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「瞳子っ!」

 鋭い声とともに突然、腕をつかまれて我に返った。派手なクラクションを鳴らしながら、私のすぐ目の前をトラックがすごいスピードで通り過ぎていく。 


 気づけば私は、交差点中の通学や出勤途中の人の視線を一身に集めていた。


「信号、赤!! あんた死ぬ気?!」

 美樹が青くなって叫んでいる。いつの間にか、交差点の中に入っちゃったんだ。


 び、びっくり、したー……。


 何事もなかったことがわかると、私に注目していた視線も三々五々、それぞれの目的地へとまた動き始める。

 爽快な青空の下、平凡な日常の朝だった。

 いや、轢かれかけたことは日常ではないけれど。


「あ、ありがと……」

「もうっ。寝ぼけてんじゃないわよ。まだ夏休みボケ? いっくら暑いからって、二学期始まってどれくらいたつと思ってるのよ」 

 支えられていた手を離して自分で立つ。うう、まだ心臓がばくばくしている。

 青になった信号を確認して鞄を持ち直すと、今度はしっかりと左右を確認してから、他の人と一緒に横断歩道を渡った。

「違うわよ。で、牧野君とどうなったって?」

「あら、感心感心。ぼーっとしてたわりには、ちゃんと聞いていたんじゃないの」

 美樹が昨日、牧野君となにやらかんたらってことを聞いていたような気がする。勢いよくしゃべり続ける美樹の話を聞いているうちに、いつの間にか気がそれていたみたい。

 とりあえず牧野君に関しての話だと私がわかっていたことに気をよくしたのか、美樹がまた話始めた。

「でね、下駄箱のとこで待ち伏せして帰りが一緒になるようにうまく合わせたのよ」

「美樹が誘ったの?」

「がんばったのよ、私。なんとか平然と『あ、帰るとこ? じゃ、駅まで一緒に行こうよ』って言えたわ。ほめてほめて」

「えらいえらい。で、どうなったの?」

「駅前で一緒にコーヒー飲んだ♪ 牧野君、実は甘党なんだよ。かわいいとこあるよねー」

 その出来事を反芻しているらしく、えへらと笑う。

「すごいじゃない。何話したの? まさか告白、とか?」

「まさか! 一気にそこまではさすがにね。ま、あたりさわりのない話。文化祭の曲についてとか、クラスはなにやるとか」

「でも、一緒にお茶したってだけでも進展じゃない」

「後輩たちが一緒じゃなかったら、ね」

 とたんに美樹は、うつろな目になった。なんだ、二人で帰ったわけじゃなかったのか。

 あくびをかみ殺して涙目になった私を、じとっと美樹がにらんだ。

「ちょっとー……真面目に聞いている?」

「聞いてるわよ。ごめん、夕べあんま寝てなくて……」

 今度は、こらえきれずに盛大にあくびが出て、あわてて片手で口元を覆う。そんな私に、美樹は苦笑した。

「瞳子も委員会、遅くまでやってるんでしょ? 疲れるのもしょうがないけど、あと一週間だもん、がんばんなよっ。せっかく最後の文化祭なんだから、悔いのないように終わらせたいよね」

 あー、そうね。あと一週間。しぱしぱする目を朝の太陽から逸らしながら、言い訳がましく言った。

「そうじゃなくて……ええと、昨日は数学の課題やってて夜更かししちゃったのよ。どうしても一問解けない問題があって……美樹?」

 それも嘘じゃないんだけど、課題に集中できなかったのは別の理由。でも、今このタイミングで美樹には話しづらいなあ。

 なんとなくごまかして話そうとしたら、隣に美樹がいないことに気づいた。振り向くと、青い顔で美樹が立ち止まっていた。

「数学……?」

「そう。ほら、先週から出てた課題の」

「…………………………忘れてた……」

「え? やってないの? あれ、結構量多かったよ?」

 無言だったのは数刻。……このパターンは。

「お願い! 瞳子、ノート見せて!」

 予想通りに両手を合わせて拝んでくる美樹に、苦笑がもれる。

 確か二、三日前に確認したときには、大丈夫大丈夫、って言ってたのに……昨日、よっぽど浮かれてたんだろうなあ。

「だから、早くやっとけって言ったじゃない。まだ日があるからって油断してたんでしょ?」

「面目ない……」

「しょうがないなあ。『リースリーナ』のケーキセットで手を打とう。ベリーパイで」

「う、高……。むむむむ……、仕方ないわ。背に腹は代えられない。よし、そうと決まったら、朝のうちに写しちゃうわ。早く行こ!」

 走り出す美樹の後を追う。


 通学路に学生があふれるには、まだ少し早かった。それでも、同じ電車で着いただろう生徒が何人も先をいそぐ。美樹のようにどこかのクラブの朝練か、それとも私のように委員会や、他の有志としての準備に追われているのか。


 その間をぬうように走る美樹に、遅れないようについていきながら。

「なんで、あんたは、そんなに、元気なのよ」

「ほほほ、鍛え方の違いじゃない」

 そう言って、走りながら、抱えたフルートのケースを高々と掲げてみせた。

「吹奏楽部員は、体力第一なのだ!」

 走りながらでも声高に叫べるあたり、たしかに管楽器奏者の体力を感じる。

「図書委員、だって、わりと、体力、使うんだけど、なあ」

 とは言うものの、腕力は鍛えられても肺活量は鍛えられた覚えがない。返す言葉も息が上がって途切れがちになる。


 やがて、視線の向こうに私たちの高校が見えてきた。


 駅から、歩いて十分。私立鷹ノ森高等学校は、創立百年を越す由緒ある高校だ。石造りのどっしりとした校門から昇降口までは、木漏れ日の中を少し曲がりくねった通路がゆるく続いている。

 普段なら、全体がしっとりとした雰囲気に落ち着いているこの正面玄関も、今は、たくさんの飾りのついたアーチで彩られ、小さな森の中にはちょうちんや灯篭のはりぼてがいくつも置かれていた。目に飛び込んでくる大きな看板には『紅鷹祭』の文字。日に日に増えていくその装飾に、生徒の期待はいやが上にも高まっていく。


 一週間後、私たちの高校の文化祭が始まる。



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