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第3話:記念教会

「セウブへようこそ」


 地方巡業の時の常として、セウブ領に入ると最初に辺境伯の城を目指し、ほどなく謁見を果たした辺境伯は、はっきり言うとむさくる……いかにも武人らしいひとだった。

 この彼が教皇相手に多額の金を積むほど、聖女アイドルが好きなのだと思うと少し意外だが、『辺境の地ではろくな娯楽も無くて。セウブの民を喜ばせたい、私の娘たちも聖女様に興味津々で』と聞くと納得がいく。


「私自身は、若者の流行には詳しくなくてですな。娘にも無粋と叱られてばかりで」

「あら、それでわたくしどもにお声がけいただくなんて、光栄の極みというもの。ぜひ、閣下自身にも信者ファンになっていただきたいわ」

「はっはっは、頼もしいですな。今夜、よろしければ一緒に会食でもいかがですかな」

「ぜひご一緒させていただきたいです」


 互いににこやかに社交辞令を交わし、何事も無く挨拶は終わり。

 どうやら彼は領地の活性化のためだけの事務的ビジネスライク理由で聖女一行を呼んだようで、彼自身は熱心なファンというわけではなさそうだった。これならば、滞在中に一、二度ともに会食するだけの付き合いで済みそうだ。


「あ〜、緊張したあ!」

「終わって良かったわね、あのね、ルナ……」

「わかってる、染物屋に行きたいんでしょ」


 ハンナは魔動車の中でも、セウブの民が身につけている衣服に興味津々だったのだ。

 王都の民が身につけている鮮やかな染料で染めた布とは違って、生地は少し厚手で硬そうだったが独特の色むらのある染めが美しかった。その染料や染めの技術を調査しに行きたいのだろう。


「行っていいわ、あとは記念教会に挨拶するだけだから、私一人でいく」

「さっすがルナ、話がわかる! じゃあ宿でね!」


 ハンナは光の速さで去っていった。……もう既に出かける準備もしていたのだろう、親友が商魂たくましくてなによりだ。


 セウブはエグリーシュ王国の国境沿いの土地、すなわち、数百年前の戦争の時にも多くの血が流れた土地で、『戦場に現れた』という聖女の伝説はこの地にも残っている。

 ゆえに彼女を記念して建てられた教会もここにあるはずであり、当代の聖女が巡業に訪れた際には忘れずに記念教会に挨拶をするようにと、教皇にも口を酸っぱくして言われていた。


「……とは、聞いていたけれど……さびれてる……」


 教会は古めかしく、もはや教会として機能していないようだった。

 長い間塗り直されていない漆喰は壁から剥がれ落ち、屋根や壁はところどころ崩落している始末だ。周りに植えられていたのか、それとも元々森を切り開いて教会を作ったのかは定かでないが、にょきにょきと大きく育った木々は鬱蒼と茂っていて、遠からず教会の建物を飲み込んでしまいそうだ。

 辺境伯は、少なくとも教会に対して悪感情は抱いていないのだと思っていたが、記念教会の管理はほとんどしていないらしい。……否、この荒れっぷりは彼の代の話だけではなくて、ずっと前から放置されていて、今さら修理する方が金や手間がかかるということなのかもしれない。


「し、失礼しまーす!……どなたかいませんかー?」


 まるでお化け屋敷だ。だが、そうはいっても、引き返してみて『本当は中にいたのに!』と当直司祭の機嫌を損ねるだとか……もしもの話だが、司祭がこの教会の中で倒れたり死んだりしても発見されずに返事ができないでいるだとかの方がずっと怖い。

 おそるおそる建物の中をのぞいて声をかけてみても返事はない。近くに出かけているのかと、ひとを探して歩き回っていると……少し離れた裏手の崖のそばに、人工的に整えられた形の巨石が鎮座していることに気づいた。


「何これ、石碑……?」


 近寄って見てみると、石の下部には苔がむし、設置されてから時間が経っているのが伝わる一方で、石碑の表面には磨きがかけられ、鏡面のような加工がされているのが分かる。

 そのつるりとした面に何かの文字が刻み込まれていた。……古い、言葉だ。単語も文法も数百年前のもので、かろうじて読み取れるのは――。


「『聖女』……? って、うわっ!?」

「危ない!」


 もっとよく見たい、知りたいと、石碑に近寄った瞬間、土砂の崩れる音が聞こえた。それとともに、私が踏みしめていた足場はなくなり、身体は宙に浮く。崖自体が、ひとの重さに耐えきれずに崩落したのだろう。

 まずい、崖下に落下する!……と、目をつぶったものの、いつまでも衝撃が体に伝わってこない。ゆっくりと目を開けてみれば、私は宙ぶらりんになっていた。……なぜだ!?

