだけの関係だった。
けれど、この日が、二人にとって特別な一日の始まりになることを、晴はまだ知らなかった。彼女はそれ以上なにも語らなかった。ただ、彼女はカメラの液晶に映る夕焼けを、しばらくじっと見つめていた。
翌朝。
「転校生を紹介するぞー」
担任の声に、教室がざわついた。
「転校生?」
「この時期に?」
晴は何気なく前を向く。そして晴は目を見開いた。
「……え?」
教室の前に立っていたのは、昨日の少女だった。長い黒髪。静かな雰囲気。そして、昨日と同じ柔らかな笑顔。
「白石遥です。今日からこのクラスでお世話になります。よろしくお願いします。」
教室から、小さなどよめきが起こる。
「めっちゃ美人じゃね?」
「モデルみたい……」
「どこから来たんだろ」
そんな声が飛び交う中、遥の視線が教室をゆっくりと巡る。そして晴と目が合った。一瞬だけ、遥の表情が変わった。驚いたような。嬉しいような。それでいて、少し寂しそうな。そんな顔。けれど、それはほんの一瞬だった。
「白石は……桐谷の隣が空いてるな。そこに座ってくれ」
「はい」
遥がこちらへ歩いてくる。晴は少しだけ姿勢を正した。
「昨日ぶりですね」
小声で言うと、遥は微笑んだ。
「……うん。昨日ぶり」
「まさか転校生だったとは思わなかった」
「私も」
「……私も?」
「ううん。なんでもない」
遥はそう言って席についた。晴は少し首を傾げた。
そのとき、後ろから声が飛んできた。
「おい晴」
「ん?」
「昨日会ったって、どういうことだ?」
神崎蓮だ。
蓮とは中学からの親友だ。
その隣…ではなく、遥の後ろの席から七瀬美咲も顔を出す。
美咲とは、家も近所で、幼なじみだ。
「私も気になる」
「いや、昨日夕方たまたま学校で会っただけだよ」
「へえー?」
蓮がニヤニヤする。
「転校初日に隣の席。しかも昨日から知り合い。晴、お前……」
「何もねえよ」
「まだ何も言ってねえだろ!」
「顔に書いてあった」
「ひでえ!」
美咲がくすっと笑う。
「もう、蓮は朝からうるさいなぁ」
「美咲まで俺を悪者にするのかよ!」
「だってうるさいもん」
「晴ー! お前からも何か言ってくれ!」
「蓮が悪い」
「即答!?」
教室に笑い声が広がった。遥はそんな三人を見て、少しだけ目を細めた。
「……ふふ」
その笑顔を見て、晴も自然に笑った。
「白石さん」
「ん?」
「これからよろしく」
「……うん」
遥は少しだけ間を置いてから答えた。
「こちらこそ、よろしくね。桐谷くん」
その呼び方は、まだ少し遠い。けれど…二人の距離が変わっていくまで、そう長くはかからなかった。
これは、そんな二人の最初の一歩の物語だった。