 とっさに体を支えようとしたのか、私の右手が掴んでいる『ソレ』の方に目を向けて――感謝よりも先に怒号が出た。


「あっ!? あの時のいけすかない男――!?」

「……どうして、君がここに……?」


 あいつだ、この間のライブの後で喧嘩を売って帰っていった、あの不信心者アンチ

 相手も驚きに目を見開いていたようだが、こちらの驚きの比ではない。何なのよ、アンチのくせに粘着質に後を追って来たって言うの!? いや、それなら、彼が私を見て驚く理由もないから、別件で? 

 でも、こんなド田舎に他に何の用事があるって――。


「考えごとはいいから、おとなしく引き上げられてくれ。重い」

「聖女に『重い』は禁句!」


 聞き捨てならない台詞に食ってかかり、おかげで我に返ることができた。

 左腕一本で私の身体を支えているらしい彼からしてみれば、まあ……確かに『重い』かもしれない。

 右腕を引っ張り上げられながら、崖の凸凹に足先と左手をかけて登り、なんとか再び崖の上へと戻ることができた。


「怪我はないか」

「無いわ」

「そうか、よかった」

「待って!」


 彼は、私の無事を確認すると、それ以降見向きもせずに、この場を後にしようとした。

 やっぱり彼の用事は別のところにあるのだろう。でも、私としても、『恩人』をこのまま放っておくわけにはいかなかった。『助けられたのに礼のひとつも言えない』とか、『聖女』について変な噂話を流布されては困るのだ。


「その……ありがとう。ちょっとこの石碑に気を取られちゃって……」

「ああ、聖女降臨の石碑か」

「聖女降臨?」

「ここはあまり知られていないが、『争いを止める聖女』の伝説の中で比較的初期に『聖女』が現れたとされる場所のひとつだから」

「なるほど、そういうことね」


 伝説の聖女が現れたことを記した記念碑、ということは、石碑は数百年前のものなのか。道理で古びていたわけだ。

 おそらく、彼女が本当に現れたのは、この崖の上だったのだろう。だが、崖の上には大勢の人を集められるような建物を建てるスペースは無かったから、少し離れた場所に記念教会を作った。もっともどちらにしろ交通の便が悪いから、セウブ領自体が発展することはなく、記念教会も見捨てられてしまった……そんなところだろう。


「知らずにここに来たのか?」


 片眉を引き上げて彼が言うのには、『君は聖女のくせに』という意味も含まれている気がした。

 確かに私が知らなかったことは認めるし、反省もするが、何もそんな言い方をしなくてもいいじゃない!


「だって、聖女様の伝説についての書物は教会書庫で読めるものは全部読んだけど、こんな崖のことは載ってなかったもの!」

「……まあ、そうだろうな。それならどうしてこんなところに来たんだ」

「巡業の挨拶ついでよ! 教会に挨拶しておこうと思ったの!」

「ここの司祭なら今日はいない。村の酒場で飲んだくれているから」

「なんであなたがそんなこと知ってるのよ……」


 彼の言うことが本当だとしたら、今日はとんだ無駄足だったということになる。崖から落ちそうになったりもしたのに。……それに、司祭が職務をサボって飲み歩いていることを知られていていいのかな。

 彼は司祭とよほど仲が良いひとなんだろうか。


「研究のために勝手に教会を借りている身として、司祭の留守中の行動パターンならしっかり頭に入っている。今日は一日戻らないはずだ」

「いやそれ不法侵入!」


 なんてことだ、ただの赤の他人が、教会に入り込んでいるだけだった!

 辺境伯に知らせた方がいいかしら、と考えると『君が通報する前に逃げるから気にするな』と返ってくる。

 それを聞いて『それならいいか』って気にしなくなるひと、いないと思うけど!?


「……ん、『研究』?」

「僕は魔法史学者なんだ。今は聖女についての研究をしている」

「だからファンでもないのにライブに来てたのね」


 なるほどね。魔法史学者で、数百年前の伝説の聖女についての研究をしている……ということは、『伝説の聖女についての』知識がいくらかあるわけで、そんな彼が私のライブを見たら『伝説の聖女はそんなふうには歌わなかった! 踊らなかったはずだ!』と物申したくもなるだろう。

 要は、彼は、聖女『ルナ=キャロル』のファンでもアンチでもなくて、『聖女解釈過激派厄介ファン』とでも呼ぶべき人間だったのだ。私に恨みがあるわけではなく『僕の理想の聖女』像があるというだけ。

 そう思えば『うんうん、ひとにはひとの推しがあるよね!』と心を広く持って彼の話を聞けそうな気がした。


「聖女の研究者ってことは、ここに何が書いてあるかもわかるの?」

「……『世界は聖女によって救われた。その力を絶やしてはならない。その力の前になす術なし』と」

「へえ、やっぱり初代聖女様ってすごいのね! きっと、たくさんの人を勇気づけた方なのね」


 彼は既に石碑の内容をよくよく読み込んでいたのか、思いつきの何気ない問いにもすぐに、耳に心地よい声で答えが返ってくる。

『なす術なし』というのはちょっと言い過ぎな気もするけど、まあリップサービスみたいなものだろう。

 褒め言葉とはえてして誇大広告みたいになるものだし、尊敬する人が大げさに褒めたたえられているのを見て、私も嫌な気はしない。

 それにしても、彼がライブになんで来たのかもわかったし、彼も聖女が好きみたいだし、もしかしたら仲良くなれるかも……と思っていると、冷ややかな視線がこちらを向いた。


「君は、本当に何も知らないんだな」

「何が言いたいのよ! 悪い!?」

「悪くはない。ただ、知らないやつに用もない」

「なに、その言い方!……ちょっとっ!」


 あの目だ。あの日のライブの後に彼が向けてきたのと、同じ目。

 私には用はない、と繰り返して去っていく彼は、呼びとめてももう振り向かなかった。


「なんなのよ……」


 私のファンでもない無礼な男にすげなくされたからって、私が傷つく筋合いなんて、これっぽっっっちもないはずだけれど、勝手に失望されたようで気分が悪い。


「……言わないから、分からないんじゃない」


 交流コミュニケーションの基本は、お互いに言いたいことをキャッチボールすることのはずだ。

 一方的に問いかけて、答えも得られないまま勝手に相手に失望して去るなんて、コミュニケーション初心者・初級者にもほどがある。


 見てなさい、『いつでも会いに行ける聖女アイドル』こと、『神対話かみファンサのルナ』と呼ばれる私の力を――っ!


「止まりなさい! そこの不法侵入者!」


 物騒な発言は彼の耳に届いたのか、足取りはさすがに止まった。


「……『不法侵入者』じゃない、僕にもきちんとした名前がある」

「だって、その名前を教えてくれないんだもの」

「通報するために知りたいのか?」

「違うっ! あなたのことを知りたいからよ。……あとはまあ、『不法侵入者』って毎回呼びかけるのは嫌でしょう?」

「嫌だな。『毎回』ってまさか」

「そう! もっとお話しましょうよ。私、セウブに来たばかりで、ここら辺のこと、まだ何も知らないから」

「……不法侵入のことを黙っている代わりに道案内をしろ、ね」


 彼は深々と溜息を吐いた。……そういうつもりではなかったのだが、誤解してくれたのなら話が早い。


「ねぇ、お願い。……だめ?」


 私の必殺の上目遣いで、転がされぬ男は今までいなかった。

 ふはは、必死に『僕は興味ありませーん』って顔を取り繕いつつ、お前も悶えるがいい――!


「いいけど、その目はやめてくれない? 気色悪い」

第一級聖女トップアイドル様に何その態度!」

「はいはい、第一級聖女様」

「いやみったらしいっ! 『ルナ』って呼んで。……あなたは?」

「……アルでいいよ」

「そう、アル。これからよろしくね!」


 無理やりに手を取って握ると、不法侵入者の男、もとい、アルはまた溜息をついた。

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